第9話

 私には秘密の力がある。

 すごいぜ!

 こうやって書くと超能力者みたいだけど、似たようなものだし。ブラウン管越しに眺めていたドラマや、スクリーンに繰り広げられる映画とはわけが違う。指先ひとつで、世界はホントに変わってしまうのだから。

 春日宮姫、二十三歳。職業は家事手伝い、最近は小野池弥勒と結婚するために毎日を騒がしく過ごすことに全力を掲げていた。大学に通いながら農作物の育て方を学んでいた去年までと比べると、やっていることの毛色がまるで違う。

 だから、人生というものは楽しいのであった。

 さて、私はどんな魔法が使えるんでしょうか。浮遊術、光の屈折魔法、その他諸々。多分、世界中のどの魔法使いよりも沢山の魔法が使えるだろう。生まれながらの才能と和子さんの元での勉強が成果となって、私の技術に現れているのだ。

 テレビやドラマに出てくる主人公達みたいに世界を救ったりはしないけれど、路地裏で水晶を覗き込む似非占い師よりは世界貢献ができるだろう。

 だって、本物の魔法が使えるんだから。

 魔法と言えば、私は他人の心を覗くことが出来る。相手を思い通りに動かす洗脳魔法みたいなものは、それこそ種から作物を育てるように、子供の時期から掛け続けないとまともな効力が出ないだろうからやったことがない。第一、魔法の素養がある人が相手だと心を覗けないのだから、一般人の一人や二人を手駒にしたところで何かが変わるわけでもないだろう。

 そう、魔法の才能がある相手なら、私は心を覗けないのである。

 だから最初のうちは弥勒も魔法使いだと思っていた。実際は違ったみたいだし、彼はそのことに深いコンプレックスを抱いているようだった。でもでも、本物の魔法使いなんて一握りなのだ。落胆もしてないし、彼には自信を持ってもらいたい。誰かに好かれているというだけでそれは誇れることなのだから。

 魔法を教えるという名目で、私が関係性の主導権を握る。これ以上に喜ばしい状況があるだろうか。……彼が、私のことを好きになってくれれば、それでいいんだけどなぁ。

「弥勒は、ガードが固すぎるのだ」

 ぼやいて、昨日のことを思い出す。

 塾から最後の生徒を送り出す時、彼の隣に制服を着た少女が立っていた。高校生にしてはやけに小柄で、成人男性としても高身長の弥勒より、彼女は頭ふたつくらいは背が低かったように思う。話している時の彼らはとっても親しげで、少女が弥勒にとって他の塾生とは一線を画した存在だということを女の勘が告げていた。

 でもまぁ、心配はしていない。大人の女性的な魅力では、少女は私に絶対敵わないだろう。というか一番彼と近しいのは私だし? 心よりも先に身体へ私を覚えさせて、毎晩私とハグをしてからじゃないと眠れないような肉体にしてしまうのだ。ふふ、これが和子さん直伝の恋愛必勝法である。聞いた当時は不純だと思っていたし、心を陥落させるためとはいえ誰かに誠心誠意尽くすなんて馬鹿みたいだ、なんて考えていた。

 でも、相手が弥勒なら話は別だ。

 手を握って体を寄せるだけで頬を赤く染める純情男子! 素敵だ!

 昨日だって指導を理由にセクハラし放題だったし。ふふん、自慢話を語って聞かせる相手がいないのが残念だ。惚気話だけで、今なら二時間くらいは一方的に語れる気がしているのだけど。

 指を鳴らすと、枕が宙に浮いた。それに抱き付いて、ちょっと幸せな気分に浸る。シンドバッドの冒険に出てくる魔法の絨毯ほど乗り心地はよくないけれど、ちょうどいい浮遊感と抱き心地が私を幸せにしてくれるのだ。

 廊下を枕に乗って移動して、弥勒の部屋へと向かう。ごろごろと、部屋の持ち主の匂いが残った布団に転がった。本人が目撃したら、そっと扉を閉じるような行いだ。事実、一昨日に行為が露見したときは逃げられてしまった。

 多少表現が歪というか限度をわきまえていないだけで、私の想いは本物なんだけどなー。どうにも理解されていないらしい。弥勒の傍にいるだけで胸が高鳴って体温が上がって幸せ指数もうなぎ上りなのに、なぜか、遠ざけられてしまう宮姫さんであった。それはきっと、弥勒が乙女よりも純情なのだからと信じたい。

 捨てられれば楽になると分かっているものでも、手放せないものがある。それを含めて、私という人間は出来上がっているのだ。

 さて、私は魔法使いだが、その中でも特別な力がある。そもそも、私が出会ったことのある魔法使いは和子さんを含めても両手の指で数えられる。弥勒のように魔法の練習をしている人を含めても、三十人いるかどうかだろう。他は素養があっても知識や能力、努力の足りない人ばかりだった。手品と話術で他人を騙しているような人なら、結構多いんだけどね。

 とにかく、その魔法使いの中でも、私には特別な技術があるのだ。

 それが予知夢。

 術式としての理論を確立されていない、魔法使いにとっても奇跡のような技だ。

 予知夢なんて、言葉にしてみれば何てことのないものだが、これは非常に特殊な魔法である。断片的に未来を覗き見る力がある魔法の中でも、占術などとは比べ物にならないほど精度がいいのである。

 時間を操る魔法なんてものが存在しない以上、未来を覗き見ることが出来るのは非常に大きなアドバンテージになる、と思う。少なくとも私は時間操作の魔法を誰かから教わったことはないし、それを使える魔法使いの話を聞いたこともない。他人の記憶を改ざんする魔法があるなら、それを使って未来の記憶を引っ張ってこられたりするのかな? 理論はよく分かんないけど。

 ともかく私は、夢をみる。

 その中で、額縁に入れられた絵が動く夢を見ることがある。ちょうど、テレビを見るようなものだった。それは「変えられない未来」を見るときに浮かぶイメージだ。私の夢見の最たる特徴のひとつがそれで、他の魔法使いが手も足も出ない領域に片足を突っ込んで素知らぬ顔をすることが出来るのも、昨日までは掴めなかった新しい魔法のコツを掴んですぐに使えるようになってしまうのも、予知夢で得た知識のおかげである。

 卵が先か鶏が先か、そんなことは魔法使いには些事たる事柄に過ぎない。要は、結果がすべてなのである。

 閑話休題。

 夢の中の私は、ウェディングドレスを着ていた。

 世界中の誰よりも幸福そうな、超ウルトラにこやかな笑顔だった。

 世渡りの為にと身に着けた処世術、そんな嘘っぱちの笑顔じゃない。本当に、心の底から何かを楽しんでいる時の笑い方だった。祭壇前に立った私の元に弥勒――この時すでに、彼の名前や居場所、彼が和子さんの孫だという情報が脳内には流れて来ていた――が歩いてきて、恥ずかしそうに手を取って。

 互いに見つめ合って、恥ずかしさに一瞬だけ目を逸らす。

 私より十センチ背が高いだけの彼に抱き付いて、そして――。

 うひひひ。

 これ以上は健全な青少年を育成するための法案に引っ掛かるだろうから、トップシークレットにしておこう。それはもう濃密で濃厚で、幸福の絶頂を絵にしたような時間が続いていた。絵の中で動く私はそれを眺める私以上に貪欲で、男を知らない少女だとは思えないほどの強引さを発揮していた。見ていた私の方が恥ずかしくなるくらいだったから、純真無垢な少女は卒倒するレベルかもしれない。えぇ、舌の付け根まで味わい尽くしてやりましたとも。

 あの夢を見てからの行動は早かった。

 弥勒に出会うまでは半信半疑だ。あんな冴えない人を好きになれるのかな、実は騙されて結婚したんじゃないのかな、とか。ひょっとするとあの男は和子さんと同じ魔法使いで、他人の心を掌握する悪い奴だったりしないかな、とか。色んなことを考えた。

 予知夢は絶対だ。

 魔法使いにも変えられない運命というものは存在しているのである。

 不安で吐きそうになりつつも知らない街を歩き、和子さんが経営していたと言う塾の門をたたく。荷物と同じように、私の心もぷかぷかと浮かんでいたのだろうか。そして、初めて弥勒に声を掛けられた時。

 振り向いて、初夏の闇にうっすらと浮かぶ彼の姿を見たとき。

 なんかこう、前世からの運命? そんなものを感じてしまった。

 トキメキって奴を感じたのだ。

 弥勒はイケメンってわけじゃない。良くも悪くも普通の人だ。だけど魂が輝いている。それは迷路のように入り組んだ人生を歩いていくときに、他の何よりも眼前の道を正しく照らしてくれるものだった。

 和子さんと喋っていて、何度か名前が出たことはある。彼女の話のように砕けた喋り方はしてくれないし、むしろ突然現れた私に対して刺々しい態度を取って来ることもあるけれど、それでもいい。

 いずれ、結婚する未来が待っているんでしょう?

 だったら私は彼のそばに居て、彼が私に振り向いてくれるのを待つだけでいいのだから。

 ふふ。

 魔法使いは英雄じゃない。

 だけど、人間には違いないので、私はこうして、欲望をしっかりと胸に抱いたまま生きるのであった。

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