第四章 霧の誘惑①
第四章 霧の誘惑
玄関の白い扉を開け、何とかたどり着けたようだが、屋内に人の気配がない。
「帰ったぞ、宗仁! 梨央と結は戻っているか?」
問いかけても、なんの返事もない。
靴を脱ぎ、音を立てないように廊下を進んでいく。
そこへ、何やら物音が聞こえてきた。
宗仁宅の廊下の奥には、風呂場がある。そこから水の弾ける音が聞こえてきたのだ。
――誰かが風呂に入ってる……。梨央と結がいないところを見るに、宗仁が入っているのか……?
それなら、脱衣所辺りで声をかけられることも可能だろう。
光司は急いで廊下を進み、風呂場の戸を開けた。
「ひえ……?」
そこにいたのは一糸纏わぬ姿でタオルを首からかけた一人の少女だった。
「やっば……! 霧のせいで結たちとはぐれちゃったじゃない!」
梨央の不安げな声が、周囲に立ち込める霧の中へと消えていくようだった。
しかしよく目を凝らせば、近くに目的地である宗仁の家が見えてきていた。
――結、先に帰ってるかな……。
思いつつ、宗仁に助けを請うのもありだろうと降下して宗仁の家の玄関に入った。
「お帰りなさいませ、お嬢様……」
慇懃にお辞儀をする、黒いスーツに身を包んだ宗仁の姿がそこにあった。
「む、宗仁!?」驚愕する意外にない梨央。
ところが梨央は宗仁のその所作に、遠慮や拒絶をするどころか、甘んじて受け入れようと、靴を脱ぎ宗仁の横にまで来ると、
「お、お風呂入ってる?」
「お嬢様のためにすでにご用意しております……。お体を洗う者もすでに待機しております……」
「そう……」
従属的な態度を見せる宗仁に、梨央は身を委ねるように、何も違和感を抱くこともせず風呂場へと向かうのだった。
霧はすぐに晴れ、夜の帳の降りた宗仁宅の上方に、結の姿があった。
「りおりんと光ちゃんの姿がない……」
心細い気持ちにいたった結だったが、指輪がタイミングよく助言する。
「霧に呑まれたかもしれません。これは、ナスネーガの配下である淫魔、サウメツの仕業かと……」
「サウメツ……」聞きなれない指輪の述べた名に、結は繰り返すように呟く。
「気力を奪い、戦力を疲弊させる能力を持っています。結様がその術中にはまってないのは、恐らく私を指にはめているからかと……」
「あなたはナスネーガの配下。その力が宿ったあなたをこうして指にはめれば、わたしも同類として成り立つ、ということ?」
「そうです。そして理由はもうひとつ。私の力の方がサウメツを上回っているという可能性もあり得ます」
結は、指輪に視線を向けながら、小さく頷くと宗仁宅の庭に降り立ち、リビングにいた宗仁に手を振った。
気づいた宗仁は、窓を開けながら結に声をかけた。
「おお、無事だったか。って、光司と梨央は?」
「敵の策謀にはまった可能性がある」
「どういうことだ?」
「一時、霧が立ち込めていた。霧が晴れると光ちゃんたちの姿が見えなくなっていた。宗くんのその言いっぷりだと、二人は今も行方がわからなくなっているということ……」
「マジか……!」
結のその言葉に宗仁はあらかた状況が理解できたようだった。
「二人はどこへ行ったんだ?」
宗仁の疑問に指輪は淡々と答える。
「敵が発生させた霧の中に迷いこんだとなると、探すのに少々厄介ですが、ワーブゥエポンに隠された補助能力で、他のワーブゥエポンを探し出すこともできるかと……」
「やってみるか。どうすればいい?」
宗仁はすぐに合点がいったようだ。
「気持ちを落ち着かせ、感覚を研ぎ澄ませるのです。ワーブダイという異界の力を上手く感じ取れれば、梨央さんたちのワーブゥエポンから発せられる力を感知できるはずです」
「えっと、普段は透明になって隠れてるんだったよな?」
「そうです。ワーブゥエポンと呼応したあなた方の体に、視覚で捉えなくとも意図的に出現させることもできます。そこに存在していなくとも、ワーブゥエポンの強力な力は放たれていますから……」
「わかった……」首肯する宗仁はすぐに瞑目し、感覚を鋭くさせたようだった。
そのとき、宗仁と結の耳に聞こえてきたのは、女性のものらしき笑声だった。
宗仁たちを手玉に取るかのようなその笑い声。
目の前に霧とともに現れたその人物は、体の起伏が大きい女性らしさを存分に漂わせていた。
ふくよかな胸部と、くびれた腰にボリューミーな尻は、黒色のレオタードに腕と脚にフィットさせたタイツを纏い、妖艶な容姿をしていた。
髪はまるで生き物の触手がさも現実に見かける巻き髪のように波打ちながら、その女性の妖しさを彩る一部分として、頭頂部から肩にかけ伸びている。耳はコウモリのような翼が小さく生え、厚い唇に赤く乗った口紅と、おっとりとした目の片方の目元にはほくろがあった。
「フフフ……。今いいところなのよ。アタシの邪魔しないで……」
ふぁさっと手で髪をなびかせるその女性。指輪が宗仁と結に聞こえるくらいの小声で言った。
「つい最近、最上位の幹部に選出された淫魔、サウメツです……!」
「こいつが……!」
息を飲む宗仁だった。
脱衣所で見かけたこともない少女と鉢合わせした光司だった。
「あまりじっくり見ないで……」
少女は照れ臭そうにそう言った。
白い肌に包まれた細身の体には、さして特徴はないように見えたが、細やかな乳房の膨らみと、長い艶やかな黒髪が光司の脳内を刺激する。
パジャマを腰まで上げるその一連の仕草を光司はまじまじと見つめていたが、少女は止めようとする気配はない。
「もう、お兄ちゃんのエッチ……!」
頬を赤らめ、そう毒つく少女だったがその様子からも別段、本気で光司を嫌うどころか、見られることに悦に入っているように見えるのだった。
着替え終えると寝る時間の前にも関わらず、少女は髪をツインテイルにして、光司の横を通っていった。
「ごゆっくり、お兄ちゃん……」
無言でいる光司の背中で、戸を閉める音が聞こえた。
光司の眼鏡は、風呂場の熱気で曇っていた。
「お嬢様……湯加減はいかがでしょう?」
湯船にゆっくりと浸かる梨央を気遣うのは、風呂場の外の脱衣所にいる宗仁だった。
くつろげることに不便さはないと思った梨央だが、これは一般的な風呂場の広さではないなとも思った。
どこかの屋敷の、広い浴場のような趣がある。
梨央は気に留めず、心地よい湯の温度に身を委ねた。目を細め、次第に意識が遠のいていくと、暗い畳の部屋にいた。
襖の隙間から細い光が差している。そっと隣の部屋をその光の筋から覗いた。
「気が強いときもあれば、他人に気を使うときもある」
隣の部屋も和室だった。誰かの性格を二つほど挙げたのは光司だった。光司の隣には宗仁の姿もある。
「髪型がかわいい……。それに気丈に振る舞って委員長であることを自覚し、周りに心配かけないようにしている」
「そんなの当たり前じゃねえか。俺だってあいつのそういう部分を今まで見てきた」
少し語調を強めた宗仁に、光司はこう質問をぶつける。
「じゃあお前はあいつの何を知ってるって言うんだ?」
「俺なんて時々あいつが家に来て飯を作ってくれるんだぜ? 飯がうまいって言うか、食パンとか目玉焼きだけど、俺はあいつのそういう健気なところが好きなんだ」
光司はチッと舌打ちし、
「長いこと一緒にいるオレたちだが、お前に食事を作りに来てくれてるとはな……。素直に負けを認めてやるか……」
肩をすくめる光司の肩口を宗仁は軽く叩き、
「馬鹿、別に勝ち負けを競い合ってるわけじゃねえだろ……。俺もお前も同じくらいあいつが好きなんだ。だから互いにあいつのいいところを上げてこうっていう話だったじゃねえか……」
光司は安心したように微笑んだ。
そして二人は腕を曲げて、目の前で互いの手を掴み合い、ぐっと体を引き寄せると抱きしめあった。
それを襖の内側から眺めていた梨央は、興奮のあまり勢いづいてつい襖を開けてしまった。
「あ、あんたら、何やってんの?」
梨央、と目を丸くする男子二人。
そして宗仁が梨央に近づきざま、梨央の背中に腕を回した。
「ちょっと……」梨央は赤面しつつ、胸の鼓動が高鳴る。
「ずっとこうしたかったんだ梨央……」
「ずるいぞ、宗仁。お前ばっかり……」
宗仁の後ろで光司が羨む。
「お前もこっちに来て、抱きしめてやれ」
宗仁が促すと、光司は眼鏡を指で押し上げ、梨央の背中側に回った。
そして梨央は二人の少年に挟まれるようにして、ひと塊になった。
ずっとこのまま……ずっとこのままで……。
梨央の幸福感は絶頂の域に達していた。
「お楽しみ中なんだから、あまり邪魔しないでえ?」
サウメツの嘲笑が、宗仁と結に向けられる。他人をこけにするような笑み。結はそれに屈することなく、指輪のはめた右手で宗仁に触れた。
「宗くん。お願い、二人を助け出して……」
「お前はどうする、結?」
「ここで時間を稼ぐ。指輪の力で探知したりおりんたちのところにまで行って」
「わかった、無理するなよ……」
指輪が小さく光った。
「宗仁さん、どうかご無事で……」
すっと宗仁が消えた。同時に結もガンアーツの補助能力で透明化した。
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