第七章 最大の敵②

「ペインパージ!」

 ソルアージュの放った光の筋よりも、数倍太い光が帯びた。

 赤い光の筋――、それは宗仁の体と感情を無にし、思考のないただの文字列に変換させようとしたソルアージュの思惑を無下にしようとする、静かで激しい憤激の顕れのようだった。

 目前のソルアージュが轟音とともに火球と化して膨らんだ。

「やった、か……?」

 皆平タワーの天辺に煙が立ち込めた。

 倒したにしては、多少呆気なさを感じる。

 その予感は的中した。

 視界が煙に覆われていたために、ソルアージュが宗仁の間合いに入ってきたことがわからなかった。

 間近に、結の顔と同じソルアージュの顔貌があった。

 白皙の顔は触れてしまえば崩れ落ちてしまうほどに繊細な色を放ち、円らな瞳の上にある細やかな眉は端正な線を引き、淡いピンクの唇は瑞々しい。顔の両側面には髪が房のように垂れ、後頭部から肩にかけ滑らかに結の顔立ちを彩っていた。

 結……。

 俯き加減で恥ずかしげに自分を見つめる結に、宗仁は無意識に彼女の名を呟いていた。

「よかった……宗くんが無事で……」

 結が宗仁の背中に腕を回し、胸元を宗仁の体に押し付けてきた。

 結にこんなことをされるのは始めてだ……。

 きっと正気に戻ったのだろう。そう安心して結を抱き寄せると、胴の中心部を痛みが貫いた。

「がはっ!」

 吐血し、結の体に持たれかけながら、宗仁は膝をついた。

 まさかと見上げると、結の片手には怪しく光を放つ刃物があった。

「なぜだ……結……」

「私は結ではない……」

 そして宗仁に再び手のひらを向けた。

「ソルアージュだ……」

 純白の光が宗仁を飲み込んだ。

 皆平タワーの天辺の一部が大きく爆ぜ宗仁は爆風もろとも消滅した。


 宗仁が目覚めると、そこは見覚えのある部屋だった。

 自宅のリビングだった。食卓となるテーブルの椅子に宗仁は腰かけていた。

 宗仁の手元には淹れたてのコーヒーが湯気を立たせている。

「久しぶりね……」

 その声にはっとし、真正面を向くと年老いた女性が座っていた。

「どこかでお会いしましたっけ?」

 宗仁は自然とその言葉を発していた。ここがソルアージュとの戦いの場から唐突に自宅のリビングになったことや、自分がAIだったこと、そして結が消え、光司と梨央が目の前で死んだことさえも忘れ、目の前の老女に話しかけるということに何も疑問を抱かなかった。

「何も考えなくていいわ。そして何も苦しまなくてもいいの……。あなたはジェネオスという、最新鋭のAIなんだから……」

 目の前の老齢の女性は淡々と語った。そう述べるからには、この女性がハムスター――ネーガ――のような管理者と関係がある人物と見て間違いないようだ。

 色白の顔に、長めの白髪は正面から見たところ、背中にまで達しているようだ。微笑みをたたえながら、口元と目元のしわは、高齢という見た目をより印象づけていた。

 はて、誰かに似ている。どこかで見たような面影を感じさせるのはなせだろう。

「ソルアージュに苦戦しているようね……。あなたを再構築するまで、時間がかかってしまったから、もうあの町は長くはないでしょう。すでにソルアージュに町全体が侵され、町という概念ですらなくなっている……」

「どうすれば倒せるんです……。それに梨央や光司はどうなったんですか?」

「梨央と光司はあなたの中にいるわ。ネーガさんの手によって、二人の意識的なプログラムはあなたと同一化し、彼らのワーブアーツでさえもあなたと一体化させるようプログラムを組んだ……」

「結はどうなるんです?」

「結の体や意識はすでにソルアージュに侵されている。もう結ではないわ。元々ソルアージュは、レドムゾンによって造り出されたコンピューターウイルス。私のいる世界もそれと同じ世界で、レドムゾンは私たちのいる施設へと攻め込んできていた」

 施設? 宗仁は少し首を傾げた。

「各国が協力して造り上げた、人と人の記憶をデータ化したものを管理する施設よ。そこは氷河期の驚異から逃れた人々の記憶の集まりを、より快適に過ごすために創られた『セカンドアース』という仮想現実空間。そこへ移すための施設でもあった。私たちは設計者と呼ばれ、セカンドアースをいくつも創り、そこへ移住する計画を立てていたのだけれど、レドムゾンが宗教的価値観から、教義に反しているという思想でそれを妨害し、セカンドアースを管理する施設を占拠しようと押し寄せてきた。やがて施設に従軍していた軍隊によって、彼らは制圧され侵攻は妨げられた。けれど……」

 老齢の女性は静かに嘆息をつくと、

「ソルアージュだけはなぜか生き残っていた。それが徐々に皆平市という仮想現実世界を脅かし、あなたが経験したようなことが起きた。そう、ソルアージュは暴走しているのよ……」

 ハムスターから聞いた、レドムゾンとソルアージュの暴走の話はどうやら真実だったようだ。宗仁は老女が語る事実を受け入れるべきだと、なぜかこの時疑問を呈することなく、自然と聞き入れたのだった。

 それも設計者である彼女の、AIである自分を理解させるための施しだろうか、それともジェネオスとして、自分で理解したのだろうか。

 そう思うことさえも目の前の老女は見知っていたのか、

「今はそう理解してほしい。ソルアージュはもう皆平市そのものと化したわ。町が……、あの世界がソルアージュそのもの。だからあなたや光司、梨央たちをもう一度復元させて、あの町に乗り込ませるわ」

「また会えるんですね……あの二人に……」

「ええ。今度は結も再構築させて、四方へとあなたたちそれぞれを分散させる。そこにたどり着くまで、時間は要さないけれど、これまで以上にソルアージュの攻撃も激しくなるから気をつけて……」

 そこで老女は姿を消し、宗仁の家のリビングも消失した。

 闇の中で、光の筋が下から上へと昇っていく。

 最後に老女の声が響いた。

「私のことは後で語らせてもらうわ。名前は今のところ、ユリ・ニイガサとだけ名乗っておく……。健闘をいのるわ……」


 深い緑の色彩に染まった皆平市。

 ソルアージュの光線によって、地獄の世界と変貌を遂げた町には、瘴気のような黒い煙が漂い、町の中央に浮上した宗仁たちの行く手を阻める。

「んで? オレたちは四方に散ればよかったんだよな?」

 光司が眼鏡を指で押し上げる。

「そうみたいね。その先に何があるのかは知らないけど……」

 梨央が胸の前で腕を交差させる。

「とにかく四方に散ってから一直線に進む……。それしかない」

 結は真っ直ぐ遠くを見つめながら言った。

「見ろ……敵の首領が出てきたぜ?」

 宗仁は不敵な笑みをこぼしながら、その方向へ目を凝らした。

 隙間もないくらいに増殖したソルアージュの大軍が、宗仁たち四人を取り囲んでいた。

 ソルアージュの口が異常なまでに大きく開いた。その様子からもソルアージュはすでに人の形をなしていない。やがて口に光が収束していくと、次々と光線が放射された。

 宗仁が叫ぶ。

「気にせず行くぞ! みんな散れっ!」

 おうっとそれぞれが勇ましく返事をし、結は北側、梨央は東、光司は西方面、そして宗仁は南方へと飛び立った。

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