第13話
透明なジェットコースターに乗って未桑町上空を飛び回っている夢、布団に飲み込まれて怪物になる夢。人魚と一緒に世界を旅していたら溺れる夢、異世界に飛んで、使えないはずの魔法で誰かを救う夢。
飲み屋に行ったら、天狗の仮面を被った男に絡まれて神隠しに会う夢も見た。
個人的には楽しかった夢もあげ連ねてみたのだが、彼女は膝の上で震えていた。
「みーくんの夢はどれも怖すぎます」
「だって、見るんだから仕方ないだろ」
「寝る前に、もっと幸せなことを考えたらどうですか?」
「そうかなぁ。あ、一昨日はシュークリームで出来た城を食べる夢を見たんだけど」
「うわ、子供っぽい……」
それっぽい恰好をすればマジの小学生に間違われること必至の少女から子供っぽいと言われた俺は、明日から何を意識して生活すればいいのだろう。指摘したら太腿を思い切りつままれて涙目になった。
そろそろみんな晩御飯を食べ終えたかと二人で戻ると、佐内の父親と祖父はいびきをかいて眠っていた。ケーキが残っているのに、仕方のない人たちだ。
残っていたもので、明日に残せそうなものは別の皿に移し替えた。保存がきかないものは、俺が美味しくいただいておく。比較的恵まれた体格をしていると、量を食べても文句を言われるどころか褒められるのは得だよな。昔はウドの大木だと自虐していたが、町内会の大掃除ではこの身体が役に立つことも多いし、最近は気にならなくなっていた。
人間は適材適所だ。祖母が言っていたことを、実感する場面も増えてきた。
佐内の後に風呂に入って、佐内家の女性陣と一緒に誕生日ケーキを食べた。佐内が浮かべた今日一番の笑顔を見ていると、ふと、春日のことを思いだした。酒が残っているし、もう家に帰るのは難しい。佐内家の好意に甘えて泊めてもらう予定なのだが、一応、春日に話しておいた方がいいだろう。
塾ではなく、自宅に電話するのは相当久しぶりだ。正しい番号を押せるか不安だったが指は案外覚えているもので、受話器の向こうに春日が出た。すごいよなぁ。あの家に住んでいたのは、二週間前まで俺だけだったのに。
『はい、小野池です』
「……お前と結婚した覚えはないんだが」
『あれ、弥勒?」
「ん。」
「いいじゃん、別に。それとも春日ですって名乗った方が良かったの』
「いや、別に」
名乗られた相手が困惑するだろうから、やっぱり今のままでいいや。
と、こんなことを話している場合ではなかった。
左手から右手に受話器を持ち替えて、本題に入る。
「今日は友達の家に泊まっていくことにしたから」
『えー。なんで?」
「酒を飲み過ぎて、帰れなくなったんだよ」
受話器の向こうで、何かを察したらしい春日の悲鳴にも似た声が上がった。
『ちょっと待って。ということは、相手もお酒の飲めるお年頃?』
「あー、どうだろう」
『ちょ、それはダメでしょ。お酒が入って年頃の男女が冷静でいられると思うの?』
「お前と俺はそうだったろ? それに、何も女性の家に泊まると言ったわけじゃ」
『言ってなくても分かるわよ。女の勘を舐めないでね』
千里眼持ちじゃなかったのか? と素朴な疑問が脳裏をよぎったが、それはさしたる問題じゃない。だって、鋭い勘というものは千里眼に匹敵する効力を持つことがあるのだから。
どうやって煙に巻くかを考えていたら、春日から矢継ぎ早に質問が飛んできた。
『あ! 家に居るのって、その子と弥勒の二人だけ? 違うよね、勿論他の誰かもいるんだよね? トーゼン相手の親には許可を取ってあるんだろうし、誰にも迷惑とか掛けてないんだよね』
「どうだろうなー」
『ちょっと!』
「じゃ、また明日」
ガチャンと小気味よい音を立てて電話を切った。
途中から世話焼きのお母さんみたいな質問に切り替わっていたが、まぁ、明日しっかりと説明をすれば許してもらえるだろう。春日は俺の保護者じゃないんだし、言い訳っぽくて話をするのもあまり好きではないのだけれど。
ケーキを食べた後、佐内が居間で休んでいる間にホームパーティの後片付けを手伝った。そこで佐内の母親、良子さんから一泊する許可を貰う。佐内の家に遊びに来たときは大抵寝泊まりしてから帰るから、いつものことには特別にコメントを差し挟む余地もないよな。
佐内と入れ替わりで風呂へ入らせてもらい、パジャマは彼女の家に一式が準備されていたのでそれを拝借した。というか、実際は自前のパジャマだ。頻繁に泊まっているから、用意した一式をそのまま預けてあるのだ。
風呂上りに佐内の部屋へ招かれて、一緒に夏の夜空を眺めた。開け放った窓から音もなく初夏の風が吹き込んできて、心地よさに頭がぼんやりする。
平和で、平穏で、賑やかな。
みんなが笑顔の一日を過ごして、幸福が胸いっぱいに詰まっている。
不思議とくっ付いても怒らない佐内を胸に抱き止めて、人間をダメにするクッションに寝そべっていた。この時間が永遠に続けばいいのにと思う一方で、明日の仕事も気にかかる。大人になるって、本当に嫌なことだ。
ふと思い立ったことを、彼女に尋ねる。
「ところで、みゆ。彼氏っているのか」
胸の中の佐内が、小さく跳ねた。
跳ね起きようとしたのを腕で制して、彼女の小さな体躯を胸の中に抑え込む。
彼女の表情を伺うのが、少しだけ怖くなっている自分がいた。
「なんですか、やぶから棒に」
「いや、気になったんだよ。おにーちゃんとして」
「別に、みーくんは私のお兄さんじゃないですし」
「言葉の綾だよ。で、どうなんだ?」
もぞもぞと腕の中で足掻いていたが、脱出できないと諦めたらしい。
反応を見ていれば、なんとなく察することが出来た。
佐内に彼氏はいない。
それは、多分、俺の妄想なんかじゃないだろう。
彼女にとっては喜ばしくないはずのことを喜び、あまつさえ安堵している自分がいることから目を逸らしたくなる。酒のせいだろうか、瓶に残っていた最後の一杯が効いているようだ。気を抜けばすぐにでも、佐内の頬に唇が触れてしまいそうになっている。佐内に彼氏はいないんだろ? だったら俺を――。
「……ダメだなぁ、俺」
甘えたがりも、ここまで来れば病気かもしれない。
佐内の全身をくすぐっていたら流石に暴れられて、気付けば彼女が俺の上で馬乗りになっていた。といっても、俺の背中から押さえつけるような体勢だから、特にこれと言って感じるものはない。
「そういえば小説は進んだか? まだ書いているんだろ」
反応がなくて、もしかして寝落ちしたのか? と首を捩じる。彼女は複雑な、餌として与えられた向日葵の種がプラスチック製の玩具だったときのハムスターみたいな顔をしていた。
「みゆ?」
「書いていますよ。ずっと、書き溜めています」
「新人賞とかには送らなくていいのか?」
「もうとっくの昔に応募済みです。生憎と、一次で落選しましたが」
質問を重ねると、彼女は恥ずかしそうに笑った。
中学生の頃に小説家になりたいと言い出してから何度目の応募になったのだろう。
その度に不名誉な落選を経験しているし、鋼のメンタルの持ち主ってわけでもないのだ。しょげることもあるだろう。ひょっとすると、めげて挫けそうになることだってあるかもしれない。だけど、それは俺に関係のないことだ。
小野池弥勒は、佐内みゆを応援し続けるぞ。
「そっか。でも、次があるんだろ」
「まぁ、九月と十二月に。それが終わったら、また四月の新人賞に応募すればいいわけですし」
「よし、なら頑張れ。夢として掲げた物を、そう簡単に諦めるんじゃないぞ」
「簡単に言いますよね、ホント……頑張りますけど」
人の背中に乗った佐内は、指で背中に文字を書いている。くすっぐたくて身を捩ると、バランスを崩した彼女が倒れ込んできた。何をするのかと、文句混じりに頬を抓って来る。笑いながら、俺も彼女の背中へと手を回した。
軽率に頑張れという言葉を使わないように、という指導をしている塾もあるらしい。
だけど、それも時と場合に依るのだ。第三者がでっち上げた妄想のために勉学を張り切ってやらせる必要はないけれど、本人が掲げた夢の為の努力を惜しむようであれば周囲の大人が尻をひっぱたいてやらなくちゃならない。躓いたなら手を差し伸べて、前に進めないなら背中を押してやる。
それが本当の意味での、大人が子供に出来る支援だと思う。
好きなことをやっても怒られないのは高校生までだ。十代の輝き、無鉄砲さ、そういうものを世間は評価したがる。その眩さを憎んでいる大人だっているに違いないが、それでも前に進む意志を持った若者たちには敵わない。
叶わない夢もあるし、叶ったところで現実との落差に悩むこともあるだろう。
だけど若者は、前を向いて進まなくちゃいけない。
それを昔、佐内が俺に教えてくれたのだ。
「完成したらまた読ませてくれよ」
「いいですけど、文句は禁止ですから」
「そりゃいいや。レベルの高い原稿が送られてくるんだろうからな」
「……面白かったら、ちゃんと褒めてくださいよ?」
「勿論だとも。塾の先生は生徒のモチベーション維持に全力を挙げるのだ」
笑い合っていると、佐内にひっくり返された。日向ぼっこを唐突に邪魔された亀のように憤慨していると、また、彼女が俺の上に乗ってくる。腹で彼女の全体重を受けながら、そういえばこいつも結婚できる年齢になったんだよな、と無体なことを考えていると彼女が頬を寄せてきた。
うーん、今日はどうしたんだろう。お茶と間違えて、がばがばと飲んだわけではないのになぁ? そうでもないと、本当に、この甘え方の説明がつかないぞ。もしくは、昨日見たと言う、俺が知らない女と歩いている夢が相当堪えているのかもしれない。俺だって、佐内が知らない男と仲良く手を繋いで遊園地デートしている夢なんかを見たら発狂しかねないし。お兄さん許しません! 誰なんですかその男は! ってな感じで。
本当に、理不尽なもんだよなぁ。
春日に抱き付かれているときは突き飛ばしているのに、佐内が擦り寄って来ても突き放すどころか抱き締めている。それはきっと、佐内と俺との親しい間柄を証明するために必要な事柄だからだろう。互いに相手へ甘えられる、それが親密な関係を維持するために俺達が求めている妥協点だ。
仔犬のように甘える佐内を撫でていたら、そのまま彼女は眠ってしまった。その表情は、生まれたばかりの赤ん坊みたいに安らかだ。俺は今、どんな表情をしているのだろうな。
溜め息と共に天井を見つめる。
佐内と初めて会った日のことは覚えている。
佐内との、今日に至るまでの系譜は記憶にしかと刻まれている。
だけど、それよりも前は? 両親との記憶や、小学生の頃の思い出は?
漠然とした不安を抱えて、佐内をぎゅっと抱きしめる。春日よりも数段子供っぽい身体には、俺を安堵させる魔法の力が詰まっているようだった。
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