第五章 謎のロドリゲス④

 ――俺たちは本当にAIなのか……? だったら今までの俺や結の思いはどうなるんだよ……。

 告白のときの緊張感、曖昧な結の返事を聞かされ、やきもきした気持ちや、自分の家で結から聞かされた一途な思いと、ネックレスを二人でかけたあの瞬間……。光司や梨央の思い一つとってみてもそうだ。それぞれの瞬間に心を動かしていたであろうあの時の彼らの思いとは、どんなものだったのか。ハムスターの言っていることが事実であれば、この世界ではなく自分たちの心の方が全て虚構だったと言えるのではないか……。

 宗仁は堤防の上で、沈みかけの太陽を背に膝をついた。

 奥歯を噛みしめ、潤み始めた自身の瞳。

 そのまま泣き崩れてしまいそうになったが、突如、ズボンのポケットにあったスマートフォンが鳴動した。

 電話番号を知っている人物からの呼び出しとなると、ここから自宅辺りまでどれくらいの距離で、どういう経路で行けるか、考えつつ画面を見ると梨央からだった。

 スマートフォンを耳にあて、梨央にどうしたか尋ねると、梨央は声を震わせ、

「結が朝起きたらいなくなってるの。どこ行ってんだか知らないけどすぐ戻ってきて!」

 そこへ煙をまといながら現れたのは、お喋り好きのハムスターだった。

「気持ちの整理は済んだかい?」

 宗仁は黙って首を左右に振った。

「酷なことを言うが、あまり君たちの思考を尊重することもできかねるんだ。人間の姿をし、新世代の人工知能とはいえ、本質的には人間ではなくただのAIだからね……」

 宗仁は強く鼻息を吹いた。

 ――一発ぶん殴ってやろうか……!

 ハムスターを睨み付けると、

「ことが終わったら、気が済むまで殴ってもらっていいさ。しかしそれも虚構な空間と疑似的な気持ちや行動になるけどね……」

 握り拳をぐっと掴んだまま、宗仁はハムスターに尋ねた。

「俺の家がある場所に連れていけ。こことは別の場所なんだよな」

「そうさ。君だけの視界を少しいじってあの喫茶店やこの景色を見せている。元の場所に戻すのは造作もないのさ……。戻る前に……」

 とハムスターは前置きを入れ、

「じきに最後の幹部が現れる。それを倒すためには三人がかりでは不可能だ。ソルアージュの遊び心なのか、ゲームのように少しひねった弱点を用意してあるみたいでね……。表面が硬い装甲でできているんだ。ラーシグの弱点である心臓は、その装甲に埋もれている。君のペインパージだけでは、倒せないかもしれない」

 宗仁はそれを聞き、また愕然としかけた。

「どうすればいいんだ?」

「それについては後ほど……。それよりも……」

 ハムスターはそのふっくらした体毛で宗仁を包んだ。

「いいかい、宗仁。君たちの使命は日常を堪能することじゃない。人類を脅かすウイルスを倒し平和を取り戻すことだ……」

「事実はまだ受け入れられねえ。が、平和を取り戻すと聞いて何もしないってほど薄情でもねえ。幹部はぶっ倒す!」

 この決意も外部からいじくられたために生じたものか……。

 ハムスターの言っていた新世代のAIであるならば、自分が考えたことで間違いない。普通の人間であれば抵抗するかもしれないが、宗仁は敵を倒すことに意を決した。自らの思考か、外部からの作為的なものか、いや、どのみち敵を倒さないわけにはいかないのだ。

 この空間での時刻はすでに夜の帳が下りていたが、宗仁の闘志は旭日とともに世界を照らすような赫々としたものだった。


 自宅近くに移動した宗仁は、家の前に梨央と光司がいるのを目にした。ここでの時刻は朝方の登校時間といったところか。

 宗仁は二人に走りより、

「見つかりそうか?」

 全然、と梨央は首を左右に振る。

「手分けして探した方が早いかもな」

 光司は深刻な面持ちだった。

 敵の内情を知っている指輪と繋がりを持つ結がいなくなったのは、大切な仲間というだけもあって、大きな損失だ。

 そうして三人は、別々に行動することになった。


 梨央は主に東側を、光司は西側、宗仁は南側の捜索を行った。北側には皆平のシンボルでもある、皆平タワーがあり、宗仁たちは、そこが敵の根城である可能性を感じていた。思い過ごしかもしれないが、北側に関しては、三人で同時に捜索することに決めた。

 東側の町並みは、梨央にとって馴染み深いものだった。

 母親が入院していた病院がこの東側にあったからだ。

 ゆっくりと飛行しつつ、民家と民家の間の道をくまなく探した。敵兵やそそのかされた住民たちの姿もいなかったので、梨央は病院前で着地し、病院の周囲を歩いてみることにした。

 しばらく歩いていると、見慣れた後ろ姿が角を曲がっていくのを見つけた。

 ――あれはもしや、結?

 次の瞬間梨央は声に出していた。

「結、待って!」


 西側にある堤防を歩く光司は、朝早くからこうして探索を行っていることに、多少の嫌気が差していた。

 ――まったく……。結は一体どこへ行ってしまったんだ? 朝食も摂ってないんだぞ。そもそも夢の世界だか非現実の世界だか知らんが、どうして腹なんか空くんだ?

 結の行方が掴めなくなったこともそうだが、光司としては空腹感に苛立ちを覚えているようだ。

 ――別に食べなくてもいいものであるなら、空腹を感じなくたっていいだろうに……!

 小さなことに腹が立っているのは、結の行方知れずと、空きっ腹とを秤にかけている自分自身が器の小さい人間だという自覚が芽生えているというのもあった。

 堤防を川を挟んで眺めると、視界の隅に人影が映った。

 その人影にはひどく違和感を抱いた。

 なぜなら、川の上を歩行していたからである。

 しかもその後ろ姿は、結にそっくりだったのだ。

 夢の世界、あるいは非現実的な世界であれば、水面の上を徒歩で行くのも、不思議なことではないだろう。とはいえ見慣れた光景ではなく、川面の上を歩く様子は危なっかしく感じ、光司は自然と結に声をかけようと堤防を駆け下りていった。


 南側の山間。

 その山は月欠山と言い、中腹辺りに小学生の時に造った秘密基地がある場所だった。

 小川にかかった橋を渡り、坂道を登っていけば、使われていない倉庫か何かの古びた建物があり、そこを秘密基地にしていた。

 ところが結の言うとおり、本来あるはずの場所に秘密基地はなく、ますます結の居所がわからなくなってしまった。

「いるか、ロドリゲス……」

 宗仁の腕輪から煙が立ち、ハムスターと同じ背格好のロドリゲスが姿を現した。

「今回は普通のハムスターで行くよ。君もボクを飼っていたロドリゲスと認めてくれるようになったみたいだね?」

「まあ不自然というか、色々とまだ納得していない部分もあるんだがな……」

「と言うと?」

「なぜ俺だけに真実を伝えた? 光司や梨央は知らないようだったぞ? それに結を行方不明にしたのはなぜだ?」

「なぜ君だけに真実を伝えたかは、管理者であるボクのさらに上の立場である、設計者の判断さ。設計者は梨央や光司よりも君に知らせておきたかったようだ。なぜだかは知らないが、設計者は君に結構な思い入れがあるみたいなんだ」

「思い入れ?」

「まあ、あまりこのことに関しては深追いしない方がいい。現状から言って、結を探しだすだけにしておいた方が集中できるだろうし、ボクよりも上の立場の人物が何を考えているのかなんて、ボク自身わかりっこないからね」

「設計者なんているんだな……」

「三層からなるこの仮想現実空間、そのさらに上は生身の人間がこの仮想現実空間を管理している。ボクも君も自発能動的なものがあるけど、実態はその設計者の考えたプログラムでしかない」

「なぜ結が行方をくらまさなきゃならなかったんだ?」

「それもボクには謎なんだ……。ただひとつ言えることは、ラーシグという最後の幹部を倒すのは結を除いた三人での戦いになるということさ。そして、今こうして三人バラバラになって探しているうちに敵からの魔手が伸びた」

「どういう意味だ?」

「梨央と光司がラーシグに捕らえられたんだ……」

 何だと!? 宗仁は瞠目した。

 なぜこうも次々と仲間が消えていくのか。これがロドリゲスの言うとおり、ソルアージュからの攻撃であれば、ソルアージュの方が何枚もうわ手だろう。

 三人で別れて皆平市を探し回っている最中、二人が敵に捕まったとなると、三人という数人がかりでさえ、町の隅々まで探すのが手間だったのに対し、ソルアージュの方が探し始めてから数分ほどで宗仁たちの戦力を大幅に削る手腕を持っている……。

「そんな……」宗仁は愕然とし、その場に膝を付いた。

「光司と梨央までもが……?」

「大丈夫さ、宗仁」

 小さなハムスターに慰められるのはごめんだ、と宗仁の頭に血が登った。

「何が大丈夫だ! 俺一人でどう戦えっていうんだ!」

「ボクにも非現実的な力がある。この世界でうまく立ち回れる、たいそうな力をね……」

 その力ってのは? という宗仁の問いにロドリゲスは穏やかに答える。

「ボクは監視者だよ? ソルアージュがこの世界を乗っ取ろうとしたコンピューターウイルスなら、ボクはその存在をも俯瞰できる立場にある。もう少ししたらラーシグが姿を現す。それまでボクは……」

 強い光とともに、ロドリゲスは姿を変えた。

 宗仁のワーブェポンである腕輪の片方に、小さな宝石が埋め込まれた。

「二人は恐らく、ラーシグの手にある檻の中に閉じ込められているはずだ。彼らが窮地に陥ったらボクのくっついた腕輪を宙に掲げてくれ」

「それでどうなる……?」

 宗仁がロドリゲスからの返答を待っていると、北側の方で轟音が鳴り響き宗仁は驚愕した。

 山の中腹から北側を眺望すると、北に広がる皆平市の一端が大きく波打ち始めていた。

「行こう、宗仁。どのみちボクらには戦う道しかないようだ」

 わかってる、と強めに言って、宗仁は月欠山から飛び立った。

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