第二章 初陣④
崩壊した結の自宅。その瓦礫の中から宗仁は痛みと気怠さが同伴する体を動かし、木材や壁面などの下敷きになっていた結を引きずり出した。
結のいたるところに痣ができている。出血もし、多分骨折もしているだろうと、宗仁は覚悟を決めるための深呼吸をして、ヒールアーツで結の治療を始めた。
結の痣や傷口から滴る血と、傷そのものを塞ぐと、思っていた以上の疲労困憊が訪れ、極度に痛覚を刺激された。指輪が宗仁の安否を気遣う。
「だ、大丈夫ですか、宗仁さん……」
「死ぬかもしれない……」
言いつつ、横になる結に背中を向け歩き出した。
「どちらへ?」
「光司のアシストに回らなきゃなと思ってな」
「ヒールアーツを操るあなたが、なぜそこまで治癒した者の痛みと怪我を自分に移すという無駄なことになったのか、私にはわからないのです」
「ヒーラーが切り捨てってことじゃねえか? 俺たち四人全員、使えなくなったら見捨てる。そういうことだろ、指輪さんよ」
「そんなこと、あってはなりません!」
指輪が力を込めたように言う。
「尊ぶべきあなた方が消耗品であるはずがありません。私個人の記憶をほじくり返します。そこであなたのそのアーツの正体を調べますので、どうかそれまで……」
「安静はできねえだろ。光司が一人戦ってんだ……」
宗仁はよろめきながら裏庭を目指した。
「実に興味深い。お前たちのそのワーブアーツ……」
ほぼ無傷と言っていいほどのダイダガの様子に、光司は戦意を喪失しかけた。口をわずかに開けながら、ただダイダガの頑丈さに見とれる。
「効いたかと思ったが、それほどでもなかったな。……次は私の番だ」
くっ、と慌てて光司はダイダガの頬にパンチを食らわした。しかし、
「私たちの操る力もワーブアーツ、お前たちと変わらない。私はその力強さゆえに、手加減をしないと、生活に不便が出るほど物を壊してしまう。食器や蛇口など何度壊したか……それを抑えるために、私はこの顔や容姿を変える必要があった。肉体そのものを変化させ、力を抑制させるということだ。今、それを解く」
述べた途端、ダイダガの腕と脚の筋肉が、一気に倍にまで膨らんだ。顔も眉目秀麗から一変し、蛇のように変貌した。
ニチャア、と涎を垂らすダイダガに、光司は宙を浮きながら後ずさった。
重い一撃が光司の片方の頬を穿つ。
仰け反らないのであれば、そのまま攻めに転じようとするも、指輪の言っていたとおり、痛みは如実に感じた。それが強すぎて、次撃を躊躇した。
さらにダイダガの攻撃は続いた。光司の体は揺れ動かないサンドバックのようだ。
そして光司がダイダガの大きな一撃を顔面に食らったとき、それはダイダガとの死闘の終わりを意味した。
「外からすごい音が聞こえてくる……」
竹林の中の地下室。梨央は腰を床につけながら、友達が戦うそばで自分は何をやっているのだろうと、物思いにふける。
大きな破裂音が聞こえたり、地震のような揺れが体にまで伝わってくる。
――ファンタジーなんてあたしは信じない……。
中学生の時まではファンタジーに依存していたように思う。
現実の男、とかく同世代の男子ときたら、汚いし、下品だし、子供だし……。
漫画やテレビアニメに傾倒し、グッズも少ない小遣いで何とか買い揃えようと努力した。
全部買えと言わんばかりに現れる多くの関連グッズに、湯水のように金を使い結果的には何も残らなかった。
いや、物体としてはそこにあったのかもしれない。だが心は渇いたままだった。
満たされないまま季節を一つ終えるごとに変わる深夜帯のアニメ。その中でもことさらハンサムな男性キャラクターたちがアイドルを演じるストーリーに梨央は虜になった。
だが、現実と言えば……。
学校へ行かなくなり、部屋にこもりがちになると、日がな一日、テレビアニメを夢中になって見ていた。
ただそれだけだった。
何も残らない空っぽの毎日。
そこへ王子様は現れた。
父の声が梨央の部屋にまで届く。
「宗仁くんが来たよ!」
現実の男……。
激しく嫌悪していた存在だった。しかし宗仁を思い出すとそれに釣られて出てくるのは、男性に対する自分の偏見じみた固定観念ではなく、いつも優しく接し助けてくれた宗仁という存在が上がる。
迷った末、宗仁を受け入れた。
自室は汚かったので、リビングでお茶をすすりながら宗仁と話していると、それだけで励みになる。そこで梨央は気付くのだった。
現実にもヒーローはいる。心を委ねられる王子様、アイドルはいる。
それが桜坂宗仁だった。
梨央は未だ自分のものと目される、ワーブェポン――岩の塊――に視線を投げていた。
――ファンタジーなんてないのが普通。あたしのファンタジーがあるとしたら、それは宗仁しかいない……。
梨央は岩塊から目を背けた。
最期の大打撃――。
ダイダガからの冥土の土産か……。
片側の頬に深く撃ち込まれた拳。仰け反らないから、吹き飛びもしない、背中も丸まらない。そんな能力があるにもかかわらず、光司は地へと落下していった。それは光司の能力を度外視した攻撃によって、機能が働かなかったのではなく、空中で力尽きたからこそ起きた現象だった。
背中から地上へと落ちた光司に、脚を引きずりながら宗仁が近づく。
何度か深呼吸をして、仲間から散々もらった痛みに悶絶しながらも、宗仁は治癒能力で光司を治した。
どくっと心臓が揺さぶられた気分になる。胃袋からの吐瀉物に、激しく咳き込む。目には涙が溜まった。
最中、指輪からの念話で、ある事実を知らされた。
――パージです、宗仁さん……。あなたのその痛みは、蓄積させ放つことができるのです。それがあなたの補助能力〝ペインパージ〟なのです!」
空中ではダイダガは目を光らせていた。勝利を確信した笑みは、顔中にできた出来物と共に汚らわしく歪む。
「敵は寡兵、戦意もなく、我らに勝算あり! 全軍私に続けえええっ!」
わああああっと大声をあげて、宗仁へと突撃するダイダガと数多の兵士たち。
たった三人の敵にここまでてこずることはなかった。しかしこれで我が主は、再び安寧を取り戻すことができる。
確信しダイダガの顔に思わずこぼれる笑み。
腕輪を付けたあの少年は、恐らくヒーラーだったのだろう。
たいした敵ではない……!
確信を胸に、ダイダガは宗仁へと突っ込む。
宗仁の片手が、ダイダガの方へと向けられた。ダイダガの後方には、数百の兵士たちが連なる。
「ペインパージ!」
その一言で戦況は一変した。いや、一変したというより、勝敗を決した。
軍配が上がったのは宗仁たちの方だった。
宗仁に山積した痛みが、何倍にも膨れ上がって赤く右手から発射されたのだ。
「それが宗仁さんの隠された力……。ただ無駄にダメージを負っていたわけではなかったのです……」
赤い光の帯に飲み込まれるダイダガと数百の兵。彼ら一人ひとりが火球となって次々と爆ぜていく。
ダイダガとその兵士たちは塵と化し、そこには夕刻のオレンジ色の空が広がるだけとなった。
「そうか……」宗仁は両の手を広げ自分に見せつけた。
「これが俺の力、か……」
「……ようやく死んでくれた」
暗闇に映えるシルエット。体つきからいって女性のようなそれは、毒付くように呟いた。
「これで最高幹部の席が空きやしたね、サウメツさん」
闇に紛れて今度は男の声が響く。女はサウメツという名のようだ。
「譲ってくれるって約束だったわよね? ラーシグ」
巨漢のラーシグは頷き、
「もちろんでさあ。しかし最高幹部なんてめんどくさそうな役職によく付けますなあ」
「あら、上に行けば行くほど仕事が減るって聞いたわ。だから暇つぶしに男でも釣ろうかなって思ったのよ」
へえ、とラーシグの目がサウメツの豊満な胸元へと注がれる。
「ま、何にしても堅物がいなくなって、あっしの肩の凝りもようやくほぐれてきたってもんでさあ」
二人の利害は、ダイダガの死をもって一致したようだ。
夜闇に包まれる円筒状の建築物の最上階で、二人の幹部は高らかな笑いを上げるのだった。
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