第四章 霧の誘惑③
宗仁の家にいたはずが、今は自宅にいる。市内の3LDKのマンション。湯上がりにリビングでアイスを頬張っていた光司は、自分にとっての理想を手に入れていた。
自分よりは少し年齢が低く、黒髪はツインテイルに結われ、ニーソックスの脚に短いワンピース。ワンピースの裾とニーソックスの間の領域が眩しいその妹は、まさに自分にとっての理想像だった。
紺色のパジャマ姿の光司の膝の上に、その理想像は腰かけていた。
時折振り向きつつ、溶けかけのミルクアイスを舌先でなめながら、その妹に光司は言うのだ。
「そこにいたらテレビが見られないだろう?」
「ここは私の特等席なの。そうでしょ、お兄ちゃん?」
ふふふ、と微笑みながらその頭を光司の胸に預けてきた。
「恐悦至極!」
意味もなく叫んでみる光司だった。その瞬間、光司の胸奥から何か得たいの知れないものが浮上してくるようだった。
――何だこれは……?
しばらく妹を膝に乗せたまま、自分の手から肘までにかけ妙な熱気を感じていた。
斜めに右腕を差し出し、構えてみる。すると、肘から炎が噴射し始めた。
「な、なんだこれは……!」
家を破壊しそうな勢いに思えた光司は、手首を押さえつけ何とかこらえた。
自分の膝に座るその妹は言う。
「そろそろ帰んねえか?」
「なっ……!」
妹が、宗仁に変わっていた。
「お前、何しやが……!」
光司の頭に拳骨を食らわす宗仁。
はっと我に返る光司を見て、宗仁は一つ嘆息をついた。
「大丈夫かあ?」
光司の顔は青ざめ、茫然自失気味に見えた宗仁は、これもサウメツにやられたからかと、光司を回復した。
ずしん、と胸奥から肩そして頭にまで伝わってくる重み。痛みとも言えるが、体を動かす自由を失いかけてもいるため、重石を背負ったという言葉でも宗仁にはしっくりきた。
息切れも激しく、自分の家の壁を伝って、外へ出ようとする。
「これがチェックメイト?」
首を絞められているにも関わらず、梨央は反論した。
直ぐ様手にした剣で、鞭の先を斬りさばいた。
「梨央さんの能力は、ソードアーツ……」
地に座り込む結に、指輪が語りかける。
「しっかりとリンクしていないにも関わらずあそこまではっきりと光剣が顕現しているというのは素晴らしい……。梨央さんは本当に幻想的なものがお嫌いなんでしょうか?」
「わからない。でも中学の頃は、そういうのに傾倒していたと思う……」
「そうですか……。きっと、そのときの信じるという強い一念が残っているのかもしれませんね……」
柄の代わりとなる空気を握りしめ、念じることで光を帯びたような剣が出現する。そのことにでさえ梨央は動揺したが、さらに驚いたのは、剣を振り下ろしただけで、衝撃波のようなものが飛び出たことだ。よってサウメツを弾き飛ばしたのはもっと動揺してしまう。
――それでも……。
頑なな目力で、倒壊したブロック塀の前に立ち尽くすサウメツを凝視する。
――足手まといよりは十分マシよ。
「この鞭は再生可能なのよ……」
髪を乱したサウメツの台詞に、梨央はおののきもしない。
鞭を振るうサウメツ。一瞬で梨央の顔を掠めかけるが、梨央は軽くいなすように鞭を斬り離して見せた。
もう一度、鞭が勢いよく伸びてきた。片手持ちの剣を、二、三度振ると鞭はまた斬り離された。
「そんなんで、勝ったと思わないことね!」
余裕を見せるサウメツに、内心梨央の心は焦燥感に駆られた。
――再生して伸縮自在なんて、卑怯だって!
サウメツは大きく跳ねて鞭を振るった。
その動きに目を丸くすることしかできなかった梨央はとうとう、両腕と胸、腹を縛り付けられてしまった。
くっ、と奥歯を噛み締める梨央に、サウメツはさらに追い討ちをかける。
そのまま半回転させ、梨央をブロック塀にぶつけたのだ。
「はーい、お返しい!」
クスクスと笑いながらサウメツは鞭を縮め、梨央の元へ近寄ろうとする。
ブロック塀が破壊され再び煙が辺りを漂う。
梨央は咳き込みながら、四つん這いになると、サウメツからの声が耳に届いた。
「さっきの続き、見たければ見ていいのよ?」
さっきの続き……。
夢にしては生々しく、宗仁の体温や、光司の香水の匂いまで感じ取れた。
あの物語の断片のさらに先に何が待つというのか……。
好意を抱く異性の温もりとその支配下におかれた、ベッドの上での営み……。
「くっ……!」梨央は歯を食いしばった。
――今そんなこと考えてる状況……!?
腰を地につけ、疲労感に苛まれて、ただ梨央の安否を気にすることしかできない……。
ぼうっとする結の肩に手が乗せられた。
一気に痛みと疲労感が引いていく。泉に一粒滴るように……。
「ありがとう、宗くん……」
肩を押さえ、片足を引きずりながら、サウメツよりも先に梨央の元へ歩み寄る宗仁。
サウメツの気を引くのは光司だった。
「ありがとう、いい夢を見させてもらった……」
「気に入っていただけたのならまた見ることはできるわよ? 精気を吸い取るっていう条件付きだけど……」
「大丈夫か、梨央……」
「宗仁……」
梨央は初めて感じていた。宗仁の持つ、ヒールアーツの力がこんなにも効くとは思いもよらない。
痛みも疲労もすべてこの男の子が持っていってくれた……。やはり、やはり宗仁は……。
「さすがあたしの王子様……」
「何か言ったか?」
ほぼ一度にと言っていいほど、宗仁は仲間たちの疲れと、傷を治したのではなく引き受けた。だからか、宗仁の今の顔は王子様というには程遠く、疲れきった顔をしていた。顔を保っていたシワが一気に垂れてしまった、そんな老けた印象さえある。
「何も……。ありがと、宗仁……」
体をよろめかせながら、手のひらをあの淫売に向けた。
「それは本当か?」
サウメツの誘惑に光司の心は揺れていたかに思えた。
ちょろいものだ。特に盛りのついた年頃の男子など……。
……これがサウメツ様の新たな配下です。可愛がってやってくだせえ……。
ラーシグから薦められた数百に及ぶ配下たち。
それを一目見ただけで嫌気が指した。どれも可愛くもなく格好よくもなく、醜悪の顔つきをしている。
自分たちと同じ血を多少引いている、あの少年たちだからといって強敵とは限らない。ダイダガは力に溺れ、油断したのだ。
だからこの戦いは自分一人で決着をつける……。あのお方に認めてもらうために。何より、自分の悦楽のためにあの少年たちを利用し、亡き者にする……。
あんな異臭を撒き散らすかのような顔をした連中に頼らずとも、自らの力で――。
しかしそれは、サウメツの改めるべき事柄だった。
「サウメーーツッ!」
宗仁が叫ぶ。
サウメツは振り向いた。
「パージ!」
宗仁の大声のあと、赤い閃光が瞬いた。
みるみるサウメツの体が痩せ細り、傷だらけになった。
「光司……とどめを頼む!」
すでに直近にいた光司は、サウメツの胸ぐらを掴んでいた。軽く乳房に手が触れたが、構うことはない。
「とりあえず礼は言っとく。ありがとな……。それにオレの精気を抜き取るっていうのは釣り合わない気がするんだが……。どうだろうか……?」
う……う……、とだけサウメツは呻くだけだった。肉が落ち、頬骨が飛び出るほどに痩せた顎を動かすこともできない。
「これがいい夢の謝礼金がわりってことでいいだろ?」
光司の右肘が疼いた。火花を散らし、噴射すると右手で掴みあげた腕そのものが、サウメツの体もろとも空中を飛翔した。
そして爆発音とともに火球が皆平市の夜空に膨らんだ。
それを背に光司は振り返ると、
「フィストミサイルクラッシュ……!」
とだけ呟いた。
「光司さんの新たなアーツです。肘から先がミサイルのように発射でき敵を爆発させます……。残弾数はそのときの体力にもよりますが、腕を強く振ればまた補填されます」
結は腰をあげる起立すると、光司の右腕が元に戻っていることを見届け、
「見ればわかる……」
「失礼、結様……。しかしいい技名をつけましたね。光司さん」
「光ちゃんも、結構子供っぽいところある……」
どこか置いてきぼりを食ったように囁く結だった。
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