【外伝部】

外伝章「あにまる・はぁと」




 NPO法人「福音の家」。動物愛護団体だ。野良猫の避妊手術を施したり、身寄りのない愛玩動物の里親探しをしたり。本当に忙しい毎日だ。そこに汗を流して働く、一人の青年がいた。ボロボロのツナギの作業着を着て、泥だらけになりながら、パソコンでチラシ配りの為のチラシを作成していた。


「鷹山さん、少し働き過ぎじゃないですか?ちょっと休憩してください」


職員の男性が、コーヒーポットからコーヒーを落としながら、「鷹山さん」と言う青年に話しかけていた。


 「ちょっと、このチラシの作成だけ。いいデザインでしょ?この訴える感じが」


 「あ、いいっすね!でも、今日も相変わらず、鷹山さんは朝早くから来て、保護している動物の餌やりとかしてたじゃないですか。いつ休んでるんですか?……うちは退職金もないし、給料は安いし。ボランティアも大変なのに休まずにやってるし、ホント、尊敬します。……鷹山さんの原動力はなんなんですか!」


 「……高校のとき、色々とあってね。大きな声では言えないんだけど、『ある企業』が大きなプレハブ小屋で大量の犬や猫を飼育していたんだ。不衛生な環境でね。それを今の妻と助け出そうとしたんだけれど、放火されて、火事で燃えてしまったんだ。その中で、たった一匹の犬しか救うことが出来なくてね。……今の嫁さんと見殺しにしてしまったんだ。そのショックに落ち込んだ。立ち直れないほどにね。それから『一緒に償っていこう』って決めたんだよ」


 「結構ヘビーな話ですねー。初めて聞きました。で、その企業はなんて言う会社なんですか?」


動物好きな職員の男性がもう少し聞こうとしたが、鷹山さんは苦笑いして答えなかった。そして、遠い目をして、コーヒーを飲みながら話していた。


 「いや、ちょっと長くなるから、またの機会にね。ただ、そのときに抱きかかえた『ゴールデンレトリバー』は今も元気にしてるかなぁ。って時々思うんだ。もう十三年前の話だから、結構な歳になってるんじゃないかなぁ……」




**


 そして時刻は夜の九時になる。鷹山さんと言う男性は、一日の仕事がひと段落したようだ。相変わらず遅めの時間に帰宅した。疲れ切った彼を奥さんは玄関口で出迎えた。しかし、いつも泥だらけで毛だらけの彼に対して奥さんは少し呆れていた。


 「お帰り!あ、今日も泥だらけじゃん!お風呂沸いてるから、早く入って!」


 「いつもいつも悪いな。ミサキチも、看護の勉強、忙しいんじゃないのか?」


 「あ、いや、私は大丈夫。私もひと段落ついたとこだから。あと、ご飯できてるよー」


 「俺も人のこと言えないけど、あんまり無理すんなよー。喘息(ぜんそく)もやっと落ち着いてきたんだろ?海外でいい薬処方してもらったばっかなんだし。」




 鷹山 犬司(たかやま けんじ)。三十歳。馬場家で飼われている、ゴールデンレトリバー「リク」の助け主。子犬だった、リクを火事の火の手から救った高校生である。彼は今、薄給なNPO法人で愛護団体の職員として働いていた。その妻である美咲(みさき)は高校からの交際相手だ。夢を誓い合い、美咲は三年間の海外留学ののち、帰国後に犬司と結婚した。しかし二人の間には未だに、子どもはいない。お互いに忙しくて余裕がないのだ。美咲は動物看護士の資格を取るために目下勉強中。夫婦として顔を合わせる時間は、一日のうちに二時間あればいい方だったが、それでもお互いに同じ目標に生きていたので、十分幸せだった。




 「そう言えば、ミサキチの『お父さんの後輩』で、子犬を引き取ってくれた警察官の人、名前はなんて言ったっけ?」


 「馬場 明正(ばば あきまさ)さん?その人がどうかしたの?」


 美咲は、風呂上がりで髪の毛を拭く犬司に、シチューを温め直しながら答えた。


 「亡くなってから、ちょうど五年経ったじゃん。初めて聞いたときは、びっくりしたよ!久しぶりに『リク』も見に行きたいし、ちょっと馬場さんのご家族、ちょっと心配だから遊びに行こうと思ってるんだ。ミサキチは空いてる日、ある?」


 「いいね!ちょうど私も行こうと思ってたの。息抜きがてら行こうよ。で……デートも兼ねてさ。別に遠い距離ではないし」


 二人は忙しい日々を縫い、鏑木市の郊外にある、竜之介の実家に行くことにしたのだった。週末の休日。二人の休みが唯一重なるタイミングだった。




**


 「え?……帰ってこい?分かった。何回目ですか。はい、うん、分かったって……うるさいなぁ、あい、切るぞ」


 同刻、竜之介は大学から帰り、家でゆっくりとくつろいでいた。そのタイミングで、兄が大好きな妹の波留(はる)から電話があり、実家帰省を催促されていた。何回も何回も「帰ってきて」と催促する妹の言葉に、根負けした彼は、渋々荷物をまとめながら、実家帰省を承諾した。




**


 そして、週末の土曜日。車の多い日だった。行楽シーズンも長期休暇も時期的には重なっていなかったが、少し道は混雑していた。犬司は商業用バンのハンドルを握りながら、進まない運転に溜め息を吐いていた。


 「今日はちょっと運が悪いなぁ。なかなか進まないね」


 「そうだねぇ。時期的にゴールデンウイークも過ぎたけど、それでもなんか混んでるね」


 毛だらけで、獣臭いミニバンは、既に距離数十五万キロをカウントしていた古い車だった。犬司は会社から借りた燃費の悪いポンコツカーを運転しながら、ゆっくりと進んでいた。それでも、犬司と美咲は楽しかった。久し振りにゆっくりと二人で過ごす時間が出来たからだ。他愛のない会話に花が咲く。周囲の子ども連れの親子を見ながら。窓に顔を押し付ける子どもを見ながら。色づく新緑を見ながら。ゆっくりと進んでいく。




**


 「た、……だだいまぁ」


 「おにーちゃん!!お帰りぃ!!」


 久し振りに帰る家。大学に行って、忙しい日が続いていた竜之介は帰って早々、妹の波留から強烈なハグを喰らった。波留のヘッドバッドが竜之介の鳩尾に入り、思わず竜之介は疼(うず)くまった。


 「うっ、息が出来ない……」


 「おにーちゃん、ごめん!痛かった?」


 焦る波留。しかし、それだけに寂しかったのだろう。竜之介は苦笑いしながら波留を撫でていた。


 「お前の……猛烈な愛を……感じたぜ。……うっ、食ったものを戻しそう」


そして、リクのもとに行く竜之介。リクが竜之介に尻尾を振っていた。しかし、なんと言うか、老犬になった印象が強く、以前よりもはつらつとした様子はなかった。やはり犬や猫が老いるのは早い。母の紗代は竜之介の帰りをとても待ちわびていたらしく、嬉しそうにしていた。


 「リュウ!なに食べたい?」


 「んー……なんでもいいよ」




**


 そして、三時過ぎ。インターホンが鳴った。波留が出ていこうとしたが、竜之介が制した。


 「お、お前が行くと……た、大変なことになりそうだ」


 竜之介が玄関に立つと、そこには身綺麗な格好で立つ犬司と美咲がいた。美咲の手には菊の花束を持っていた。


 「こんにちは。竜之介くん!大きくなったね!」


 「……へ?み、みさきさん?!」


 竜之介は嬉しさのあまり、泣きそうだった。




 犬司は美咲と家に入ると亡くなった竜之介の父、明正に花を手向けていた。そして、何度かお会いしたときの優しかった姿を思い返していた。高校時代に馬場家に犬を届けてから、もう十三年も経ってしまったのだと感じていた。そして、一番辛いときに来てあげればよかったと思った。犬司は様々なことを思い返しながら、少し悔しそうに、紗代に話していた。しかし紗代は、気持ちだけでも十分だと笑っていた。




 「波留ちゃんも、もう高校二年生かぁ。大きくなったねぇ。すっかり、大人びて可愛くなったよ!」


 美咲は波留の髪の毛を櫛(くし)で解かしながら話していた。波留も姉が出来たようにとても嬉しそうだ。


 「美咲さんも、美人さんですよー。海外に行ってたんですよね?」


 「そうそう、ちょっと動物の医療の研究にね。近いうちに動物の看護師になろうと思ってるんだ!」


 「え?うそ、いいなぁ。私も動物のお仕事したーい!」




 犬司が微笑ましく見守る中、竜之介にも犬司が質問をした。


 「そう言えば、竜之介くんは経済大学に言ってるんだよね?……どうして、そこに行こうと思ったの?」


 「……そ、それは」


 犬司の質問に対し、竜之介は少し恥ずかしそうに答えた。


 「ちょ、ちょっと……株とかに、興味があって。大きな声では言えないんだけど、ちょ、貯金もしてて」


 「へー、そうなんだぁ!将来のやりたいことはあるの?」


 竜之介は答えなかった。漠然としていたのか。それともあまり見定まってなかったのか。話せなかったのか。


 「ちょっと……今は家族のこと……とかでいっぱい、いっぱいで」


 「そっかぁ。そうだよねー」


 犬司はもじもじしながら、重い話を切り出そうか悩んでいる様子だった。将来の話から、少しずつ「竜之介の父の話」にシフトしようか悩んでいたのだ。実は美咲の父である、切嗣(きりつぐ)から、犬司は「竜之介の父の死の真相」について聞いていたのだ。実は「黒石 彰(くろいし あきら)の陰謀によって、竜之介の父が葬られた」とこのゆったりとした空気の中では、とても言えずにいた。そもそも重すぎて場を読まなければ話せるわけがない。犬司もどこで話そうか選んでいた。しかし、今日は本来の目的があって、「そのことを話しに来たのではないのだから」と悩んでいた。


思い詰める犬司の重い空気を割るようにして、竜之介の方から話しかけてきた。


 「そ、そういえば、……犬司さんは将来的にやりたいこと……あるんですか?」


 犬司はすっかり意表を突かれてしまったので、びっくりしていた。しかし、犬司も犬司なりにやりたいことがあるのだ。犬司の目は希望に満ち溢れていた。


 「え?!俺?そうだなぁ……美咲と、このまま夫婦として暮らしててもいいんだけれど、もう少し落ち着いたら子ども欲しいかもね。でも、美咲も高齢出産に差し掛かる時期だし……。あとは、これからのことを考えて、美咲と海外に勉強に行ってもいいかもなぁ……」


 犬司の目はキラキラと輝いていた。少年の色を失っていなかった。犬司のそんな輝かしい姿を、竜之介は羨ましく思っていた。実家が心配なのもあり、なによりもいろいろと動くにも思い切った行動が取れないからだ。お金は有り余るほど持っているのに、何一つ手に入れられたものが、彼にはなかったから。


 「羨ましいです。……お、俺はパソコンの世界の中では、無尽蔵に動いてるのに。……お、お金もいっぱいあるのに、ちっとも幸せじゃないんだから」


 竜之介はボソッと言った。しかし、小さな声だったのか、犬司の耳には入っていなかったようだ。


 「へ?なんか言った?」


 「い、いえ。なんでも……ないっす」




**


 そして、日が暮れる頃、犬司と美咲は荷物をまとめ、リクを撫でてから、笑顔で馬場家を出て行った。


 「紗代さん、今日はありがとうございました!」


 「犬司くん、いつもありがとう。今度は用事なんて言わないで、いつでも遠慮なく遊びに来てね!」


 「みさきおねーちゃん!!またねー!!」


 「うん、じゃあねっ!はるちゃん!!」


 「夢……かぁ」


 「ほら、リュウ!あんたも、ボーっとしてないで見送りなさい!」


 竜之介は紗代にお尻を叩かれて、去り行く犬司と美咲を見送ったのだった。その手に持ったスマートフォンにはしっかりと「犬司の連絡先」が刻み込まれていた。




**


 「楽しかったね、犬司っ!」


 「ああ、まあねぇ。ただ……ちょっと言い忘れちゃった」


 「へ?なにが?」


 「いや……なんでもない」


 犬司が竜之介に真相を伝える前に、竜之介自身が「父親の死因」に気付くのは、また後の話になるのだった。そして、彼は一歩一歩、闇の深淵へと踏み込んでいくのだった――。




 「竜之介くん、将来が楽しみだなぁ」


 「そうだねぇ。どんな人と一緒になるのかな」

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