第3話

 高校生になり、私は文芸部に入った。

 本当は合唱部に入りたかったけど、この高校にはなかった。

 この高校は必ず部活に入るように言われているため、どこかに入るしかなかった私は、何となく目に止まった文芸部に入ったのだった。

 でも、文芸部はほぼ幽霊部員しかいないようで、部室を覗いてもいつも男の人が1人で本を読んでいるだけだった。

 知らない男性と2人きりの空間なんてと思い、私はいつも入るのを躊躇って、そのまま帰ってしまっていた。

 そんな状況が変わったのは、入部してから1ヶ月ほど経ったときだった。

 幽霊部員が多いのに新入生歓迎会はやるらしく、休日のお昼に一次会として食事会を行ったあと、二次会でカラオケに行った。

 会ったことのない先輩や同じ新入部員とそれなりに楽しく会話して、大好きな歌を歌って、思っていたより楽しい時間を過ごせた。

 カラオケの退室時間がきて、二次会もお開きになった時だった。


「アイヴィーさんって、歌上手だね」


 不意に、後ろからそう話しかけられた。

 振り返ると、男の先輩がこちらに笑顔を向けていた。

 いつも部室にいる人だった。


「突然話しかけてごめんね。でも、これだけは帰っちゃう前に伝えておきたくて」


 急に話しかけられて戸惑う私に、彼は優しく微笑んだ。


「君の歌、とても素敵だった。俺、今まで聴いた中で君の歌声が一番好きかも」


 そう言い残して、彼は去っていった。

 私は、自分の頬が急激に熱くなっていくのを感じていた。

 それが、“先輩”との出会いだった。




 新入生歓迎会の後、私は部室に通うようになった。

 目的は、先輩に会うため。

 先輩はいつも部室で本を読んでいた。

 わずかな物音もしない静かな環境で本を読みたいという先輩には、部室棟の端っこの忘れ去られたような場所にある文芸部の部室はまさにうってつけの場所だったそうだ。

 じゃあ私は邪魔なんじゃないかと、彼に思い切って聞いてみると、


「いや、君と一緒にいるのは嫌じゃないよ。自分でも不思議なんだけど、君といると安心するんだよね」


 と言われ、また私の顔が熱くなった。

 先輩といるとドキドキして、頬が赤くなる。

 その原因はわかっていた。

 だからこそ、私は先輩がどんな人なのか知りたくなった。

 静かな場所が好きだというのに、彼は私が話しかけると本を閉じて真剣に話を聞いてくれた。

 先輩にたくさん話をした。先輩からもたくさん話を聞いた。

 彼がどんな人なのかを知るたびに知りたいことが増えていき、どんどん彼に惹かれていく。

 休日も先輩は部室にいると聞いて、私は休日も学校に行くようになった。

 ある日の休日、いつも通りの時間に部室へ行くと、先輩の姿がなかった。


「先輩?」


 狭いから隠れられるようなスペースはないが、一応呼びかけてみる。

 けれど、やっぱり返事はない。


「今日はまだ来てないのかな……」


 どうしようかと立ち尽くしていると、背後の扉が開いた。


「やあ、メル。おはよう」

「先輩! 今日は遅かったですね……って、その袋は?」


 この頃になると先輩から愛称で呼ばれるようになっていた。

 私も先輩を名前で呼んでみたいけど、そう持ちかけるのが恥ずかしくてタイミングを失っている。


「なんだと思う?」

「わからないから聞いてるんですけど……。でも、それって駅近くのケーキ屋さんの袋ですよね? ということはケーキですか?」

「惜しい! お店はあってるけど、ケーキじゃないんだ」


 そう言って、先輩が袋の中から箱を取り出した。

 普通なら箱の中身はケーキなんだろうけど、先輩が取り出したのは。


「……あっ、プリン!」

「ピンポーン! 前にメルがプリンが好きだって言ってたから、俺のオススメを買ってきたんだ」


 先輩からプリンを受け取り、早速席についてその蓋を開けた。

 すると、黄金に輝くカスタードプリンが顔を覗かせる。


「ふわぁ……美味しそう」

「食べる前から嬉しそうだね」

「こんな美しいプリンを目にして喜ばないプリン好きはいませんよ!」


 苦笑いする先輩を他所に、私はプリンを口に含む。

 カスタードが口の中で溶け、上品な甘さが口いっぱいに広がった。

 思わず、口元が緩む。


「な? 美味いだろ? 俺、その店のプリン大好きなんだ。だから、メルもきっと気に入ってくれると思って」


 そんな私を見て、先輩が嬉しそうに笑った。


「ありがとうございます、先輩! 私、先輩のことがもっと好きになっちゃいました」


 美味しいプリンに舌鼓を打ちながら、私はそう言っていた。

 それを聞いた先輩の目が大きく見開かれたのを見て、私はようやく自分がなんてことを口にしてしまったのだと恥ずかしくなった。


「あ、えっと、好きっていうのは敬愛的な意味で、その、恋愛のそれではないというか……」「えっ、あっ、そ、そう。突然だったから驚いたよ。でも、ありがとう」


 咄嗟に嘘をついてしまった。本当は、先輩に恋してるくせに。

 もしかして、今のは告白するチャンスだったんじゃないか?

 うう、自分の意気地無し……。

 その日はちょっと微妙な空気のまま、いつも通りの時間を過ごした。

 告白するべきだったかもとは思ったけど、今の関係が壊れるのが嫌だからこのままでいいかな、なんて思っていた。

 これから先もずっと、こんな日が続くなんて保証はどこにもなかったのに。

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