泥沼と私 4
八月後半、私はだんだんと義足にも慣れてきて、手すりを掴まずともゆっくりなら歩けるようになっていた。まあ、まだ少し足は痛いけど。どうやら一生同じ義足は使えないようで、足に合わなくなってきたらその都度変えなければならないらしい。普通に生きていればこんなことしなくていいのに、無駄な出費だ。
八月中旬、果歩と優香がお見舞いに来た。二人の話す楽しい夏休みの話は私には眩しすぎて、頭がおかしくなりそうだった。話しを聞かずとも、二人が夏休みを謳歌していることは、SNSを通して把握していた。どうやら、結局二人はほかの友達を連れて海に行ったようだった。本当は私がいるはずだったその場所は、私の存在を拒むように華やかに見えた。
二人は、海に行った話を私にしなかった。私に気を使ってくれているのかも知れないけど、その内容を全てSNSに挙げている時点で行動が矛盾している。私もSNSを使用しているけど、何だろう。このせいでとても生きにくい世の中になっていると思う。知りたくないことすらいつの間にか目に飛び込んできてしまう。
状態の落ち着いた私は、そろそろ退院を視野に入れていくらしい。入院していなくても通院しながらリハビリができるようで、入院生活にも嫌気がさしていた私にはとても嬉しい提案だった。
お見舞いに来たお母さんに「そろそろ退院できるみたい」と満面の笑みで話す。見舞い客用のパイプ椅子に腰かけたお母さんが「良かった。やっと退院できるね」と笑顔を見せた。
「うん、やっとみんなに会える」
昔のように、みんなと遊びまわることはできないかも知れない。もしかしたら、少しずつみんなが離れていくかも知れない。足を失ってから、薄っすらと考えていた。でも、いざみんなに会える日が近づくと思うと、喜び方が大きくなる。何より、森川君と話してから、生きていることが一番大切だと気づくことができた。強く、生きてみようと思う。
私の考えとは裏腹に、母の表情は曇っていた。退院を一緒に喜んでくれたはずなのに、その表情に違和感を覚える。
「薫、学校どうしようか」
その言葉が、何を指しているのか何となく分かった。「え、どういうこと」とおどけた笑顔を見せる私を前にしてお母さんは真剣な表情を見せ、話始める。
「お母さんは、無理に今までと同じ学校に行かなくてもいいと思う」
そのはっきりとした言い方は、すでにお母さんの中で答えは決まっているというような、強い意志を持っていた。
正直なところ、私の中にも迷いがあったのは事実だ。もう、今までと同じように生活できない。そんな現実が、私に重くのしかかる。このまま学校に戻っても、周りに迷惑をかけるだけかもしれない。普通に生活したいと思うこと自体、もしかしたら私の自己満足かもしれない。
お母さんは、それ以降言葉を発しなかった。強く、優しい瞳で私の返答を待っている。
「ねえ、どうして。どうしてそんなこと言うの」
結局、私の中に残ったのは、怒りだった。自分を障がい者として見ているお母さんへの怒り。自分の運命に対する怒り。将来の一つも決められない自分への怒り。瞳に涙を溜めながら、お母さんを見つめた。
「お母さんは、薫に普通の生活を送ってほしいの」
「普通の生活って何」
お母さんは、下唇を軽く噛んだ。間髪入れず私は続ける。
「普通の生活を送ってほしいなら、どうして学校を変えるなんて言い出すの」
「それは、」
「私はもう障がい者だもんね。障がい者が普通の学校に行くのなんて変だもんね。障がい者なら障がい者らしく、そういう学校に行けってことでしょ。その手に持ってるパンフレット早く私に渡せばいいじゃん。何をもったいぶってるの。手っ取り早く障がい者なら障がい者らしく過ごせって言えばいいのに」
話終わったころには、ベッドのシーツはもう涙でぐしゃぐしゃだった。失った足の切断面から、何か大切なものが零れ落ちていくような感覚がした。
私だけでなく、お母さんも大粒の涙を零していた。涙をハンカチで拭いながら、「ごめんね、薫に傷ついてほしくなかったの」とぁ母さんは呟いた。
涙を拭い「また来るね」と母は病室を後にした。お母さんがいなくなった病室で、お母さんの持っていたパンフレットを思い出す。
「明るく、笑顔で生活を」
そのパンフレットの表紙にあったフレーズが頭から離れない。もしかしたら、そこにはお母さんの望む幸せがあるのかも知れない。障がい者となった娘が、傷つかずに自分のペースで生きていけるといった、親にとって当然の望み。それを分かっていながら、お母さんを傷つけるような言葉を投げつけた自分が嫌だった。障がい者と思われている自分が嫌だった。
もう、何もかもが嫌だった。
それとは裏腹に、徐々に回復していく私の体は、障がい者として完成していくようで、これ以上良くならないで欲しいとまで思う。退院なんてしなくていい。もうこのまま人生が終わってもいい。きっとこの先、私に幸せなんてこない。自暴自棄になりながら、薄暗くなってきた病室でそっと指を噛む。そして声を押し殺すようにして、また泣いた。
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