【第三部】第一章「女子力のすゝめ」



 季節は冬に差し掛かる十二月。雪が舞い、桜坂高校の生徒たちも、衣替えを終えて冬服で生活を始めている。宗一と美鈴は夏以来会っていなかったが、卒業の関係と校長の諸事情もあり、しばらく春先まで学校に在籍することになった。因みに、美鈴は転入生だ。


 「みーさん、転入後の生活はどう?」


 「慣れたけど、ちょっと回りがうるさいかなぁ」


 和服で学校に在籍する生徒も珍しくはない。学校は私服だが、特に男女問わず人気を確保してしまう美鈴のカリスマ性は人の目を引くものがあった。無論、彼女は自覚していない。


 「まさかね、俺もみーさんと同じクラスで生活できるとは思わなかった」


 親戚筋とはいえ、やはり宗一にとっては憧れの存在なのだろうか。とても嬉しそうだった。それ以上に、卒業までの三か月間を学友と過ごせるのが何よりも嬉しそうだ。


 「……少し外に出ましょうか」




 午後から学校が無いのか、少し時間が空いた宗一と美鈴は校舎の周りを歩くことにした。そして、校舎の裏門の木の下で、恍惚の表情をしながらトラジマ猫を撫でる京介の姿があった。


 「あー、ちょっと寒くなってきたなあ。お前と会えなくなるのが寂しいぜ。ちょっと毛皮を分けてくれ」


 「にゃにゃ!」


 「いやだ!」と言いつつも猫は京介の腿の上で丸くなっていた。そして、気持ちよさそうにのどを鳴らす。今日は珍しく風も無いので、過ごしやすい気候だ。


 そこへ、歩いてきた宗一達が対面した。


 「あ、君がきょうすけくんだね!初めまして」


 座り込んで猫を撫でる京介のもとに見下ろす形で近寄ると、宗一は深々と頭を下げる。


 「え?あんただれっすか?」


 「あ、失礼。俺は浅葱 宗一。ひのの兄貴だよ」


 「……はー、驚いた、あいつにこんな礼儀正しい兄貴がいるなんて思わなかった!」


 宗一は苦笑いしていた。無理もない。彼らのつるみ、絡みは学校で相当な噂になっていて、ひのもひので有名だからだ。一緒にいた美鈴はと言うと、半歩下がった立ち位置で京介を見ながら惚けていた。


 「……。」


 「え?みーさん、大丈夫?」


 「え、は、やだー、なんでもないよ!なんでもない」


 目の前で宗一が手を振ると我に返る美鈴。取り乱している様子だ。そして、一呼吸おいて、京介に自己紹介をしようとしたが。


 「わ、わたくしはく……」


 「あー、この人はね、紹介するよ。暮崎 美鈴さんて言うんだ。俺のいとこ関係に当たる人。今度から学校でお世話になるけど、宜しくねー」


 「う、うっす」


 美鈴は少し不機嫌そうな顔をしていた。


それから、宗一達は一言言って去って行った。


 「じゃ、京介くん、またね!」


 「お、おう」


 京介は座ったままでこのやり取りを交わしていたので、少し戸惑っていた。美鈴はやや名残惜しそうだったが、宗一の後に遅れつつ走っていった。




**


 さて、日を改めてある日の放課後の事である。教室にはひのと京介、そして数人の生徒が残っている状態だった。ひのは京介に、ずっと胸に秘めて言いたいと思っていたことを言う事にした。


 「あのさ!京介!!ちょっといい?」


 「んあ?どうした?」


 京介は机に伏して寝ていたのか、若干よだれを垂らしながら、ひのに答えた。


 「二月に生徒会選挙あるの知ってるよね?私、生徒会長に立候補しようと思うんだけど!」


 「お前、やめとけ。どうやっても舐められるぞ」


 「あんた、この前、私が言った事忘れてないよね?」


 ひのの手には女装した京介の写真があった。また猫に惚ける京介の写真が。ひのはスマホを片手ににやりと笑い、一言。


 「あんた、もし断ると、この写真チェンメにしてばらまくからね!」


 「き、きたねーぞお前!!消せよ!!」


 「やなこった。取りあえず、私の推薦責任者になってくれるなら、これはとどめといてあげる」


 「はいはい、わかりやしたよ。ちったあ、人の役に立つことしろよな」


 京介は拗ねながら文句を言った。ひのはどうやら、学校でやりたい事があるらしい。二人がじゃれ合っているその時だった。教室の扉が開き、和服美人のあの人が顔を出した。


 「あの、京介さんはこのクラスですか?!あ、いたー!やっと見つけた」


 「え、なになに?」


 ひのは戸惑っている。無理もない。いきなり来た美鈴が、京介の手を両手で掴んで喜んでいるからだ。しかも、とっても喜んでいる。


 「みーさん、うちのクラスに何か用事……かな?」


 「あー、ごめんなさいね。ちょっと京介さんがお暇なら一緒に帰ろうと思いまして。大丈夫ですよね?京介さん!」


 かなり接近した距離で上目遣いをしながら尋ねてくる美鈴。京介は友人が少ない上、女性にそこまで免疫が無かった為、目線を反らしながら答えた。


 「あ、ああ。俺でよければ」


 「はぁ、良かったわぁ。じゃ、行きましょ!」


 「ちょ、お、おい!」


 そう言って美鈴は強引に京介の手を引っ張ると出て行ってしまった。その場に取り残されるひの。しばらくして、用事を終えて戻ってきたのか、友子が帰ってきた。そして、ひのの顔を見て驚く。


 「へ?どうしたの?ひのっちなんか泣きそうな、怒りそうな顔してるよ」


 「うう、なんか知らないけど、腹立つ」




**


 それから一週間。ひのはあまり京介と会う事が無かった。どうやら、美鈴が京介と会っていると言う話を何度も耳に挟んでいたが、確証が無かった。美鈴もあまり騒がれたくなかったのかも知れない。ただ、ひのも京介と交際しているような特別な関係でない為、どうすることも出来なかったのだが。




 「ねぇ、ひのっち、聞いてもいいかな?」


 「ともちゃんどうしたの?」


 「なんかさ、最近ひのっち元気ないよね。龍崎君と会ってないから?それとも今日のお弁当あんまり好きじゃないの?」


 「へ?そう見える?いや、大丈夫だよ。ほらほら、元気元気!」


 笑顔を見せるひの。しかし、友子の表情は相変わらず浮かない顔をしている。長い付き合いのある友人の変化を見ていられないようだ。


 「無理しないでね。なんかあったら遠慮なく言ってね」




**


 金曜日。ひのは校舎にある自動販売機に行ってジュースを買おうとして歩いていると、向かい合って話している京介と美鈴を発見した。姿を見た瞬間、まずいと思い、物陰に隠れて様子を伺うことにした。


 「京介さん、今週は私の用事に付き合ってくださってありがとうございます」


深々と頭を下げる美鈴。


 「いやいや、俺も大したことしてないって。こっちの引っ越しとかいろいろ大変だっただろ?それに男手も足りてなかったんだし」


 「ちょっとお礼と言っては何ですが……良かったら水族館に一緒に行きませんか?」


顔を赤らめながら彼女は二枚の水族館のチケットを出した。京介は少し間をおいて考える。


 「……特に用事もないしなぁ。暇と言えば暇だし。ああ、いいよ。いつにする?」


 「明日は空いてますか?……急かしら?」


やや上目遣い気味に尋ねる美鈴。京介もまんざらではない様子で答えた。


 「んー、大丈夫。うん、だいじょうぶ。」


 ひのはその話を聞きながら止めに入ろうとして、二人の前に来た。京介はびっくりした表情で尋ねる。


 「へ?どうしたひの?聞いてたのか?」


 「……」


 「おい、待てよ!」


 ひのは逃げてしまった。そして京介は少しひのを追いかけたが、追いつけなかったようだ。走り去る京介に、美鈴は後ろから声を掛ける。


 「きょうすけさぁああん!あしたじゅうじにすいぞくかんでぇ!!」




**


 オカマバー「花園」


 「……ったく、なによあいつ、鼻の下伸ばしちゃって。面白くない」


 「若いわねー、恋の一つや二つ、経験するものよ」


 エツコがグラスを拭きながら、ひのの愚痴を聞いていた。ひのは出されたオレンジジュースをがぶ飲みしつつ、やけ酒を煽っているような雰囲気で話していた。すると、会計を終えたいちごさんが事務所から出てきた。


 「あら?今日はりゅうちゃんいないのかしら?」


 「シー。今、その話するとカノジョ、怒るわよ」


 「あらあら、何かあった様子ね」




 事の一部始終を一通り聞き終えると、いちごさんは口を開いた。


 「ひのちゃんは彼の事が好きなのよ。でも、彼の幸せを願っていると面白くない自分がいると。でも、彼との関係が壊れるのがいやだ。そうじゃない?」


 「……そうかもしれない。私分かんないよ。どうでもいいって思ったらどんなに楽か」


 ひのは目に涙を溜め、呟いた。一言話すと言葉が止まらなくなる。


 「あいつ、私の事馬鹿にしてるし、付き合い悪いし、性格だって合わない。相性だって最悪だと思う。でもさ、私、あいつと一緒にいるととっても楽しくて。それで……」


いちごさんは目を瞑ると間を置いてゆっくりと話し始める。


 「愛してるんでしょ?それでいいじゃない。明日、私と一緒に水族館に行きましょう。その時、何か分かるかも知れないわ」


 「……ぐずっ」


 ひのは鼻を鳴らしながら無言で頷いた。




**


 翌日十時。京介はやや浮かない顔をして水族館の前のオブジェに立っていた。


 「さっみぃ、俺も結局こうやって来てるし」


すると、やや遅れて、洋服姿の美鈴が現れる。かなり決めてきた格好で、厚手の白ニットに千鳥柄のフレアスカート、足元はタイツとエナメル地のブーツで固めてある。髪の毛は長髪で緩いウェーブが掛けてある。髪の毛を掻き上げるその姿に京介は、ドキッとしてしまった。


 「お待たせしました。……どうしました?」


 「……や、何でもないよ」


 見惚れてしまったと言えるわけがない。




**


 霧前市都立水族館。割と大きめだ。普段は猫ばっかり愛でている京介も、今日は割と楽しそうにしていた。


 「あ、みてみて、ジュゴン!!同じ水槽にベルーガがいるわ」


 「うわー、こう見るとでっけぇ!!」


 「午後一時からイルカショーやるみたいです。行きましょう!」


 「楽しみだな!」




**


 午後一時。


 「みなさーん!こんにちはー!私は、トレーナーの小鳥遊 美麗(たかなし みれい)と申します!今日はこのイルカの『ミルクちゃん』と一緒に遊びたいと思いまーす!みんな拍手!」


一斉に拍手が起こる。イルカは嬉しそうに鳴いた。そして、トレーナーさんは小石を五つ、みんなに見えるように見せ、ばら撒いた。


 「さて、この小石を今から、このミルクちゃんに拾ってきてもらおうと思います」


 そう言ってトレーナーは笛を吹き、合図すると石を遠くに投げ、イルカは潜っていった。トレーナーさん「行け!原子力潜水艦ミルク!」と楽しそうに言って、みんなの声援が熱くこだました。


ミルクは一つ石を咥えると、戻ってきてトレーナーに渡す。そして、五つ拾い終えた後、みんなに言った。


 「ご覧ください。こんな小さな石を五個持ってくることが出来ました!!」


 そう言って見せた後、撫でて魚を口に入れてあげた。




 「では、最後にミルクちゃんに触ってもらいます!誰がいいかなぁ」


 トレーナーは見渡し、そしてこう言った。




 「そこの小さな恋人さん、降りてきてください!」


 少年少女は恥ずかしそうに降りてきて、指示を聞いた。




 「少しこの子たちにやり方を説明します。男の子のケンジくん、いいですか?私が短く笛を吹いたら『Go!』長く吹いたら『Back!』、長く吹いたら『Stand!』って言ってください」


 「あ、はい」


 「ではお願いします!」


 「ピーッ!」


 「ば、Back!」


 ミルクちゃんが戻ってきて少年のもとに来る!


 「ピッピッピ!」


 「す、Stand!」


 ミルクちゃんがお腹を立てて立ち泳ぎをしていた。




 それを見ていた京介と美鈴は驚いて見ていた。


 「京介さん、あの子凄くないですか?」


 「ああ、ちょっと呼ばれなかったのが寂しいけどな」


 「あ、もう終わっちゃう」


 美鈴は時計とイルカショーを交互に見て、京介にけしかけ、そのまま二人で席を立った。




 「ひのちゃん、元気出しなさい?私たちもせっかくだから楽しまないと。あ、行っちゃうわよ、ほらほら」


 いちごさんは物陰から様子を見ながら、時々ひのの事を励ましていた。


 「なんか……私と居るより楽しそうだね」




**


 「この水族館、クラゲが有名なんですって。京介さんはクラゲ好きですか?」


 「このふよふよした感じがなんとも……」




 「ねぇ、何言ってるかわかる?」


 「いや、わからないわ」




**


 「次はどこ行きましょうか」


 パンフレットを見ながら美鈴は楽しそうに言った。まだまだ元気が有り余っている様子。京介は疲れていたのか、話したい事があったのか、休憩を提案した。


 「少し休もうぜ。そこにベンチがあるし」




 ベンチに腰掛けると、京介は思い詰めた表情で美鈴に尋ねた。


 「なぁ、何で今日は俺を誘ったんだ?」


 「あ、見てみて京介さん、ペンギンショーが午後三時からですって」


 「話聞いてる?」


 「ジュゴン可愛かったなぁ。そう思いません?京介さんも」


 「っ!おい!質問に答えろ!!」


 京介はイラッとして、立ち上がり美鈴を怒鳴ってしまった。周囲にいた人たちが何事かと思い、視線が集まる。京介は分が悪くなり、そのまま座って美鈴に謝った。


 「すまん。怒鳴っちまった」


 「……誘う理由が無いと誘ってはいけないんですか?」


 美鈴は泣きそうな表情で京介に尋ねた。京介は少し気まずい表情で、頬を掻いていた。


 「しつこかったですよね?ごめんなさい、迷惑だったですよね」


 美鈴は暗い表情で俯いた。京介はしどろもどろに答えた。


 「ま、まぁ、これからだよ」


 「ほんとですか?じゃあ、もっと頑張りますね!私、京介さんに合う女になるので」


 「へ?」


 何言ってんの?この人。と言わんばかりの表情でポカーンとしている京介。美鈴は鼻を鳴らし、次に行くように急かした。


 「さ、時間無くなっちゃう!行きましょ!」




**


 夕方。水族館が閉まり、オブジェが点灯していた。クリスマスも近くなって、演出が華やかだ。


 「んー、今日は楽しかったぁ!たまには洋服も悪くないわ」


 美鈴はぐぐっと伸びをした。周囲が少しずつ冷え込んで、話す息も白くなる。


 「きょ、今日はありがとな」


 「また会ってくれますか?」


 「考えとく。じゃあな。取りあえず近くまで送るよ」


 そう言って二人は夕闇の中に姿を消した。




 「ひのちゃん、なんか分かった?男と女なんてあんなもんよ。あの子、相当魔性だわー、私、オカマだから分かるもの」


 いちごさんは最後まで責任をもってひのの面倒を見てくれたようだ。


 「私、みーさんと違って、チビだし、スタイルも良くないし、女の子らしくもない。可愛い女の子と


付き合った方が、京介も幸せになれるよ。絶対そうだよ」


 やけ気味に、矢継ぎ早に言うひの。いちごさんは少しあきれた様子で溜め息をつきつつ言った。


 「あなた、さっきの話聞いてた?可愛ければいいってもんじゃないのよ?愛が無ければ何やっても意味が無いの。りゅうちゃんが今、カノジョに告白されてなびくと思う?」


 「……」


 黙って二回頷くひの。しかし、いちごさんは首を振って言った。


 「甘いわね。アタシには見え見えなのよ。猫被って、色目使って、挙句言いくるめて。あの子よりひのちゃんの方がりゅうちゃんに相応しいと思うわ。はっきり言えるもの」


 ひのは自信なさげに尋ねた。


 「何でそんなことが分かるの?」


 いちごさんはウインクをして、ひのの頭を撫でた。


 「オカマの勘よ。信じて。まぁ、月曜日学校が終わったら『ひとりで』花園に来なさい。教えたい事があるから」




**


 月曜日。




 「おい、ひの!さっきから話しかけてんのになに無視してんだよ!!怒るぞ!!」


 「……」


 「桐原も言ってくれよ。こいつ、今日会ってから全然話聞いてくれないんだよ」


困った表情を浮かべ、友子に相談するが、友子も全ての原因を把握していないので分かるはずもなく。


 「ごめんねー。ひのっち、こうなっちゃったらめんどくさくて」


 「……じゃ、私、次の授業、移動するから行くね」


 「ひのっちまって!!私も行くー!!」




 その場に取り残された京介は何度も首をかしげていた。


 「女ってわからん。さっぱりわからん」




**


 ひのは、学校が終わったのち、言われた通りオカマバーに来ていた。


 「ひのちゃん、来たわね。さっそく始めましょう」


 いちごさんは腕まくりをするとエプロンをして、事務所の奥にある小さなキッチンスペースに案内した。そして、並べられた材料を見ながら言った。


 「今日教えようと思ってたのは、お菓子なの。男の子って手作りお菓子喜ぶものなのよ」


 「え?私、料理できないよ?」


 ひのは思わず取り乱す。いちごさんは胸を叩きながら任せなさいと言い、ひのにウインクした。




 さっそくひのはエプロンを借り、手を洗うと、言われたように始める。まず、材料の説明だ。


 「男の子はね、ザクザクした食感が好きなの。そして、甘いものよりもややビターテイストの方がウケがいいかな。だから、今回はナッツ入りのココアクッキーを作りましょう。材料は、無塩バター、製菓用のビターチョコレート、ココアパウダー、グラニュー糖、アーモンドプードル、カシューナッツ、それから食塩。すでに量ってあるから順番に混ぜてね」


 「はーい」


 「まず、常温に戻したバターにグラニュー糖とチョコレートを入れてゴムベラで混ぜてね」


 「うまく混ざらないよ」


 慣れない手つきでかき混ぜるひの。いちごさんはひのの右手に手を添えて、指導しながら言った。


 「もう少し力入れたらいいかな。材料が均一になるようにね」




**


 「混ざったら、残りの材料を入れるの。そしたら、コーンスターチ、と塩を入れて混ぜてね」


 「結構、ここまでは簡単なんだね」


 「その後、生地をいったん冷蔵庫で休ませる。一時間くらいね」




**


 「生地をいったん寝かせたら、オーブンを160度に予熱して、その間に生地を伸ばしてから、型抜きをするの。りゅうちゃんはどんなのが好きなの?」


 「この猫のやつとかウケそうだね!ハートはちょっと恥ずかしいかなぁ……」


 「何事も冒険しなきゃ面白くないわよ!」




 少し作業を進める合間、いちごさんはひのに質問をした。


 「ひのちゃん、こうやって作るとき、りゅうちゃんのこと考えて作ってるわよね。美味しいって言われたいから頑張れる。そう言う物なのよ」


 「なるほどねー。勉強になります」


 「あたしも、このバーを経営して十五年だけれど、やってきて辛いこともあったわ。経営も大変だったし。でも、料理の質よりもやっぱり、疲れて訪れるお客様への愛情が何よりのスパイスなの」


 いちごさんは嬉しそうに話す。長くやってきたからこそ分かる、その深さと重さ。


 「だから、ひのちゃんも負けないでね」


 「ありがとうございます!!」


 「さ、焼きましょ」




**


 「いい香りがしてきた。美味しそう」


 「初めてにしてはいい仕上がりね。ちょっと形がいびつなのもあるけれど、ま、いいわ。ラッピングしましょ」


 焼きあがったクッキーを冷ましたあと、袋に詰め、青いリボンを縛る。ひのは何個か余ったものを別包装にしておいた。そして、いちごさんは事務所の机から「猫のシール」を貼った。


 「これはおまけ。明日、頑張って渡すのよ」


 「ありがとうございました。何から何まで」




**


 楼雀組にて。


 「これ、お嬢が作ったんすか?!うまいっす!!」


 「へ?俺食べてないよ!!」


 「俺も俺も!!」


 組員はひのが作ったクッキーを奪い合うように食べた。ひのは思わず、京介分にラッピングしたものを出しそうになったが、やめておいた。




**


 そして、翌日。屋上にたまたまいた京介に、ひのは恐る恐る話しかける。


 「ああ、お前か。どうした?」


 「ここ二、三日、口利かなくてごめんね」


 ひのは謝ると、後ろに隠していたクッキーを取り出して渡した。


 「はい、これ。お詫びじゃないけど」


 「へ?お前が作ったのか?食べてもいいか?」


 京介はひのに許可を貰うと、包みを丁寧に開いた。辺りにカカオの匂いがふんわりと漂う。京介は恐る恐る口にすると、びっくりしたように一言言った。


 「うまい。めっちゃうまい!」


 「へへ、良かったぁ」


 「ひと息に食べるの勿体ないな。後で大切に食べるよ。ありがと」


 「うん、じゃあ、私は行くね」


 ひのは緩み切った頬と、にやけた顔をこれ以上見せるまいと、逃げるように屋上から降りて行った。京介は再び、屋上を見上げながら、手に持っていたクッキーを齧った。

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