episode ±2[薄い輪郭]
"もうとにかく、気怠くてたまらない。
頭は良いほうじゃない。けど、授業に律儀に出るほど真面目でもない。家族には何も言われない。小学校卒業までバレエを続けていたけど、メンバーがミスって接触してきた時の転倒で靭帯を損傷し、復帰には至らなかった時点で両親の興味は弟にしか向かなくなった。結局嫁に行く人間の育成にお金や時間をかけたところで無駄だと思ったのだろう。それと同時にキャリアになり、さらに気味悪く思われる一方だった。
それから、普通に暮らしてはいたけれど、高校卒業と同時にあたしは生まれ育った町を出て上京した。両親も、あたしみたいな危険分子を家に置いておきたくなかったのだろう。弟への影響のことしか考えてない。
私立酉乃刻高校。バレエで稼いだお金を使って、もう学費は問題なし。普段はバイトしてればなんとかなる。
幸い、両親からまるで手切れ金同様に渡された札束もある。
投げつけたかったけど、経済的弱者になって後で泣きつくのは嫌だった。
結局、玄関先で別れただけ。
扉を閉めるときには、すでに母は弟に構っていた。
どうせ、あの家に入らない人間なんだって、そのときに自覚した。
単身上京した。知り合いも友達も親戚もいない東京って檻。
後日一人暮らしの部屋に到着した荷物には、手紙も何も入っていない札束と封筒。一筆も何もない、茶封筒。
金さえ出せば良いと思っているんだろう。
もう、どうでもよかった。
もうとにかく、気怠くてたまらない。"
そうして、私立酉乃刻高校に入学した
引きこもりたくてたまらなくなったとき、彼女は屋上に上がる。
その時もそうだった。手持ちもあるからお菓子買い込んでコーラ買って帰って明日の夜までは引きこもろう、なんて思いながら、屋上までの階段を上る。6時間目はサボったけど、まあ、いっか。
そんな時。
「のうちゃん!早く行こうよー!!」
「こら!一応私たちサボってるんだから見つからないように出ないと…って
」
「………」
騒がしいやつらだ。こんな時間に屋上から降りてくるということは、結局同じサボり組だろう、と
しかし、何か、こう、声を出す気になった。普段なら無視していただだろうに。
「…そんな騒いでたら見つかるよ」
「で、ですよね。すいません。ほら
「莉理亜じゃなくてりりあん!もう友達なんだからそっちで呼んでくださいよー!って、あれー?先輩もさぼりですかー?」
「…先輩?ああ、一年なのか」
「はい!1年D組の
「大層な名前だな」
「先輩はなんていうんですか?」
「こ、こら。失礼だろうが先輩に対して」
なんの気遅れもなくぐいぐい会話を繰り広げる華厳に保護者のように気後れする縫至答。
「…生徒会長に嫌われてる
「それをいちいち持ち出さないでください!…って」
「…
「さいこうこう?」
「そう」
「どんな字書くんですか?」
「西に、中央の央、名前がくれない、で紅だね」
「へー。あのー、なんかピンと来ちゃったんですけどー」
「またなんかズケズケと打っ込む気でしょう莉理亜」
「もしかしてー、キャリアさん?」
「……」
やや気後れしてしまったように黙り込む西央。
「ほらばか。キミは遠慮がなさすぎるぞ」
「えーだって」
「そう。そうだよ。もしかして、お二人も?」
「ほらやっぱりー!」
「なんでこの無駄な直感持ちと一緒にいるかな私…あ、そうなの。とはいえ、莉理亜がキャリアなのはさっき知ったんだけど」
「ふーん。仲いいんですね」
「はい!」「全然」
「のうちゃーん!?!?」
「だいぶ仲良く見えますけど」
「この子のテンションが高いだけなんですよ。昼寝してたらしくて体力有り余ってるみたいで」
「そうですか……この後どこかいくんですよね」
「ああ、うん。施設にね。この子が行ったことがないって言ってたから、一回連れて行ってあげようかと思って」
「施設?」
「キャリアのケア施設。あれ?えっと、西央さんも知らない?」
「少なくとも行ったことはないです」
「……どうせサボり組なら、一緒に行く?やかましいのついてくるけど」
「えっと、どういうところなんですか」
困惑気味の西央に一通り説明する縫至答。
「……なるほど。あたしも野放しにしてるみたいなもんですからね。一緒に行って良いんですか?」
不思議だった。
引きこもろうと思っていたのに、
「せっかく行くなら、2人も3人も一緒だしね。別に今日診察しなきゃいけないわけじゃないし」
「診察…」
「あ、ああごめんなんか病気みたいに」
「いえ。なら、ご一緒して良いですか」
まさか自分から誰かと出かける提案をする日が自分にくるなんて、思っていなかった西央は、しかしその言葉を口にして、そんな自分を認識して、これもまた不思議なことに、それに違和感がない。
「良いよ。よろしく、西央さん」
「あ、はい」
「べにちゃん!」
「…あ、は、え?べにちゃん?」
「くれないでしょ?紅色の紅でしょ?だからべにちゃん」
「こら、私にそのテンションは良いけど、西央先輩にはダメでしょうが」
「えーもう友達じゃーん。べにちゃんでよくない?ね、べにちゃん」
「あ、あのえっと、西央さん。気を悪くしないでくださいね。この子すげー天然っぽくて」
西央は、そのやりとりをぽかんと見ている。
しかし、何か込み上げるものがあった。感情が、胸の鼓動を増幅し、気管を締め付ける。胸が、キュッと苦しくなる。それが、切なさなどと呼ばれる感情であることを西央はまだ知らなかったけれど。
そしてその鼓動と切なさの生んだ波は涙腺に繋がって、その水面を揺らす。
「…はい。べにちゃんで良いよ。りりあん、だっけ」
「西央さん」
「わーい!べにちゃん、うれし涙?やった泣かしたった!」
「こら!あ…あのこれ」
と、スカートのポケットからハンカチを取り出す縫至答。
「…あ、ありがとうございます。縫至答先輩」
「あ、言いにくいからのうでいいよ。落ち着いたら、行こうか。西央さん」
「あ、もうべにちゃんでいいです」
「えー?」
「良いですよ、本当に」
「…そっか」
縫至答には、それが、きっと西央にとって何かとても大事な言葉であるように感じられた。
「ならこっちももうのうでいいよ」
「……のう、さん?」
「それだと本当に農産だな……」
「あ、す、すみません!」
「いやいや、良いよ。でもできればちゃんの方が楽かなーなんか……畑も田んぼもないしな…」
「え?」
「あ、いやいや、こっちの話。あと敬語もいらないからね。よろしく、べにちゃん」
「あ。はい。あの、あのえっと。はい。のうちゃん先輩」
「先輩もいらないけど……ま、まあ、慣れるまではいっか」
縫至答の穏やかさと、華厳の賑やかさ。凸凹にしか見えない二人が、その病を持って繋がって。その輪を広げられる華厳のおおらかさ。西央にとっては初めて感じる、綿毛みたいな熱がある気がしていた。
輪郭が見えてきた未来につながる光の輪。
星が作る彼女たちの壮大な箱庭のような世界は、籠に守られて、ゆっくりと、その脈を刻み始める。
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