第五章 謎のロドリゲス②

 その後、宗仁と光司が風呂に入ると、寝床をどこにするか決めた。

 宗仁と光司は宗仁の部屋で。梨央と結は宗仁の妹の部屋で寝ることになった。

 結は就寝前まで、宗仁の家の周辺に結界を張り直していた。

 塀と家の壁面との間にあるわずかなスペースを歩きながら、透明な隔たりに呪符を貼り付けていく。

 午前〇時前の宗仁宅周辺はひっそりとしており、自分たちを捕まえようと群がっていた人の集まりもなくなっていた。

 宗仁は結のその様子を終始見られる範囲で見守っていたが、最後の呪符を貼り終えたのか、玄関から入ってきた結を称賛とともに出迎えた。

「さすがだな、結……」

 結はサンダルを脱ぎながら、

「どこかほぐれていたら安易に寝てもいられないから」

 宗仁の自宅を囲んでいた人の群れが、結界を手で引っ掻いたり、足で蹴ったりなどするのを宗仁も目にしていた。結の話しぶりから、そうした行動によって結界がほつれ、そこから徐々に穴が空いていく状態になるということだろう。

「お前のその用心深さがなかったら、俺たちも寝首をかかれていたかもな……。ありがとな」

 礼を言うのも恥ずかしく思いつつ、ちゃんと最後まで自分の言おうと思ったことを伝えられた宗仁だった。

 廊下を二人して歩き、奥の洗面所で結は手を洗いはじめた。それを入口のドアによりかかりながら、宗仁は眺めていた。

「それにしても不思議……」

「どうした?」

 結の唐突な感想に、宗仁は凡庸な返ししかできずにいた。結は続ける。

「夢か幻の中にいるというのは指輪も話していたこと。それなのにわたしはこうして手が汚れるのを嫌がって、手を洗っている。お風呂に入ったときもそう。幻かもしれないのに、風呂あがりのアイスは冷たくて美味しかった……」

 指輪は今も結の指にはまっていたが、指輪からの反応はなかった。

「たしかにそうだよな。ここは一体どんな世界なんだか……」

「できればわたしはここが幻であってほしくない」

「なんでだ?」

「それは……」

 手を洗い終え水を止めると、結は手をタオルで拭きながら、それ以降言葉を発しようとしなかった。

 宗仁はそれでも結は答えてくれるだろうと、口を閉じたまま結をじっと眺める。

 それは……、と結は再び口を開いた。

「決まっている……。宗くんの思いをしっかり受け止めたから……」

 結の一言に、宗仁は急に恥ずかしくなった。そうだ、自分は結に告白したのだと。思いを告げたときのことを思い出し、思わず赤面した。

「ここが幻だったら、宗くんの思いが台無しになってしまう。ここから脱出したらわたしからの返事を聞いてもらおうと思っていたけれど……」

 結は握りこぶしの上から片方の手を覆いそれを隠すように腰の前辺りにさげて、ひたむきな目で宗仁を見つめた。

「わたしも宗くんが好き……。だからずっと一緒にいたい」

「俺もだ」宗仁も真剣な眼差しで結を見つめ返す。

「もしここが嘘の空間なら、結と一緒に脱出したい。もし離ればなれになっても俺は結を探し出す……!」

 勢いに任せて、宗仁は改めて結に思いを伝えた。

 胸の鼓動がやたらと大きく宗仁の体全体を揺さぶっているようだった。宗仁の本心を聞き、結は照れ隠しか体をよじっていた。

 いたたまれなくなった宗仁は、結に渡すものがあったことを思い出した。

 この場から一旦離れようとした口実にもなってしまうが、宗仁は結にこう言った。

「結、渡したいものがある。ちょっとリビングで待っててくれ」


 数分後、宗仁は結との恋が実ったら渡そうと思っていたプレゼントを持ってきた。

 安っぽい紙の袋は、結を残念がらせるものだったかもしれないが、宗仁は中身を取り出し結に見せると、結は瞳を輝かせた。

「キレイ。カワイイ……」

 星の形をしたネックレスだった。

「ちょっとごめんな……」

 宗仁は言いつつ、結の首にそれをかけようとした。

 宗仁より背丈の低い結の頭部が、宗仁の胸元にあった。シャンプーか何かの香りだろう。甘い匂いが宗仁の心を大きく揺さぶる。

 うまくかけられず、もたもたしていると、結が首の後ろにあった宗仁の手に触れ、二人で結の首にネックレスをかけることに成功した。

「ありがとう、宗くん……」

 いやあ、へへへと後頭部に手をやってはにかむ宗仁だった。

「い、いつかちゃんとした奴渡すから……。そんなおもちゃみたいなのでほんとに申し訳ないけど……」

 ううん、と結はかぶりを振り、

「男の人に何かもらうのは初めてかもしれない。本当に嬉しいし、感謝している……」

 ははは……、と二人して笑みを交わすが、宗仁は恥ずかしいのを隠そうと、紳士を気取ってみせた。

「夜遅くまでお疲れさん……。そろそろ寝ようか、俺たちも……」

 うん……、結は首肯して二人は二階へと上がった。

 階段を登って左奥が両親と日向子の部屋が並び、右奥が宗仁の部屋だ。

 右へ歩き部屋の扉を開けようとすると、背後に結がいたことに気づく。

「どうした、結……」

「あ……ふ……や……」

 顔を真っ赤にして顔を俯かせ、目を泳がす結に、宗仁は咄嗟に自分の言い方が悪かったのを思い出した。

「い、いや、『寝るか、俺たちも』って言ったのはそういう意味じゃなくてだな……」

 はっ、と結は自分の行いに気恥ずかしさを覚えたのか、速やかに梨央の寝ている妹の部屋へと歩いていった。扉から顔を覗かせた結は、

「き、気にしないで……。わ、わたしもできるだけ、は、早く忘れるから……」

 結は扉を閉めた。

 宗仁は二、三度頭を掻いて、悶々とする頭を両手で抱えつつ、自室に入ろうと扉を開けた。

 そこは自分の部屋ではなかった。

 どこかの屋内。スピーカーから聴こえるサイケロックのような曲と、室内の左にある大きな窓ガラス。そこから夕刻間近のオレンジ色の日当たりが差し込み、部屋の中をノスタルジックな感じにさせていた。

 コーヒーの匂いと座席が並ぶ部屋の様子からいって喫茶店で間違いないだろうが、唐突過ぎて驚く暇もない。

 ――まさかまた敵の襲撃か?

 思いつつ店内を見回しても、人影一つない。

「宗仁くん、こっちへ来てくれないか……」

 奥の角の席から呼び声がした。

 見ると誰もいないように思えた。そのままおもむろに近づいていくと、壁際の椅子に腰かけ、前方に視線を向けると、

「やあ」

 目前にいたのは人の背丈以上もある巨大なハムスターだった。

 何かが張り詰めたような感覚に陥った。金縛りに近いそれは、お化けハムスターから逃れることもできなくさせた。

「な、何もんだ、あんた……」

 何とか声は絞り出せた。ハムスターは一見、着ぐるみにも見えなくなかった。着ぐるみ特有の首と胴体の切れ目のようなものはなかったし、特撮の怪獣を思い浮かべると、胴と頭が繋がっている造形があるというのも一般的な知識だと思ったが、それ以前に、なぜこんな着ぐるみを着た状態で喫茶店にいて自分を待っていたのか、このハムスターの存在そのものが異質と感じるのが自然ではないかと、宗仁の思考は右往左往した。

「ボクは見ての通りロドリゲスさ……」

 ハムスターが喋った。桜坂家で飼っているペットで違いないにしても、その喋り方も、着ぐるみの中からのものではなかったし、よそから声を当てているものでもなかった。聴くに女性のハスキーボイスとも言える声色だった。

「なんて、それは冗談だ……」

 ハムスターがにやりと笑ったようだった。

「一体どういうことなんだ。あんたは何なんだ?」

「率直に言うよ。ここは現実世界でも夢の世界でもない。ある目的を持って造られた仮想現実空間……。ボクの今の状態、そして君の今の状態は仮初の姿だ。ボクはこの仮想現実空間の管理者、ネーガ・ナスネス……。そして君はこの仮想現実空間において発生したコンピューターウイルスを退治するために造られた、新世代AI『ジェネオス』であり、ウイルスバスターだ」

 宗仁はその言葉に、思わず目を見開いた。

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