腕相撲大会決勝戦! とか言ってる場合じゃないな

 そんなこんなで決勝戦。

 木箱を挟んで向かい合うのは俺と勇者サマだ。


「よろしくお願いしますね」

 男だってことは分かってるんだが、それでもかわいいと言うのがしっくりくるような笑顔だ。

 そんな少年に、俺はできるだけ表情を変えずにそっけない返事をする。

「ああ、よろしく」

 悪いなとは思うんだが、うっかりお近づきになってしまうのを避けるためなので仕方ない。

 しかし、向こうは興味津々らしく、握手のために右手を差し出しながらさらに話しかけてくる。

「お互い頑張りましょうね! あ、僕の名前はマコトって言います」

「そうか、よろしく」

 遠回しに名前を教えろと言われているようだが、当然気付かなかったフリで押し通す。コウタロウなんて名前を名乗ればその時点でバレてしまうからだ。


 そういうわけで、会話もほどほどに試合の準備を始める。

「気が早いんですね。いいですよ、ずっと人前にいるのって結構疲れますしね」

 好き好んで勇者を自称するような人間がよくもまあ分かったような口が利けるな。

 と、うっかり言いそうになるのを何とかこらえて、俺は木箱の上で右手を構える。それに応じるように子供勇者も右手を出してくる。

 もし相手が大人とか、高校生くらいの外見をしていたら、多分俺は迷わず毒づいていただろう。だが、中身はともかく外見だけでも子供――十二、三歳くらいの少年の格好をされると、そんな言葉をかけること自体ためらわれる。

 ……子供なんか好きじゃなかったはずなんだけどな。

 自嘲気味に笑いながら、俺は少年の手を握る。小さくて細い手だ。

 握り合った手の向こうに目をやると、思っていたよりも低い位置から少年の目が見上げている。

 子供どころか結婚すらしないまま死んだ俺だったが、親心みたいなものが少しわかったような気が――

「ようい、始めっ!」

 瞬間、目の前が反時計回りに回った。

 腕に感じるのはトラックにでもはね飛ばされたかのような尋常でない衝撃。


 ああ、そうだった。

 目の前のこいつは子供は子供でも、勇者を名乗るいけ好かない野郎で、あの転生の女神のお墨付きを受けてる奴で、何よりゴリラ級の俺の腕力をも上回るバイオゴリラ級の怪力の持ち主で――


 ドゴシャッ

 

 と、俺は後頭部から地面に落ちた。

 そういやこの世界の空も青いんだな……。



 悲鳴と歓声が入り混じった中で俺は少年勇者に助け起こされ、全然へっちゃらだぜアピールを観客と審判に見せつけて、ようやく二本目が始められる状況になった。

 後頭部から落ちたのは流石にまずいかと思ったんだが、やっぱりこの体は普通よりも頑丈にできているらしく、もう痛みも残っていない。

 便利といえば便利だが、ただの鉱夫にくれてやるような体じゃないよな。

「あの、大丈夫でしたか?」

 まあそんなこととは露知らない勇者サマにしてみれば、普通の人間が痛みをこらえて強がってるようにしか見えないだろう。

 だが、こんなところで手を抜かれては面白くない。

「よう、少年」

「な、なんですか?」

「さっきはわざとだ。一回派手に負けてみせないと、大人げないだのなんだの観客が騒いでうるさいだろ?」

 すると、ずっと人のよさそうな笑顔で通してきた勇者サマの目つきが、すぅっと冷たくなる。

「……それだけ負け惜しみが言えるなら、頭は大丈夫そうですね」

「ああ、そういうことだ」


 言葉を交わし終えると、もう一度俺は勇者と手を握り合う。

 いざ二本目。

「ようい……」

 審判が試合開始の宣言をする、その瞬間が勝負だ。

 俺とこいつは出力の最大値が違うだけで、おそらくはほとんど同じ存在だろう。

 つまり、俺に通用した戦法はこいつにも通用する。

 試合開始の合図の瞬間に、相手よりも早くスタートを切る。一瞬だけでも先んじれば、それで片が付く。相対的には劣っている俺の腕力だが、木箱までの数十センチは、一瞬もあればゼロにできる。

 要するに、必要なのは――瞬発力だ。

「始めっ!」

 勝負はまさに一瞬だった。

 開始の合図と同時に動き出した俺の腕は、ほとんど抵抗もなく相手の腕を押し倒していく。最後の十センチほどに到達した時点でようやく抵抗を感じたが、もはや手遅れ。


 ダァン! と、掴み合った拳が木箱の上を跳ねた。

 着いたのは相手の手の甲だ。つまり。

「俺の勝ちだっ!」

 俺の勝利宣言は予想外の展開に静まり返っていた会場に響き渡り、再度歓声が沸き上がった。

「油断したつもりは、なかったんですけどね」

 少年は悔しげに、そして嬉しそうに上目遣いでにらんでくる。

 当初の目的とはもはやかけ離れた真剣勝負になりつつあるが、まあこれはこれでいいものだ。

 これにて試合は一勝一敗。次の三本目で勝敗が決する。



 決勝戦の三本目、この大会最後の勝負が始まる。

 俺は木箱を挟んで子供勇者と向かい合った。

 頭一個くらい低い勇者サマはいつもの笑顔の中に、眼光をギラリと光らせる。俺はどうやら勇者サマを本気にさせてしまったらしい。

 今度こそ正真正銘の真剣勝負というわけだ。


 ただまあ、強敵と戦える喜びみたいなものはあるが、同時にここまで本気になられてしまっては俺は勝てないだろうという予感もある。

 というか純粋な腕力比べなら、勇者の成り損ないから鉱夫になった俺なんかが、正真正銘本物の勇者に勝てるわけがない。

 まあそれはそれとして、腕相撲ってのも純粋な腕力勝負ではないんだし、俺が勝ちを諦める理由にはならないが。

「三本勝負でよかったですよ」

「……ああ、まったくだ」

 向かい合い、手を握り合って、準備を終える。あとは審判が試合開始を合図するだけの状態になった。

 その時。

 少年勇者が、ふっと空を見上げた。

 その動きにつられて俺が視線を上にやると、見えたのは上空を横切る黒い影。

 一見すると鳥の群れにも見えたが、何か様子が変だ。

 本当に鳥の群れならいくら密集していてもところどころに隙間が見えるはずだが、今見ているものは中心部に何か巨大なものが浮かんでいるかのようで隙間が全く見えない部分がある。

 それともう一つ。飛んでいるのが鳥なら翼の他に前方に伸びたくちばしや後ろに伸びる尾羽が見えるはずなのだが、それも見当たらない。そう、あのシルエットは鳥というよりは……

「コウモリ、か?」

 その巨大な何かを中心に固まって飛ぶコウモリの群れは、俺の真上をゆっくりと飛んでいる、らしい。

 前世の記憶からすれば明らかな異常なのだが、この世界ではどうなのかは二日目の俺には分からない。だから俺は意見を聞こうと視線を地上に戻した。

「なあ、あれって――」

「……そんな、ありえない」

 勇者サマには俺の言葉は届いていないようで、うわごとのように呟くだけだった。……何やらまずそうな雰囲気だ。

 俺たち二人が揃って空を見上げたことで、観客たちも誘われるように空を見上げ、ざわめきが連鎖していく。

「マルビナッ!」

 そんな空気を割るように、勇者が叫ぶ。近くで待機していたマルビナは、その声を受けて息を大きく吸い込み――

「襲撃だ!! 伏せろぉ!!」

 大声で叫んだ。

 途端に悲鳴があちこちから上がり、壁のようだった人垣がみるみる低くなっていく。よく分からないが俺もマルビナの号令に従って姿勢を低くした。直後、


 ズガゴゴゴッ!


 正体不明の地鳴りのような音と共に地面が激しく揺れた。

 はっと上空を見上げると、コウモリたちはドーナツ状になって飛んでいて、その中心にあったはずの何かはもう消えていた。

 つまり、コウモリたちが運んでいた何かがこの近くに投下された、といったところか。

 そして、答え合わせをするかのように街の外から声が轟いた。

「ミミナの街のニンゲンどもに告ぐ! 今すぐ街中の食いもんをオレ様に差し出せ! 逆らったりウソついたりしたら、てめえら全員アクマコウモリのエサだからなぁ!! ギャギャギャギャギャ!!」

 その声を合図に、上空にいたコウモリが一斉に急降下。

 ミミナの街の屋根すれすれをバサバサギャアギャアと騒音と共に低空飛行し、隊列を組んで駆け抜けていく。

 低空飛行するコウモリの群れが空を真っ黒に染める様子は、確かに結構な威圧感だ。それと同時に現地の人間にとっては明確な威嚇行動らしく、広場に集まっていた人たちは我先に建物へと駆け込んでいく。まさにパニック状態だ。


 魔物、逃げろ、襲撃、助けて。

 阿鼻叫喚の渦の中から聞き取れた言葉だけでも、もう大体の状況は掴めた。要するに今こそ勇者サマの出番――

「……あれ?」

 俺が振り向いた時には、少年勇者と付き添いの女は跡形もなく消え去っていた。

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