第21話
チキンライスを作るための材料を探して、台所を歩き回る。しいたけ、玉ねぎ、鶏肉。その他細々としたものを揃えて机に用意し、ケチャップが少なくなっていたことを思い出して買い溜めた調味料の仕舞ってある棚を覗き込む。おっ、あった。
「うひゃっ」
春日の間抜けな声に振り向くと、佐内の手の中で卵が砕けていた。
「あー、気にするな。次の奴を……」
「やっぱりいいです。私には早い気がしました」
それ以上俺達が声を掛けるよりも先にティッシュで汚れをふき取ると、佐内はすごすごと水場へと歩いて行ってしまった。どうしたものかと思案していると、春日が手をあげる。なんだか、楽しそうな表情をしていた。
「ねえ佐内さん、魔法を使いましょうか」
「おい春日、本気で言っているのか」
「いいじゃない。もしかして佐内さんに魔法のことは秘密だった?」
「聞かれてないから答えていないだけだ」
「あらら。彼女、弥勒よりもセンスがあると思うんだけどなー」
マジかよ。
ぐるりと首を回して、流れる水をその手で受ける佐内を見つめる。彼女はよっつの瞳に射すくめられて、首を縮めていた。小動物然としているな。
「魔法って、あの魔法ですか? 杖を振ったり、呪文を唱えたりする……」
「そうよ。私の場合は、こう」
パチンと指を鳴らすと、春日が持っていた卵がふたつに割れた。
はえー、すごい。何をどうやったんだ? と佐内よりもびっくりしている俺がいた。
料理が下手なのは教え方が悪いせいだ、出来ないことは魔法で代替させればいいはずだと春日は佐内の手を取った。つい数十分前まで売り言葉に買い言葉の応酬をしていた奴らと同一人物だとは思えない。姉妹が仲睦まじく料理をしていると言われた方が、よほど信憑性があるじゃないか。
「何か、曲げられない信念みたいなものはある?」
「深く考える必要はないぞ。春日だって考えてないだろうから」
「弥勒は黙っていること。魔法のコツ、未だに掴めない癖に」
「知るか。教え方が悪いんだよ」
心の底から響いてくる声を聞けばいいなんて、そんなアバウトな説明で分かるはずがないじゃないか。予備動作探しは難航しているし、魔法を使うためには何かしら他の技術やセンスの類が必要じゃないのかと疑い始めている今日この頃だ。
実は予備動作なんてものは必要なくて、心を落ち着かせて嘘偽りのない真心を絞り出せれば魔法が使えるとか、そういう都合のいい設定にならないかしら。そんなことになったら世界中が魔法使いで氾濫しそうだし、やめてほしいが。
閑話休題。
結局は佐内も魔法を使うことが出来ず、真っ当な方法で料理をすることになった。
初心者には言葉で説明してもわからないだろうと、春日が佐内の手を取って一緒に野菜を切り始めた。流石に包丁を魔法で動かすことはやらせないらしいが、なるほど、手を握って正しい切り方や包丁の持ち方、そして野菜の押さえ方などを学ぶのはいいことだ。
俺も、学ぶことがあった。
少女の手に触れるのはいけないことだと、無意識のうちに遠ざけていた自分がいる。佐内に散々抱き付いてきたくせに、手を握ったことはないのだ。一体どういうことなのかと問いかけてみても、心の底まで響くことなく霧散する。隠したい真実を前に、正義なんてものは時として無力らしい。春日には最低限のことしか教えていないから、ちょっとでも美味しいオムライスにするために途中から俺も参戦した。火加減や調味料を加えるタイミングなど、適宜指示を出して料理をする。
あぁ、楽しいなぁ。
中学高校と、親しい友人なんていなかったから。だから、こうして一緒に何かをする相手がいるというのはいいものだ。例えその相手が、魔法使いなどという世間の常識からかけ離れた存在だったとしても。
一通りの作業が終わって手洗いに行こうとしたら、廊下で春日に呼び止められた。やっぱり何かの魂胆があったようだ。
「ねぇ、次のお休みはいつ?」
「知らんな」
これ以上絡まれて春日の目論見にハマってしまう前に逃げ出そうとしたが、そう都合よくは問屋が卸してくれなかった。左腕を絡め取られて、それ以上前に進むことも引くことも出来なくなってしまう。春日は俺の肩に額を寄せて、甘える猫のような素振りを見せた。
「えー。でも、毎週二日間はお休みなんでしょ? 生徒さんに聞いたよ」
「それがどうかしたか?」
「ねえ、次の休みに予定はあるの?」
「さあ、どうだったかな」
惚けた真似をしていると脇腹を思い切りつねられた。ややご立腹のご様子だ。
春日という人間を異端者として遠ざけ、向けられる好意に抵抗を示すのも限界が近づいている。あと数日もすれば、春日を一人の女性として受け入れてしまうかもしれない。それはダメだ、相手の気持ちも何も考えていない惰性の恋愛だと分かってはいるのに、どうしても心がなびいてしまう。
うーむ。典型的な、女性に免疫のない男である。
「で、暇?」
「暇だよ。友達とか、佐内くらいしかいないし」
「やっぱ、あの子友達なんだ? 超可愛いよねー」
「……詮索しても無駄だぞ。隠すようなことはしていないからな」
「昨日お泊りしたのも、彼女の家でしょ」
くっ。
別に隠すほどやましいことをしていたわけではないし、春日のうざったい追求から佐内という唯一無二の友人を遠ざけると言う理由がなくなった今となっては、彼女の言葉を明確に否定することもできない。
これが女の勘という奴か。本当に千里眼みたいな精度の良さだ。
「そういえば春日。お前、佐内に対してやけに親切だったけど何を企んでいるんだ」
これ以上の追及を逃れるために、話の方向を反らすことにした。
危ない時こそ、逃げの一手だ。
「結婚する未来は決まっているのだから、ここでお姉さん力をアピールすることで弥勒からの好感度を挙げておこうと思って」
「それだけ?」
「んー。あと、なんとなーく……」
春日の視線が宙に逸れた。
その瞬間に腕を振りほどきトイレへとダッシュした。個室の鍵を閉めれば流石に追いかけてこなかったし、用を済ませて扉を開けたときにも春日の姿を見ることはなかった。ふふ、春日が佐内に対して何を考えているのかは分からずじまいだったが、俺も彼女に一杯食わせる程度には要領がいいみたいだな。
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