【第一部】第三章「愛玩動物と私」



 ひのは、その晩考えていた。どうしたら自分に威厳が持てるのか考えていた。自分の中にある血が滾る感覚を、何故か彼には感じるようだ。


 そんな事を考えて彼女はいつの間にか眠っていた。それから朝を迎え、うるさい野郎に構われる前にさっさと学校に行く事にした。




**


 翌日。学校にて。


 「バカと煙は高い所に昇る」と言う言葉があるのだが、楼雀組で過ごすひのは、「お兄さんたち」に対し「暗がりと廃屋」に集まると考えていた。大抵悪知恵の働く連中は一定の所に集まるんだそうだ。


 商店街の路地裏や学校の階段裏などを見まわし、ひのはきょろきょろとしていた。ひのは口元をニヤリと歪め、不敵な笑みを浮かべながら学校に入っていった。


 そして、私は学校の屋上の物陰で待機する事にした。


 


 「おい、村井、お前、例の物持って来たか?」


 「……え、えっと、うん」


 「早く早く!お前の親父なら幾らでも出せるだろ」


 「何?アイツらカツアゲなんかしてるの?みっともない。男って弱い奴を何で寄ってたかっていじめるかなー。面倒臭い」とひのは思った。彼女は呆れつつ、溜め息を吐き、それから手元に転がってた得物になりそうなデッキブラシを掴むと様子を窺う事にした。




 「おい、誰か来たみたいだぞ」


 「あ、あれって龍崎さんじゃ……」


 「…………!」


 彼らが京介に気を取られている隙に絡まれていた男子は逃げ出した。そして、呼び止めようとするが京介に怯えたのか、腰を抜かしている様子。


 「お前ら、そんなに震えてどうしたんだ?」


 「す、スミマセン!!今すぐどきますね」


 「何なら、ジュースとか買って来ましょうか?」


 「いや、いい」


 先程の威圧的な態度と打って変わって媚びているようにも見える彼ら。彼らのあからさまな態度の変化に、疑問と嫉妬心の入り混じったような感情を抱くひの。


 「ささ、どうぞお座り下さい」


 「俺らは行くんで」


 逃げるようにして彼らは去ろうとするが、京介が呼び止めた。


 「おい!」


 「ひゃ、ひゃい、何でしょう?」


 「俺、そんなに怖いか?これでも優しくしてるんだけど。仲良くしようぜ?同級生なんだし。」


 京介は伺うような口調で二人に質問し、そして笑った。その表情があまりにも怖かったらしく、男子生徒たちは震えあがった。


 「仲良く……?」


 「え、遠慮しときます!!」


 「いやぁ!!勘弁して下さい!!」


 「少ないですけどこれで!」


 そして、彼らは献上するように財布を置くと、逃げるようにして走り去っていった。




 ひのは京介のその後の様子を観察していると、頭を抱えて寂しそうに言った。


 「何がいけないんだろうなぁ」


 ひのは耳を疑った。


 「アネキみたいに『凶悪粗暴』な生き方はしたくないって決めて来たのに、どうして周りがこう、逃げていくんだろうか。これじゃあ俺がヤンキーみたいじゃねーか!!」


 「いやいや、あんたヤンキーでしょうが!」ひのは、思わず突っ込みを入れたくなった。京介は錆びたフェンスを掴むと膝をついてうめいていた。ひのは若干重みを含んだ空気と京介の意外な一面を知ってしまい、改めて声を掛けづらくなってしまった。しかし、ひのも根が真面目な人間なので、この場から抜け出して授業に出ようと、そっと気配を消して屋上から逃げようとした。


 ドア付近まで近付くとノブに手を掛けた瞬間に京介が振り向いた。


 「誰かいるのか?」


 


 ひのは背筋が凍る思いでゆっくりと京介の方へ振り返った。聞いてはいけない事を聞いてしまったと思ったひのだったが、京介は怒りもせず、かと言って笑いもしないでこちらの様子を窺うようにじっと見ていた。


 「お、柴チビじゃねーか。聞いてたのか?」


 「あ、あぃ……相変わらず口が悪いねー。たまたまだよ。何にも聞いてないよ。屋上はわぁ、私も好きだしね。景色も良いし」


 適当な事を言ってひのはドアを開けて出ていった。長居するとボロが出てしまいそうだったからだ。京介はフッと笑うと、元の場所に戻っていった。




**


 ひのは授業中、ボーっと考え事をしていた。アイツの言っていた、「何がいけないんだろうなぁ」その言葉の意味が理解出来ない。




 「おい、浅葱、俺の話、聞いてるか?」


 気が付くとひのは数学の先生に頭をノートで叩かれていた。先生は嫌そうな顔でひのを睨んでいた。ひのも挑発の意味も込めて丁寧に先生を睨み返してあげた。先生はどうやら挑発に乗って来たようで。


 「おーお。相変わらず、浅葱は傲慢な態度だ。俺の授業が退屈なら出てってくれても構わないんだがなぁ」


 「…………」


 無言の威圧。しかし、ひのは先生から目を逸らす事無く、ただひたすら睨んだ。両者拮抗し、火花が散っているようにも見えて来た。


 しばらくの沈黙が続き、教室の空気が弛緩し始めた。しばらくすると周りの人が無法地帯になったのか、緊張感が無くなり、ざわつき始める。


 「おいおい、アイツまたやってるぞ」


 「相変わらず浅葱は血の気が多いよなー」


 「数学の先公とかめんどくさいのに、よく敵に回す気になるよねー」




 ひのに集まる視線。滞る授業。彼女は自分が中心になって授業を止めている事に非常にむず痒くなり、苛立って机を叩いて立ち上がった。


 「視線がうるさい!!」


 大声で言う。すっきりようだ。しかし、周りの反応は予想以上に冷たいものだった。


 「……はぁ?」


 「何言ってんの?」


 「ごめん、何でも……ないです」


 その後、ひのは小さくなっていた。京介の威圧感。まだ程遠いと思いつつ。




 **


  時は変わって昼過ぎ体育の時間。初夏を感じる晴れやかな陽気の校庭グラウンド。


 体育教師の大沼 十和子(おおぬま とわこ)は声を張り上げて言った。


 「さて、清々しい天気だなぁ!みんなは身体、動かしてるか?」


 「いや、全然。最近、運動不足ですし」


 「私もダイエット以外動かした事無いなー」


 口々に運動不足を言うクラスメイト。しかし、私は威勢よく手を挙げ、宣言した。


 「はい!はい!はーい!!私は早朝四時に毎朝起床して、薙刀五百回素振りしてます!!」


 「え?マジ?!」


 意外な事実に驚くクラスメイト達。


 「そうかぁ、感心感心。浅葱は偉いなぁ。」


 先生は感心し、頭を撫でてくれた。ひのは照れ臭く笑う。


 体育教師「大沼 十和子」年齢は二十代前半らしく、絶賛婚活中の女性教師だ。生徒と真っ向からぶつかり合い、時代背景に関わらず、時に生徒を張り倒し、校正までする骨の髄まで熱血な先生だ。先生と生徒の壁を越えたその指導は、小狡い(こずるい)ひののお母様の対極に位置し、非常に気持ちがいい。多少時代が遅れているようにも見えるが。


 


 「さて、今日は、女子は棒高跳び、男子はランニングだ。もうすぐ始まる登山合宿に向けてはいい体力作りになるだろう。」


 十和子は親指を立て、「健闘を祈る!」と言った。ひのは体育が好きだが、友人の「桐原 友子(きりはらゆうこ)」こと、愛称「ともちゃん」は早速腰が抜け、ひのにしがみ付いている。


 「ひのっちー、棒高跳びだって。私、身体硬いから駄目かも知んない」


 ひののことをこの呼称で呼ぶ数少ない彼女の友人。そして体力があまりない。ひのは呆れてしまった。高校生と言う青春の真っただ中、何をこの女の子は健全な肉体を持て余しているのだと思った(卑猥な意味ではなく)。


 「ともちゃん、この前のバレーボールの時、なんて言い訳したと思う?」


 「んと……ジャンプ力が無いから出来ないと」


 「バドミントンの時は?」


 「筋肉痛が酷くて腕が上がらないから、出来ないと」


 ひのは溜め息を吐いた。世の中にこんな虚弱な人間が居て、しかもそれが私の友人だと言うのだから笑ってしまう。柄にもないが彼女は体力だけはある。見た目はあれだが。


 「だめだぞ桐原!何なら、私が誠心誠意、血肉を振り絞って付き合ってやろうか?」


 十和子が見るに見かねて檄を飛ばしてきた。


 「ひええ!頑張ります!」


 「ともちゃんはズルいなぁ。運動出来ないから大沼先生にこんなに付きっきりで見て貰えるんだから」ひのはそう思った。そう話している最中、背中に悪寒が走った。後ろを振り返っても誰も居なかったのだが、確かに撫でるような気持ちの悪い視線を感じた。




 「浅葱ってジャンルで言う童顔ロリだよな。中学生って言っても変わらないし。性悪な性格を除けば、絶対クラスの中で上位ランクに入るって」


 「そうかぁ?俺はトロそうな桐原さんの方がタイプだったりするんだがな。草食系の感じに癒される」


 気持ちの悪い男子のやり取りに見かねたのか、十和子は彼らを絞めることにした。


 「こぉら!お前ら、走って無いじゃないか。男子は1500メートルの記録測るって言っただろうが!」


 「マズいっ!」


 「私の体育をサボるって事は、それ相応、相当な理由があるんだろうなぁ……話して貰おうか。さぁ」


 「えーっと……あのー……」


 「十和子さん」の逆鱗に触れてしまった男子二人組。人間、即興で言い訳が作れれば容易いもので、窮地的な状況で考えれば考えるほど頭が真っ白になるのは目に見えている。スケベ傍観者に走っていた二人組もそんな罠に嵌まってしまった。


 「よし、お前らは(私の愛の)特別コースだ!昼休み返上で校庭を走って、クラスベストタイムを出して貰おうか!無論、私も参加するぞ。むさ苦しい校庭に紅一点と言うのも悪くなかろう」


 十和子は頷きながら勝手に話を進めている。


 「なぁ、俺ら、マズい事しちゃったな。ちょっと見過ぎてたかも」


 「女の身体は代償が高いって事だよ」


 二人は避けられない自然の摂理(弱肉強食)に打ちひしがれていた。




**


 そして、予鈴が鳴り、体育の授業が終了を告げる。


 「あれ、大沼先生は?」


 「ああ、いつもの個別指導だよ」


 ひのが男子に聞くと、男子はそっけなくさっさと行ってしまった。


 「ま、仕方ないよね。ひのっち、行こうよ」


 「……うん」


 大沼先生にお別れ言いたかったなぁとひのは小声で言った。


 「やっぱり、昼後の体育は辛いよ。食前、食後の運動は身体に良くない!お医者様でも呼んで誰か証明してくれないかなぁ」


 友子は疲れ交じりに拳を握って言った。まぁ、彼女にとって昼前は「登校時から」食後は「放課後」まで。総括的な、大きな範囲を網羅している事情だが。彼女自身、「運動は敵」なのだ。その割に太らない華奢な体系が羨ましい。ひのは皮肉たっぷりに言ってみた。


 「ともちゃんは根っからの文系だよね!部活も美術部だし、英語、歴史、国語の成績はいいけど、数理系はダメダメ」


 「うるさいなー。『万年留年危機少女』には言われたくないよ。ひのっち、赤点ばっかじゃん!大沼先生のお目お付けが無かったら確実に取り柄無しだよ」


 コイツ……心に刺さる事を。男だったら百回ぶん殴って、気絶したとこを簀巻きにして瀬戸内海に放流してやるのに。親友でよかったな。命の保証はあるぞ。ひのは思った。


 「うるさいなー。ともちゃんなんかこうしてやる!!」


 ひのは友子の両頬を摘むと目一杯引き伸ばした。


 「ひてて、ひたひよ、ひのっひ!」


 涙を混じらせながら訴える友子。相変わらずいじり甲斐があるなぁ。


 「んー?何?なんて言ってるか分かんないなぁ」


 ひのはわざとらしく意地悪を続行してみた。しかし、友子は何かに気付いたのか、頬を引っ張られながらグラウンド方向に指を指した。


 「はれひて!(あれ見て!)」


 「んー?どうしたの?」




 二人はグラウンドの方向を見ると、十和子に追い立てられて走る男子生徒二人の雄姿があった。青春だなぁ。と彼女たちは思った。


 「しかし、お前らは全然体力無いんだな!出来るのは『覗きと妄想』だけかぁ?」


 「し、失礼なあぁっ!!ぜぇぜぇ」


 「言ったなぁ!分かった。もしこの周回で六分切らなかったら、もう一周走って貰うからな」


 「ひー!姉さんには逆らえません!」


 「死ぬー!はぁはぁ」


 地獄を垣間見るかの如く、男子どもは今まで以上のペースで爆走していた。しかし、流石は十和子先生だ。呼び名も「先生」から「姉さん」に変わっている。


 「死ぬと言って死んだ奴はいないぞぉ!これも私の愛だ!」


 熱血且つスパルタ。彼女と生徒にしか見えていない世界がそこにはあるんだろうなぁ。




 「カッコいい……」


 ひのは目を輝かせ、大沼先生の姿に見惚れていた。


 「はのは、はなひてくれはひかは?(あのさ、離してくれないかな?)」




**


 そして、数分後。


 「せんせー、そろそろ次の授業の準備始めてくれませんか?」


 「うるさい!私はこの二人を完璧なるアスリートに育て上げるまでは死ねないんだ!何ならお前も加わるか?」


 「ヒッ!」


 十和子に声を掛けた女子生徒は「一昔前の熱血野球漫画ばり」の彼女の気迫に押しやられ、声にならない悲鳴を上げた。


 「俺……もうだめだ」


 「おい、しっかりしろ!このままじゃ姉さんに顔向けできないぞ!クラスベストを俺らで出すんだ!」


 一人が膝から崩れ落ち、もう一人の男子が必死に声を掛けている。


 「お……まえ……だけでも……たの……む」


 そう言って一人が力尽き、もう一人が号泣している。傍観者の女子生徒は蒸し暑い光景に呆気に取られ、笑う事も叶わず立ち尽くしていた。


 「そうかそうか、私の愛があまりにも強大で受け止めきれなかったんだな!」


 十和子はほぼ屍状態の男子生徒二人を肩から抱きしめ、二人の背中をポンポンと叩いていた。男子は涙を流しながら先生の愛情を受け止めている。


 「よし!お前らよく頑張った!ジュースを奢ってやるからついて来い!!」


 「うっす!」×2


 「あのー……授業……」


 飴と鞭を使い分けるこのカリスマ性の高さ、先生、生徒間を越えた大きな愛。ひのは十和子の偉大さに頷いていた。気付けばこちらももらい泣きしている。これも「人心掌握」の一つ。


 「うんうん。世界を救うのは『愛』だよ。大沼先生にとって、生徒は皆、兄弟姉妹なんだろうねー」


 「あのさ、ひのっち、国語始まるよ」


 ひのは男子どもの最後を見届けようと無意識にグラウンドまで足を踏み入れていた。


 「ひのっち、行かなきゃ遅れちゃうよ!」


 「ああ、大沼先生、お別れは言わないよ……」


 「はいはい」


 ひのは友子に襟首を掴まれ、名残惜しきグラウンドから引き摺られながら姿を消した。?




**


 「あー、お腹空いたぁ!」


 ひのは先生の一件に見惚れ、それから昼食を抜いていた事に遅かれながら気付いた。腹の虫をのさばらせつつ受けた、昼食までの数時間。噛み殺してやりたくなる腹の音に、苛立ちながらやっと放課後を迎える事が出来た。




 放課後はいつも独り。時々友子や他の友人が来るものの、今回は予定が入っていたらしい。部活の為だろうか。


 商店街を目指して少しばかり歩くと、電気屋のショウウインドウに大きな液晶テレビが展示されており、艶かしい昼メロが再放送されていた。いつもは気にも留めないそのドラマに、ひのは目を奪われてしまう。




**


 〜タイ焼き活劇〜 餡子と粒男の恋物語


 第十回、今川焼に浮気。




 ……そして私は購入した今川焼に手を差し伸べる。しかし、分厚い小麦粉の皮が私を拒絶した。


 「タイ焼き……タイ焼きじゃなきゃ駄目なのッ!」


 今川焼に浮気をした私は涙が止まらなかった……。


 **


 


 アホ臭っ!私はテレビの液晶画面を冷め切ったジト目で見ていた。何故見入ってしまったのか。その時間も無駄に思わせるようなドラマは、何故か餡子が入っているアレが美味しそうに見えたのだった。




 「タイ焼きかぁ……そうだ、タイ焼きだよっ!」


 確かここいらに美味しいタイ焼き屋があったハズ。私は空腹を機動力に走り出し、その場から消え去った。




 「粒男さん!」


 「餡子さんっ……」


 寒々しいそのドラマを残して……。


 


**


 「おじさーん、タイ焼きちょうだいっ!」


 「お、ひのちゃんじゃないか。親父さんは元気かい?」


 「うん。元気だよ。お腹空いたからまた来ちゃってさ」


 ここのおじさんはひのの父親のよしみで顔見知りだ。知り合いだけあって負けてくれるんだよね。その割に結構美味しいから彼女のお気に入りでもある。




 ひのはタイ焼きを五個注文した。おじさんは小麦粉のペーストを素早く型に流し込むと、熱して数分。それから、綺麗に型から外し、紙袋に詰めてくれた。


 「ほらよ、一個八十円に負けとこうか」


 「ありがとう!おじさんっ!」


 ひのはおじさんに四百円を渡すと、タイ焼きを受け取ってホクホク顔で家に帰る事にした。しかし、溢れんばかり、紙袋を通過して匂って来るその甘い匂いについ、一個くらい食べてしまおうかと言う衝動が起こり始める。


 「待ちきれない!一個食べちゃおっかなぁ」




 がさっと紙袋を開け、顔を覗かせたタイ焼き。その中で目が合った一つを手に取って口を大きく開け、口元まで持って行った。その瞬間だった!


背筋にゾクッとした嫌な悪寒が走り、目の前に黒い毛むくじゃらの物体が通過。そして、手元を見ると、持っていたタイ焼きが跡形もなく消えていた。


 「あー!私のタイ焼き!!」


 横を見ると、挑発するように見て来る黄色い「それ」に奪われていた。否、口に咥えていた。「それ」は私を挑発するようにこちらを見ると、そのまま逃げて行ってしまった。


 「それ」が苦手なひのだった。しかし、普段なら逃がしてやる所だが、今回は空腹と苛立ちが相俟って、彼女の闘争心を駆り立てた。そして、血眼になってそのまま追う事に。


 「あのやろ、待て!!」




 「それ」は塀を飛び越え、屋根を器用に飛んで、水たまりを泥だらけになりながら通過し、逃げて行く。タイ焼きはもうドロドロになって食べられない状態だったが、諦めたくなくて、彼女は執念で追いかけて行った。


 そして、「それ」はそのまま先日の路地裏に入って行く。




 「え、ここはこの前の……?」




 **


 ひのがそこで見たものは、いつも絡んでいる大っ嫌いな「アイツ」だった。ポリ製のごみバケツに座って煙草を吹かし、膝には二匹の「それ」を乗せて、彼は今にも溶けてしまいそうな表情で恍惚感に浸っていた。そして、さっき追いかけてた「それ」も「アイツ」の脛に寄り、すりすりと頭を擦りつけている。




 「…………」


 学校一番のヤンキーが「それ」を愛でる珍妙な光景。それを見たひのはギャップに吹き出しそうになってしまう。生憎、「アイツ」は私の存在に気付いていないようだが。




 「みゃんこちゃん、今日は大人しいじゃないかぁ。どうしたよー」


 「ナー」


 「それ」はあご下を撫でられて気持ちよさそうにしている。「アイツ」も自分の世界に入ってしまっている。ひのはこの光景を携帯のカメラに収めてしまった。そして、彼女は冷や汗を滴らせながら、「それ」にたじろぎながら、ゆっくりと彼の元に一歩一歩近づき、「アイツ」の肩に手を掛けてこう言った。


 「きょーすけ!!猫好きなんて意外にも可愛いとこあんじゃん!」


 「お、ちびすけ、こ、これは違うんだ!?」


 「そう?アンタが私に商店街であしらうような事したから、ムカついて来たわけ。学校一のヤンキーが『かわいい猫好き』だって知ったら学校の皆さんはガックリするだろうなぁ。」


 ひのはにんまりと笑みを浮かべて言った。


 「べ、別に良いじゃないか。俺が猫好きであろうが、犬が好きだろうが。」


 しどろもどろに言い訳をする京介。しかし、ひのは続けて言う。


 「じゃあさ、大の男がファンシーな趣味持ってたらアンタはどう思うかな?」


 「そ、それは……」


 「それと同じだよ。って事で、これ公開するから!」


 ひのはわざと去るふりをして、京介に背中を向け、去ろうとした。そして京介はひのを大声で呼び止めた。


 「おい。待てよ、何が目的なんだ!!」


 ひのは少し間をを置き、考えるふりをして言った。


 「うーん、強いて言うなら、アンタのその権力を『ちょこっと』お借りして、学校のいい奴から悪い奴まで支配してやろっかなって思ってるんだ」


 「バッ……」


 京介は以前の屋上の一件。強面によるみんなの偏見。それを払拭しようとしていたが、トラウマをさらにみなに知らしめることになってしまうと、必死で抵抗した。しかし無駄だった。


 「何?なんか文句あるのかな?」


 「お前、俺が悪評立って、またおかしい事になるじゃねーか。俺は平穏無事に暮らしたいだけだ!」


 「分かった」




 ひのはおもむろにタイ焼きを取り出すと、京介の鼻先まで近づける。放課後の男子高校生の心理を生かし、殺人的行為に動じてみた。甘ったるい匂いは京介の心に手招きしている。


 「はい、ほかほかだよ。お腹空いてるでしょ」


 「毒でも盛ってあるのか?」


 「いや、大丈夫だよ。そこの足元のトラも食べてるから」


 猫にあんこをあげるのはいいのかは置いておいて、ひのはクスリと笑うと京介にほらほらと言わんばかりに甘い匂い漂うタイ焼きを差し出す。最初は意地を張っていた京介だったが、誘惑に負けてタイ焼きをひのの手から毟り取って一口かじった。


 「う、うめぇ。お前、もう一個よこせ」


 京介はタイ焼きの温かさと甘さに感嘆し、もう一つひのから奪い取ると、二つもぺろりと平らげてしまった。ひのはその様子を見て、これ見よがしに言ってやった。




 「はい、もう言い逃れはできないね。京介、アンタは私の為に働いて貰うからね」


 「き、きたねーぞ!!やっぱ仕組んでたんじゃねーか!」


 後の祭り。ひのに少しでも信頼するとこうなる。京介は身をもって知った。




 「食べちゃったもんは仕方ないよね。美味しいタイ焼きの代償は大きいよー。じゃ、また明日」


 ひのはそう言ってタイ焼きが冷めぬうちにうちに帰ったのだった。京介の無念の咆哮を背にしながら。

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