嘘とホンネ

第20話

 今日は散々な目に遭った。ふと気を抜いた拍子に、春日の胸元へと触れた感触が指先に蘇って来て、本当にどうしてあんなことをしたのかと後悔し続けている。

 そして災厄は終わらない。つい昨日も会ったばかりだというのに、佐内が俺の家まで遊びに来たのだ。遊びと言い切るには、随分と大きな荷物を持って。

 屋外で立ち話というわけにもいかず、彼女らを部屋に案内してきて一時間。午後九時になろうかとしているのに、一向にお喋りが終わる気配はない。

「へー、そうなんだ」

「だから付き合いも長いし、仲良しなんですよ」

「でも、結婚するのは私の予定だから」

「家族ぐるみのお付き合いはしていないんですよね? うちは家族公認ですから」

 佐内の発言に春日が目を見開いて、俺へと視線を送って来る。彼女と俺が知り合いだったことに驚いたのかな。いや、それはこの際、どうでもいのだけど。

 佐内と春日が喋っている。仲良く見えないこともないが、机の下で互いの脚を抓りあっているのが見えた。何も知らないふりをするのが賢明、なんだろうなぁ。くそう、どうして俺は二股をかけた男みたいなポジションに収まっているんだろう。席を立とうとすると二人の視線に諫められるし、お手洗いと嘘偽りを述べて逃げ出すことも叶わないみたいだ。

 そろそろ、俺が喋るべきかも。

 本当は、嫌なんだけどなぁ。

「えっと、佐内は今日から夏休みなんだよな」

「そうですね」

「で、その荷物は何なんだよ」

「お泊りセットです」

 ふんす、と薄い胸を張った。

 なるほど、まったく分からんぜ。

 助けを求めて同居人に視線を向けるも、なぜか唸っていた。

「ところでみーくん、人材不足に悩んでいませんか? 塾の講師を、住み込みでやってくれる人を募集していたりとか」

「んー、そう言われてもなぁ」

 確かに最近は塾の生徒が増えて来て、満足に対応してやれないことも増えている。

 いっそ今日みたいに春日を雇うか、常に佐内が勉強を教える手伝いをしてくれればいいのだが。あ、そういうことか。佐内を家に住み込ませて勉強を教える手伝いをして貰えれば、それで万事解決だ。春日からの強烈なアプローチに対する解答にもなるだろうし、完璧じゃないか?

 佐内に目で合図を送ると、彼女も肩眉を吊り上げた。この策士め。

「なるほどね。採用するよ」

「分かりました。明日からよろしくお願いします」

「えっえっ、そんなあっさり決めていいの?」

「おう。気心の知れた仲だからな」

「うわ、依怙贔屓だ! 私のときは滅茶苦茶嫌がっていたくせに!」

 急に立ち上がった春日は、檻に入れられた犬みたいに騒ぎ始めた。

 居間から飛び出していった春日の後を追うことはせずに、佐内へと話しかける。

「助かったぜ。春日の奴と一緒だと、調子が狂うからさ」

「勘違いしないでください、みーくん」

 肩に乗せた手は振り払われたけど、いつもみたいに鋭い視線が向けられることはない。ちょっと伏せがちな目は人形みたいで、普段の佐内とはちょっと違っていた。

「ふたりが変なことしないか、見張りに来ただけですから」

「うげぇ……」

「みーくんも誘惑に負けたりしないように。あと、私に手を出したら訴えます」

 反語かな? 実は私もあなたのことが――みたいなサインをどこかで出していないかな? と目を皿のようにして佐内を見つめる。しかし、現実は非情であった。都合のいい妄想など、誰かの脳内でしか繰り広げられないものなのだ。

 佐内が去年まで寝泊まりしていた部屋は春日が使っているので、別の部屋を案内することになった。てこてこと歩く佐内を後ろにひき連れて、祖母の指揮による改造が施された妙な日本家屋の中を歩く。

 使われていない部屋や倉庫になったままの部屋が多くて、佐内はいつも不思議そうな顔をしている。あと、何かを警戒しているようでもあった。

 そうだよなぁ。年上の男が一人で住んでいる家に上がって警戒しない奴なんていないよな。それが長年つるんだ友人だとしても、信用と信頼は別物だからな。

 そういえば、今朝方聞いた春日の話が本当なら、祖母の幽霊が家の中を彷徨っていることになる。それを話したところで信じてくれないだろうし、佐内は怪談の類を好まないので黙っていることにした。勘のいい佐内のことだ、俺が話さなくても勝手に理解するに違いない。もし幽霊を知覚できないのが俺だけだったら、彼女らはこの幽霊屋敷から出て行くのだろうか。

 ……春日だけは、出て行かないような気がするなぁ。

 ちなみに去年の夏、気を利かせた佐内が部屋を勝手に掃除してくれたことがある。男子諸君なら誰もが愛読書にしているだろう肌色成分多めの本を、ベッドの上へ丁寧に並べられたのには恐れ入った。別に追及してくるわけでもなく、努めて冷静に俺と向き合おうとしてくれた佐内の真面目さに、あれ以来頭が上がらなくなったような気もする。

 佐内が荷物の整理をしている間に、走り去っていった春日を捜索することにした。

 玄関に彼女の靴があることを確認して、家の中を歩き回る。たいして苦労することもなく、昼間、小学生達に庭から覗き見されていた部屋のソファに彼女は寝転がっていた。

 うつ伏せの彼女に声をかける。返事はなく、どうしたものか頬杖をついた。

 象の表皮にも似た灰色のソファに手を掛ける。彼女の頭に、そっと手を乗せた。仕事を手伝ってくれた礼を口にしようとしたのだが、何といえばいいのか迷った結果だ。あまり褒めると調子に乗るかもしれないし。

「春日」

 取り敢えず声を掛けてみたが反応が薄くて、長い髪を結んでいたゴムを抜き取る。そこで初めて、春日が顔をあげた。

「なによ」

「……いや。反応がなかったから」

「そ。私だって静かな時くらいあるわ」

 妙に突き放したような態度を取られてたじろいだ。起き上がった春日は俺を睨み付け、すぐにソファへと突っ伏した。何かを言い淀んでソファをぼこすかと殴りつけているが、一体何を口籠っているのだろうか。

 返したゴムで春日がもう一度髪を縛り直す前に佐内が二階から降りて来て、遅めの晩御飯を準備することになった。既に晩御飯を食べてきたと言う佐内には悪いが、まだ、俺たちは飯を食べていないのである。誰かと誰かが、一時間近くもお喋りをしていたせいでな。

 料理の練習をしたいという春日の言葉を受けて、メニューは初心者にも作りやすいオムライスにした。簡単ならと佐内もやりたがったが、基礎が出来ていればという話である。というか基礎的なことが出来れば誰にだって料理くらいやれるはずだ。それでも彼女に料理をさせないのは、それを食べるのが俺だからなのであった。

 味付けに関しては、まぁ、個人のセンス次第だが。

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