まほうつかい(偽)
第2話
長い紙芝居を読み終えると、聴講していた小学生の一団から拍手があがった。
一日に三回も読む破目になってしまったが、まぁ、婆さんも地域住民と親密なコミュニケーションを取っていくことが自立に繋がると言っていたし。
子供達が喜んでくれるなら、それもいいじゃないか。
子供たちは未来の担い手だ。彼らが笑顔になる為にも、誰かが多少の犠牲を払うのは当然のことだろう。その誰かが俺なのだとしたら、俺は喜んでこの身を捧げようじゃないか。
肩の筋肉をほぐしながら、物語の世界に惚けていた小学生たちに気を楽にするよう呼びかけた。みんなで一斉に背伸びをしてみれば凝り固まった筋肉とともに緊張も解けたのか、クスクスと笑い始める子がいる。
そこには平和な光景があって。
思わず頬が緩んだ。
「さて、この紙芝居も訓示が含まれているんだが」
「くんじって?」
「これだけは覚えておけ、って話だよ」
「ん、君はよく勉強してるな。その通りだ。訓示というのは物事を始めるにあたっての心構えって奴でな。テストには出ないけど、人生には大切なことなんだぜ」
「あー、またじんせーの話かぁ」
小学校一年生と四年生の兄弟が漏らした些末な疑問も丁寧に拾い上げて、再び全体に目を向ける。畳の間に思い思いの姿勢で座った小学生たちは、俺より十歳も若いが人間だ。将来すばらしい人間になる可能性を、大人になってしまった俺以上に秘めている。
大切なことを伝えて、彼らの人生に活かしてもらうために口を開く。
「この昔話の主人公は、ちょっと頑張り過ぎたんだ。自己犠牲の精神も、必ずしも美徳ではないと言うことだな」
「じこぎせー……びとく……」
「えっとだな、つまり――」
君達も頑張り過ぎて、この紙芝居の主人公みたいに失敗しないように。
少なくとも、自分が危ない目に遭ってまで誰かを助けようとするのはダメだ。誰かを救いつつも、自分も安全な道を模索しなさい、ということを平易な言葉に直して教えた。普段から小学生を相手に勉強を教えているから多少の融通は効くが、饒舌になるとどうしても小学生には難しい言葉が口を衝いて出てしまう。
四苦八苦しながら奮闘する俺の姿は意外にも子供たちに好評で、彼らが喜んでいるうちは直さなくてもいいのかな、と思ってしまったりした。
紙芝居に含まれていた教訓について話し終わると、出口に近いところにいた子供が手を挙げた。何か分からないところがあったのかと、発言を促す。彼女は、周囲にいた他の女子生徒と目を合わせて笑ってから、こんなことを聞いてきた。
「
「うーん、どうだったろうなぁ」
その頃の記憶は、先生にはないんだよ。
覚えているのは、中学入学以降だけなんだ。
正直に告げたらどんな感想が返ってくるか怖くなって、俺は平凡な答えを返した。
「超真面目な小学生だった」
「えー、嘘だぁ」
「ありえねー!」
「そーだ! 小野池先生が真面目なんてありえないぞー!」
「俺は普段から真面目だろ? みんなひどいなー」
拗ねたような表情をつくってみせると、ほとんどの小学生が笑ってくれた。しかし中には「みろくは絶対に、授業中の居眠りを欠かさなかった違いない!」と言って聞かない男子もいて、彼を追いかけて広めの部屋を走り回ることになった。
男子児童の息が切れ始めたところで、あまり元気にはしゃぎまわって誰かが怪我をしてもつまらないからと、これ以上追いかけるのは止めにした。親御さんたちが迎えに来る予定の時間まで余裕があるし、生徒達からの質問を受け付けることにしよう。
どうして俺が塾の先生になったのか、という質問が子供達の間から飛び出した。勉強についての質問が飛んでくるかなと一瞬期待はしてみたのだが、そんなことはなかったぜ。おかしいな、ここは学習塾なのに。
適当に答えを返しながら、思うことがある。
年齢や性別など関係なく、誰もが相手の秘密を知りたがるのはなぜだろう。
あぁ、本当に、世の中は不思議なことだらけだ。
苦笑しつつも彼らの質問に答えていると、窓際に座っていた小学校低学年の男の子がカーテンを開いた。差し込む太陽光に目を閉じれば、瞼の奥が鈍く輝く。明るい日向を歩くスズメと、それに視線を奪われている少年は、在りし日の自分を妄想させるには十分な絵面だった。
今日は六月末の土曜日である。
市が定期的に開いている地域振興型のイベントを、この塾でやっているのだ。大体は子供と一緒にお菓子を作ったり、彼らを相手に昔話の読み聞かせを行ったりしている。この紙芝居に登場する主人公よろしく子供達と相性がよくて、子供からの人気もある若者が選ばれていると言う話なのだが、実際は
うーん、悲しい話だ。
最近の若者は、地域社会に興味がないらしい。
少女たちの心を掴む紙芝居の選択や、少年たちの胃袋を鷲掴みにするバーベキューの画策など、考えることは多くて大変だ。高校生の頃から報酬は弁当代程度しか出たことがないし、どれだけ頑張ったところでキャリアとして自慢できるものでもない。
進学や就職に役立つほど名前のあるボランティアではない辺りも、人を集めにくい理由だろうか。
まぁ、別に。
誰かが手伝ってくれなくても、いいんだけどな。
「あのー」
「ん、なんだい」
ようやくやってきたお開きの時間、話を聞いてくれた礼と称してお菓子を配っていると、三年生の男子に声を掛けられた。普段から野球帽をかぶっている、やや活発な少年だ。膝をついているから、目線の位置は彼とほぼ同じだった。
「先生、聞いていいですか」
「おう、じゃんじゃん聞いてくれ」
「どうして、さっきの紙芝居の主人公は危ない場面で逃げ出さなかったんですか? しかも溺れて死んじゃうとか、情けないです」
手渡した煎餅の袋を一秒で開けて、すぐに中身を食べ始めた男の子を見ながら小さく唸る。
主人公が逃げなかった理由かぁ。うーん、答え辛いな。
俺だって似たような子供だったろうから人のことは言えないが、彼は昔話特有のお約束というものを理解していないようだ。みんなから愛される主人公は悲惨な末路を辿るものだし、誰もが見向きもしない少女は美人に成長する。それが物語というものなのに。
しかし、普段から小説を読まない少年に物語のイロハを振りかざすのも大人げないので、ここはひとつ、真面目に答えてやるとするか。
「いいか、よく聞け。それはな」
嘘八百、出鱈目と舌先三寸を駆使して幼気な少年を誤魔化すつもりなのだが、それは神様だって許してくれるだろう。だって、地域に古くから伝わる伝承だ。生まれてから二十と数か月の俺が当時の状況なぞ知っているはずもないじゃないか。
とりあえず、俺はこう考えている。
「少年が魔法使いだったからだよ」
「まほうつかい?」
「おうとも。村人を守る為に派遣された神の使い、って奴だ。少年には不思議な力があって、村人を助けていたから好かれていたんだな。しかし彼は自分の運命とか、最期の瞬間を未来予知していた。だから少女を迷いなく助けて――」
割と本気で信じていることを小学生に向かって語ってみたが、まるで効果がない。それどころか、彼の目の焦点が徐々にぼやけてきた。
うむ、眠くなっているようだな! 童話作家が丹精込めて練り上げた昔話は面白くても、一介の市民に過ぎない男が垂れ流す妄想はイマイチ面白くないらしい。
んー、失敗だ。
イマドキの子供には、オカルトの良さが分からないのかな。神秘的で素敵だと思うんだけどなぁ。俺の感性が捻じ曲がっているわけでもないだろうし、不思議で仕方がないぜ。だけど祖母の手前。
死んでしまった彼女の手前、何も悪いことは言えない。
本物の魔法使いを知る人間が、おいそれと魔法を貶めるわけにはいかないのだ。
「それで、主人公が未来予知をしていても逃げ出さなかった理由なんだけどな」
「だいすけー、遊びに行こうぜー」
「はっ! ここは……」
「チッ、まだ話は終わってないのに」
これからが本番という場面で、玄関から少年の友達らしい子の声が聞こえてきた。
夢現に寝惚けていた彼もぱっちりと目を覚まして、現状の把握に向けて脳内ハードディスクがガリガリと回り始める。人間がコンピュータだというのなら、ここで強制再起動を掛けてバグを起こしてやりたいところだ。
だけど俺は大人だから、そんなことはしない。
吐きたりない嘘も、喉の奥にしっかりと封じこめることができるのだ。
「少年、友達が呼んでいるみたいだぞ」
「うん! じゃ、小野池先生、そういうことで」
すっくと立ちあがった少年は空っぽの袋をその場に投げ捨てると、友人達の待つ玄関へと光の速さで駆けていった。自説を最後まで披露できないのは毎度のことだが、小学生たちの逃げ出す手腕も回数に比例して向上しているような気がする。直接友人を助け出すより、ちょっと離れた位置から友人に呼びかけて誰かの良心を咎める方が効率的だと学んだのだろう。これでいいのか? いいんだろうなぁ、困難からは逃げ出すことも大事だと、塾では何度も教えているし。
自分で自分の首を絞めたようだが、よしとしよう。
日々成長する子供達は、見ていて気持ちの良いものだからな。
そして俺は、一度、大きく伸びをした。
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