第二章 初陣③

 トミが晩年に作ってくれた、和武陀わぶだ様を模したお守り。通学バッグにアクセサリーのように引っかけたそのお守りが、いつだったか悪友たちにいたずらされた。

 中学の頃だった。外は雨が降りじめじめとした気候の中、結はクラスでもリーダー格の女子に絡まれた。

 ……ほら、その何とかって変な神様があんたを守ってくれるんでしょ?……

 ……何も起こらないじゃん!……

 ……こうすれば助けてくれるんじゃない?……

 一人の女子が、地に放った和武陀様のお守りを何度も踏んづけた。

 それが、結の静かな怒りに触れた。

 その当時、トミはすでにこの世を去っており、自分には味方はいない気がした。

「やめて!」

 ひたすらに踏んづけられる和武陀様を守ろうと、女子を制止しようとした。 

 その時――、

 雷が校庭に落ちた。凄まじい轟音を学校中に響かせ、結をいじめていた女子たちは慌てて廊下へと出ていった。

 それが、和武陀様の力かどうか、今の結にもわからないままだった。

 だが現状を見てみれば、つい昨日までいつも暮らしていた皆平の町の自宅に極端な異変が起きている。話す指輪。ワーブアーツ、ワーブェポン、そして、引き金を引くと出ていく銃弾。全てが非現実的で、この世のものとは思えないことばかりだった。

 ――これが和武陀様の力なら、今まで拝んできたものが嘘ではないということ……。

 馬鹿にされてきた自分や、和武陀様を改めて信じられる機会が巡ってきた。

 そう、これはチャンスなのだ……。

 和武陀様を拝んできたこととトミが言っていたことを試し、自分がその教えに帰依できるかどうかの……。


 ――話が違くねえか! 指輪! 聞こえてんだろ?

 宗仁の念話に、はっと我に返る結。

 ――どうされましたか?

 ――光司が吹っ飛んで行ったんだよ。さっきの話じゃ仰け反らないってことだったろ!

 ――それは恐らく、ワーブェポンとの結合が不安定だからでしょう。私も結様たち三人がうまく結合できたのだとばかり思っていましたが……。

 宗仁は地上すれすれを浮遊していた。三軒向こうの家に激突した、光司を助けるためだ。

 結と隣家との境にあるブロックをなんとか越えていくが、痛みや疲労感は治まる気配はない。息を切らしつつもその状況で浮遊することができた自分を少し褒めてやろうと思った。

 ――何とかうまく飛べているな……。飛べているというか浮遊しているというか……。

 背後から何者かの気配を察知し、そちらに視線を配った。

 ナスネーガの雑兵が三体、近づいてきている。まともに見るのは初めてか。

 顔が高速にブレているかのような奇妙な顔貌だった。手には銃らしき黒い物体を持ち、徐々に宗仁へとにじり寄っていく。

 ――く、そ……。

 力が出なくなり、宗仁は隣家の庭に座り込んだ。


 あいつには助けられてばかりだ……。

 結の家から三軒ほど離れた民家に激突した光司は、幼い頃からあいつに助けられているばかりの自分に、嫌気がさしていた。

 何が回復役だ……。

 自分なんかよりも、宗仁の方がこの力にふさわしい。

 幼少の頃から宗仁は光司に世話を焼いていた。梨央や結も宗仁と接する機会が多く、強い正義の味方として宗仁を兄貴分に見ていた。

 しかし、中学時代。人をコケにするかのような光司の鋭い目つきは、クラスでも敵を作った。光司の上から目線の言動も、多くの男子に反感を買った。

 ある日、激情にかられた男子たちに囲まれ、殴られるか蹴られるかされるだろう思っていると、

 ……宗仁はこないぜ?……

 ……いつも宗仁と一緒にいるもんなこいつ!……

 ……こんな弱い奴に触ったら弱い菌が移っちまう……

 下品な笑声を光司に浴びせ、男子たちは去っていった。

 放課後、気落ちした顔で部活終わりに宗仁と帰っていると、自然と涙がこぼれた。

 前を行く宗仁はそれに気づいていない。

 ――オレはいつか、あいつを越えてやろうと思った……。

 倒壊した家屋の中で瓦礫に埋もれながら、光司は今一度決断した。

 あいつに守られてばかりでは、この先生きてはいけない、そんな気がしたからだ。

 他人に身をゆだねるより、自力で何とかしていく。その方がかっこいい。そんな思いを抱いた原因は、女子に好意抱かれたからだと言える。

 いつまでも宗仁の力に頼っていては、女子たちにいい顔ができない。それならば――。

 

 ――結合がうまくできていないんだったよな、指輪?

 そうです、と光司の念話に指輪が返す。

 ――なら、やってやる! 今度はこのオレが宗仁を守る! いつまでも守られる奴だと思うなよ、宗仁!

 瞑目し、瞼の向こうを見つめ続ける。 

 ――たしか、こうやって瞼の奥を見つめるんだったな……。

 ふいに光が射した。瞼を覆う、瑞々しい緑を生やす木々。路傍に咲く小さな花々。地面に張った水たまりには、青空が反射する。

 光司の思考は没入していく。

 雨にも風にも負けない、どっしりと構える大地。隆起した土地を行き交う野生の動物たち。

 赫々と炎を迸らせる山の頂――。

 今の自分の感情、すぐにでも行動に移したい事柄は、その炎のごとく――。

 体中が熱を帯びている。覆いかぶさった瓦礫を、拳一つで吹き飛ばすと、半壊した家から出る。結の家の方向に宗仁がうずくまり、その周りにナスネーガの兵士と思しき三体がいた。

 光司は歩きながら、離れた敵へ素早く拳を突き出した。手から放たれた緑色の光弾が、三体の兵士たちに風穴を開ける。

 ぼろっと崩れ落ちる兵士の残骸。

 光司は地べたに座る宗仁に手を差し伸べた。

「オレに助けられるなんてお前らしくないじゃないか、宗仁」


「どうやら光司さんの結合が上手くいったようですね。

 指輪の言に、結は胸をなでおろした。

「よかった……」

 結は前方のダイダガに視線を添える。まだこちらには気づいていないようだ。

「ダイダガはパワーのある戦士です。私たちに気付かなくとも、この家もろとも吹き飛ばそうと考えれば、いくら透明化している私たちでも、それに巻き込まれてしまうでしょう」

 指輪が言っているそばから、ダイダガが手先をこちらに向けてきた。

 軋む音を立てる結の家。少しずつ家を支える柱が傾いていき――。


「逃げましょう、結様!」

 指輪の掛け声に結は了承し、屋根を滑って下りていく。しかしその最中崩れかかる家の壁などに巻き込まれ、危うく下敷きになりそうになった。

 それも束の間。何とか着地した結の体に木材や壁の一部が圧し掛かってきた。

 結は悲鳴をあげた。


「やはりもう一人いたようだな……」

 透明化した少女を目にしたダイダガは、四人いるうちの三人を視認したことを確かめたが、残りの一人は……と探しているそばで、顔面に鉄拳を食らった。

 ズシン、と空中で地響きでも起きたかのような殴打を見舞ったのは光司だった。

 ダイダガにしては大きく仰け反り、光司は自分の力の異常なまでの力をひしと感じていた。

「勝てる……!」

 ぎゅっとこぶしを握りしめ、態勢を戻したダイダガに肉薄する。

 何度もダイダガの腹や胸にパンチを食らわしていく。

「ぐおおおおっ!」

 ダイダガの目が大きく見開かれ、光司の拳の味に意識が遠のいていっているように見える。

「はあああああっ!」

 重い爆発音が二人の周辺に響き渡った。光司の握り拳がダイダガの腹部に深く入ったのだ。

 光司はダイダガの整った顔に、痣でもつけてやろうと右足を回した。

 肘を曲げてそれを食い止めるダイダガ。

「クックック……。面白いな異世界人……」

 口許から青い血を流すダイダガが、光司を異世界人と呼んだ。相手にしてみればこちらが異世界となる。昨今の小説やアニメで異世界というと、どうも中世ヨーロッパを彷彿とさせる向きがあるが、今はそんなことを考えている暇はない。

 今度は、先刻この目で見届けた緑色の光弾でダイダガを倒す、と光司は意気込んで、両手を前後に動かしながら間近にいるダイダガに光弾を浴びせていく。 

 ワーブェポンから自分が発出させた攻撃などに補正がかかると指輪が言っていた。

 敵を目の前におじけづくことなく、また、光弾も外すところがないのを見るに、これが補正というものだろう。

 ところが――、

 疲労が生じ、寸陰手を止めた光司の額には汗が滲んだ。

 息が切れていることに気づくも、光弾を浴びたダイダガの姿が煙で見えなくなったことに、やや焦りを感じた。

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