【第四部】第一章「それから」



**


 ボクはそれから、赤沼さんの話を聞いて、普通の日常に戻って。ボクにとっては嬉しい季節になっていた。それは冬の到来だ。少しずつ色づく街路樹の葉と共に、暦の上では、今年の終わりを感じる時期になってきた。ボクは本当にレモネードが好きで、今日も夏稀にねだって買ってもらった、レモネードで冷える指先を温めながら、夏稀とこの時期を過ごしていた。


夏稀は寒くて、寒くてコタツが恋しくなったのか、口を開いて寒さを主張していた。


 「うー、寒い寒い。もうすぐ冬だね。るりたんの家ではコタツは用意した?」


 夏稀はわざとらしく身震いをしていた。そんなに寒かったら、やせ我慢しないで、履いているスカートをやめればいいのに。ボクはスラックスを履いて、その下にあったかタイツを履きながら思っていた。そして、もこもこのファー付きのコートを羽織ってぬくぬくの満面の笑みを夏稀に見せつけてやっていた。


 「いや、うちはまだ電気カーペットで間に合ってるから大丈夫だよ」


 「ちっ、贅沢風情が」


 夏稀は、ボクのことを口悪く言っていた。そして、ボクが暖かそうにしているのを羨んでいたのだろう。夏稀は、ボクからコートを毟(むし)ろうとしたので、ボクは必死になって抵抗をした。


 「るりたんはボーイッシュで良いけどさー、私ら『乙女組』は、冬場でもスカートでいないといけないんだよ。分かる?るりたんは、ファッションとか気にしなくていいかも知れないけどさぁー」


 夏稀は「るりたんは」と二回ほど、ボクに対して失礼な言葉を言った。白く曇った息と共に言っているのだが、息は白くても、言葉は黒いと思った。ボクは「夏稀の口の悪さこそ、ボーイッシュじゃないか。失礼極まりないよ!」思って、今日も二人で仲良く喧嘩をしていたのだった。そしてひと段落した後、夏稀は、ボクに提案をしてきたのだった。




 「るりたん!ファミレスに行って温かいもんを頼もうぜっー!」


 「えー、ボクはそのまま真っ直ぐ、家に帰りたかったんだけど」


 夏稀がそう言ったが、ボクは正直めんどくさかったのだ。しかし、夏稀はボクの意見に対し、少し譲歩(じょうほ)を求めてきた。


 「チミとは、とことん意見がそぐわないなぁ。少しは譲り合いの精神持たにゃいのかナー」


 夏稀は、ボクに対して猫撫で声を掛けながら、ボクをくすぐってきた。そして、実力行使で同意を求めてきた。最近の夏稀は、実はとてもめんどくさくて、ボクに対する攻撃がだんだん増しているどころか、歯止めが効かなくなっていたのだ。夏稀に対しボクは抵抗することも敵わずに、しおらしく降参して、渋々と同意をしたのだった。


 「はぁはぁ!で、でっ!どっ、どこに行くのっ!!」


 ボクは必死に夏稀を振り払うと、息を切らしながら言った。


 「んー、ファミレスって言ったけど、ファミレスって、なにかありきたりで味気無い気がすんのねー」


 「えー、また変えんのー?」


 「さっき負けた、チミが言うことかナー。私がもちゃもちゃしているときに、『私のことを姫君(ひめぎみ)と呼びなさい』と言ったはずじゃないですか」


 「出たー、夏稀のめんどくさい発言」とボクは思った。そして、夏稀に対して小さく呟いた。


 「『姫君(ひめぎみ)ってより暴君(ぼうくん)』じゃないか……」


 ボクは「夏稀に対する不満」を「そこいらにいた、ごみ箱を漁っている、のっぺり顔の野良犬」に向いて、「夏稀に聞こえないように」ぶちまけた。しかしのっぺり顔の野良犬は、ボクがなにを言っているのか分からずに首をかしげて、そのままゴミ箱で入手したソーセージを、口に咥えてそのままどこかに行ってしまった。


 ボクは「まぁ、犬に言っても分かんないよね」と思い、夏稀の意見に諦めて従うことにした。




 「で、『姫君は』どこに行きたいのさっ!」


 「つい最近なんだけどね、鏑木市の郊外の方に『老舗(しにせ)の喫茶店』見つけたんだ。カフェ巡りにハマっててねー。あそこのアールグレイが最高で、甘酸っぱいフレーバーが良いんだよねー!」


 ボクはこれ見よがしに、夏稀に対して、母親の自慢をしてみた。


 「紅茶なら、うちのおかーさんの方が美味しく入れられるけど?」


 「ワッフルなんかなかなかの甘さ控えめで」


 「オーブンの扱いは、うちのおかーさんの方が、手慣れてるよ。そこの人なんかきっとバイトさんでしょうが」


 ボクは夏稀の意見を片っ端から意見を突っぱねた。それを聞いた夏稀は痺れを切らし、また両手を天に掲げて構えた。「ボクを懲らしめようったってそうはいかないよ」と思った。ボクは華麗なステップで夏稀から距離を取ると、夏稀をけん制した。


 「うちのおかーさんが、夏稀のおかーさんみたいに『肝っ玉母さん』だったら別だけど。でも、ボクはうちの母さんに、小さいころから紅茶だの、スコーンだの、メイプルシロップだの、色んなものを作ってもらっていて、味わって舌が肥えてるから、ボクはいわゆる『他社の追随』を許さないんだ!ボクを納得させたくば『アルバイトじゃなく』きちんとしたとこを紹介して下さい」


 今回は珍しく夏稀が気圧されていた。さっきからの夏稀に対する不平不満も相俟(あいま)って、ボクの夏稀に対するプレッシャーは一重にも、二重にも重なって、夏稀を懲らしめていた。夏稀は溜め息を吐きながら言った。


 「はぁ。分かったわよ。来なさい!!アンタには口で言っても、分かんないみたいだからね。実力行使ならぬ、『実食行使』をするまでよ」


 ボクは夏稀に手を引っ張られて、夏稀は鬼気としたオーラをまといながら、ずんずんと力強く歩きだした。ボクは「相変わらず強引だなー」と思った。そして引かれるままについて行った。




**


 三十分ほど歩くと、郊外に出た。そして、ログハウス風の建物が見えてきた。建物からほんのりと木材のいい香りがした。ボクは「夏稀の目も、間違いではなかったな」と思ったのだった。


 「ここは『山奥カフェ・ぶっち』って言う老舗の喫茶店!カフェオーナーの海原さんって還暦を迎えたおじいさんが焙煎コーヒーを入れてくれんの。あっついコーヒーをアンタの口にぶっ込めば、アンタの肥えた舌も、少しは黙るでしょ」


 夏稀は店の看板の前で「ツンツン九割の殺意剥き出し」で「刃物剥き出し、棘のある言葉を並べながら」、ボクに言ったのだった。その言葉はボクの心を鋭く抉(えぐ)ってくきた。


 「……まったく、私も、毎日毎日紅茶を飲めるような、お嬢様みたいな優雅な家庭に育ちたかったわぁー」


 夏稀はなにか言っていたようだけれど、ボクには聞こえなかった。そして、ボクは木造の建物の年輪を興味をもって指でなぞっていると、そのまま夏稀はボクの手を引っ張って中に入ったのだった。




 ボクも続けて中に入った。すると、木材のフワッとした温かい匂いと、コーヒーの香ばしい匂いが相俟(あいま)ってボクの心を和ませた。そして温かな温暖色の電球照明は当たりの雰囲気をほんのりと醸し出し(かもしだし)、店内はジャズのゆったりとした曲調が、クラシックレコードから流れてきた。ボクは「普段はガサツな夏稀がこんな店に入るんだぁ」と素直に驚いたのだった。夏稀の意外な、ムーディストな一面を垣間見た気がした。




 「へぇー。『夏稀にしては』いいとこ見つけたんだねー」


 「悪い?アンタが私のことをどう思っているかは分からないけど、アンタがイメージしているほど、私って人間は単純じゃないのよ。おほほっ、少しは見直したかしら?」


 夏稀は鼻高々に、「ボクが抱いていた、夏稀のイメージを、なし崩しにしてやった」と、「その部分」を敢えて誇張(こちょう)しながら、ボクに対して言ったのだった。しかしボクにとってはどうでも良かった。それよりもメニューが気になって仕方なかった。ボクは、夏稀の服を引っ張って無言で訴えた。


 「まったく私の気も知らないで!……で、注文はなににするの?」


 出鼻を挫かれたような発言を夏稀がすると、しぶしぶボクに質問をした。ボクは今、一番飲みたいものを元気良く手を挙げながら発言した。


 「ホットミルク!!」


 ボクの話を聞いたカフェオーナーの海原さんは笑顔で笑うと、牛乳を鍋に入れ、そして火に掛けた。夏稀はボクの意見を聞いてずごっとズッコケた。


 「アンタねぇー、ホットミルクってなによ!ホットミルクって!私がせっかく『お気に入りのお店』に連れて来たんだから、言った通りに紅茶くらい頼みなさいよ!まったく、ホットミルクって何様のつもりぃ?」


 夏稀はなんだか、ぷんすこ怒っていた。ボクはいつも怒っている夏稀を窘(たしな)めながら、怒ってばかりじゃダメだと思って言った。


 「……だってぇ、寒いし、暖まるじゃんかぁ。夏稀はカルシウム足りてないから、ぷんすこ怒るんじゃないの?」


 そして、夏稀はボクの頼んでいたものを押しのけると、ボクの注文を紅茶に差し替えた。


 「いらない!!海原さーん、ホットミルクはいらないので、ダージリンとアールグレイお願いしまーす!!」


 海原さんはボクと夏稀のやり取りを見ていたのか、笑顔で聞いてきた。


 「はいはい。で、ホットミルクはいいのかな?」


 「いりません。この子が言ったので」


 海原さんは、慣れた手つきで伝票を書いていた。夏稀の「ホットミルクの注文」を押しのけたことをボクは不満に思った。そして、頬を河豚(ふぐ)のようにぶすーっと膨らませて、ボクは夏稀を睨んでいた。


 「まったく、さっきせっかく夏稀のことを見直したと思ったらすぐこれだよ。ダメダメだなぁ、夏稀は」


 「『自称・紅茶貴族』のアンタは、紅茶のテイスティングが出来るんでしょ?『ボクを認めるくらいの……』って言って来たのはアンタじゃないの!」


 「そうだけどさぁー、寒いんだもの。ボクの今の気分は『機能性重視の思考』なのっ!寒いときはホットミルク、暑いときはアイスクリーム!見栄や取り柄なんか気にしてちゃダメだよ。分かる?」


 ボクは断固として、「質より量」と言うように「ムードより機能性」と夏稀に主張した。しかし夏稀は冷ややかな目でボクを見て、ふふっとボクのことを嘲笑(あざわら)った。


 「ダメだねぇー。アンタには少し、ムードって物を学んでもらわないと。日本では『わびさび』。外国に行ったら『ムード』ってものがあるんだよ。今の一瞬一瞬を生きている、私たちにとって一番必要なことなんじゃないかしら」


 「今日の夏稀はおかしいよ!!いつもはガサツなくせに!!」


 「ボクは本気で、夏稀がおかしくなってしまったのではないか」思って、夏稀の額に手を当てた。熱がないことを確めると、ホッとして息を吐いたのだった。その一連の動作で、夏稀は激怒しかけた。


 「私はっ、私だぁっ!!」


 夏稀はわなわなと拳を震わせて、腹の中で怒りを押し殺しながら笑っていた。ボクは「猫から壁際に追い詰められてしまったネズミ」のようになり、小さな声でゴメンナサイと言ったのだった。それを見た、海原さんは嬉しそうに言った。


 「お嬢さんたち、とっても仲良いんだね。面白いね、気に入ったよ。今日はサービスしといてあげるよ」


 そして、海原さんは冷蔵庫からチーズケーキを取り出し、皿に切り分けてボクと夏稀の前に置いた。


 「あ、有難うございます」


 目の前に出されたスイーツに、ボクと夏稀は、思わず声をハモらせてしまった。ボクと夏稀は、目の前のチーズケーキのクリームの光沢に目を輝かせていた。


 「じゅる。この光沢、業物であるな。」


 ボクは「刀鍛冶の一興」を演じていた。そして、チーズケーキを回しながらまじまじと見つめ、女の子としての品のかけらもなく、フォークでチーズケーキをぶすりと突き刺した。そして半分に切って口に運び、咀嚼(そしゃく)した……。


 「うっめー!!」


 ボクは思わず、女の子らしからぬ声を上げてしまった。甘美なるケーキの魔力は恐ろしい。その一連の流れを見ていた夏稀に、水平チョップをかまされた。


 「アンタねぇー、今日は何回私に、ツッコミ入れさせれば気が済むのよっ。まったく!ムードをぶち壊して」


 夏稀は軽くイライラしていたが、しかし、ボクの顔をもう一回見てニヤけていた。「なにか良からぬことを考えていたのだろうか」とボクは思った。海原さんはまたボクたちのやりとり微笑ましく見ていた。そして、海原さんは壁時計を見ると呟いた。




 「もう五時か。そろそろコウサカくんが来る時間だな」


 「コウサカくん?」


 ボクは興味ががあったので、海原さんに聞いた。夏稀はチーズケーキを突きながら「確かに美味しいわねー」と呟いていた。


 「あ、うん。そうそう。うちのカフェで、一年前から働いてる大学生の男の子だよ。普段は、お客様の前では明るく振る舞ってるんだけど、私や家内の前では大人しくなる不思議な子でね。思慮深いって言うのか。シフトの関係で木曜と金曜にしか来ないんだけどね」


 海原さんは「自分の孫を迎えるかのような」柔和な笑みを浮かべていた。




 カランカラン。ドアに付けられた大きな銀の鈴が鳴った。そして、顔立ちの整った冷淡そうな青年が裏の玄関から、カウンターに入ってきた。髪型はウェーブパーマを掛けたミディアムロング。髪の毛はややダークパープルの色調だった


 「海原さん、おつかれさまです。遅くなりました」


 「ううん、今日は客入りが少ないからね。ゆっくり着替えるといいよ。今日は『可愛いお客さん』が二人もいらしてるしさ」


 海原さんは、ボクと夏稀の方に目を見やり、そしてコウサカくんと言う青年に指示した。コウサカくんはお湯が沸いたので、アールグレイとダージリンの茶葉をティーポットで蒸らすと、お湯を注いで手際よくカップに注ぎ分けた。カウンター越しから、紅茶のいい香りがふわっとボクを包み込んだ。


 「うわぁー、いい香り」


 ボクは受け取ったアールグレイの、甘酸っぱく芳しい香りを鼻から堪能し、ふんわりと和んだ。しかし夏稀はコウサカくんを、「どこかで見たようにしかめっ面」で見ていた。


 「そう言えば、アナタどこかでお会いしませんでしたっけ?」


 「いえ、俺はアナタとは、今日初めてお目にかかりますが。会ったとしたら、街のどこかですれ違ったくらいですね。人違いでは?」


 夏稀は、コウサカくんの言葉に、引っかかりを感じながらなんとか答えを紡ぎ出した。


 「あー、思い出した。『本屋のイケメンさん』ですね!はっきり覚えてます!」


 「イケメンさん?俺が?」


 コウサカくんは不思議そうに首を傾げていた。夏稀はぐいぐい押し迫った。


 「覚えてないんですか?いやだぁ、ここの近くの本屋で、物を落としたときに拾ってもらったしがない女子高生ですよ。思い出しましたー?」


 夏稀はコウサカくんが覚えていないことに落ち込んでいたように見えた。しかし夏稀はめげずにも立ち直り、押し迫っていた。相変わらず「イケメンに目がないんだなぁ」とボクは思った。


 「あー、思い出しました。俺、毎日が目まぐるしくってどうも物覚えが悪いですよね」


 コウサカくんは頭を掻いて、ヘラヘラと笑っていた。夏稀はそのタイミングを狙って「あること」を切り出した。


 「あの、つい最近、スマホ買い替えたばっかなんですっ!!友人ともまだメッセンジャーを交換してなくって!良かったら、『登録の一番目』になってくれませんかっ!!」


 夏稀は、後ろを向いて胸のあたりでガッツポーズを決めていた。でも、そう「世の中上手く行くものだろうか」とボクは思った。


 「ごめんね。連絡先はあんまり交換しないようにしてるんだ」


コウサカくんはすまなそうに夏稀に頭を下げる。夏稀は「終わった」と白く石化していた。


 「それはそうと……秋月に、妹なんていたっけなぁー」


 そして、コウサカくんはボクの顔をまじまじと見つめてきた。ボクは興味が無かったので、振り向かずに残り半分のチーズケーキに夢中になっていた。しかし、この人、「ボクに気があるんじゃないか」って勢いで迫ってきた。


 「失礼ですが、お名前は?」


 コウサカくんは、まさかのボクに、興味を持ち、名前を聞いてきた。ボクは落ち着いた表情で質問に応答した。夏稀はコウサカくんと会話を交わしているボクに対して、ジェラシーを感じていたのだろうか。焦りの表情で見ていた。


 「ん?なにか御用ですか?……ボクは『秋月 瑠璃(あきつき るり)』って言うんです。どうしたんですか?」


 ボクは、どうして名前を聞かれたのかが分からなかった。しかし、コウサカくんは「やはり」と呟きながら顎に手を当てて考え込んでいた。


 「秋月さん、いや、瑠璃ちゃん、ご兄弟やご姉妹は?」


 「おねーちゃんが一人かなー」


 ボクは質問を上の空に聞き、淡々と質問に応答しながら、机の上にあった紙ナプキンで鶴を折っていた。しかし、質問の内容が、実はボクにとってとっても重要なことだったことに気が付いた。そしてコウサカくんに逆に質問を返した。


 「……って、コウサカくんは、おねーちゃんのこと知ってるんですか?!実は超能力者?」


 ボクは明らかに取り乱していた。


 「いや、目元とか……似てるしさ。秋月とは、高校で同じクラスだったんだよ。急に学校に来なくなっちゃったけど」


 ボクはおねーちゃんの情報を聞いて、かなり取り乱していた。


 「……で、おねーちゃんは、今はどこにいるんですか?」


 ボクは明らかに取り乱していた。さすがにコウサカくんは不思議に思い、質問をしてきた。


 「どうして?お姉さんと一緒に暮らしてるんじゃないのか?」


 ボクは泣く泣く、コウサカくんに質問を返した。普段話さない内容だったんだけど、心の奥底を抉られている気がしたからだ。


 「実はボク、おねーちゃんと生き別れたんです。幸せだった家族から、お父さんが急にいなくなっちゃって。それに耐えられなくなったのか分からないけれど、おねーちゃんは、家を飛び出したっきり帰ってこなくて」


 ボクは初めて会ったのにコウサカくんに感情をぶつけていた。コウサカくんはボクの心の状態を落ち着かせようとしてくれたのかも知れない。そして感情のままに事情を話している今の現状を、少しでも抑えるために「分かった、分かったから」とボクを必死に宥めていたのだった。喫茶店の空気も若干澱(よど)みだしていた。


 「……まぁ、とにかく落ち着いてよ。聞いた限りだとね、今、『他県の大学に行ってる』ってのは聞いてるよ。最近連絡取ってないし、あとアドレスも変わってるだろうし、俺も詳しいことは分かんないよ」


 ボクは急に明らかにされていく、おねーちゃんの現状に頭が追い付いていなかった。しかし、コウサカくんもなにか力になれないかと、一緒に悩んでくれているのが嬉しかった。


 「そこをなんとか出来ませんか?なんとか連絡付けられませんか?」


 ボクは無理を言ってコウサカくんの肩を揺すっていた。少し迷惑そうに見えた。


 「うーん……連絡取れてないし、俺もあんまり人と関わりたくはないのだけど、『秋月の妹』だって言うんなら教えてあげてもいいかな。でも秋月、電話に出ないからなー」


 コウサカくん悩んでいたけれど、意を決してポケットからスマートフォンを出すと、電話番号をメモ帳にボールペンで書き出してくれた。そしてそれを切り取ってボクに渡してくれた。


 「ありがとうございますっ!!」


 ボクは、渡されたメモをぐしゃぐしゃになるくらいに握りしめていた。


 「秋月に会えるといいな」


 コウサカくんはボクの頭を撫でた。そしてカウンターへすっと何事もなかったかのように戻って行ったのだった。夏稀は、その後ろ姿を名残惜しく見ていた。そして、ボクに質問を投げかけた。


 「で、お姉さんとは会えそうなの?上手く行きそうなの?」


 「六割くらいかな。分かんない。最近、いろんなことがありすぎて、怖いくらいだよ。混乱しそう」


 ボクは、カップの中のアールグレイの水面を見つめながら、夏稀に、少しずつ最近の起きた出来事を、拙(つたな)いの言葉で打ち明けていったのだった――。




**


 少し暗くなって日も沈んだ帰り道。寒さに息を曇らせながら、ボクは夏稀と並んで歩いていた。夏稀はいつになく難しい顔をしていた。夏稀は、ボクのいろんな話を聞いて悩んでいるのだろうか。少し悔しそうになにも言わずに。ゆっくりとした歩幅で歩いていた。


 「瑠璃、真剣な話してもいい?」


 「うん?」


 ボクも、実は別のことを考えていた。だから、不意に話しかけられてとてもびっくりしてしまった。平静を装いながら夏稀に応答したのだった。夏稀は胸に手を当てて、ゆっくりと深呼吸して、ボクに「聞きたくてもずっと聞けなかったような質問」を絞り出すようにして聞いてきた。


 「お姉さんとさ、会ってどうしたい?私はね、瑠璃と中学校時代からずっと同じクラスだったし、瑠璃のこと全て知ってる気になってた。でもね、四年前の事件。それから警察署の訪問から、瑠璃は急に取り乱したり、変わり始めていて、付き合いの長い私が見ても分かんなくなってきてるの。家族のこととても大事だと思うよ。でもね、瑠璃のお姉さんを追っている姿を見ているとなんか冷たい感じがして、縋(すが)り付くような必死な感じがあるんだ。私の知らない瑠璃がどんどん現れているような感じ。目の前からどんどん離れていくような気がするんだよね」


ボクも今の心境がよく分からない。そして上手く言葉にすることが出来ないし、説明が出来ない。


 「ボクはそんな風に見えてるの?この前、警察署で赤沼さんにも言われたんだけどさ」


 ボクは自覚がなかった。けれど自分を支配している、「なにか良く分からない感情が渦巻いているのは薄々気づいていた」のだ。


 「ボクはね、この前までは、おとーさんやおねーちゃんのことを思い出すことがなかったんだ。四年前ににおかーさんのエプロンぐしゃぐしゃにして大泣きしてさ。その日から、『もう絶対に泣かない』って決めて生きてきたのに。でもこの前から、いろいろあったことを思い出すたびに、悲しさが込み上げて来て。『大好きな人に会えないのって、こんなに悲しいものなのか」って思って。それから『感情の歯止め』が利かなくなっちゃってさ。歯を食いしばって強がっていたんだけれどね」


 ボクは成長するたびにいろんなものを捨ててきて、生きるために必死だった。けれど、一番欲しかった寂しさを埋めたい気持ちはどうしようも埋まらなかった。どこまで埋めても、込み上げてくるのは寂しさだったからだ。それを、代わりに誰かが埋めることができればきっと簡単だ。けれど、ボク自身の心の深くなってしまった溝は隠すことはできたとしても、埋めることはできなかったみたいだ。


 「瑠璃が辛いのは痛いくらいに分かる。でもさ、私じゃ駄目なのかな?私がずっとそばにいてさ、お姉さんの代わりになって、私がこれからも一緒に生きていくってのじゃだめなのかな?」


 夏稀は精一杯、ボクの心に訴えかけてきた。夏稀は怖かったと思う。ボクの一番大切にしている『家族』と『自分みたいな一人の友人』を天秤に掛けていることが。ボクだって大切なものをニ択にしたとき、どちらかを選ぼうとすると、どちらかがが下になるもの。ボクの心の中の『おねーちゃんという存在』に負けるのが友だちとしても聞くことは、とっても怖いことだと思うんだ。


ボクは夏稀の精一杯の気持ちに精一杯の感謝を込めて、お返事を返した。


 「ごめんね。夏稀は夏稀だよ。ありがとう。今まで、夏稀のことを、『大切な親友として』ボクは心に刻んで来たから、ボクの中では、存在の価値を変えることができないと思うんだ。いわゆる、『ナンバーワンより、オンリーワン』ってやつだと思うんだ」


 ボクは寂しくなって路傍の石ころを蹴り飛ばした。そして言った。


 「夏稀ってさ、ボクの中ではとっても不思議な存在なんだ。おかーさんは違うし、もちろん一緒に生活していない。それに知り合ったのは中学校から。でもボクの心の中にスッと入ってこれて、一緒に泣いて、一緒に笑って、ときどき一生懸命になって怒って。そんな人ってなかなかいないと思うよ。すみれやほかの女の子は、決してボクの心の中には入れないと思うんだ。この差って一体なんだろうね」


 夏稀はボクの言葉に聞き入っていた。それがなんなのかを一緒に考えていた。ボクにとっての一番になりたくて。時に厳しいことを言ったり、言われたりもした。そうやって、ずっと親友として一緒に過ごしてきた。


 「瑠璃、お願いだから!私の知らないところに行かないでっ……!」


 「大丈夫。ボクはボクだから。知らないことがあったとしても焦らないで見守ってて。夏稀には、分からないときもあるけれど、きっと分かるはずだから」


 夏稀は悩んで疲れて。そして早足になって歩いていくボクに、とても追いつくことができなかった――。

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