第2話
また、いつもの夢を見た。
でも、今日はいつもとちょっと違った。
男の人がいない。いつもいる場所に座っていなかった。
「メル」
背後から男性の声がした。
知らない声のはずなのに、私にはそれがいつも夢で会う男の人の声だとわかった。
「メル」
彼がもう一度私の名前を呼ぶ。
私は意を決して、声のする方へ振り返った。
「……ル。メルってば!」
彼の顔があと少しで見えると思った瞬間、誰かに叩き起された。
起こしてきた相手を見て、私はため息をつく。
「……もう少しで見えそうだったのに。なんで起こしたの?」
「事前に来るって言ってたのに寝てるメルが悪い」
彼女は私の親友だ。
幼稚園から中学まで一緒だったが、高校は別々だった。
それでも定期的に連絡をとっていたらしく、少しだけ私の知らない私について教えてくれた。
「そんなふうな態度を取るなら、今日持ってきたとっておきのプリンあげないよ?」
「ごめんなさい。謝るのでプリンください」
「ほんと、現金なヤツ。はい、プリン」
苦笑しながら、親友は袋から取り出したプリンを渡してくる。
どうやらどこかのケーキ屋さんのプリンらしく、高校生が買うにはちょっと高そうに見えた。
「こんな高そうなプリン、本当にもらってもいいの?」
「そう見えるでしょ? でも、値段はコンビニのプリンとほとんど変わらないんだよ」
「へぇー、よく見つけたね」
プリンの蓋を開ける。
黄色いカスタードがプルンと揺れた。
「それね、メルに教えてもらったんだよ」
「え?」
「メルが事故に遭うちょっと前に、美味しいプリンを教えてもらったって言って私にも教えてくれたんだよ」
親友が手に持つ箱と、プリンを交互に見る。
やはり、どちらにも見覚えはなかった。
もしかすると、味なら覚えているかもしれない。
そう思い、プラスチックの小さなスプーンでプリンを掬う。
「でも、メルにそのプリンを教えてくれたっていう人が男の先輩だって聞いて驚いたよ。中学まで男っ気のなかったあんたにも遂に春が来たのかと思って」
その言葉に、私の動きが止まる。
……男の先輩?
彼女の話を聞く限り、私と親しい先輩だったのは間違いない。
でも、男の人で先輩だという人はこの病室に一度も訪れていない。
「……ねえ、その男の先輩ってどんな人?」
「え? 確か同じ部活の先輩で、新入生歓迎会でカラオケに行って、そこでメルの歌声が好きだって言われたのがきっかけで親しくなったって聞いたよ」
そう言われても、私は何も思い出せない。
まるで、思い出すのを拒んでいるかのように。
「その人、お見舞いに来てないの?」
「うん……」
「ふーん。でも、かなり親しい感じだったのに。もしかしてその先輩さんに何かあった……って、今のメルに聞いても覚えてないか」
何気なく言った親友の言葉に、私の胸が大きな音を立てる。
何かとても大切なことを、私は忘れてしまっている。
そんな気がするのに、心のどこかで思い出したくない自分がいた。
「ねえ、プリン食べないの?」
「……あ、うん」
スプーンで掬ったままだったプリンを口に運ぶ。
滑らかなカスタードが口の中で溶けるように広がり、ほのかな甘みが舌から伝わってくる。
――な? 上手いだろ?
――俺、その店のプリン大好きなんだ。
――だから、メルもきっと気に入ってくれると思って。
「……うん。すっごく美味しい」
でも、ちょっと塩っぱいかな。
そんなことを思っていると、隣で親友が慌て出した。
「メ、メル? どうしたの?」
私の頬に、涙が伝っていた。
「……ううん、何でもない。ちょっと、美味しすぎて涙が止まらなくなっただけ」
親友は不思議そうな顔をしていたけど、それ以上何も言わなかった。
私は静かに泣きながら、プリンを食べ切った。
その日の夜、またあの夢を見た。
今度は、最初から彼がいた。
私がじっと見つめていると、彼が顔を上げる。
彼は私を瞳に映すと、嬉しそうに微笑んだ。
私が好きだった、とても美しい笑顔。
私にだけ向けられた、その笑顔の意味を知ることはもうできない。
その笑顔を見ることすら叶わない。
私は全てを思い出した。
でも、もう絶望することは無い。
今度こそ、私は現実を受け入れよう。
それが貴方に二度と会えないという、どんなに辛いものでも。
だから、こんな夢とは今夜でお別れだ。
……けど、せめて、最後に一言だけ。
一言だけ、貴方に言えなかった言葉を言わせて欲しい。
「私、先輩のことが――」
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