第三章:運び屋と車椅子の少女 ~路地裏の断罪者~

「リムル、今日も一日、頑張ってはこぶぞ。お前の好きな甘いお菓子のためにもな」


 レインは背負った巨大なバックパックの紐を締め直し、傍らの車椅子に声をかけた。


「おーっ。あまいもの、いっぱい」


 車椅子にちょこんと座る、銀色の髪をした口数の少ない少女――リムルは、小さな拳を握り、そう応じた。その瞳は、年の割に多くのものを見てきたかのような、不思議な深みを湛えている。


 私の名は、レイン。しがない運び屋だ。背中に担いだこの巨大なバックパックには、お客様たちから預かった、大小様々な大切な荷物が詰まっている。


 私の仕事は、どんな場所へも、どんな相手へも、確実にその大切な荷物を届けること。それが信条だ。


 そして、この車椅子に乗った、どこか儚げな雰囲気を持つ銀髪の少女はリムル。彼女とは、とある事情で知り合い、今は行動を共にしている。彼女は自分の足で歩くことができないが、その代わりに、他の誰にも真似できない特別な力を持っている。


 私はリムルの車椅子を押し、石畳の道をゆっくりと進みながら、本日の最初の届け先へと向かう。今日の空は、まるで世界の終わりを予感させるかのように、重く垂れ込めた鉛色の雲に覆われている。


「ねー、レイン。今日は、レインは何をはこぶのー? 重たい?」


 リムルが、退屈そうにレインの背中を見上げながら尋ねる。


「今日の最初の荷物は、これだ。宛先不明で届けられなかった荷物を、差出人に返却する。少し厄介な相手だがな」


 レインは肩越しに荷物を示しながら答える。


「めんどーくさーい。リムル、ねむい」


 リムルはそう言って、小さくあくびをした。


「そうだな。確かに面倒な仕事だが、これも運び屋として重要な仕事の一つだ。それに、この仕事が終われば、お前の好きな蜂蜜菓子を買ってやろう」


 レインは苦笑しながら言った。届け先は、王都の光が届かない、路地裏の奥深くに広がる貧民街。その中でも特に治安の悪い地区にある、古びた大きな施設だった。


 そこは、街のクズどもが集まって作った屋敷で、貧民街の親を亡くした孤児たちを言葉巧みに集め、彼らを酷使して私財を蓄えている悪党どもの巣窟だ。その名は『ガストン・ファミリー』。ボスであるガストンは、強欲で残忍な男として知られている。


「くらーい。ここ、いやなにおいする」


 貧民街に入ると、リムルは鼻をつまんで顔をしかめた。陽の光もまともに届かない狭い路地には、淀んだ空気が漂い、得体の知れないものの腐臭が漂っている。


「ああ、道も悪いな。わだちの跡もないし、瓦礫がれきやジャリが多くて車椅子にはこたえる」


 レインは慎重に車椅子を操りながら進む。


「ガタガター。おしり、いたいー」


 リムルは車椅子の上で小さく跳ねながら不満を漏らす。


「もうしばらくしたら目的地に着く。リムルも、もう少しだけ我慢できるか?」


 レインはリムルの頭を優しく撫でた。


「ん。がまん、できる。はちみつがしのため」


 リムルはこくりと頷いた。


 私は、この貧民街に漂う、死と絶望を感じさせる淀んだ臭いが昔から嫌いだ。道の端には、汚れたゴザに横たわって虚ろな目で空を見つめる、痩せ細った貧民街の子どもたちの姿が散見される。彼らの瞳には、生きる希望など欠片も見当たらない。


 そして、中には飢えた狼のように、私たちのような貧民街の外から来た者を品定めするような目で見つめ、隙あらば何かを奪おうと狙っている者もいる。


 この貧民街では、一瞬たりとも油断は許されない。それは、弱肉強食の掟だけが支配する、法の外の世界なのだ。


「かわいそだね。あの子たち、ガリガリ。おなか、すいてる」


 リムルが、道端で力なく座り込んでいる子供たちを見つめて呟いた。


「そうだな。だが、俺たちにできることは限られている」


 レインは静かに答える。


「リムル、なにもできない。くすり、あげたいけど」


 リムルは自分の小さな手をじっと見つめた。


「リムルが気に病むことじゃない。これは、本来なら大人たちが解決しなければならない問題だ。だが、その大人たちが腐っているから、こうなっている」


 レインの言葉には、静かな怒りが込められていた。


「わかったー。レインが、なんとかする?」


 リムルは無邪気に問いかける。レインは答えず、ただ前を見据えた。目の前に、ひときわ大きく、そして不気味な雰囲気を漂わせる屋敷が見えてきた。あれが目的地だ。


 貧民街のクズどもの頂点に立つ男、ガストンの屋敷。私はここに、一つの「荷物」を届けに来たのだ。


「こんにちわー。運び屋ギルドのレインと申します。お届け物です」


 レインは屋敷の重々しい扉をノックし、中から出てきた強面の門番に、努めて明るい声で言った。


「んだ、……テメェら。何の用だ、こんな薄汚ぇガキ連れて」


 門番は、レインと車椅子のリムルを値踏みするように見下ろしながら、ドスの利いた声で言った。


「運び屋です。これ、私のギルドカード公的身分証明書です。ガストン様宛の返送品をお持ちしました」


 レインは少しも臆することなく、ギルドカードを提示した。


「はいはい、荷物は俺が代わりに受け取っておくから、とっとと帰りな。ボスはお前らみたいな下賤の者と会うほど暇じゃねえ」


 門番は面倒くさそうに手を振る。


「申し訳ありません。この荷物は、契約上、直接ガストンさんご本人にお渡しする決まりになっておりまして。ご確認いただけませんか?」


 レインは丁寧だが、毅然とした態度で言った。


「ああ――例の『ブツ』か。チッ、面倒な。呼んでくるから、そこで待ってろ。変な気を起こすんじゃねえぞ」


 門番は何かを察したように舌打ちし、屋敷の奥へと消えていった。しばらくすると、ドタバタと重い足音を立てて、豚のように肥え太った男が階段を降りてきた。


 その顔は強欲と悪意で歪み、小さな目は爬虫類のように冷たい光を宿している。この男こそ、ガストン。醜悪なドクズ。


「……おい、俺がガストンだ。運び屋風情が、何の用だ。とっとと荷物を渡して失せろ」


 ガストンは、レインたちを汚物でも見るかのような目で見下し、吐き捨てるように言った。


「これはこれは、ガストン様。まず、ご本人確認のため、あなたのギルドカードのご提示をお願いできますでしょうか」


 レインは表情一つ変えずに言った。


「はんっ! んなモン、いちいち持ち歩いてるか。俺の顔が証拠だ」


 ガストンは鼻で笑った。


「困りましたね。それでは、お手数ですが、代わりにこちらの受領書面にサインをお願いいたします。これも規則ですので」


 レインは懐から羊皮紙の書類と羽根ペンを取り出した。


「チッ、面倒な奴だ……。ほらよ、これで良いんだろうが!」


 ガストンは乱暴にサインを書きなぐり、書類をレインに突き返した。


「はい、たしかに受領いたしました。それでは、荷物は軒先渡し玄関前での受け渡し指定となっておりますので、こちらの玄関に置かせていただきますね」


 レインはバックパックから、ずしりと重そうな木箱を取り出し、玄関先に置いた。


「用が済んだなら、殺されたくなければ荷物置いてさっさと帰れ。目障りだ」


 ガストンは、まるで虫でも払うかのように、シッシと手を振っている。


「それでは、失礼いたします。ご迷惑をおかけしました」


 レインは深々と頭を下げ、リムルの車椅子を押して、静かに屋敷を後にした。屋敷から少し離れた路地まで来たところで、リムルがレインを見上げて言った。


「あの人たち、とっても悪い人。くさい。血のにおい」


 リムルの言葉には、子供らしからぬ鋭さがあった。


「そうだな。さすがリムル、勘がいい。鼻も利く」


 レインは苦笑した。


「レイン、あいつら、あのまま見逃すの?」


 リムルは不満そうに唇を尖らせる。


「私はただの運び屋だからな。私の仕事は、荷物を届けるところまでだ。契約は遵守する」


 レインは淡々と答えた。


「ぶーぶー。レイン、キライ。つまんない」


 リムルは頬を膨らませてそっぽを向いた。


「そうねるなって。ほら、約束の蜂蜜菓子は無理だが、代わりに飴玉でも食べてろ」


 レインはポケットから取り出した色とりどりの飴玉をリムルの小さな手のひらに乗せた。


「わーい、飴すき。たべるー」


 リムルはすぐに機嫌を直し、嬉しそうに飴玉を頬張った。貧民街の子供たちは、生きるために、ガストンとその手下どものもとで、過酷な「仕事」を強いられている。


 少年たちは窃盗や、時には汚れ仕事である殺人の手伝いを。少女たちは、その幼い体を大人たちの欲望の捌け口にされる。


 そして、彼らが命がけで稼いだわずかな金は、そのほとんどがこの貧民街のボスであるガストンと、その手下どものふところに吸い上げられていく。


 子供たちは、大人になれば、今度は搾取する側に回るか、あるいは使い捨てにされる。終わることのない、絶望と搾取の負の螺旋。それがこの貧民街の日常だった。



「――そろそろ時間だな。リムル、耳をふさげ。大きな音がするぞ」



 レインが懐中時計を確認し、リムルに告げた。リムルは素直に両手で耳を覆った。



 ――轟音。



 強烈な爆発音と共に、先ほどまで立っていたガストンの屋敷が、まるで子供の玩具のように崩れ落ちるのが見えた。土煙と火柱が上がり、周囲には悲鳴と混乱が広がった。



 爆発元は、間違いなくさっきのガストンの屋敷だ。レインが届けた木箱には、高濃度の爆薬が仕掛けられていたのだ。


「荷物の開封を確認完了。これで契約は完全に履行された」


 レインは崩壊する屋敷を冷静に見つめながら呟いた。


「どがーん。おっきな花火、爆発したね、レイン」


 リムルは耳を覆ったまま、少し興奮したように言った。


「ああ。だが、まだ仕事は終わりじゃない。きちんと仕事を終えられたか、最終確認をしに行くぞ」


 レインはリムルの車椅子を再び押し始めた。


「いくー。わるいやつ、まだいる?」


 今日は、ガストンの腹心である手下たちが、あの屋敷に集まって秘密の集会を行う日であることを、レインは事前に調査済みだった。


 そのため、ガストンの屋敷の周辺は、普段より厳重に人払いがされていた。つまり、あの建物の中に居たのは、ガストンとその手下の幹部たち、そして彼らを守る護衛たちのみ。一般の貧民街の住人や子供たちが巻き込まれる可能性は低い。



 爆心地へと近づくと、そこは地獄絵図だった。建物の残骸が散乱し、あちこちで火の手が上がっている。そして、その中から、奇跡的に生き残った者たちが、呻き声を上げながら這い出してくるのが見えた。



「ははっ。悪党ってのは、ゴキブリみたいに本当にしぶといものだな。いまの爆発で生き残るとは、大した生命力だ。褒めてやろう」



 レインは瓦礫の中から現れた、ボロボロの姿のガストンとその手下数人を見て、乾いた笑みを浮かべた。


「しぶといねー。ゴキブリー」


 リムルも無邪気に繰り返す。


「おい……これは、いったいどういうことだ! てめぇっ!!! あの荷物は罠だったのか!」


 ガストンは顔中血塗れで、怒りと恐怖に顔を歪ませながらレインを睨みつけた。


「おや、ガストンさん。ご無事でしたか。それは何よりです」


 レインはあくまでも平静を装って答える。


「ガキが、よくも舐めた真似を……。野郎ども、あの運び屋と車椅子のガキを八つ裂きにしろ!」


 ガストンが怒号を上げると、生き残った手下たちが、武器を手にレインとリムルに襲いかかろうとした。


「うごいちゃ、だめぇ。シンじゃうよ? リムル、ちゃんと言ったよ?」


 リムルが、まるで詠ううたうように、しかし有無を言わせぬ冷たい声で言った。


「はぁ? なぁに言ってんだ、この足手まといのクソガキが!」


 手下の一人が、リムルを侮蔑するように吐き捨てた、その瞬間。


「こんな真似が許され……っあぁ……ッ?! ぐ、首が……」


 男の言葉は途中で途切れ、その首が、まるで熟れた果実のように、胴体からゴトリと地面に落ちた。断面からは、噴水のように血が吹き上がる。


 さすがはリムル、彼女の指先から放たれる、見えざる魔力の糸の扱いは、もはや芸術の域だ。


「ひっ……ひぃっ、クビがーッッ!!! ば、化け物だ!」


 別の手下が恐怖に顔を引きつらせ、逃げ出そうとした。


「リムル。けーこく、したもん。シヌって。だから、わるくない」


 リムルは淡々と言い放つ。


「そうだな。リムルはまったく悪くない。悪いのは、警告を無視したこのおっさん達の方だ」


 レインはリムルの言葉に同意し、静かに剣を抜いた。逃げ出そうとしたもうひとりの男の首もまた、リムルの糸によって、音もなく地面を転がった。


 リムルの白く細い指先から伸びた、血に濡れてあやしく鈍い光を放つ不可視の糸が、まるで生きているかのようにうごめいている。


「て、てめーら、一体ナニモンだ?! パンクスとかいう新興勢力の野郎の手下か?」


 ガストンは恐怖に震えながら叫んだ。


「ぶーっ。ぜんぜんちがう。パンクス、だれ?」


 リムルは首を横に振る。


「なら……っ、まさか、ギルドの暗部、粛清部隊の連中か?」


 ガストンはさらに顔面を蒼白にさせる。


「ぶー。それも、はずれー。もっとかんがえて」


 リムルは楽しそうに言う。


「…………なら、てめーらはいったい、なんなんだッ?! なぜこんなことを!」


 ガストンは絶叫した。


「ただの運び屋だ。おまえにも、私のギルドカードは見せたはずだが? 契約書にもサインしてくれただろう?」


 レインは静かに答えた。

 その瞳は、獲物を前にした捕食者のように冷たく光っている。


「ただの運び屋が、なんでこんな手の込んだ殺しをしてるんだッ!! 目的は何だ!」


 ガストンは理解が追いつかず、混乱している。


「ただの趣味だ」


「……趣味?!  殺しが、趣味。くおのおおおクソガキがああああ!」


 ガストンがリムルを罵倒しようとした瞬間。


「黙れ。辞世の句を聞く趣味はない」


 レインはふところから取り出した短剣を、ガストンの太ももに深々と突き刺した。ガストンの絶叫が、崩壊した屋敷の残骸にこだました。


「ガストン。私はキミに、ある意味では感謝しているんだ」


 レインは血に濡れた短剣を引き抜きながら、静かに言った。


「な……どういう……ことだ……」


 ガストンは激痛に顔を歪めながら問い返す。


「あんた、さっきサインした書類、覚えてるか? あれは荷物の受領書じゃない。あんたの全資産を、貧民街の孤児たちのために寄付するという契約書だ。丁寧に中身を確認もせずに署名してくれただろう? おかげで手間が省けた」


 レインは冷ややかに笑った。


「ッ!? あ、あの時の……か、てめぇ!! よくも騙したな! ぜってぇ許さねぇぞ!」


 ガストンは怒りに顔を真っ赤にして叫ぶが、もはや彼にできることは何もない。


「契約書は、きちんと中身を確認しなきゃダメだぜ、ガストン。社会の常識だ」


 レインは嘲るように言った。


「……こ、この……ガキが……」


 ガストンは悔しさに歯噛みする。レインの右手に握られた短刀が、ゆっくりと、しかし確実に、ガストンの胸の中心に吸い込まれていく。


 その背中から、鮮血に濡れた剣先が僅かに覗いた時には、ガストンはすでに息絶え、その瞳から光は永遠に失われていた。


「リムル、これでお仕事は、ほぼおわりだ。ご苦労だったな」


 レインはガストンの死体を見下ろし、リムルに言った。


「おつかれー、レイン。リムル、つかれたー」


 リムルは小さく伸びをした。


「リムルもお疲れ様。それじゃあ、約束通り、街に戻って甘いものでも食べようか」


 レインはリムルの車椅子を優しく押した。


「うん、かえるー。はちみつがし、いっぱい」

「そのまえに……っと。最後の仕上げだ」


 レインは立ち止まり、懐から可燃性の油が満たされたガラス瓶を数本取り出し、次々とガストンとその手下たちの死体に投げつけた。



 ガストンの頭部で瓶が割れ、油が飛び散る。そして、その死体に向けて、レインは燃え盛るマッチを投げつけた。



 脂身の多いガストンの体は、まるで松明のように勢いよく燃え上がった。



「お前たちが貯め込んだ汚れた私財のすべては、これからこの貧民街の子どもたちの未来のために使われることになっている。死んでから一つだけ、ほんの少しだけ良いことができてよかったな、ガストン」


 レインは燃え盛る炎を背に、静かに呟いた。


「バイバーイ、わるかった人」


 リムルは小さな手を振った。燃え盛る屋敷の残骸と、黒煙を上げる死体をあとにし、運び屋レインと車椅子の少女リムルは、まるで何事もなかったかのように、静かにその場を立ち去るのであった。


 貧民街の淀んだ空気に、彼らの影が溶けて消えていった。

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