第6話

 真っ直ぐに言い切って来る人は嫌いじゃない、むしろ好きだ。だからといって、それで結婚を決められるほどにほれ込むわけでもなく、むぅ、どうすればいいのだろうか。

 春日というこの女性が美人なのは認めるが、それだけじゃ人を好きになれない。俺が俳優レベルのイケメンだったならなどと雑な説明でも納得できるが、非常に残念なことに、街を歩いていても女の子から声を掛けられたことのない男だぞ。

 あぁ、でも、可愛い婦人警官から職務質問を受けた回数なら自慢できる。四回だ。

 そんな俺が一目惚れだなんだと言われても、はいそうですかと信じられるわけがない。

 何よりもだな、傍に居て楽しい、ずっと近くにいたい。そう思える相手と結婚したいじゃないか。俺の知る限りの様々な観点から考えても、春日宮姫の行動は異常だ。深く知らない相手に一目惚れしたという理由だけで結婚を申し込み、その想いを成就させるためだけに行動を¥するなんて……異常なのか? いかん、早くも自分に自信がなくなって、彼女の存在や思想を許容し掛けている。

 これが俺の悪いところだ。なんでもかんでも、許してしまうのはやめてしまいたい。誰かが具体的な被害や不快感を与えられるまで、対応策も出さずにすべてを受け入れてしまうなんて普通じゃない。くっそぅ、対処しなくちゃいけないことが多過ぎる。

 これが、大人になるってことか……。

 いや違うだろ。

 知恵熱の出そうな頭を抱えると、春日がそっと肩に手を置いてきた。

「弥勒君は、どうして私と結婚したくないの?」

 なんだか、悲し気な顔をしている。

「逆に聞くけどな、結婚したい理由ってなんだ」

「好きだからだよ。それ以外に理由なんてないし」

「初対面の相手のどこを好きになるんだ」

「全部? 嫌いになりそうなところとかは、うーん……思いつかないなぁ……」

 なんだよー、おまえよー、バカなのかよー。

 本気なのか? 本心から言っているのか? 気付かないうちに、俺が彼女に魔法をかけている? それとも、魔法の練習中に自己暗示にでもかかったか? いや、でも、魔法で出来ることの限界は俺も知っている。

 魔法は物理現象だ。

 人間の心を歪曲させるほど綿密な術式など、有能な魔法使いが千年かけても組み上げられないだろう。丁度、スーパーコンピュターで脳内のシナプスをリアルタイムに再現するようなものだ。到底、人知の及ぶところではない。

「俺はアンタのこと、好きじゃないんだよ」

 説得を諦めて正直に告げると、春日は「よよよ」と泣き始めた。

 びっくりするほど上手だが、嘘泣きだと言うことが分かっている。

 ……だって、顔を覆った手の隙間から俺を覗いているのだから。

 どうやって彼女を家に帰らせるか首を傾げていると、春日は深々と溜息を吐いた。嘘泣きもやめて、どうやら諦めてくれたみたいだな。向日葵みたいに明るい笑顔も消え失せて、紫陽花みたいに拗ねた表情になった。

「どうしても結婚してくれないのね」

「当たり前だろ。昨日今日、会ったばかりの相手なのに」

 彼女はやれやれと言わんばかりに首を振った。

 そして、何を思ったのか手を差し出してくる。

 警戒して椅子を引くと、彼女が身を乗り出してきた。コーヒーの入ったカップを倒されると困るので、それ以上は後ろに下がらず、突き出された腕を眺める。彼女の表情は自信に漲っていた。

「それなら、私と友達になってよ。そこからスタートすれば、文句ないでしょ?」

 どこにゴールするつもりなんだ、とは言わなかった。

 もう一度、改めて手を差し出される。

 そして、今回ばかりは断る理由もない。

 年上の女性から、ここまで積極的に交流関係を築こうと言われたのは初めてのことだ。不承不承に手を握り返すと、彼女は両手で俺の手を包み込んできた。想像していたよりも僅かに冷たくて乾燥した手の平だった。

「へへっ、よろしく」

 笑いかけられて、無言で頷きを返す。

 不覚にも、そして不本意なことながら、彼女の笑みには惹かれてしまう。昔から、他人の笑顔を見るのが好きなのだ。小学生や中学生など、小さい子供もよく笑う。だから祖母の後を引き継ぐ形で塾の経営を始めたというのに、こんな奴に絡まれることになるとは思ってもみなかった。

 何度目なのか、数えることも忘れてしまった溜息を吐いた。

 この春日という女性が祖母よりすごい魔法使いで、中学校入学以前の俺の記憶を取り戻す手伝いをしてくれるというのなら、確かに友人になって損はない。祖母の代わりをうら若き乙女……乙女? にして貰おうというのだ。彼女だって自分本位な好意を俺にぶつけているわけだし、文句を言われることもないだろう。

「うへへ。ねー、弥勒君」

「なんだよ」

 それにしても変な奴だと笑っていたら、想像の斜め上を行く言葉が飛んできた。

「存在しない記憶を掘り起こすのは難しいでしょう?」

「なっ……」

「手伝ってあげようか」

 ぐっと、喉の奥が締まる。

 首を両手で押さえつけられたような、妙な圧迫感があった。

 何も、彼女が魔法を使っているわけじゃない。それだけは確かだ。

 気付けば口を開いていた。

「どこまで知っているんだ、お前」

「秘密。私だって、和子さんと仲が良かったのよ」

「そりゃ結構だが、あの人も他人の恥部をバラすような真似はしないだろう」

「だって私、千里眼持ちだし? 知りたくなくても分かっちゃうもの」

 ぱっちりした目を存分に使ったウィンクが飛んできたので、メンチを切って対抗する。方法として間違っているような気もするが、この際気にしない方が無難だろう。

「それが本当なら、俺が今何を考えているかも分かるよな」

「あらー、気になる? 気になるんだー」

 にこやかに笑って、他人の心をチクチクと刺激してくる。祖母もこんなんだったが、なんだ、魔法使いは他人をおちょくらないと生きていけない種族なのか?

 通常、千里眼とは千里を見通す目のことを言う。遠方の様子を探る絶対の視線だ。だけど彼女が言っているのは、他人の心を見透かし未来を見通す方の、完全な千里眼のことを言っているのだろう。サトリという妖怪が使うアレと、未来予知を組み合わせたような瞳術である。

 本当か?

 想像するほどに信じ難くなる能力を持つと豪語した彼女に疑り深い目を向けた。だが彼女は目を逸らすこともなく、いっそう身体を寄せて来る。俺の方が、後ろに退かざるを得なかった。

 コーヒーカップが、カタリと音を鳴らす。

 未だ手を離さない彼女は、満面の笑みを保っている。それは食虫植物が見せる一時しのぎの愛嬌みたいで、徐々に不安になってきた。急に腕を引き寄せられて、驚く間もなく手にキスをされた。慌てて引こうとした手は再びガッチリと握られて、指先に、しっとりした感触が残っている。

「お前は何をやっているんだ」

「いいじゃない、契約っぽくて」

「契約?」

「今日から一か月くらい、泊めてくれるよね」

「は? ――んっ、この」

 握った手が離れないことに気付いて、慌てて手に力を込めた。恐ろしいほどの握力でガッチリと掴まれていて、丁度指の付け根を持たれている。無理やり引っ張れば、関節が外れてしまいそうだ。現に今、ポキっと関節の鳴る音がした。

 机を差し挟んでいるのに、彼女は体制を乱すこともない。

 怪力なのか? 見た目と筋力が乖離してやがる。

 悪戦苦闘する俺を尻目に、彼女は余裕そうな表情を浮かべている。

「自慢じゃないけど、握力だけはすごいんだよ」

「ゴリラかよ」

「おっと手が滑った」

「うげぇっ!」

 口が滑ってしまったがために、骨がミシリと音を立てて軋む。

 振り解こうとしたが肘を掴まれて、逃げ場もなくなった俺は悲鳴をあげた。

「分かったよ。分かったから、手を離してくれ」

「それじゃ、契約成立ですね」

「交渉は不成立だがな!」

 解放された手の平を眺めると、白い跡がついていた。背筋に冷たいものが走り、目の前の女がとった行為に戦慄する。ふは、婆さんが見知らぬオジサンと対話しているとき並に怖かったぜ。……それ、怖くないのでは?

「マジで、変なことすんなよ」

「もー、大船に乗ったつもりで安心してよね」

「それが密航船だから困ってんだよなぁ……」

 まぁ、俺の過去を知っているようだし? 多少の危ない行為に目を瞑れば結構な美人だし? 広い家に一人で暮らしていると寂しさで死にそうになる時があるし?

 眺めているだけならこれ以上の逸材は存在しないだろうという感じの、それはもう俺好みの美女だった。それだけなら喜んで春日を家に泊めてやりたいのだが、如何せん行動が奇天烈すぎる。泊めるに値する理由は、ぼやけて思い出せない過去を掘り起こす手伝いをしてもらうくらいだろう。

 あと、暴力には反対だ。次は屈さないぞ。……ぜ、絶対に負けないんだからっ!

「しかしアンタ、泊まるにしても着替えはどうするんだ」

「ふふ、準備は万端だから。心配しないで」

「あのなぁ、もう少し分かりやすく話せないのか」

「ちょっと頭の回転が速い人なら、もう察してくれてもいいと思うんですけど」

「だから、何を察しろというんだ」

 玄関で会ったときも、アンタは何も持っていなかったじゃないか。

 今から宅急便で送り届けて貰うのか? それは時間が掛かり過ぎる。家族に届けてもらう? そんな真似を、この魔法使いがやるとは思えない。っていうか家族公認で俺のとこに来てるとか考えたくもねぇ、逃げ道が完全に塞がれているじゃないか。

 落ち込む俺を気に留めることもなく、彼女が指を弾いた。

 パチンと、風船が破裂するような音がする。

 突如として鮮烈な光と共に部屋に現れ、天井から降ってきた幾つかのダンボールに困惑する間もなく、彼女の微笑みで思惑を察する。こいつ最初から家に泊まりこむつもりだったんだな?

 ……不法侵入したのか、それとも不可視の魔法を掛けっぱなしだったのかは分からないが。

「用意周到なんだな」

「ふふん。昔から、失敗の二文字には縁がないの」

「へー、スゴイナー」

 呆れて、思わず棒読みになってしまった。

 台所の床が傷ついていないか、そっちの方が心配になったよ。

 空間を転移する魔法なんて聞いたことがないし、鞄が現れる直前の強烈な光を見た限り、これは光の屈折や目の錯覚を利用した魔法なんだろう。他人から見えなくした荷物を天井付近まで浮遊の魔法で持ち上げて、万が一にも触れられることのないようにしていたようだ。

 目的は複数あるだろう。

 ひとつは、彼女自身が重い物を直接運ぶのが面倒だったから、浮遊させる魔法を使いたかった。それを一般人に見せるわけにもいかず、隠す目的で光を屈折……だろうな、そういう魔法を行使して隠していたわけだ。それを今の今まで秘密にしていたのは、突然空中から現れた荷物に対しての俺の反応を楽しみたかったからだろう。

 ……っていうか、単純にすごいな。

 光を利用した魔術など、理論を理解しても、それを実行に移すのがかなり面倒臭い類の魔法らしい。俺の知る限り唯一の魔法使いだった祖母がそう言っていたのだ、信頼してもいいだろう。

 そんなものを惜しげもなく使ってみせるこの女性は相当な魔法使いか、あるいは。

 推測することは可能だが事実を知るのは春日だけだ。

 そして魔法の腕前の話をすれば、言うべき言葉は既に決まっている。

「完敗だ」

「ふむ」

「俺の負けだ、好きなだけ泊って行けばいい……ただし、後で魔法を教えてくれ」

「ふふん、私と仲良ーーーくしてくれるなら考えてあげるけど」

 心底楽しそうな春日を見て、コイツは祖母と同類なのかもしれないと思った。あの人も、俺が魔法を体得できずに苦心しているところをニマニマと眺めるのが日課だったから。

 こんなとき、どういう対応が正解なんだろう。考えても分からなくて机に突っ伏した。折角だし、あのセリフを言っておくか。使い古された、往年の名セリフって奴だ。

 せーの、さん、はい。

「やれやれだぜ」

 春日が再び指を鳴らし、空いているスペースへと適当に荷物を運び始めたのを見ても、文句のひとつも言えない俺であった。

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