【第五部】第三章「ぞく・クロのはなし」
季節は変わり、冬になった。少しずつ雪が舞い始め、部屋は暖房で温まっていた。窓は結露し、しずくが滴っている。カンタは鳥かごの中で専用のヒーターの熱源の暖かさに丸くなりながら、うつらうつらとまどろんでいた。ブランコが揺れている。床暖房のポカポカとした熱源にクロも気持ちよさそうに眠っていた。
「しごふみとーさん、ももこかーさん……」
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今から少し前の話。蒸し暑い夏の蝉の鳴く季節のことだった。その時期はいつも以上に蒸し暑く、熱中症で倒れる人も続出したほどだった。四五文(しごふみ)と名乗る猫又は、桃子(ももこ)と名乗る猫又と最期の時を過ごしていた。
猫又は二匹とも百歳を超える齢であったが、慎ましく生きていた。実は四五文は桃子との間に、最期の授かりものように小さな子猫が生まれていたのだ。知性に長け、人と猫の間に生きた猫又、四五文はその猫の名を五六文(ごろふみ)と名づけ、大切に育てていた。
桃子との間に子猫が生まれた。そして文学書生の最期を看取って疲れて。五六文に少しずつ物心が付いた頃、同時に四五文は、体力の衰えを感じ、自分の死期を悟り始めた。「この夏は越せないかも知れない」と猫ながらにそう感じていたようだ。何人もの主人の死に立ち会ってきた猫又にとって、贅沢過ぎる生涯だったと思っていた。
四五文は暑さにぐったりとしていた。桃子と五六文を呼び、座らせると弱々しく語りだした。
「……五六文、吾輩の最後のお願いを聞いて欲しいのデシ」
「どうしたんだじぇ?しごふみとーさん」
小さな子猫はきょとんとしていた。桃子も黙って聞いている。そして四五文は語った。
「吾輩は恐らく、今日明日。命が終わるのデシ。五六文には一生懸命生きて欲しいのデシ」
「えええ?うそだじぇ!とーさん、しんでほしくないんだじぇ!」
「……すまない。お前には分からないかも知れないが、ちょうど今から七十年前。吾輩が『にちえー』って主人を戦争で亡くした時、吾輩は無我夢中で生きたくて、『化けても生きてやる!』って思って、こうして生かされてきたんデシ。猫の齢は三十年。人の齢は八十年。吾輩がこうして猫又で生きていられるのももう僅か。贅沢だったんデシ」
一代目の飼い主のことを想い。そして色んなことを想い。もういつ亡くなっても惜しくないと言わんばかりに、四五文は悟っていた。しかし、乳離れして間もない五六文にとっては酷な話であった。
「ももこかーさん!なんかいってだじぇ!」
「残念ながら、私も長く生きられる、生きられない身で」
桃子は天邪鬼な性格だった。しかし、子どもの前では嘘を言えなかったようだ。五六文は戸惑い、そして泣きわめいていると、四五文が最期の言葉を残して息を引き取った。
「どんな……かたちでも……つよく……いきろ。でし」
その一週間後。桃子も後を追うようにして息を引き取った。五六文は泣いていた。そして、泣きつかれてお腹が空き、昆虫を食べて食いつないでいた。野鼠を野生の本能で狩れる程の腕を持っていなかったからだ。
寂しくて寂しくて。そして、森城町のバス停のベンチの下に丸くなって泣いていた。
二匹の猫又の亡骸は暑さと腐葉土の中でみるみる土に還り、心の支えを失っていた。
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残暑が過ぎ、すっかりと秋になり。五六文は小学生くらいになっていた。すっかり運動神経も良くなり野鼠を狩れるようになっていた。
しかし、そう簡単に両親を失った寂しさを拭える訳もなく。今日もいつものようにベンチの下にうずくまっていた。そして、しとしととした雨が降り始め、外気が冷え始める。
「あめ……だじぇ。さむい。くしゅん!」
くしゃみを何度かする。肌寒さに身も心も冷え込む。ぬくもりが欲しかった。
「きょおのきゅうしょく、ぶったにくでぇー、たけうちかれんはこわいひとー」
「?」
九歳くらいの男の子が歌を歌いながら歩いてきた。五六文は聞き耳を立てながら、聞き入っていた。
「ねこだ。くびわをしてない。どうしたんだろう」
男の子は五六文を見ると首を傾げた。
「あ、みつけられた!にげなくちゃ」そう思ったけれど。身体に力が入らなくて。そのまま、されるがままにタオルでごしごしと拭かれて。あまりの気持ちよさに声が出た。
「……だじぇ」
「しゃべった?」
「……にゃー」
「まずいまずい、ねこまたってしられたら、どんなめにあうか、わかんないよね」五六文は思った。
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がたんごとん。自転車でゆらゆら揺られて。そのまま五六文は眠ってしまった。気が付くと、あったかい道場の畳の部屋に毛布にくるまれて。そして気持ちよくて眠ってしまった。夢の中に出てくる二匹の猫又。会いたかった両親に涙がポロリ。
「しごふみとーさん……ももこかーさん……」
「猫又でしたか、ふふっ。子どもたちには秘密にしておきましょう」
誰かが入ってきたようだが、気のせいかも知れない。
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そして、現在。五六文はまたうとうとしていた。あの時は寂しかったけど、今は幸せに暮らしているから。あったかい部屋で寝られるから。大好きな主人が居るから。五六文はうとうとしながら呟いた。
「主人、大好き。ありがとうだじぇ」
「……どういたしまして」
「……誰かに聞かれてる?」
五六文は、びっくりして目を覚ますと、そこには撫でている主人が居た。にっこりとしていた。五六文は思わず二足立ちになって、部屋の隅っこに後ずさり。カンタが反応してぴぃぴぃ鳴いている。
「猫又ってバレたからには、この家を去るしかないのだじぇ」
「……怖がらなくてもいいよ。寂しかったんでしょ?ずっと一緒に居ようよ」
主人は猫じゃらしを振りながら近づいてきた。その動きに惑わされて、五六文は思わず反応してしまう。
「こ、こんにゃ姑息な手段を使ったって!そうは、いかないんだじぇ!」
「……じゃあ、どうしたら逃げないでいてくれるのさ?どうしたら安心してくれるのさ?俺と一緒にいた期間はそんなにも、味気ない期間だったのか?」
主人は悲しそうに言う。五六文は言葉に詰まった。そして、一つだけ。たった一つだけのことを彼に言った。
「……これ以上、寂しい想いをさせないで欲しい!おれっちは猫で気まぐれだけど、寂しかり屋なんなんだじぇ!」
「……分かった。約束する」
主人はそのまま五六文をぎゅーっと抱きしめた。
「それから、今度のご飯は高級カリカリ頼むんだじぇ!」
「分かった。約束する」
「それから、高級ねこつぐらと、またたびと……」
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