第一章 告白④

 翌日。

 土曜日の朝、ベッドから起き上がる直前、結にファインでメッセージを送った。

 学校は休みで、結から返事が送られてくる可能性はあるといえばある。

〈体の調子はどうだ?〉

 すぐに返事は来なかったので、部屋から出ようとドアノブを掴んだ途端、宗仁の耳朶に聞き覚えのある音が触れた。 

 ――これは……。

 と、音がする方――宗仁の隣の部屋へと近づく。

 ノックをしようと手を伸ばした。扉を叩くのさえ何となく抵抗があった。だが、そのこと自体に首を傾げる。ここは自分の家であって、この部屋はその自分の家の一部なのだから、ノックもなにも普通に入っていけばいいのだ。

 思いながら扉を開けた。

 部屋の脇に、淡いピンク色の縞模様のシーツを被せたベッドがあり、可愛らしい動物の人形が数体床に転がっている。

 フローリングに敷かれた水玉模様のカーペットと、部屋の奥には本棚と押し入れがあり、音を発する何かは、その本棚の下にあった。

 誰の部屋か、と思うと直ぐ様、家族の誰かの部屋だと思い、ここにいることの違和感を覚えることなく、相変わらず鳴り響く音のところへ歩いていく。

 そこにあったのは小さな四角い籠だった。

 音の正体は、丸い車輪のような物体がくるくると回転している音だった。

 その小さな遊具を見て、宗仁は瞬時にそれを回している動物を発見した。

 ハムスターだ。

 そう言えば数日もの間、このペットの存在を忘れていたような気がしたが、果たしてどれくらいの間、忘れられていたのだろう。

 見た感じ、籠の下に敷かれた新聞紙は、糞や尿などで汚れておらず、籠の脇に付けられた給水器も満タンだ。

 それを見てすぐに籠の中の清掃はしなくていいのだと思い、宗仁はペットの名を口にした。

 不自然に思うことなく、普通に口からその名が放たれた。

「ロドリゲスう……。元気にしてたかあ?」

「おかげさまで……」

 一瞬、ギクリと驚いた。

 ロドリゲスが声を発したのかと思ったが、ロドリゲス? と尋ねるようにペットの名を口にしても、当然ながらハムスターは何もしゃべらなかった。


 ハムスターのロドリゲスと軽く戯れたあと朝食を作り、食べ終わってから自室でテレビを見ようとした。

 部屋に入るとベッドの上に放っておいたスマートフォンが鳴動した。

 梨央からファインにメッセージが届いていた。

 画面をフリックし、メッセージを読む。

〈ごめん。ちょっと体調悪くて休んでた。メッセージも今気づいた〉

〈大丈夫か?〉宗仁はそうメッセージを送った。

〈大丈夫。心配おかけしました〉

 かわいらしい猫のスタンプが張り付いた。

〈いやいや。重病ではなかったみたいでよかった。ところで、結はどうした?〉

〈あの子も体調崩したみたいよ。治ったって言ってたから、あんたんとこにもすぐ連絡来るんじゃないかな?〉

〈それなら大丈夫かな〉

 などと、やり取りをしたあと、しばらくして結からも連絡が来た。

〈色々とごめんなさい〉

 続けてこう送られてくる。

 ペコリとの文字と一緒に丸い顔のキャラクターが頭を下げているスタンプが張られ、

〈心配おかけしました。風邪だったみたい〉

〈完全に治ったか?〉

〈治った。今日時間空いてる?〉

 宗仁は一度視線を上方へ向け、少し思案した。

 もしかしたら、告白の返事をしてくれるのかもしれない……。

〈スンゲーヒマ〉そう返答すると、

〈少し付き合ってもらいたいことがある〉

〈付き合うってどこに?〉

〈お昼にわたしの家に来て。大事な話がある〉

 大事な話とは何だろう? 少し不審に思った宗仁だったが、結がこうして連絡してきたことのほうが嬉しく、心持ちは変わっていった。

 何かサプライズなことでもしてくれるのではないか? それはやけに前向きというか楽観的な考え方だった。可能性として断られてしまう恐れもあるというのに……。

 だが、宗仁は結のお誘いに乗じた。

 疑う以前に、結に好意を寄せる身として、これはデートができるチャンスでもある。

 交際を断られたとしても、それが好きな人の思いだとするなら、素直に受け入れよう。誘いを拒否するようなことがあれば、それこそ、好きな人の思いを無下にしてしまっているのと同じだ。

 宗仁は静かに息を吸い、吐き出した。覚悟を決め、結にはこう返した。

〈わかった。昼にそっちに行くからな〉


 宗仁の住む皆平市は、わりと平地の広がる土地だった。宗仁や結たちの住む近辺は緩やかな傾斜になっており、市の南側にある月欠山の麓の近くでもあった。月欠山の標高はあまり高くなく、子供の頃に遊んだ秘密基地がひっそりと隠れるようにしてある場所だった。

 土曜日の正午――。

 宗仁は徒歩で十分ほどのところにある結の家へと足を向けた。

 ついにこの日が……。

 心拍数が上がるのを感じる。胸部に妙な不快感を得ながら、結からどんな返事が来るか、そして今日はどんな日になるのか、想像は膨らんでいく。

 こういうとき、不思議と心は断られた瞬間というものを想定する。

 瞑目しつつ、そうした頭を駆け巡る妄想や憶測を吐き出すために、深く溜め息をついた。

 頭を整理し、落ち着くのだ。

 目を開け歩き続ける。

 突如、サイレンの音と共に、防災無線がどこからか聞こえてきた。

〈こちらは、防災皆平です……。ナスネーガ様の、命令により、桜坂宗仁、新庄光司、岬梨央、綾鳥結の四名を、捕まえてください。捕まえた者には、賞金、一億円を贈与します〉

「な、なにそれ……」口を開けて宙を見つめる宗仁。

〈くりかえします……〉

 再度防災無線が、宗仁たち四人を捕まえろと呼びかける。

 結宅の少し離れた場所にまで来ると、結の家の玄関先に人が群がっているのが見えた。人だかりの数人が宗仁に気付き、走り寄ってきた。

「宗仁くん、大人しくナスネーガ様の元へお行きなさい」

「おじさんたちが車で送ってあげよう……」

 ナスネーガ……? 宗仁は先ほど耳にした防災無線でも同じ名前が聞こえたことを思い出した。

 群がっていた人々が、宗仁に掴みかかるようにして囲んできた。

 二階の窓が開けられ、結が顔を出す。

「宗くん、少しじっとしていて!」

 結の手には札があった。それを階下の人の群れに投げ飛ばすと、玄関前にできた人だかりの頭上から光が半円を描き、人々を包み込んだ。どうやら人々の動きを封じる効果があるようで、彼らはその中から出られなくなった。

 宗仁はその様子に内心驚きながらも、何とか門を潜って、玄関の戸を閉めた。

 階段から結がおりて来、結宅のリビングからは光司と梨央が出てきた。

「ようやくお出ましか、宗仁……」

「お前もその分じゃどこも怪我してなさそうだな」

「みんな無事みたいね?」

 案ずる梨央に宗仁は視線を向け、

「梨央も怪我してないみたいだな」

 宗仁は靴を脱ぎながら、

「一体何がどうなってる?」

 結にも尋ねてみる。

「ナスネーガってなんだ?」

 再度、別の言葉で聞いてみた。


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