第三章 わずかな憩い②
「そもそも、ここがどういう世界なのかがよくわからねえって、さっきも梨央と話したんだけどさ……」
皿を全て洗い終えた宗仁は、光司の拭く皿も残り二、三枚というところだったので、梨央と結のいるリビングまでやって来た。
宗仁の疑問には指輪が答えた。
「皆さんのご両親がいない、ご家族の姿が見えない、というのはそれだけこの世界を構築したナスネーガが必要ないと判断したからなのでしょう」
「そのナスビだか、スネーゲってやつは俺たちに何をしようとしてる?」
宗仁がそう質問する。
「果たして敵の首領が何を考えているのかは私も不明です。しかし状況からいって、現実と比較し環境が緩くなっている。これは警察や、あなた方の両親が存在しないなどといったことを指しますが。そしてそれに気づくまで四人ともしばしの時間を要した……。ということは、ナスネーガは、宗仁さんたちを骨抜きにしようと考えていたのでは、と……」
「骨抜き……」光司が眼鏡のブリッジを指で上げ、
「そんなことしてどうする気なんだ?」
「あなた方に流れるワーブダイ人の血脈を閉ざそうとした……」
指輪のその一言に、一同は閉口したようだった。
「なぜそんなことを……?」
そう述べる梨央の声色は、どこか緊張感があった。
「純粋なワーブダイ人が、混血のワーブダイ人を差別し根絶やしにする……、かつてワーブダイではそうした思想を持ち実行に移す者もいました。多くは粛清されたと聞きましたが、生き残りがおり、それがナスネーガだった……。敵側に通じている私もちょっとした上の立場の者ですが、高位に位置する幹部などから他の者が小耳に挟んだ情報によりますと、ナスネーガは古いワーブダイ人の考えを否定し、より純粋なワーブダイ人のみの世界を創るため、戦争を引き起こそうとしたと。混血のワーブダイ人というのは、あなた方とは異なる人生を送ってきた方のことを言います。あなた方の場合は、ワーブダイ人があなた方の世界に来て子孫を残した。一方で、ワーブダイ人があなた方の世界から同意の上で婚約者となる者を連れ去り、ワーブダイで生活し始めた、という例もあります。あるいはワーブダイへ召喚されたという一例も古い書物に記録があります。異世界人をワーブダイへ招き、特殊能力を与え時の悪しき権力者とその配下を倒した……。どうやらナスネーガは、異世界人であるあなた方が気に入らないようで、その一貫として、こちらの世界にいるあなた方ワーブダイ人の末裔をも殺そうと画策した……」
ごくり、と宗仁は固唾を飲み込んだ。
「だとすれば、ナスネーガ自身はこの世界にはおらず、むしろ三人の幹部に余所から指令を下しているだけの存在なのではないかと思われます……」
「根絶やしにしたとして結果的にどうなるって言うんだ?」宗仁が聞いた。
「以前から成し遂げようとして、なし得なかった理想……。それが『異世界侵攻計画』……。ワーブダイという世界だけにとどまらず、この宗仁さんたちの世界にまで手を伸ばし、支配下に置く……。それが恐らくナスネーガの狙いです」
「何てこと……」結がため息混じりに呟いた。
結にしてみれば、子供の頃からトミに教えてもらっていたであろう、ワーブダイ人の魅力などが、ナスネーガという悪の登場で幻滅しかけたに違いない。
宗仁はそんな結を元気付けてやりたいと、一人、袖をまくった。それがソファに座っていた他の三人にも映ったようで、梨央が真っ先にその謎の所作を指摘した。
「あんた、何するつもり?」
「いや、みんな疲れてるだろうかと思ったもんで風呂でも沸かそうかなと……」
「それはありがたい……」結の表情がぱっと明るくなった気がした。
「じゃああたしたちは、近くのコンビニで下着でも買ってこようかな……」
梨央が言うと光司も同じく、
「俺も、普段から使ってる整髪剤とか買ってくるか……」
そうして、宗仁は風呂を沸かしに、他の三人はコンビニへ向かった。
空を飛ぶまでもない距離だった。結の呪符で三人を包む障壁も作れたが、三人は飛行という移動手段で、コンビニへと向かった。
道中、光司が話す。
「結の呪符があれば、歩きでもよかったんじゃないか?」
「呪符は昔おばあちゃんが作り溜めたもの。数に限りがある。だから歩きでもいいという意見には賛同したいけれど、敵に囲まれたり、昼間のように幹部クラスが出てくると厄介」
「障壁の意味もなくなるってことね」梨央が言った。
「そもそも飛行でコンビニ行くならこんな格好せずともよかったんじゃないか?」
梨央はツーサイドアップからポニーテールにし、サングラスと白いマスクを着用、結はパーカーのフードを目深にかぶり、黒いマスク姿で、光司にいたっては眼鏡からコンタクトにし、長髪のウィッグを頭から下げていた。
「念には念をってやつよ」
サングラスとマスクで梨央の表情は見れない。何となく光司には梨央が嘲笑しているような気もした。
女装に近い装いに、梨央も絶対笑ってるだろう、と光司は思った。
「りおりんの名案だと思う。敵はすでにこちらの顔を知っていると見ていい。どれくらいの日数かは数えていないけれど、近隣の人にまでわたしたちの顔は知られているということは、そのまま敵にも知られていると考えるのが妥当」
「ま、まあそうだけどな……。でもどのみち、空を飛んでいたらオレたちだってわかりそうな気がしなくもない」
コンビニ前の交差点についた。横断歩道手前の建物の影に降り立ち、こそっとコンビニを見やる三人。
「特に異常はなし……行ってみる?」
度胸試しとも取れる梨央の言い方だった。
ちょうど信号が青になった。それに釣られる形で三人は横断歩道を渡りコンビニ前の駐車場にやってきた。
「もしかしたら、日向子ちゃんや、宗仁のお母さんのを着るって手もあったんじゃないか?」光司がそう提案する。
「コンビニに行けるっていう選択肢があるなら、そこは遠慮するべきよ」梨央がサングラスに指を触れた。
「勝手に人様のうちのタンスを調べるとか、ちょっと考えものだし。家族だからって理由で宗仁に出してもらうのも何か嫌じゃない……」
「梨央さんの言い分ももっともです。幸い夜とあってかひと気も少なく、気を付けるとすれば、店員くらいなものでしょうか……」指輪が梨央の考えに賛同した。
光司たちがコンビニに行っている間、宗仁は湯船に湯を溜めていた。
自動湯沸し機なので、リビングにいながら機器からの合図を待つだけだった。
宗仁はふと過去のことを思い出していた。
月欠山の中腹に作った秘密基地。あれは確か小学校高学年くらいだっただろうか。
「お前も見たのか?」
「見た見た」
ある日の朝、宗仁の問いに光司はそう頷いた。
「あたしと結も見た」
梨央の台詞に、宗仁の胸は高鳴った。
その日、四人全員が同じ夢を見たのだ。
前日に月欠山に登って、秘密基地を造る場所の下見に来ていた四人は、目ぼしい場所を見つけそこに基地を造ろうかという算段を立てていた。
その晩、基地を造ろうとしていた土地から眩い閃光が瞬くという夢を、当時から仲の良かった四人全員が同じ夢を見たのだ。
夢の中では昼間だったのだが、それでも閃光のまばゆさは、起床したあともずっと心に強い印象を残していた。
浴槽に湯の溜まる音が、リビングのソファに座る宗仁の耳にまで届く。
あの時のことは今でも鮮明に覚えている。
当時、光司たちとは夢で光を発していたあの場所に基地を建てるのは不思議なことが起こる前兆のような気がして、心持ちはどこか愉快だった。
しかし結の話では、この皆平市において秘密基地はなかったと言っていた。
それが何を意味するというのだろうか……。
考えながら時計を見ると、光司たちの戻りが若干遅いように思えた。
「店員が女の人でよかったあ……」
梨央が胸に手を当てていた。
「……変装もばれずに済んだ」
結もほっとしている様子だ。
無事三人の買い物は終わり、コンビニの駐車場で一緒に買った飲み物を飲みながら言葉を交わしていた。
「さっさと帰ってこの変装も解きたいんだがな……」
「リア充の光司がまさか女装に近い恰好をしていただなんて広まったら、あんたの周りにいる女子はどう反応するんだろ?」
マスクを顎にかけた梨央が言う。やはりからかっているようだと、光司は心で地団駄を踏んだ。
「さあ、帰るぞ!」
光司が先に空を飛んでいこうと、地を蹴った。
待ってよお、と光司を追いかける梨央と結。
コンビニの看板の上にひっそりと佇む人の影があった。それは光司たちの様子をじっと眺めるサウメツだった。
「見つけた……!」
サウメツは頬に怪しげな笑みを刻んだ。
宗仁の家まで直線では五百メートルといったところか。
光司を先頭に、結や梨央はそのあとに続き、三人とも夜の町並みを眺めながら飛行していた。
体を水平にして飛びながら、宗仁の家が近付いてきていたところ、急に辺りが霧に包まれていることに光司は驚いた。
「ちょっと大丈夫?」
後ろから梨央の声が聞こえるも、霧で梨央や結の姿はすでに見えなくなっていた。
「梨央、結、いるか?!」
声を張り上げても二人の女子の気配すら感じなくない。
「まずい……。これはまさか敵の……?」
後ろを振り返っていた光司は、前方に体を振り向かせ、視界に入れていた宗仁の家を確認しようとする。
白い霧の中、宗仁宅の明かりが仄かに見えた。家の影も薄く確認でき、宗仁に助けを求めようと急いで向かった。
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