【外伝部】

外伝章「ねんねこ・ねころんど」




**


 秋雨降る十月の昼下がり。京介は、住まいの古本屋の本棚をはたきで掃除していた。ガタついた本棚から一冊、堅いカバーの厚い本が頭に落ち、悲鳴を上げてしまう。


 「いって!角が当たった!ったく、なんなんだよ」


拾い上げて本を見ると、夏目漱石の作品集であった。普段は本すら触れない京介だったが、珍しくパラパラとページを捲った。そして、声に出して読んでみた。


 「『吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめとしたところでニャーニャー泣いていた事だけは記憶している』」


 京介らしい、と言うか数ある作品集の中からこれを選ぶのは彼くらいしかいないだろう。京介は少し読み進め、最後に猫が大きなかめの中で溺れ死ぬシーンで感情移入してしまった。お前、死ぬんじゃない!生きろ、生きろ!と言って。




 しばらくすると、ひのがやってきた。


 「京介、いる?え?何泣いてんの?」


 「わがはいが死んじゃっだー。俺、もうダメかもしんない」


 京介は号泣しながら、ひのに泣きついた。


 「何言ってんの?気持ち悪いなぁ。なに?文学の秋だから感化されて小説でも読んでたの?」


 ひのは小馬鹿にしながら京介が持っている本を手に取った。


 「あー、夏目漱石ね。今学校でも『こころ』やってんじゃん。で、何で泣いてんの?」


 「聞かないでくれー。立ち直るのにしばらく掛かりそうだから」


 「あ、そう」


 ひのはしばらく感情移入している京介を無視し、古本の中に埋もれている一昔前の本を手に取って読み始めた。




**


 「……もしもし?もしもーし!……デシ」


 京介は囁く声に目を覚ました。すると寝ぼけているのか、目の前に喋る愛玩動物がいるのを見た。


 「あれ?俺、夢でも見てんのか?なんか目の前に喋る斑尾の黒猫がいるんだが。なんかひのは壁に張り付いてふるえてるぞ?あれ?俺、目がおかしくなったのかな?」


 「京介!あんた気づかないの?その子、猫又だよ。しかも人語を喋れる奴」


 「え?!マジで??ちょっとカメラ持ってくる!」


 京介は自室の中に入って行ってしまった。


 「あ、ちょっと待つデシ。あ、お嬢さん、吾輩の頼みを聞いてはくれないか?デシ」


 「ち、近寄らないで。実は私、アイツに内緒なんだけど、猫が苦手で……」


 「そうか、残念デシ」




**


 「そうかー、お前、四五文(しごふみ)って言うんだ。大正時代から生きてんだな。俺、驚きだわ」


 「その『ふらっしゅ』ってやつ、やめてくれないデシか?ちょっと吾輩には眩しくって」


と言いつつ、しっかりとポーズを決める四五文。ひのがその様子を見て突っ込みを入れた。


 「お前は猫カフェにいる女子高生かっ!」


 「あいたっ」




**


 「実はおふたりにお願いしたいのは、吾輩の主人を探してほしいデシ」


 「飼い主?」×2


 「そうデシ。吾輩、実は齢105歳になるデシ。※ 長い間野良で過ごしたり、何代か主人に飼われたりしたのデシが、離れ離れになった飼い主が、もうかなりの高齢で、なにやら主人の子どもたちが、主人について揉めて主人を別の所に暮らさせているのデシ」


 ※脚注:猫の最高齢はギネス記録で30歳。


 「それってつまり、老人ホームかなんかに、四五文の飼い主が送られてるわけか」


 「吾輩も居心地の悪い環境だったのデシが、子どもたちに追い出されて、もう15年ほど野良をやって気ままに暮らしているのデシ」


 「あんたも不遇だったねー。うちに来れないのがホントに残念だけど」


 「あれ?なんでお前のとこ呼べないの?」


 「私は猫が苦手で……あ、しまった!」


 京介はニヤニヤしながらひのを見ていた。ひのは実は京介に弱みを握られたくなかったらしい。


 「柴犬みたいな顔してて、猫が苦手なんだな」


 「うるさいっ!」


 ひのは夏目漱石の作品集で京介の頭を叩いた。角が当たったらしく、京介はもがき苦しんだ。


 「人間の女性は怖いデシ」


 四五文は震えあがっていた。




**


 さて、話が少し長くなりそうだったので、京介はお茶とお茶菓子をお盆に載せて持ってきた。四五文は人間の食べ物も行けるらしい。ただし猫舌なのでお茶はぬるめに冷ましてあげたが。


 お盆に乗っているものを見て、四五文は興奮した。


 「甘納豆!吾輩の大好物なんデシ!!ひゃっほい!」


 四五文の小躍りを見て、京介はデレデレしていた。




 「で、何か情報はあるのか?」


 「この首輪のカプセル状の入れ物を開けて欲しいデシ」


 京介は四五文の首輪に括り付けてあったカプセル状の入れ物を取り、捻って開けてみた。するとボロボロのモノクロ写真が一枚、丸まって入っていた。かなり年季が入っている。


 「これは、吾輩が主人とはぐれないように、首に括り付けてくれた写真なんデシ。何でも、主人は昔、お偉いところでお偉い小説を書いてたらしいんデシが、何だったっけ」


 頭を抱える四五文。ひのは京介から写真を受け取ると何となく既視感があったようで。しかし、思い出すことが出来ない。京介はまた写真を返してもらうと、部屋の奥に入っていき、写真をコピーしに行った。




 京介が戻ってくると、じりじりとひのに近づこうとする四五文の姿があり、ひのは後ずさりしながら壁の方に追い込まれていた。そして、冷や汗を流しながらひのは必死の抵抗をしていた。


 「これ以上近づかないで!来ると大変なことになるよ!!」


 「そんな事言わないでデシ。つれないデシ。友好の握手を交わそうと思ったのに、どうして逃げるのデシか?」


 ふるふると顔を振る四五文。そして、さらに距離を詰めていく。


 「なんかお嬢さん、三代目の主人とおんなじ面影があるんデシ。引っかかるなぁ……」


 「あんたが私の事をどんなに好きだったとしても、私は嫌なの!!協力はしてあげるけど、今生、猫と戯れるつもりは無い!!」


 「があああん!!ショックデシ!」


 ひのはきっぱりと言い切った。その言葉に四五文は俯き気味に膝から崩れ落ちた(猫的な格好で)。そして、完全に硬直してしまった。




 「どうしたよー、四五文。あいつに嫌われても、俺がいるじゃんかぁ。おー、可哀想に」


 「京介どの、吾輩、もう悲しくて悲しくて」


 猫と人間の友情。しかも、熱くて濃ゆいやり取りが繰り広げられていた。「ケッ、勝手にやってろ」そう言いながらひのは地面を蹴った。そして拗ねている。




**


 「じゃあ、また教えてくれデシ。吾輩はいつも高校の裏門の木の下で午後三時に寝てるデシ。吾輩は時間を気にしてるデシ。気ままな他の猫とは違うデシ」


少し誇らしげに四五文は言った


 「同族をハブっちゃだめだよ。ちょっとうちの連中に当たってみるね」


 ひのは写真のコピーをひらひらとさせながらお別れを言う。京介は涙ぐみながら、大声で叫んだ。


 「四五文ぃー!これでお別れとか言うなよ!また会えるよな?今度来たときは、甘納豆山盛り用意しとくからな!!」


 「ちょ、ばか、何言ってんのよ、今生の別れじゃあるまいし」


 「京介どの、取りあえず泣くのをやめるデシ。貴方には涙は似合わないデシ」


そう言うと、四五文は生垣の中に消えていった。




**


 三日後、楼雀組にて。


 「お嬢、うちの組の連中に聞いてみたんですが、ちょっと分かんないって言ってまして。取引の筋もこの写真じゃ分からないって。ただ、みんな『見たことはあるけど』って言ってたんですが、それっきりでして」


 アロハシャツの男は残念そうに言った。「力になれなくてすんません」そう言いながら顔の前で手を合わせる。


 「ありがと。じゃあ、もう少し別の方法考えてみるよ」


そう言って去ろうとした瞬間。インテリ系の男が思い出したように口を開いた。


 「お嬢。そう言えば、この前訪問させて頂いた『オカマの巣窟』に手掛かりがあると思います。私達がこの街を仕切り始めてから10年経つんですが、既に存在してた場所がこの前のオカマバーなんです」


 「あー、あそこ?私が迷惑かけちゃった場所ねー」


 ひのはあの時の惨劇を思い返しながらすまなそうに言った。


 「おやっさんと一緒にこの街を仕切り始めたんですが、殆どと言っていいほど行ってない場所なんです。この前、お嬢からの要請があったから行きましたけど」


 意外な事実に驚いたひの。まぁ、好き好んでいく人はそんなにいないか。そう思った。あの剣幕は少し恐れ多いものがあったが。


 「ま、まあちょっと行ってみるよ。ありがとう」


ひのは苦笑いしながらその場を後にした。彼らは少し疑問に思っていた様子だった。




**


 それから、学校の放課後。


 京介は校舎の近くによく遊びに来る猫と有意義な時間を過ごしていた。京介は猫に懐かれる方ではないが、馬が合う猫が何匹かいるようで、今日も恍惚の表情を浮かべながらまったりと過ごしていた。


 「今日も空が青いなぁ。トラジマ」


 「ナー」


 猫は京介の膝の上で気持ちよさそうに丸くなり、京介の問いかけに応じていた。完全に一人と一匹はユニゾンして一体化していた。


 「あー、時間が止まればいいのに。そう思うだろ?トラジマ」


 「ナー」


 アフレコを付ければ「そうだな」と言っているかも知れない。ちなみにこの猫は雄であり、トラジマと言う名称は毛色から来ている。少し傷の多いやんちゃ猫な所が京介にそっくりだ。


 京介が恍惚に陥っている空間を割るように、大きな声で話しかける奴がいた。




 「きょうすけ!!!!さっきから呼んでるのにぜんっぜん聞いてない!!」


 目の前にめちゃくちゃキレてる柴ワンコがいた。柴ワンコの吠える声にびっくりして逃げ出すトラジマ。


 「あー、なんだ、お前かよ。せっかく幸せな時間を過ごしてたのに」


 「猫なんかいつでも構えるじゃんか。あんたはところ構わず、にゃーにゃーにゃーにゃー!にゃーにゃーにゃーにゃー!ほらほら、行くよ!!」


 「あ、ちょ、おま……」


 京介の手首を引っ張ってひのはあの場所に連れて行った。




**


 「……」


 オカマバーの前で立ち止まる京介。あまりの恐怖心に立ち止まっている。


 「ほら、さっさと入るよ」


 「……お前は俺にまた女装させたいのか?」


 京介は憐れみの目でひのを見る。ひのは少し考えた後、答えた。


 「この前の女装はとても良かったけど、今日はちょっと用事があってね。さー、入るよー。さーさー。」


 そう言ってひのは扉を開けて入って行った。振り向くと深呼吸して正拳突きの構えで固まっている京介がいた。足が震えて動けない様子。


 「あー、もう、なにぼさっとしてんの!早く入るよ」


 「やめてー!!」


 京介は無理矢理、手首を掴まれて引っ張り込まれていった。




 さて、店内に入ると以前の様子よりも落ち着いた雰囲気でオカマさんたちが給仕をしてくれた。ひのは顔を見知っていたのか、丁寧に挨拶を交わしたのち、話を進めた。


 「ひのちゃん、お久しぶりー。今日はどうしたの?」


 「あー、けいちゃん。あのですねー、『いちごさん』に用事がありまして」


 「いちご?」


 京介は疑問に思った。ケイコ(源氏名)は詳しく教えてくれた。


 「りゅうちゃん、知らなかったよねー。うちのボスだよ。このバーはいちご(源氏名)さんが立ち上げて、もう15年経つのかしら。楼雀組とも長いお付き合いさせて貰ってるのよね」


 ケイコは思い巡らしていた。そして、思い出したように、ひのに言った。


 「あ、そうそう。いちごさんが『イケメン筋肉』の写真もっと欲しいって。言ってくれれば、高い値段で買ってくれるってさ」


 「おっけー」


 「なんだよ、その『イケメン筋肉』って」


 「あー、うちの組の連中の着替えてる時の写真とかこっそり隠し撮りして、この前迷惑掛けちゃったから、買収して貰ったのよ。うちの組に、また一つ太いパイプが出来たから嬉しくてねー。」


 ひのはホクホクしながら言った。京介はえげつないなぁと思った。ヤクザの収入は的屋か博打。悪いとこは武器売買から麻薬取引まで行っているが、堅気の商売と言えばそうなるのか?触れないでおきたい。


 「って事で、うちの連中に興味があるので、ここの人たちはもう『りゅうちゃん』の時代は去りました。よかったねー」


 ひのは小馬鹿にしながら言った。京介はなぜかムカついて、ひのの両頬を手のひらでむぎゅっと押し潰した。


 「おまえー、いらん事言うなー!」


 「にゃに?みゃたすきゃれちゃいの?(何?また好かれたいの?)」


 「いや、遠慮しとく」




**


 少し時間が経過し、京介たちはいちごさんと対面していた。


 「そっか、りゅうちゃんはそのマブタチのにゃんこと会って、その飼い主を探してるってわけねー。泣かせるねー」


 いちごさんは少し年を召しており、やや手入れの行き届いていない青髭が印象的だった。写真を見るとしっかりと話を聞いてくれた。


 「で、見つかりそうなのか?」


 「あたしも15年この街に住んでるけど、ちょっと知り合いに聞いてみないと分からないわねぇ。あ、それはそうと、ひのちゃん」


 「はい、なんでしょうか?」


 いちごさんはひのの耳元に囁くように言った。


 「……この前の『ダンディーなおじさまの写真』もう少し追加購入でいいかしら?高く買っておくわ」


 ひのは黙って二回頷いた。京介はどうせろくなことを考えていないだろうなと思い、敢えて聞かなかった。




 「……じゃあ、三日後、またこの事務所に来てちょうだい。何かあったらいつでも連絡して。これ、番号だから」


 いちごさんはそう言うと、溜まっている仕事に取り掛かる為、京介たちを退出させた。


 「……どうする?もう少しこの店でまったりしてく?」


 ひのが聞くと、京介は少しいやそうな顔をして答えた。


 「遠慮しときます」


 「そうか、残念だ」




 「りゅうちゃーん!!またねぇ!!」


 「あたしたちはひのちゃんとこの男の人よりも、りゅうちゃんの方が好きよー!!」


 10mくらい離れても、彼らの野太い声が届いて、見送っていた。京介は大声で叫んだ。


 「うるせぇ!!」




**


 三日後。オカマバー事務所。


 「いちごさん、連絡ありがとう。で、何が分かったの?」


 「あのね、この人なんだけど、見て見て」


 いちごさんはタブレットパソコンを取り出すと、タップして一枚のページを二人に見せた。


 「『浅川 文生(あさがわ ふみお)』さんって言うんだけど、今から40年前、ベストセラー作家として世の中に出てたみたい。あたしのお母さんも見てたドラマの脚本書いてて、『~タイ焼き活劇~ 餡子と粒男の恋物語』ってくっさいドラマ手掛けててね」


 「まさかね。」


 ひのはあの商店街で見た臭いドラマを思い出しながら苦笑い。京介は少し疑問そうに彼女に聞いた。


 「ん?お前、知ってんのか?」


 「春先、商店街の電気屋さんのショウウインドウのテレビで映ってたの。たぶんおじさんの趣味だと思うけど」


 「なに?!ひのちゃん、あの伝説のドラマ知ってるの??」


 いちごさんは食い付くが、ひのはそれ以上答えたくなかったようで、黙っていた。




 「……浅川 文生さんはね、20年前にさっきのドラマの脚本書いて引退したから、今は85歳になるんじゃないかしら?」


 「ははは、85歳?!」


 「晩年にあの臭いドラマの脚本を作って引退したとは……強すぎる」


 京介とひのは驚いていた。そして、顔を見合わせながら言った。


 「で、それ生きてんのか?」


 「私に聞かれてもわかんないよ!!死んでるかも知んないじゃん。会いに行くしかないでしょ?」


 「男らしいな、お前」


 京介は、ひのの事を尊敬のまなざしで見ていた。




**


 さて、一通りの情報を掴んだ後、二人は手作りクッキーを丁寧に頂き、オカマバーを後にした。


 「またきてねー!!」


 「いつでも待ってるからねー!!」


 「もうこねーよ!!」


 同じシチュエーションで京介は叫んでいた。相当来たくなかったらしい。




**


 さて、日を改めて、四五文のいる時間帯に京介とひのは高校の裏門にいた。木の下から門に向かって四五文が走ってきたので、京介は四五文を捕まえると、強烈なハグをかました。


 「四五文ぃいい!会いたかったよおおおお!!」


 「いいい、痛いデシ。京介どの、ちょっと力が強い……」


 「オカマとのこの温度差は何なの?」


 ひのはあきれていた。




 京介は、四五文に一通りの経緯を話した。


 「なるほどにゃー、だから偉いとこの偉い人だったんデシか。5代目の主人が文豪とは、何気に吾輩も幸せ者デシ」


 四五文は少し誇らしげに言った。


 「俺は分かんないんだが、こいつがドラマを見てたらしく、原作が図書館に寄贈されてるって、今日聞いたとこだから、図書館に行ってこようと思ってな」


 「でも、相当古いから絶版になってるんじゃないの?」


 「わかんねーじゃん。調べてみないと。だろ?」


 「京介どの……吾輩が人間だったらどんなに良かったか」


 四五文はかなり感動していた。そして引き続き調査を頼んで、生垣に消えていった。




 「あー、行ってしまった」


 「あんた、その癖直したら?『四五文ロス』になりそうで怖いんだけど」




**


 さて、京介たちは図書館に来た。わりと霧前市の図書館は古いものも置いてあるらしく、すぐに見つけることが出来た。京介は本の寄贈者欄を見ると、親族の名前と住んでいる場所が書いてあるのを発見した。


 「浅川 武生(あさがわ たけお)さんか。住所は森城町って書いてあるな。確かこっから二駅くらいの場所だったよな。」


 「あーーー!!あいつらの住んでる場所じゃん!!」


 「あいつらだよ。って言っても京介は分かんないよね。ゴリラとチンパンジーがいるの!!」


 京介は疑問顔を浮かべていたので、ひのはさらにご丁寧に説明した。


 「うちの母親が勧誘した新入り!京介がオカマさんに絡まれてた日に森城町から来たの!!」


 「あ、そう言えばその日あたり、うちのアネキもなんか言ってたなぁ。ゴリラがどうとか。それよりも、お前、『組』って何のことだ?改めて聞くけど、なんか今まで気になってたのに、今まで聞けなくてな。」


 しまった。とひのは思った。自然に口に出ていたのだが、核心には触れられたくなかった。しかし京介には隠し通しても仕方ないと観念したのか、改めて説明をすることにした。


 「あんたと一番最初に会った時に、商店街でヤクザが絡んでたでしょ?あれ、うちの、『楼雀組』の奴なのよ。あの後、しっかりお灸据えといたけど」


 ひのは眉間に手を当て、溜息を吐きながら答えた。京介は唖然とし、驚きつつ続けた。


 「……って事は、おまえんち、ヤクザのアジトなのか?」


 「そういうこと」


 勘弁してよ。と言わんばかりのひの。両手をお手上げ状態だった。


 「だから、うちの連中に関わるとめんどくさいから。私もいろいろ話してなかったのも悪いんだけど」


 「お前も大変なんだなぁ」


 「ホントだよ!!」


 ひのは重過ぎる重荷に悲鳴をあげたくなった。そして、自分の置かれている立場を改めて説明した。


 「私は、14代目を襲名するって言われてんだけどね、楼雀組は15年目なの。これでも20名以上の部下がいて、カタギでやってきたんだから。母親が好きで変な連中入れてんだけどね」


 「そっかぁ。わり、いろいろ聞いちまって。話し戻すけど、ゴリラだかチンパンジーだか、そいつらと接触できんのか?」


 「ちょっと聞いてみるね、あ、うちに来てもいいけど、変なことしないでね!」


 ひのは釘を刺した。




**


 その晩。楼雀組ではひそかな会議が行われた。ひのは男連中を集めると、大声で言った。


 「あんたたち、聞いて!明日知り合いの男子連れて来るけど、変なこと言わないでね!!」


 「え?お嬢、これっすか?これっすか?」


 小指を立てて茶化す組の人たち。ひのは少し呆れ気味に言った。


 「……そういう言葉が一番聞きたくないの!!わかんない?以後禁止ね!」


 「はいはーい、お嬢、破ったらどうなるんですかぁ?」


 「そうだねぇ……母親にしばいて貰うしかないね!」


 組の人たちは青くなり、震えあがった。




**


 そして、対面の日。


 ひのはおおっぴらにしたくないので、京介を門まで連れてきた。


 「……よく見えないっすけど、あれがお嬢の彼氏ですか?」


 「分かんないっす。でも、貧弱そうで、もやしみたいな体格っすね」


 影から口々に噂が沸き立ったが、ひのは気が付かず、そのまま話をしていた。京介はまず門の大きさに驚いていた。


 「おまえんち、でっけぇなぁ。門がすげえよ。なんで入れないんだ?」


 「ちょっとめんどくさいことになりそうだから。ちょっと霊長類呼んでくるね」


日に日に扱い方が酷くなる桐沢と柳川。ひのがいなくなった隙を狙い、一人の組員が京介に近寄った。


 「お、おまえ、おじょうの……これか?」


 「は、……っはぁ?」


 京介は赤面しながら組員の言葉に耳を疑う。そして、男は京介にこそっと小声で言うと去って行った。


 「お嬢がいくらお前を好きでも、おっ、俺は認めないからな!ホントだぞ!」


 「……」




 「お待たせ。連れてきたよ。……どうしたの?」


 「あ、わりいわりい」


 「あ、お前がりゅうううざききょおおうすけかぁあ!!会いたかったぞ!!」


 初っ端からテンション高めの柳川。田舎町にいてずっと対面したかった京介と会えてテンションがはちきれそうだ。


 「なんだ、このうるさいの?」


 「……やなぎかわ。……オデ、きりさわ。」


 「確かに、お前らの顔はゴリラとチンパンジーだな!」


 京介は天然記念物を見たかのような驚き方で感心している。


 「て、ててててっめぇ、かあちゃんにもいわれてないことをおおおお!!」


 「…………オデ、怒ると怖い」


 「何言ってんのよ、いつもうちの連中に言われてんじゃないの!」


 ひのは二人の背中をバシバシと叩き、笑っていた。




 「で、お前らの住んでる森城町は、とどのつまり、文生さんの出生の場所だったのか」


 「コンビニもない!スーパーもない!高校も一つしかない!ゲーセンもない!いるのは老人だけだ!!文句あっか!!」


 「……惨めになる。やめろ」




 京介は一通りのことを彼らから聞いた。文生さんは、恐らく最晩年を生まれ故郷に戻って過ごしているのではないかという話らしい。


 「おい、龍崎!やめとけ、あそこにいってもなにもない。電車で行く場所じゃない!おれっちたちは自転車で二時間掛かって、もう戻りたくないんだから!」


 「あんたたち、ホントに戻らないの?」


 「……あそこには、オンナが居ないから」


 ひのは唖然とし、そして確信に至って質問した。


 「あんたたちが結局この場所に来たのは、男子校に嫌気がさしたんでしょ?退学しても、うちにいるんだから」


 「あ……いや」


 京介は流石に二人を可哀想に思い、同情してしまった。




**


 さて、日を改めて京介とひのは例の裏門で四五文と待ち合わせることにした。そして、事の経緯を話した。


 「……おつかれデシ。そうか、吾輩の主人はその場所にいるデシか。会いたい、……会いたいデシ」


 主人との再会を切実に願っている四五文。しかし、猫の力の無力さを感じ、悲しんでいるようだ。京介はその言葉を聞いて、胸がとても苦しくなった。


 「なぁ、俺、四五文と電車で行こうと思ってるんだが、お前は猫苦手だったよな?」


 ひのはムッとしたのか、若干やけ気味に京介に反論した。


 「んなっ、何言ってんのよ!!乗り掛かった舟でしょ?ここまで来たら行くしかないでしょ!!」


 「恩に着る!」


 「いいんデシか?吾輩のために。こんな人間がいるとは思わなかったデシ」


 「そのセリフは会ってからな。言うと思って、実は用意してたんだよ。」


 そう言って京介は隠していたペットを入れるカバン取り出すと、四五文をそっと入れて電車に乗り、森城町に向かった。




**


 「たしか、住所ではこの辺りだよなぁ」


 京介はひのと顔を合わせながら、「浅川 武生」さんの住む場所に向かっていった。スマホのナビで調べ、表札を確認すると、インターホンを押す。


 「……はい、どちらさま?」


 不機嫌そうに出てくる50代後半の男性。そして、ひのは京介が挨拶をしようとすると、前に出て、京介が言おうとした言葉を遮った。そして挨拶をし、本題を話した。


 「……浅葱と申します!浅川 文生さんはいらっしゃいますか?」


 「……なんだよ、親父の知り合いかよ。ファンがよく来るんだよなぁ。親父ならこの近くの総合病院のこの場所にいるよ」


 そう言って、武生は紙に病院の名前、病室の番号を書くと、扉を閉めてしまった。


 「なんなんだよ、あいつ」


 「シー。聞こえる。ちょっといってみよっか」




**


 付近総合病院、105号室。


 窓際のベッドで、痩せて青い顔をした老人が、外のイチョウの木を眺めていた。彼の病室の机には、何冊かの便せん。万年筆が置いてあったが、もう筆が持てないくらいに衰弱しているようで、ミミズがのたうったような言葉で手記が綴ってあった。そこに、少年少女二人と猫一匹が訪れた。


 「……あさかわ、ふみおさんですか?」


 「……だれですか?」


 老人は掠れそうな声で、か細く聞き返した。あまりに衰弱しきった様子を見ると、彼らはとても胸が苦しくなった。




 「そんな、こんなことってある?」


 「わかんねーよ。俺だって、覚悟はしてたけど」


そう、ひのと京介は文生に会えたのだが、文生はすっかりと病魔にやられてしまい、最晩年をベッドで過ごすひを送っていた。妻に先立たれ、息子夫婦に厄介者にされて、今病院で余生を送っている。かつてはペンを持つ気鋭の作家が、今はペンを持つことも出来ず、静かに寝て過ごす日が増えていた。




 「ごめん、四五文、俺、おれ、おまえに見せられないわ。こんな姿」


京介はバックに入っていた四五文に話しかけた。すると、老人はその呼ぶ「名前」に気が付いたのか、はっきりとした意識で京介に問いかけた。


 「いま……しごふみって……いいましたね?」


 「はい」


 「あいたいです」


 老人は目を細めた。四五文はバックの中で震えていたので、そっと京介はジッパーを開けると、老人のお腹辺りに乗せてあげた。


 「……すまない、さびしいおもいをさせてしまった」


 「……わがはいも……あなたに……さびしい、つらいおもいをさせてしまった……でし」


 京介とひのは顔を見合わせ、頷いて病室を出ていった。




 そして、病院の庭のベンチ。先ほどの老人が見つめていたイチョウの木の下で、京介とひのは少し話していた。


 「はぁ、良かったのか悪かったのか」


 「分かんないよね。私も分かんない」


 重い空気。無言になる二人。京介はすっと立ち、紙コップの自販機で二人分のコーヒーを入れた後、ひのにひとつを手渡して言った。


 「取りあえず、お疲れ」


 「あ、ありがとう」




 ぼーっと考え、しばらくすると、ひのの前に白い綺麗な猫又が現れた。


 「まぁ、綺麗な桜の木ね」


 「桜?」


 ひのはイチョウの木を見ながら桜と言う猫又に、少し疑問を覚えた。そして、自分は疲れているんだと、目元を指でぎゅっと押した。京介は猫又に近寄る。


 「珍しい日もあったもんだ、二匹目の猫又に会えるなんて!」


 「あなたの事が私は嫌いです!」


 「へ?」


 「今日は雨降りだし、天気も悪い、気分は最悪。なので帰りますわ」


 「ちょっ……」


 あっけにとられる京介。その背後から見覚えのある、黒い猫又がやってきた。そして、彼が一言。


 「あー、彼女は『姫縞 桃子』っていうんデシ。天邪鬼なんデシ。真逆の事を言うのデシ」


 「しごふみっ?!会いたくなかった!!」


 「……相変わらず傷つくデシ」




 少し間があり、京介は四五文に質問した。


 「で、文生さんはどうなったの?」


 「眠ったように意識が無くなって、ナースコールが鳴ったので、急いで窓から逃げたデシ。少し開いてたので、助かったデシ」


 「……そっか」


 京介はそれなりの覚悟はしていた。最後の力を振り絞って、老人が猫と会話をしていたのだと感じ、涙ぐんだが、堪えた。そして、傍で聞いていたひのが質問をした。


 「あんた……四五文、この先どうすんの?」


 少し思い巡らす四五文。そして、姫縞 桃子と顔を合わせたのち、頷いて静かに答えた。


 「……吾輩も、姫縞 桃子もそう長くないデシ。猫又で長生きさせて貰って楽しい思いをさせて貰ったけれど、もう疲れたデシ。なので、彼女と静かに余生を過ごしていくのデシ」


 「そういうことに……ならないかな」


 天邪鬼。京介は唯一、その言葉に慰められた。この二週間ほどでとてもとても苦しくなったり、落ち込んだり、泣き崩れたり、笑ったり。そんな一部分が今、去ろうとしている。




 「なぁ、ひの、お前、少しは猫の事好きになったか?」


 「さぁ。分かんない」


 ひのは何も言わずに下を向いて唇を噛んでいた。


 「お別れは言わないデシ。また会う時、その時があったら、笑顔で」


 「じゃあね!」




 そう言って、猫又達は塀に乗り、屋根に飛び移って消えていった……。




**


 「お嬢、今朝の朝刊、みやしたか?」


 「え?何よ、うるさいなぁ、朝から」


 


 ―浅川 文生書生、86歳で逝去。


 膵臓ガン。寂しい余生を猫に看取られる。手記にて判明―


 新聞に大きく出る。最期の意識を振り絞って書き綴っていたらしい。その猫の姿が見られたのか、見られないのか。それは分からないが、彼にはきちんと伝わっていたのは確かな事だ。


 ひのは新聞を見ることもなく、今日も忙しく登校していった。




 「行ってきまーす!!」


 「お嬢、またあの男と会うんですか?」


 「うるさいなぁ!ほっといて!!」

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