第22話
さて。
ご飯を食べ終えて、ひとっ風呂浴びれば大抵の人間は癒される。春日の暴力的な愛に晒されることもなく、佐内からの細やかな指摘に怯えることもなく、にこやかに笑う三人で団欒する予定だった。
が、両脇を固められては動くことも出来ない。どこから持ってきたのかベビードール風の寝間着を身にまとった春日に左手側から絡まれて、白くてふわふわしたパジャマを着た佐内に右側への逃げ道を塞がれている。
両手に花とはよく言ったものだが、この場合は両腕に煩悩を抱えているに等しい。汚れを知り大人になった俺であっても、少しばかり刺激が強すぎるように思えた。風呂上りの女性は普段よりも三割増しで色っぽく見えると言うが、彼女達のそれは別格と言っても過言ではない。
そわそわと落ち着かないような態度で、時折反応を窺うように顔をげて来るのがなんともいじらしい。もしどちらか一方しか部屋にいなかったなら、冷静沈着を自負して他人から「それはないだろ」と突っ込まれる程度の理性しか持ち合わせていない俺は欲望に負けていたことだろう。
絶対に、彼女らを猫かわいがりしていたに違いない。『女性を褒めるときは、他の女性がいない時にしな』とは祖母からのありがたい言葉のひとつである。使う場面が一生訪れないだろうなぁと思っていたのだが、案外早くにその場面が訪れたようだ。どちらかが手洗いに立った時にでも、残ったもう一方のことを褒めておこう。決して他意はなく、そこに咲いた花を愛でるように。
溜息を吐いた。
三人で同じソファに掛けて、眺めるものはテレビで放映されていた十年ほど前の古い映画だった。少女が年上の女性にアドバイスを受けて、人間的に成長を遂げていく物語だ。映画の序盤で主人公が舞踏会の参加を断られる場面が印象的である。大人の女性として認めてもらいたいけど、彼女の周囲には年上の人ばかりだから子供扱いしかされないのだ。
要領が悪くてヘマばかりをしていた主人公は意中の男性を射止めることが出来ず、彼は別の少女と恋に落ちてしまう。失意に沈む主人公だったが、彼女が不幸にあうのは年上女性達の策略で……と、そこでコマーシャルになった。
網戸を残して開けた窓から夜風が吹き込んでくる。強く吹き込んだ風がカーテンを大きく揺らす度、窓辺に置いた観葉植物が葉を擦り合わせて不気味に笑う。十五分に一度は不安げな目をそちらへと向けていた春日は、幽霊や妖怪の類が苦手なようだ。魔法使いにも苦手なものがあると知って、なんだか不思議な気分になる。祖母の幽霊を見たと言うのも、案外本当の話だったりするのかもしれない。
魂だけの存在を、俺は信じているからな。
佐内は意外にも幽霊を含めた心霊現象などに対する耐性があり、昔から恐怖映像などを見ても驚くことの少ない女の子だった。感受性が欠落しているわけではなく、内側に秘めた感情をどう表現すればいいのかが分からないだけだ、とは本人の談。だから、幽霊や妖怪が好きなわけではないのである。
開けた窓辺でカーテンが揺れる。その動きに合わせてダンスを踊る月の光は怪しく、人の目をかどわかす妖精を見ているようだった。
掴まれた腕を引き抜こうとして、ほぼ同時に女性陣からの抵抗にあう。俺は相手に抱き付く他に、撫でることにも楽しみを見いだしている人間だ。それを奪われているのだから、妙なくすぐったさを覚えるのも普通だろう。そういうことにしておこう。
テレビに視線を戻すと、映画の場面が進んでいた。
ライバル達の悪辣な所業が徐々に男達へと知れ渡って、主人公を助けるために物語序盤から懇意にしてくれていた男が彼女への恋心を打ち明ける。異性として恋をした男と、友人として大好きな男。振り向くどころか自分の存在を意識しているかも怪しい男と、自分が他の男に夢中になっている間も愛してくれていた男。
どちらを選ぶべきかと主人公が悩み始めたところで、俺はテレビの電源を切った。
佐内が半分寝惚けていて、春日も舟をこぎ始めている。さっきの抵抗は、反射的なものだったのかもしれない。このままソファで映画を見続けていると、誰かが風邪を引いてしまいそうだ。
大団円を迎えることには十二時を過ぎているだろうし、望む結末がエンディングになるとは限らない。だから、ここでテレビを切った方がマシなのだ。ふと思い立って、腕を動かす。二人からの抵抗はなく、素直に抜き取ることが出来た。そのまま彼女達の頬に触れ肩を抱いた。佐内の方が温かくて、春日の方が冷たい。だけど春日のほうが女性的包容力に満ちていて、佐内には少女的な清廉さがある。
一途の恋を貫けない主人公を軟弱者だと思っていた俺も、似たようなことを感じている。
あぁ、優柔不断で妄想癖のある男が傍にいるなんて、この二人は大変だな。
大きく欠伸をして、春日の肩を揺らす。寝惚け眼の彼女はいつものように激しい愛情表現こそしなかったが、裾をしっかり握ってきた。瞼の上をゆっくりとこするその姿に、少しだけ鼓動が早くなる。
「佐内が寝たんだ。春日も、もう寝た方がいいぞ」
「んー。今何時?」
壁時計を指差すと、彼女の首が九十度回る。三秒ほどのその姿勢のまま、動く張りを見つめていた。
「まだ、十二時にもなっていないのね」
「普段から早寝早起きが習慣だからな、佐内は」
「ふーん、随分と詳しいんじゃない?」
おっと、要らないことを言ってしまったようだ。佐内を抱き上げて、彼女が泊まると決めた部屋に運ぼうとする。春日が後ろに立ってついてきたから俺の部屋まで付いてくるかと思ったが、そのまま自分の部屋へと向かうようだ。
「子供には恋愛映画は早かったのかもね。というか、あの映画つまんないし」
「そんなこと言うなよ。俺は好きだぜ」
「本当に?」
「あぁ」
主人公は嫌いだけどな、という余分な注釈を付けたくなるのは天邪鬼だからだ。嘘だけど。
羽のように軽い少女を腕に抱いたまま階段に足をかける。そこで春日から声をかけられた。
「キスしたいって言ったら、怒る?」
振り返ることなく言った。
「当たり前だろ」
腕の中で、佐内は安らかに眠っている。彼女自身が選んだ部屋で布団に寝かせる。
そして部屋を出たとき、春日はまだ廊下で待ってくれていた。お休みと言って部屋へ引っ込もうとした彼女に声を掛けて、もう一度俺の方を向いて貰う。どうしてこんな気分になったか分からないんだ。だけど言っておかなければ、思いを胸の中で腐らせるのは愚か者のすることだと知っているから。
意を決して、春日に尋ねてみる。
「ハグしたいって言ったら、怒るかな」
彼女は、深く考えることなく言った。
「ううん。いいよ」
「……そうか」
そっと春日に近づいて、その肩に触れる。深呼吸をしてから、空いた心を彼女で埋めるかのように強く抱き締めた。長いことそうしていた。何も考えず、何も思わず、ただ触れ合っていたように思う。誰かの笑い声が聞こえたような気がして、身体を離した。彼女に目を向けると穏やかに、これまで見たことのないラベンダーみたいな微笑みを浮かべている。
はにかむ春日は、普段の数倍マシで美人に見えた。
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