第四章 霧の誘惑②
「姿を消しても無駄よ?」
破裂音が響いたあと、サウメツの頬に弾丸が掠めていった。
青い血が頬を伝う。それを長めの舌で舐めるサウメツ。
彼女の手に、ウィスプが鈍色を帯ながら現れた。
上空にいたサウメツは、ウィスプを片手に打ち付けながら、宗仁宅に張られた結界を破った。
そしてそのまま、裏庭へと降り立ち、ウィスプを二、三度地へと叩きつけ、威嚇した。
再び破裂音が虚空にこだます。音の方向に意識を向け、視線をそこへ投げると同時に、弾丸を首を傾けただけで回避、ウィスプを力強く伸ばした。
跳弾する鞭。しかし手応えがない。そこにはすでに結の姿はなかった。
「移動しながら狙っているようね……」
宗仁宅の裏庭の茂みが、ザザッと音を立てた。サウメツにとっての敵である結のその行動は、誤って起こしてしまったもののようだ。その結果にサウメツは蔑むかのような表情で、ウィスプをしなびかせた。
ところがまたしてもそこに獲物はいなかった。発砲音と同時に伸びる弾道。
四度目の銃撃に、サウメツの背中から血が少量吹き出た。
「くっ……!」
痛みに喘ぐも、サウメツの耳はその音を逃さなかった。
サウメツの背後の草むらを踏みしだく音が聞こえたのだ。
致命傷とはいかないまでも、怪我を負わせたことに敵の少女は慎重さに事欠いたようだ。それだけダメージを食らわしたことに優越感を得たというのもあったのかもしれない。
片手にあったウィスプを、音がした方向へ振り上げた。
確かな感触が鞭の先から伝わってきたと同時に、結の透明化が解除された。痛覚の刺激が術の効果を弱めたらしい。
そのまま伸長していた鞭は、結の手首を締め付けていた。
「チェックメイト……!」
快感を得たように顔を紅潮させるサウメツだった。
夜の遊園地。
辺りは夕闇に包まれ、宗仁と二人で遊びに来ていた梨央は、最後に観覧車に乗ることにした。
想いを抱く相手と、観覧車に相乗りする――。
いつか叶えたいと、梨央が前々から望んでいたことだった。
隣り合わせで席に座り、二人のゴンドラは回り始めた。
見渡すと見えるのは他の遊具などのネオンと遠くにはビル群の明かり。
「疲れたか?」
宗仁のちょっとした気遣いに、梨央は恥ずかしそうに下を向いて、ううん、と答える。
「楽しかった。ずっと宗仁と一緒にいられたから」
「俺もだよ……。梨央と一緒にいるのは楽しい……」
「それにしても、珍しいね。宗仁がこんな場所に誘ってくてるなんて……」
「ほとんど毎朝、食事作ってくれてるだろ。だからせめてお礼にと」
「ありがと……」
梨央は顔を朱に染めて、窓の向こうを眺めた。照れ臭さを隠していたからだが、宗仁がじっと視線を梨央に固定したのがわかった。
「礼を言いたいのはこっちだぜ。ほんといつも世話になる……」
観覧車は回り続ける。ちょうど梨央たちの席が天辺に来たときだった。
梨央……、と呼びかける宗仁。梨央は振り向こうとすると、宗仁の胸に引き寄せられた。
宗仁の胸板に埋もれながら、彼の匂いをしっかりと感じていた。
「梨央は少し頑張りすぎだ……」
そうかな……宗仁の胸の中でそう呟く梨央。
「お母さんが大変な状況なのに、お父さんと家庭を切り盛りしてるんだろ? そんな中、俺の世話も見てくれて、学校じゃ元気に振る舞ってクラスを支えてる。もう少し自分を労ってやってもいいんじゃないか?」
梨央の頭の奥で、中学生のときの記憶が蘇った。
引きこもりがちで、父にも迷惑をかけてしまっていたあのときの自分。
学校に行けなかった自分をどん底から引き上げてくれたのは……。
「あたしこそ、あんたには感謝してる。中学のとき、あんたが家に来なかったらどうなっていたか……」
あのときか……、と宗仁は遠くを見つめながら呟いた。
梨央はあまり宗仁と顔を見合わせたくなかった。今の自分の心境で宗仁と顔を見合わせてしまえば、自分の何かが壊れてしまう。宗仁を思う心が壊れてしまう。
だが梨央は思いを決し、宗仁の顔を見つめた。
瞳は潤み、口元が震える。
宗仁の目も梨央をしっかりと捉えていた。
ネオンの煌めく夜景を背に、二人の視線は交わり、近づいていく唇……。
そこへ、もう一人の宗仁が割り込んできた。
「はいはい、そこら辺で終わってよろしいかなあ……?」
観覧車が一周回り終えたようだ。もう一人の宗仁が、遊園地の職員になって、扉を開けたのだ。
瞬間に、ネオンも遊園地も消え宗仁の家の廊下に変わった。
「あ、終わっちゃったあ……」
「何を見せられていたんだか……」
じろりと梨央に目を向ける宗仁だったが、梨央は膝をつき壁によりかかってしまった。
「どうした、梨央!」
「か、体が怠い……。ここあんたんちの家よね……? 何か変な夢でも見せられていた気分……」
「霧が出てたろ? ナスネーガ配下のサウメツってやつの術で、幻覚を見せられていたらしい……。淫魔つってな。精気を吸いとられちまうんだと……」
「げ……」と朦朧とする意識の中、梨央は嫌悪感を抱くように苦い顔をした。
「待ってろ、いま回復してやる……」
消えていたワーブゥエポン、癒しの腕輪が宗仁の両手首に姿を現した。
青白い光とともに、梨央の回復を済ませると、梨央はすっくと立ち上がり、今度は宗仁の視界がまどろんだ。
「大丈夫?」梨央の問いかけに、
「こういう特性だから仕方ねえ……」
「残るは光司と結?」
「光司は未だ幻を見せられてる。結は孤軍奮闘中だ……。助けに行ってくれねえか……」
庭木に縄をくくりその先に両腕を吊るされた結は、サウメツの鞭に打たれ続けた。
鞭が次々と結の背中や胸、腹を穿ち続ける。
「あっ! うっ!」
「あはははっ! ほら、もっと鳴かないと面白くないじゃない!」
「あうっ! ひあっ!」
「もっとアタシを楽しませなさい!」
鞭の応酬が一端止んだ。
ふう、とサウメツの顔に汗が滲む。それを一度拭うと、結の顎に手を引っかけ、
「やはりあなたたちは四人だったのね……。あの方の言う通りだったわ……」
みみず腫しているであろう結の体を覆う衣服は所々破れかけていた。痛みをこらえつつ、結はサウメツにこう問うた。
「あの方とは、……ナ、ナスネーガ?」
「ナスネーガ……?」
一瞬、サウメツは眉根を寄せたが、再び鞭を手に持ち、結をひっぱたこうとした。
「さあ、どうかしらねえ!」
鞭を掲げた瞬間、
サウメツは宗仁宅を囲うブロック塀に向かって吹き飛んだ。
体中に痛みが残る結、目を開けられないほどの激痛だったが、そこに助けが入ったのだ。
「ごめん、結。遅れちゃった……」
現れたのは梨央だった。
「りおりん……」涙目になる結。
梨央は手にしていた剣で、結を括っていた縄を切り取った。
痛みに耐えられず、結は梨央の胸元に崩れ落ちた。抱き止める梨央。
「傷は平気?」
「なんとか……。宗くんを待つしかないけれど、光ちゃんは?」
「あいつもあの女の術にはまってる……。今は覚束ないけど、この剣で切り抜けるしか……」
破壊されたブロック塀の周辺は煙っていたが、そこからサウメツの声が聞こえてきた。
「いったあ……。なかなかやるわねえ……」
ぼそっと結が梨央に助言する。
「鞭を使う……。あとなかなか勘が鋭い。動きを読んだりする……」
「あたしにやれるか、心配になってきた……」不安がる梨央に今度は指輪が言う。
「本格的な覚醒を行いますか?」
梨央はしばらく思考に及んだ。指輪はすかさず、
「迷ってる暇はありません。今こそ力を解き放つときです……」
うつ向き、考える梨央だったが……、
「ごめん、あたしファンタジーは苦手なんだ……」
そこへシュルっと梨央の首にサウメツの鞭が巻き付いた。
「くっ……」煙が消え、そこにいたサウメツは舌なめずりをし、
「さあ、沢山鳴いて見せて……!」
「光司くんて、誰が好きなの?」
サウメツの術に囚われたままの光司は、その淫夢の中でいつも学校で自分を取り囲む女子の一人からそう問いかけられた。
「誰……だろうな……」はっきり答えない光司に、女の子たちは次々と光司の腕に絡み付いてきた。
「誰?」「誰ですか?」「一体どなたなんです?」
――わからない……。
光司は心で正直に答えた。それでも女の子たちはすがりよってくる。
女の子それぞれの柔らかさと、匂い、息遣い、どれをとっても中学生くらいから経験してきたものだった。
ただし、一線は越えていない。
それはなぜなのか。思春期の男なら果たしたい命題のような気がしなくもないこの事柄だが、光司にはそれが果たせずにいた。その理由は――、
――それほどこの女の子たちが好きではないから……。
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