第一章 告白②

 目覚まし時計がやかましく喚く。

 なんてことはない。スイッチを押せば、喚くのをやめてくれる。

 腕を布団の中から取り出して、頭上にあるはずの青い時計に指先を触れさせようとした。

 ところが、その先に時計の感触はなく、必死に腕を伸ばし続ける。

 布団に潜り込んでいた宗仁は、布団の隙間から、見覚えのある人影を見つけた。

 人影というより、通っている学校の制服のスカートだ。そこからしなやかに伸びる両脚。少し焼けた健康的な肌――、確かめずともその脚の持ち主が声を放ってきた。

「ほら、ちゃんと起きないと、目覚ましずっと鳴り続けるわよ?」

 岬梨央だった。両親が出張することの多い宗仁の家に時々押しかけては、こうして起こさせたり、朝食の準備をしたりなどしてくれる。

 そうか、と眠気がまとわりつく頭の中で理解した。

 梨央が時計を持ち上げているのだと――。

 宗仁は棒読みで、

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおお」必死の形相で手を伸ばす。

「ほーれ、ほーれ。はよ起きてみい!」

 そしてようやく覆いかぶさっていた布団をはいだ。

 時計の音が止んだ。宗仁が起きたのを確認すると、梨央がそのやかましい音を止めてくれたのだ。

 宗仁は、朝にも関わらず世話を焼いてくれる同級生を目をこすりながら見やった。

 茶髪の長い髪は、ツーサイドアップに結われ、細い眉の下の強気な色を含めた瞳は、梨央が普段から宗仁に見せるおなじみの表情だ。自然と宗仁の視線は膨らみのある梨央の胸部へと向くが、気付かれないようすぐに目をそらし、

「……朝にもかかわらずよくもまあ、俺のところに来てお節介焼いてくねえ」

 乱れた頭を指先で整えながら、漠然とした感覚で宗仁は言った。

「毎朝ずっとじゃないしさ。時々こうして来てあげてるんだから、感謝くらいしなさいよ」

「めんどくさきゃ別にいいんだぜ?」

「何言ってんの……。女の子がこうして来てくれること自体、特別と思いなさいよ」

 そうなんだけどさあ……、と苦笑いしながら立ち上がると、梨央は時計を元の位置に置き、

「んじゃ、下に行ってるから」言って階段を降りていった。

 制服のブレザーに着替え、階段を降りながら、昨日の夕方のことが脳裏をよぎると、否応なしに、緊張感というものが空腹と共に胸の奥で蠢いているようだった。

 果たして、今日学校に行ったとして、結はどんな感じで自分に接してくれるのだろう。

 リビングにあるテーブルに腰かけ、梨央が作ってくれた朝食を俯瞰した。

「先食べてていいよ」

 キッチンで食器を洗う梨央の言葉に、おう、と返事をしつつ、きつね色に焼かれた食パンに手を伸ばす。焼いたソーセージ二本と目玉焼き。コップに注がれた牛乳。宗仁の前の席には、同じメニューの置かれた梨央の席がある。

 マーガリンとジャムを塗り、口へ持って行きながら、宗仁は女心という異質な存在に少しだけ興味がわいた。告白の返事に時を設けた女心とはいかばかりか、食パンの端っこをかぶりつき、咀嚼しながら梨央に話しかける。

「告白して、その返事に数日の猶予を与えるっていう女心、梨央はどう思う?」

「食べながら話さないでよ」

 何か洗い物をしていた梨央が、蛇口をひねる音をさせたあと、スリッパを鳴らしながら、宗仁の前の席に座った。

「まあ、私だったらすぐ返事するけどなあ。複雑な心境なんじゃない? 例えば、相手のことがあまり好きではないけど、告白されて急に意識しだしてしまったとか。それかはっきりお断りする心構えを作ってるとか」

 宗仁は牛乳を一口含み、

「何かやっぱりあれだな。猶予を与えられるってマイナスなイメージしかないんだな」

「お断りするっていうのも勇気がいることだからねえ」

 梨央は言って、ソーセージをフォークで刺すと、

「そんなこと聞いてなんかあったの?」

「いや、昨日、告白してさ」

「誰に?」

「結……」

 手を滑らせたのか、梨央はソーセージを突き刺したフォークを、皿の上に落とした。

「マジ?」目を丸くする梨央。

「あ、ああ。何かまずかったか?」

 しばらく硬直したままの梨央の仕草は、宗仁にとっては思わず首をかしげたくなった。

「そ、それで……」と宗仁は再び口を開き、

「何日かの返事待ちを告げられてしまってさ……」

 ふーん、と梨央の様子が変わった。ぶっきらぼうな相槌を打つと、手早く目玉焼きやソーセージを口へ運んでいった。

「ふられちゃえば?」

 え? と冷淡な梨央の言いように思わず聞き返す。

「何言ってんだよ?」

 ふん! と梨央は鼻息を荒く吹かせ、今度は食パンを手にした。

 その時、皿の横に置いてあった梨央のスマートフォンが反応した。

 左手で食パンを持ち、右手でスマートフォンの画面を開く。

 食パンを食べながら、梨央の咀嚼が止まった。

「え……、嘘……」微かな声で梨央はそう呟いた。

「どうしたんだよ?」

 メッセージをやり取りするアプリ、ファインを開いたのだろうか? しばらく梨央は画面に見入ったり、指先を動かしたりしていた。

「ごめん、今日あたし、先に学校行くわ……」

 梨央は、食べかけの食パンを皿の上に置き、目玉焼きを乗せていたそれら食器を持ち上げると、シンクの方へ持っていった。

「委員長の仕事か何かか?」

「まあ、そんなとこ」


 結を意識し始めたのはいつ頃からだったろう。

 光司と梨央、そして結を含めた三人とは幼い頃からずっと一緒だった。

 お菓子を買いにコンビニへ行くのも、公園で遊ぶのも、幼稚園から小学校まではずっと彼らと行動をともにした。

 梨央と結とは中学は別々だった。

 高校の受験勉強の時、宗仁の目標だった高校へ進学すると決めると、再び梨央と結と合流し、勉強会をよく開いた。勉強ができない宗仁が足を引っ張る形となったが、できない部分をちゃんと理解するまで、結は親身になって教えてくれた。深夜に及ぶこともあり、その時はすでに光司と梨央は帰宅していた頃合いだったから、結の家まで送ったりしたこともあった。そうこうしているうちに、結を好いたのだと宗仁は感じていた。

 もし、結と恋人同士になれたとしたら、一緒にどこかへ出かけて、一生に残る思い出を残せたとしたら――。

 宗仁の心は、結への溢れそうな思いで一杯になった。

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