【第一部】第三章「姉妹愛・飛ベナイ天使」
授業中。ボクは窓をボーっと見ながら、考えごとをしていた。そして、胸元にぶら下がっている皮紐のクマの首飾りを外して手に取り、少し回しながら眺めていた。すると先生からお叱りを受けた。
「秋月さん、聞いてますか?その可愛い木彫りのクマの首飾り、没収しますよ!」
「ひゃっ、す、すいません!」
ボクにとって、それは大切なものだったのでぺこぺこと立ち上がって謝って、授業に集中し直した。夏稀がこっちを見ていた。なんか興味深そうに見ていた。
休み時間になった。眠かったので、ボクはトイレの洗面台で顔を洗って目を覚ましていた。鏡を見ると、夏稀が後ろに立っていた。びっくりしてボクは怒った。
「夏稀!びっくりするじゃん!」
「あのさー、瑠璃、そのクマのネックレス、いつも身につけてるけど、大切な物なの?」
先ほどの「興味の眼差し」はそのことだったのかとボクは思った。そして、「夏稀になら大丈夫かな」と思い、首にかかったクマの首飾りを外して夏稀の手に乗せた。
「うん。見てみる?」
夏稀はクマの木彫りの首飾りを蛍光灯の光にかざした。綺麗に樹脂塗装された木彫りの首飾りは凹凸まで細かく掘られ、とても美しかった。裏には日付とローマ字が刻まれており、「RURI」と彫られていた。日付は掠れて読めなくなっていた。
「綺麗だねー。これ、どうしたの?貰い物?」
「……うん、おねーちゃんからのね」
ボクは少し悲しくなって涙を堪えながら言った。夏稀はボクにおねーちゃんがいることがびっくりしたらしい。
「あれ?瑠璃、お姉ちゃんいたの!?」
「話してなかったっけ?いるんだよ。五歳離れたおねーちゃん。四年前に……いや、なんでもない!」
危ない危ない。言うとこだった。これは言えなかったよ。
「ふぅん、どんなお姉ちゃんなのー?」
「それはね……」
**
「アイスクリーム、食べよっか」
「うん」
まだ小さいボクは、アイスクリームをおねーちゃんと食べるのが好きだった。鏑木市にあるショッピングモールに家族でよく来ていた。高校生になったおねーちゃんの後について、色々とショッピングモールを散策するのが楽しみだった。おかーさんとおとーさんは二人で買い物をして。そしておねーちゃんがボクにいつもアイスクリームを買ってくれるのだ。
おねーちゃんは注文を済ませると、店内のアイスクリーム屋のベンチに座って、にこっとボクに笑いかけた。ボクはレモンとバナナチョコレートのダブルを。おねーちゃんはラムレーズンのシングルを頼んだ。
ボクは、自分の口に入らない拳より大きなアイスクリームにいつもビックリしていた。でも甘酸っぱい風味がたまらなかった。ボクは楽しいことがいつもたくさんあって、おねーちゃんに目を輝かせながら話していたっけ。おねーちゃんはいつもニコニコしながら聞いてくれたんだ。
「……でねっ、ボクはねっ、……したんだよ」
「瑠璃、その『ボク』って喋り方なんとか出来ないの?仮にも女の子なんだし」
おねーちゃんはいつもそのことを注意してきた。女子としての嗜みよりも、まずは身長が欲しい。今でも思うよ。
「これはボクのあいでんてぃてぃーなんだ!」
「もー、瑠璃は『アイデンティティー』なんて言葉使っちゃって。どこで覚えたのかしら」
「なんとなくしか分からないけどね」
ボクは恥ずかしくなって頭を掻く。おねーちゃんはくすくす笑っていた。そしておねーちゃんはバッグをごそごそ探ると二つの小さな紙袋をボクの前に置いた。
「さて、瑠璃ちゃん。どっちが欲しい?赤い紙袋と青い紙袋」
「え?何かくれるの!?嬉しいなぁ!じゃあ、赤で」
中を開いてみると、「木彫りのリンゴの首飾り」が入っていた。おねーちゃんは「残念!」と言って青い紙袋をしまおうとした。ボクは悔しくなって、もう一つに何が入ってたかを聞いてみた。
「もー、そっちの紙袋には、なにが入ってるの?」
「見たい?見たい?」
ニヤニヤとおねーちゃんは笑いながら、ボクの手の上に青い紙袋を置いた。ボクは興奮気味に、丁寧に紙袋を開くと「木彫りのクマの首飾り」が入っていた。ボクはすかさず文句を言った。
「おねーちゃん!こっちの方が可愛いよ!」
「言うと思ったよ。はい、じゃあそれと交換で」
今になって思う。おねーちゃんはこのことを予測していたのだと。そして、「首飾りの裏を見てみて」と言われ、ボクは首飾りを裏返してみた。裏には「RURI」と刻み込まれ、「今日の日付」が刻まれていた。
「え?これって、ボクの為に?」
「そうよ。この前の北海道の修学旅行で、アイヌの民芸店に行って買ってきたの。可愛いでしょ」
「ありがとう!大切にするよ!」
ボクはとっても嬉しかった。それから、毎日欠かさずに付けているのだ。リンゴの方にはおねーちゃんの名前が刻んであるんだ。これは「ボクたち姉妹」の大切な宝物だ。
**
「そっかー、優しいお姉ちゃんなんだねぇ、会いたいなぁ」
「ボクも会いたいよ」
ボクは返してもらったクマの首飾りをぎゅっと胸元で抱き締めた。
「え?一緒にいるんじゃないの?」
「え?……いやあ、ちょっと遠くに住んでてね」
ボクはしどろもどろに、夏稀に言いわけをした。けれど涙が何故か溢れた。夏稀には幸い悟られなかったようで察してくれたようだ。
「寂しいんだね、よしよし」
「……うえええん」
ボクは夏稀の胸で泣いたのだった。
**
夜。少し寂しくなって、ボクは日記を書くことにした。
おとーさんの死が過ぎ、四年が経ちました。おねーちゃん元気ですか?ボクは元気です。おかーさんは、おねーちゃんが居なくなってから、何度も泣き崩れることがありました。でもボクはおかーさんの手を取って何度も何度も励ましました。そのたびに「瑠璃が居てくれてよかった」おかーさんはいつもそう言います。
ボクも悲しいです。けれどおかーさんには「ボクが付いていなきゃ!」って思っています。
あの日のおねーちゃんの悲しい気持ちは、痛いほど分かります。でも、ボクはお姉ちゃんに帰ってきてほしいと願っています。
「おねーちゃん、どうしてるかな」
瑠璃は窓から星を見上げ、ずっと姉のことを思っていた。今日の「木彫りのクマの一件」で思い出してしまったのだ。
「今どうやって過ごしているかな。おねーちゃんはもう大学生だよね。きっと綺麗になっているだろうなぁ」
ボクは、どれが織姫と彦星なのか分からないけど、離れて輝く星同士のようにおねーちゃんもどこかで輝いていると思った。そして、「今は遠くにいる姉」に対してボクは思いを馳せた。でも考えても無駄だと思ってやっぱり考えないことにした。
「心の片隅にはいつも生きてるんだ。でも四年経ったんだし、帰ってきてくれないかなぁ。なんてね。期待しちゃダメだ。うん。あんまり考えちゃダメ。おかーさんも悲しむし、ボクはボクとして堂々としなきゃ」
そして、ボクはベットに入って大好きなテディーベアを抱き締めながら眠りについた。
**
翌朝。涙で枕を濡らしながら、ボクは目を覚ました。少し泣き疲れていたようだ。
「あれ?ボクは夢の中で泣いてたのかな」
ボクは鏡を見る。目元が重く腫れぼったい。まぶたは二重になり、瞳は充血していた。このままではいけない。まずは顔を洗って目薬刺さないと。焦って顔を洗うことにした。
「こんな顔じゃ学校には行けないなぁ」
そう言って、ボクは部屋に戻って、引き出しの中から洗顔料を出した。そのとき、ボクはたまたま古びたノートに目が留まった。洗顔料と一緒にノートを取り出すことにした。
「あー懐かしい。恥ずかしいなぁ。ボクの書いてたポエム集だ。一時は趣味で詩を書こうとしたんだけど、自分の文才の無さに幻滅して、すっかり忘れてたんだ。少し背伸びして大人になろうとした恋のことや幸せなこと。そんなことが書いてあったな」
ボクは忙しい朝であることをすっかり忘れて、懐かしいノートをめくっていった。自分の赤裸々な過去や黒歴史だった為に思い返したかったのだ。その中で際立って一節だけ目に留まる詩があった。あの日、確か泣き崩れていたときに書いていたものかも知れない。
**
―飛ベナイ天使―
ある所に飛ベナイ天使がいました。
片羽根をもがれ、天に飛び立つことが出来ない天使。
飛ベナイ天使、唄ウ。悲シミヲ、苦シミヲ。
大声デ、泣ク。泣キナガラ、唄ウ。
そして泣き疲れた、飛ベナイ天使。
片羽根は地に、灰に消えて、喉は焼けつく痛み。
泣きじゃくっても天に手が届かない。
声ハ、天二響イタ。声ハ、天ヲ鉛色二染メ、澱ンダ雲、雨ヲ降ラス。
ある日、その天使の悲しみを分かってあげたいもう一人の天使がいました。
いつも天界の窓から見つめるその悲しげな姿、唄声は綺麗なのに、決して救わぬ、明るく晴れないその唄。
窓カラ天使、飛ビ出シタ。ズブ濡レナソノ天使ヲ、傘ニ入レル。
シカシ、飛ベナイ天使、ソノ天使、分カルマイソノ気持チ、ソッポヲ向イテ訴エル。
「じゃあ、私が片羽根になろう」
天使は片羽根をもぎました。痛みを堪えて。飛ベナイ天使はその姿を見て、伝わってくる痛みと驚きに心臓が止まりそうになりました。
「やめてよ、あなたも飛べなくなるでしょう」
天使、苦ク笑イナガラ、飛ベナイ天使ニ手ヲ差シ出ス。
「片羽根が無いのなら、肩を貸せばいい」
失ッタ羽根、左右対称ニナリ、必死ニ天使、羽バタク。
二人ノ重ミ、決シテ飛ブコトカナワズ。
しかし、天使は諦めませんでした。痛みに耐えながら残された羽根で羽ばたきました。その姿を見て飛ベナイ天使も羽根を羽ばたかせました。
フワット一メートル。タッタソレダケ。シカシ、飛ベナイ天使、久シク地カラ足ヲ離ス。
「ほら、飛べるじゃないか」
天使ハ笑ッタ。飛ベナイ天使、小サク、嬉シソウニ微笑ンダ。
**
ボクはその懐かしい詩を見ながら少しじんわりとした気持ちになった。
「このときの詩、おねーちゃんとボクみたいだったなぁ。小さい頃にいつも先立って、色んなことを教えてくれたおねーちゃん。今は片羽根しかないのだけれど」
ボクは顔を洗うこともすっかり忘れていた。
「るりーっ!!まだ下りて来ないのーっ!!」
「やべっ」
ボクはすっかり朝の準備を忘れていたことに気が付いた。そして我に返り、急いで顔を洗っておかーさんのいる下の階へ降りて行ったのだった。
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