【第二部】第四章「服を買いに行く」



 これは二週間くらい経った頃の話。トーさんが私に「服を買いに行こう」と提案したのだ。私は、「お金ないし……」と言ったのだけれど、トーさんは「遠慮するな、俺が出すから」と笑顔で言ったのだった。




 十一月に入り、少しずつ寒さも厳しくなり始める。その日は特に寒さの厳しい朝だった。私は「誰かに見つかるといけない」と思った。トーさんもそれを察してくれて、霧前市の方まで車を出してくれることになった。




**


 私とトーさんはアパートの庭先を出て、少しほど歩いた。そこにはに砂利舗装の駐車場があった。フェンスには何の植物か分からない蔦が絡みついていて、私の身の丈まで草が生えていた。全く手入れがされていない。閑静な所にある駐車場があった。あのアパートの所有地のようだ。


 その閑静な駐車場に停められた一台の黒いワンボックスカーの鍵を開け、トーさんは乗るように言った。ドアを開けると軽く清涼感のある芳香剤が薫(かお)った。


 トーさんはゆっくりとエンジンのセルを回した。私は助手席でシートベルトを締めると、これから始まるドライブに思いを馳せながら深く座席に座り込んだ。トーさんはジーンズのポケットから、携帯式の音楽プレイヤーを取り出してカーステレオに繋いだ。音量を調整し、再生ボタンを押した。すると「まくしたてるような発音の英語」がスピーカーから流れた。私の気分を掻き乱す。私は「トーさんは洋楽が好きなのかな」と思ったのだった。


 


 少し湾岸沿いの高速を走りながら、トーさんは私の方をちらっと見て聞いてきた。


 「やっぱり女の子だからいいもの着ないとダメだよ。お前はどんな服が好きなの?」


 私は正直に答えようか、適当にお茶を濁そうか悩んだ。でも、誤魔化しはすぐに見抜かれるし、「この人の前では少しでも可愛くいよう」と思ったのだろう。私は前者を選ぶことにした。


 「トーさんはファッション詳しくないかも知れないけど、『フェミニン系』が私は好きだなぁ。フリルブラウスとか、シフォンの柔らかいワンピース。ピンクやパステルカラーを基調とした女性らしさを意識した服がとっても好きなの」


 私は自慢げに答えた。トーさんは少しびっくりしていたようだ。そして不機嫌気味に言ったのだった。


 「ほー、詳しいなぁ。でも、俺は別にファッションが詳しくないわけじゃないぞ。ただ、着まわすのが面倒なだけだ」




 一時間ほど走ると、高速道路のインターチェンジの最寄りに見えてきたのは、オレンジ色の「TOYO」の大きな文字。そう、これは大型デパートだ。ある有名な時計ブランドが出資して、時計を専門にしたファッションモールとして、霧前市に存在している唯一の有名なスポット。私たちの住んでいる鏑木市とは違い、少し霧前市の方が田舎っぽいのが残念ではあるけれど。味があると言えばあるのかも知れない。




 トーさんは慣れた手つきで地下駐車場に車を押し入れると、すたすたと歩き始めた。私とは歩幅が違うのでついて行くのが精いっぱいだった。私はムッとして、走ってトーさんの正面に回り込むと少し怒り気味に言った。


 「トーさん!歩くの早すぎ!それじゃ、女の子にモテないよ!」


 トーさんは少し苦笑いして、ゆっくりと歩いてくれた。少し言い過ぎたのかな。




 少し服を見ながら、トーさんに似合うか聞いていると、トーさんは興味がなかったのか、それとも恥ずかしかったのか。分からないけれど二万円を私の手のひらに置いて、そのままタバコを吸いに行ってしまった。


 「はぁ、調子狂うなぁ」


 私は朝からつれないトーさんの態度に溜め息をついた。ただ、この場所では知り合いもいないし、「ゆっくりと羽根を伸ばすことが出来る」そう思ったのだ。私は店内にあるチェックや千鳥柄のスカート、ふわふわしたワンピースやナチュラル系の色合いのシャツなど、遠慮しがちに吟味しながらカゴに入れていた。そして思わず葛藤した。トーさんの前で「可愛くいるのがベストなのか」それとも、「居候(いそうろう)」としての身分をわきまえるべきなのかを。私は結局、渡された金額ギリギリ買い込んでしまった。


 店員さんが「着て行かれますか?」と私に聞いてきたので、私は自分の服装を見た。それから周りのオシャレな雰囲気を見て、恥ずかしくなってしまった。みすぼらしく思うと小さく頷いたのだった。


 トーさんがタバコを吸い終わって帰ってきた。私の格好を見て少し驚いた。そして言った。


 「やっぱり、馬子にも衣裳(いしょう)だな!」


 「失礼なっ、素直に可愛いって言えばいいでしょ?怒るよ!」


 トーさんは相変わらず素直じゃなかった。




 私はその後、軽めに昼食を摂ると、トーさんが「これで好きなもの買って来いよ」と、またお金を渡してくれた。押し切ろうとしたのだが、相変わらず押し切れなかった。取りあえず本屋に行くことにした。




**


 「えっと、『臨床心理の本』はどこにあるのかなぁ……」


 私は、これでも将来の道を諦めたわけではなかったのだ。「自分のこの心理状態」をしっかり分析して、「なにかの役には立てられないか」と思っている部分もあるのだ。心的外傷、PTSD……。今の私にはそれが影響しているのかも知れない。


少し本を読んでいると、後ろから肩に手を置かれ、声を掛けられる。


 「……あのさ、秋月だよね?久しぶり」


 「へ?誰?」


 私が振り向くと、そこには「行かなくなった高校のクラスメート」がいた。私はとても気まずいと思った。


 「こ、コウサカくん、……どうしてここにいるの?今日は平日だよ?」


 震えながら、私は「元クラスメート」に問いかけた。


 「いや、たまたまだよ。今日は学校の連中が、集団インフルエンザに罹(かか)って休校になったの。で、秋月は、最近どうして来なくなったの?」


 私は気まずくなって黙った。不用意に色んなことを話すと、厄介になると思った。そして作り笑いをしながら、当たり障りのない返し方をした。


 「いやー、ちょっと色々とあってね。霧前の方に親戚がいるから。こっちで生活してるの」


 「そっかー、いやな、『ちょい悪風のおじさん』と秋月が歩いてるから、『悪い遊び』でもしてるかと思ったわ。でも、元気そうで良かった」


 私は少し苛立つと同時に、背筋が寒くなった。「どこまで見られていたのだろうか」と心配していた。知り合いに見られていたのが気まずかった。ここを少しでも早くお暇しようと決めた。この後、誰かにバレないといいのだけれど……。


 「あ、お前、『アインシュタインの相対性理論』ってどこにあるか分かる?」


 「ごめん、分かんない。……ちょっと用事出来たから行くね」


 私はちらっとスマホを見る動作をすると、コウサカくんの前から「忙しそうに」立ち去ろうとした。そのとき、コウサカくんが一言言った。


 「お前、今……幸せ?」


 「え?なに言ってんの?そ、そうに、決まってんじゃない!じゃ、じゃあね!」


 「もう会うことはないと思うけど」と心の中で思いつつ、コウサカくんの言っていた「見透かされたような一言」に、私は胸が苦しくなったのだった。




 そして、人目を避けながら時間を潰して、トーさんと待ち合わせた場所で再会。トーさんは私の表情を見てなにかを感じたようだ。


 「お前……なんか表情に元気ないぞ?なにかあったのか?」


 「あ、いや、なんでもないよ。なんでもない」




 「『なんでもなければ』良いのだけれど。なんでもなければ……ね」と私は思ったのだった。私は、新しい服を身に纏(まと)い、身は軽くなったつもりだった。しかし心は沈んでいるのだった。

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