第15話

「うわ! みてよかっちゃん!」

「ん? せ、先生が変な人に絡まれてる! やばくね!」

 唐突に響いた声の方へ、最後の力を振り絞って顔を向ける。小学校一年生の男の子がふたり、庭の方から家を覗き込んでいたようだ。そうか、春日のことを塾の生徒達には知らせていないもんな。だから初めて見た変な奴が、先生を押さえつけて訳の分からないことをしている風にしか見えないのだ。

 よし、チャンスだ。ご近所には響かないけれど庭にいる少年たちには届くだろう、微妙なラインの声を張り上げた。

「かつや君、よしき君! 助けてくれ、玄関は開いているはずだ!」

「分かった!」

「いま行く!」

 いい返事と共に、少年たちが颯爽と駆けていく。普段なら「他人様の家を覗くのは……」と説教を始めるところだが、今回ばかりは別だ。

 なぜか、貞操の危機を感じる。

 ボクシングのピーカブーみたいに顔の前まで腕をあげることで春日の積極的過ぎる愛情表現を拒んでいた。しばらくもたついて、春日は最後の力を振り絞って来る。握力以外には、特筆すべき筋力などを持ち合わせていないようだ。よかった、女性に押し倒されて手籠めにされては酒の席で笑い話にすることも出来んからな。

 舌打ちと共に、彼女は腕の力を緩めた。

「あとちょっと、というところでとんだ邪魔が入ったわね」

「あと一分もしないうちに、俺の生徒が部屋に入って来るはずだ」

「あら、あの子たちのことを信頼しているのね」

「当然だ。はやく退かないと、春日にとって都合の悪い状況になるかもしれないぞ」

 適当な言葉を並べて、さっさと俺の上から退くように促した。

 が、彼女が指を弾いたところですべてを思い直した。春日は魔法使いなのだ。普通じゃないことを、さも当然のようにやってのける。廊下の方から、小学生たちの声がした。

「せんせいどこにいるのー?」

「この家、玄関から行ける場所が台所とトイレしかないじゃんかよ!」

「……春日、お前なにをしたんだ」

「ちょっと光を捻じ曲げただけよ? 何も危害は加えてないから安心して」

「そういえばお前、そういう魔法が使えるんだったな」

 初めて会った日もそうだった。事前に自宅への不法侵入までかまして、透明にした荷物を運び入れていたのだ。あの時に物体を浮遊させる魔法を使っていたし、こいつ、本当はどのくらいの魔法が使えるのだろう。

 とりあえず、文句だけは言っておこう。

「お前、強引すぎるぞ」

「強引じゃなかったら結婚してくれるわけ?」

「嫌だよ」

「じゃ、小学生に現場を見せようか」

「…………」

 言われ気付けば、危惧すべきことは明瞭に分かる。カーテン越しに覗いたときは俺が襲われているとしか認識できなかった小学生たちも、部屋に入ってきたなら別だろう。いや、事の次第や俺達が何をやっているかまでは理解出来なくとも、何となく想像はつくだろう。『キス』とか、そのくらいの言葉なら知っているに違いないし。

 そもそも、だ。仲のいい男の先生が、知らない女の人とソファの上で寝ているんだぞ。場合に依ってはちょっとしたトラウマになるかもしれないし、将来的に彼らの性的趣向が変な方向へと捻じ曲がってしまう可能性も否定できない。かく言う俺は公園に落ちていた雑誌で大人の世界を知ったクチだが、それも中学生になってからだ。小学生には、やっぱり早すぎるだろう。

「今日だけは許してくれないか?」

 一応、念のために尋ねてみる。彼女は首を横に振って、静かに言った。

「それが運命なのよ」

 そして春日は、自分の服をまくり上げた。

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