episode±12 [空を飛ぶ鳥が飛ぶ前の宿り木で思うことってきっと]

 縫至答ほうしとう は昇降口で八飛宮冴楽茶やとみやさらさと別れた後、すぐにその足を職員室に向けた。

 出勤してきていた教師も多くないうえ、その多くは部活の練習現場に出払っているようだったが、運良く縫至答の担任教師がいた。部活関連の仕組みはどの教師であろうとある程度知っているだろうと思い話しかけてみると、庶務関連しょむかんれんの仕事を一部手伝うよう依頼される。次の予定は特段時間が厳密げんみつに設定されているものではなかったので引き受けると、新部活設立ルールの説明に合わせて、部室として使える空き部屋にも案内された。まさかいきなり割り当てられそうな部室候補まで話が進むとは思っていなかった縫至答は、一気に具体的になってきたような感触を得て少し気分が上がる。庶務作業の手伝いを終えると、彼女が登校してきてからおよそ2時間が経過していた。

 八飛宮の要件が終わる時間も想像してみるが、待っているという約束はしていないし、連絡先も交換した。特段、向こうの終了時間に都合を合わせる必要もないだろうと思うと、なぜかその足は自然と自分の普段通っている教室へ向かった。

誰もいないけれど、部活をしている生徒たちの声が遠くに響く学校の廊下。

いつもより、その喧騒が静かで、放課後を学校で過ごすことが少ない縫至答にとってのその光景は、何だか寂しく、けれど新鮮で、夢見心地のような、そんな感触がミキサーで混ぜられたスムージーが染み渡るようにじんわりと不思議な温度でゆっくりと確実に、心から全身に広がっていく。

 意識の移り変わりのリズムを刻むような上履きの足音、カスカス、とか、スタスタ、というか。スムージーの寂しさの味を少し強調するような音色で、ポリリズムではなく自分だけのテンポで響いている。

 4ビート?なんて、数少ない音楽の知識で、それがどんなテンポなのかと探ってみるけれど、結局探ってみる音楽の知識が彼女の中のライブラリにないから、結局は空想に収まってしまう。

 今回作り上げようとしている部活のメンバーなら、誰かそういうのわかる子いるのかな?縫至答は心の中でメンバーの顔を思い浮かべてみるけれど、誰にどんな知識があるのかもまだわからない。これから、密度を増すごとに体感的に短くなっていく高校最後の三年生の生活の中で、いったいどれだけのみんなを見られるのだろう。いったいどれくらいの時間を共有できるのだろう。いったいどれくらいの想いを共に持つことができるのだろう。いったいどれくらい、仲良くなって、どれくらいおしゃべりできて、どれくらいの思い出を。

 そんなことを考えていたら、縫至答は自分の教室の前に着いた。

少しだけ、ドアノブに右手をかけることをためらわせる奇妙な小さい緊張感があって。

ガラリ、と、その戸を開ける。

 もちろん中には、そんな縫至答の緊張感を察することのできるようなクラスメート、というか、人は一人もいない。無人の教室。

 窓際の後ろから2番目に設定された自分の席にゆっくりと腰掛ける。締め切ってあるせいか、こんな時期でも少し湿気で蒸しているが、暑いというほどではない。

 彼女にとっては心地よい、放置された空間。

 机の中に手を入れてみると、置き勉などせずに空にしていたはずなのに、一冊のノートが入っていた。自分で書いた手書きの表紙の文字から、生物Ⅰのノートであることが判明。

 あーもう。これ昨日の夜探したやつだ。やっぱり忘れてた。

 そんなノートの回収が目的だったわけでもないのに、なんとなく教室に足が向いた理由を、考えてみる。

 本来なら、自分が決めたルートを選んだ理由なんてわかりきっているはずなのに、それを考える自分。

 自分ですらわからないのに、他人のことなんて、ねぇ?という自問自答。他人のこと。それが誰を指すのか。も、自分ではやはり不明。こうした時間を過ごしていると、この時間が不意に訪れたものであればあるほど、大切であるような、もう嫌になるような。

 陽の光が当たって生温区感じる程度の温度に達している机に突っ伏してみる。あ、この距離だと自分の胸が邪魔だ、と思って少し椅子を引く。

 なーんだか。なーにもない、なぁ。

 その思いをきっかけに、思考は支離滅裂なまでに広がっていった。その広がりはまるで決壊したダムのように、洗い流すようで、破壊の爪痕を残すようで、様々な思考を生んでは消し、産んでは消して、言語化が不可能なほどの速度で現れては消えていき、まるで育むことを拒否しているようだが、けれどそれら全てに紐付く記憶を思い出させはするという、書店の棚に並んだ背表紙を端からザーッと見ている時の感覚。そしてそれよりも、圧倒的なハイスピードでイメージと言葉が流れていく。

 無意識に、机に放っていた右手が、その机上をコツン、と打つと、その思考の奔流は何事もなかったかのように消え去り。

 そして、右目から机上に広がって耳を濡らす涙に気がついた。左目からは、なにもないのに。

 ぼんやり、とした決意、なのか、確固たる空想なのか。

 右目が涙越しに視界に捉えたビジョンは不確かで曖昧で、輪郭も境界もない。水にぶちまけた絵の具だったり、光の周波数による境界を忘れた虹のようだったりした。

 その柔らかさが、縫至答の中にまるで、宝石を産むようにコツン、と、無機質かもしれないけど暖かい矛盾のような謎を持って、想いを産む。


ああ、きっと私は、まだ間違えてはいない。



 彼女たちの星籠を揺らす風はもう少しでその箱庭に到達するが、吹き込むかどうかはわからない。

 しかしそれでもその風は何かを運んでくる。

 いくつかの色の、素敵な優しさを乗せて。



 Continue to Bright Scene....

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