【第三部】第三章「みさきに、あいにいく!・クロのはなし」



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 犬司はそれから、美咲のもとに何度か遊びに行くことにした。病院は決して遠い距離ではなく、自転車で二十分ぐらいの距離だ。犬司は学校であったことを話した。体育の授業でハットトリックを決めたこと。宮内先生って厳しい先生がいて、「桜の枝を折ると木が死んでしまう」とか「アナツバメの巣は中国で高級食材になっている」とか。あとはこの前の体育の授業で怪我をしたことと、その後病院で美咲に会っていたこと。美咲の母は話によると霧前市にある水族館のイルカトレーナーをしていて、決まった時間になると出かけてしまうらしい。


 犬司も週末は道場に通っている為、月火水が美咲に会う時間となっていた。




 「わたしね、しょうにぜんそくってびょうきなの。このまちにひっこしてきたのは、しぜんがおおいからなんだって」


 そう言って、寂しそうに犬司に話す。両親が共働きで、ずっと本を読んで過ごしていた。その中で一番好きなのは「ドリトル先生航海記」という本らしい。獣医のドリトル先生がいろんな国に行きながら動物の治療をする夢溢れる物語だ。美咲はそれから母にねだって、本を買ってもらい、動物図鑑を専ら読むようになったとか。


 「ケンジくんは、しょうらいのゆめはあるの?」


純粋な目で問いかける美咲。犬司はそんなことを考えたこともなく、少し考えてしまった。そして美咲は嬉しそうに話し始めた。


 「わたしはね、しょうらい『アニマルセラピスト』になりたいの。おかあさんがイルカトレーナーでいるかにあってるでしょ?しゃしんをみせてくれるんだけど、とってもたのしそうなの。ほんでよんだんだけど、どうぶつで、こころをいやすおしごとがあるんだって」


 「みさきはものしりだなぁ」


 犬司は感心していた。




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 そして、いつも通りお別れして、犬司は自転車を漕ぎながら鼻歌を歌っていた。


 「きょおのきゅうしょく、ぶったにくでぇー、たけうちかれんはこわいひとー」


しとしとと秋の雨が降ってきた。日が落ち初め、肌寒くなってくる。犬司は少し疲れたので、自転車を押していると道の傍らに、震えている一匹の猫を見つけた。色はまだら模様で、尻尾の先が二つに分かれている。くしゃみをしながら、震えていた。


 「ねこだ。くびわをしてない。どうしたんだろう」


 そっと近寄って犬司は、猫を抱きしめてみた。冷えて冷たくなっていたので、犬司は自転車に積んであったリュックの中からタオルを取り出すと、ごしごしと猫を拭いた。


 「……だじぇ」


 「しゃべった?」


 「……にゃー」


 猫は犬司に身を任せて甘えている。しかし犬司は、母の顔を思い浮かべて溜め息を吐いた。


 「おかあさん、あんまりどうぶつすきじゃないんだよねー」


 ぎゅっと犬司は猫を抱きしめる。その後、タオルで猫をくるむと道場に連れて行った。雨が強くなり、風が激しく吹き始めた。




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 道場につくと、犬司は師範に話し始めた。


 「ねー、シハン、このねこ、ここでかえない?」


 「……ちょっとわしではなぁ。忙しくて面倒みられないし」


 華蓮が出てきて、猫を見るとはしゃいだ。


 「え、猫じゃん!!かわいいー!!じーちゃん、ダメなの?」


 師範は考えながら首を横に振った。そして、静かな声で言った。


 「最近、忙しくて家を空けることも多くてな。面倒を見られないのだよ。里親が見つかるまでなら預かれるが……どうする?」


 「むりかぁ、ちょっとともだちにあたってみるけど、あずかってくれるならおねがいします」


 犬司は頭を下げた。




 忍葉(しのは)は部屋を暖め、猫を暖房器具の前に置いてあげた。猫は気持ちよさそうにしていた。猫は夢を見ていた。


 「しごふみとーさん……ももこかーさん……」


 忍葉は少し思い巡らして、そして何も聞いていなかったかのように笑った


 「猫又でしたか、ふふっ。子どもたちには秘密にしておきましょう」


 そして、そっと部屋の戸を閉めて出て行った。




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 翌朝。犬司は寝坊をした。かなり悩んでいたようで眠れなかったようだ。


 「犬司、何度も起こしたのに起きなかったの?」


 「うわあああ、もうこんなじかんなの?!」


 時計を見る。眞子は辛辣に一言。


 「行きたくないなら行かなくてもいい。でも行くんでしょ?」


 「う、うん」


 「早く支度して!行くわよ」


 そう言って、準備をすると犬司にパンを咥えさせてお尻を叩きながら車に乗せた。




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 車に乗ると犬司はぽつりとつぶやいた。


 「あのさ、かーさん……」


 「なに?」


 「かーさんって、ネコすき?」


 「あんまり好きじゃないわね」


 「そっか」


 犬司は思った。大っ嫌いと言われれば見せることは出来ないけれど、好きではないと言われれば、好きにすることも出来るかも知れないなと思った。




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 「あけるくん、ねこかわない?」


 「ごめん、うちはもういっぱいいっぱいで」


 「ようすけは?」


 「うちもむり」


 「そっかー」


 犬司はがっかりとしていた。そして、色んな友達に当たってみるも、結局手立てが無く、がっかりとしてしまった。そして学校から道場へとぼとぼ歩く。




**


 「ケンジー、どうだった?」


 「めっきり、ダメダメだよ」


 華蓮と縁側で話す犬司。すっかり落ち込んでいた。そして、猫は犬司に甘えたくてすり寄ってきた。


 「にゃー」


 「こんなにかわいいのになぁ」


 犬司は猫を抱き寄せる。少しごわごわとして獣の匂いがする。心臓が脈を打って犬司の身体に伝わってくる。「いきものってあったかい」そう思っていた。猫も鳴かずに犬司に身を委ねていた。


 華蓮はその様子を見ると、思ったことを口にした。


 「そんなに仲いいなら、飼っちゃえば?」


 「へ?」


 「ばれないようにすればいいんだよ。大丈夫」


 「……」


 犬司は上着の中にまだ小さな猫を隠してそのまま帰った。




**


 「ただいまぁ!」


 「おかえりー」


 犬司は帰宅すると、逃げるようにして自室に行った。そして、上着の中から猫を取り出すと、優しく声を掛ける。


 「ここでまっててね」




 犬司は台所で料理している眞子の隙を狙って冷蔵庫から牛乳瓶とツナ缶を出すと、そのまま走って自室に逃げて行った。


 「犬司ぃー?手ぇ洗ったのぉ?」




 牛乳をお皿にそそいで、ツナ缶の油を絞って猫に与えると、猫はお腹が空いていたのか、美味しそうに食べ始めた。その姿を見ながら犬司は溜め息をついた。


 「どうして、かーさんはねこがきらいなんだろう。こんなにかわいいのに」


 「ご飯よー!冷めても知らないからねー!」


 「……はーい。いまいくよー」


 「仕方ない。こっそり飼うか」犬司は心に思った。




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 翌朝。犬司はいつもより早く起き、猫に餌をあげた。朝食の時、眞子から質問が出た。


 「犬司?昨日牛乳が一本無かったんだけど、知らないわよね?」


 「しらなーい」


 「気のせいじゃないか?でも、犬司もあまり飲まないのにおかしいよな」


 輝也が不思議がる。そして、輝也は忙しそうに出て行った。眞子はまだ首をかしげていた。


 「犬司、何か飼ってないわよね?」


 「……いってきまーす!」




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 学校にいる間、犬司はベッドの下に隠した猫のことが気になって仕方がなかった。出がけにお腹いっぱいになって眠ってしまったので、そのまま隠しておいたが、とてもそわそわしていた。今日は月曜だったが、美咲に会わずにそのまま帰宅した。




 「ただいまー!」


 返事が無かった。犬司は背中に冷たい汗を掻きながら、そろりそろりと家に入っていく。そしてリビングに入ると眞子が背中を向け、静かに黙っていた。


 「かーさん、いるんならへんじしてよね?」


 「犬司。お母さんは悲しいです。何が言いたいかわかるよね?」


 「……」


 「お母さんは猫あまり好きじゃないってこの前話さなかったっけ?」


 「なんのはなしかなー?」


 犬司は下手な口笛を吹きながらそっぽを向いてしらばっくれた。


 「じゃあ、これはなに!!」


 「にゃーん」


 眞子の手には首の皮を持たれた猫の姿があった。見つかってしまったか。犬司はそう思った。すかさず謝った。


 「かーさん、ごめんなさい!」


 「謝れば済むって話じゃ……」


 「かーさんはかんだいで、びじんで、なにをいってもゆるしてくれるひとだからついやってしまって」


 輝也がよくやる土下座からの平謝り。それを犬司は、見よう見まねで実践した。六回くらいだろうか。頭を床に擦り付けるように媚びていると、眞子は渋い顔をしながらそっぽを向いて言った。


 「……里親は探したの?」


 「へ?」


 「里親は探したかって聞いてるの!」


 「あ、いや、それが見つかってないの。うん」


 「分かった。仕方ないからうちで飼いましょう。でも、ちゃんと世話しなかったら里親探してもらいますからね!」


 「いやったああ!!ありがとうかーさん!」


 「但し、お父さんにはきちんと話してね。あなたの口から」


 「はーい」


 犬司は肩の荷が下りてホッとしたようだ。小さな声で「ありがとうだじぇ」と聞こえた気がしたが、気のせいだと思って、猫を眞子から受け取ってまた抱きしめた。

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