【第一部】第二章「瑠璃と友人たち」



 暖かく気持ちの良い麗らかな日。桜も散り、四季の変わり目を感じさせる緑の季節。ボクは高校生になった。低い身長と童顔のせいでまだまだ中学生扱いされることが多い。いや寧ろ、小学生扱いされることさえある。とても悲しいのだけれど。……悲しいと言えば、「あの悲しい事件」から四年の年月が経過していた――。




 ボクはベッドから起き上がり、目をこすり欠伸をしながら朝を迎えた。新しい朝に新しい日差し。……でも眠い。昨日は流石に夜更かししすぎた。


 「ふわぁぁ。眠い。やっぱり春は眠い」


 ボクは春を言い訳にして、


**


 朝食。リビングのテーブルの前でボクは皿に盛られたスープを睨み付けていた。今日はガーリックトーストとオニオンスープかぁ。朝から見る玉ねぎ料理にとても気が重い。


 「玉ねぎ嫌いなんだけど。お母さん」


 「残しちゃダメよ。せっかく作ったんだから」


 お母さんは洋食料理が得意だ。よくおやつに紅茶とスコーンの取り合わせを持ってくる。しかし、今日の朝はボクの嫌いな玉ねぎと朝の天敵ニンニクだよ。パンのネーミングにカッコよく「garlic」なんて付けなくてもいいのにね。相変わらずヘヴィーな組み合わせだよ。全く。ボクは文句を言いながらガーリックトーストを口に含んだ。そしてオニオンスープのカップを嫌そうな顔をしながら口元まで近づけた。


 玉ねぎか。匂いが嫌いなんだよね。生は辛いし、何より小さい頃から嫌いだったし。


 


 「瑠璃、ほら手が止まってる。早くしないとー。友達迎えに来るんでしょ!」


 急かしたてるお母さん。ボクの憂鬱さに拍車が掛かる。


 「玉ねぎ、玉ねぎはちょっと……」


 「なに言ってんの!苦手なものを克服しないと身長も伸びないわよ」


痛い所を突いてくるお母さん。チビなボクには、辛くてとても切ない気持ちになった。しかし、玉ねぎの独特の匂いがまだ克服出来ない。


 「こんなにおいしいのに。どうしてなんだろう?」


 疑問に思うお母さん。しかし、玉ねぎの問題はお母さんとは一生涯分かり合えないだろう。刻一刻と時間が経過してボクは焦った。それと同時にボクをもっと焦らせる「軽快な間延びのいい音」が家の中に鳴り響いた。そう、チャイムである。


 「はい、はーい!」


 お母さんは声色を変え、駆け足で玄関まで向かっていった。ボクは残されたオニオンスープをじーっと睨みつけながらため息を吐いていた。




 「るーり!おはよっ!!……え、なにしてんの?」


 「ボクの友人」はリビングに入るや否や、軽く硬直した。


 「いや、この悪魔を流そうと思って」


 シンクにつま先立ちになってマグカップを傾けるボク。オニオンスープの中のクルトンが血の如く、鈍い音を立ててシンクに落ちていく。見られてしまった罪悪感と共に、玄関からキッチンに忍び寄るひたひたと湿った足音がボクの背筋を震わせた。


 「MA・ZU・I」


 ゆっくりと忍び足でシンクから下がろうとした。しかし、「悪魔の創造主」は「ボクの悪事」を目撃し、叱咤をかました。


 「こら、瑠璃!!今、なにをしようとしていたの!」


朝からお厳しい言葉が心に刺さる。ボクはその言葉に委縮した。そして言い訳をした。


 「……いや、味濃いから薄めようと思って」


 「どうせ、流して学校に行こうとしてたんでしょ!」


 「違うよー。信じてよー」


 訴えるような眼差しを向けてみるものの、お母さんは動じることは無かった。そして決定的な証拠を指差す。


 「じゃあ、そこのシンクのクルトンは何?」


 「えーっと……その……」


 お母さんの尋問に、苦笑していた友人は堪え切れずに口を開いてしまう。ボクはその一言に青ざめた。


 「捨てようとしてましたよ!」


 「いっ、行ってきまーす!!」


 お母さんの怒号が響く前にボクは、素早くマグカップを流しに置いた。そして友人の手を強引に引っ張ってお母さんの脇をすり抜け、そのまま玄関を飛び出して行った。


 「こらっ、玉ねぎは残しちゃダメだって……言ったじゃな……い」


 残されたお母さんは、怒鳴ろうとするものの、目の前にボクがいないことに気づき、一瞬唖然とした。そして手元にあったオニオンスープを一口飲んだ。


 「こんなに美味しいのにどうして残すのかなぁ」




**


 ボクには友人がいる。ひとりは夏稀(なつき)。元気な女の子だ。金髪で髪の毛をポンパドールに巻き上げ、バチバチのつけまつげと香水を付けたギャルだ。高校に入って一番仲がいいのだけれど、校則違反すれすれで、いつも生活指導の先生に注意されている。学校では一番よく話す友人だけれど、ボクのことを良くからかってくる。


 「ねー、さっきはなんでお母さんの肩持ったの?」


 夏稀はくすくすと笑いながら言った。


 「だってー、からかうと面白いんだもん。瑠璃ってほんっと飽きないよね!」


 そう言いながらボクを背後から羽交い絞めにし、脇腹をくすぐり出した。


 「あの、言ってることがさらに悪化していないかい?」


 「お前さんはもう死んでいる。『ナツキ千烈拳』!!」


 「やめろー。何するんだよぅ」


 「るりたんはホント可愛いなぁ。まるで絵本から飛び出してきた『森のくまさん』だ。あはははは!」


 夏稀はボクを辱しめながら悦に浸っている。「荒手の百合小説」を思わせるような、夏稀の手付きはボクを相当辱めた経験で手練ていた。


 「やめろー、怒るぞぉー!」


 「怒ってみろよー。るりたんが怒っても、猫一匹逃げたことがないじゃないか。むしろ和むっ!」


 夏稀は興奮して鼻息を鳴らす。そして手癖の悪い手を上の方に持って行った。


 「さって、成長してるかにゃー」


 夏稀は猫のように喋りながらボクの胸を揉んだ。明らかにやりたい放題だ。しかし非力なボクは、夏稀に抗うことが出来なかった。


 「うう、ボクの初めてが……」


 ボクは悲しくなり目を潤ませた。涙の堤防が決壊しそうになる。


 「うっ。流石にやり過ぎたか」


 夏稀は、ボクから素早く手を離して後ろに隠した。そして五十センチほど立ち退いた。そして宥(なだ)めるようにボクの頭をゆっくりと撫でた。


 「悪かったって。ごめんよー」


夏稀はバツが悪そうに謝ってきた。ボクは少し意地悪をしてみることにした。


 「ホントかなー。ボクはC社が最近出したホットレモネード飲みたいと思ってるんだけど。どこかに無いかなぁー」


 夏稀がちらりと左を見ると、タイミング良くC社の自動販売機があった。


 「えーっと、値段はぁ……」


 普通の缶ジュース相場が百二十円なのに対し、百五十円と言う破格値だった。夏稀は乾いた笑いをし、肩掛けバッグからファンシーな財布を取り出して中身を見た。五百円硬貨が一枚。「使ってくれ」と中から小さく自己主張していた。


 「今月使い過ぎたからなー」


 夏稀は血の涙を流して、その五百円硬貨を摘み上げた。そして自動販売機に押し込んだ。例えるなら半ば戦場に兵士を送り込むような気持ちで五百円硬貨を送り出した。


 そして、夏稀は激しく殴るように自動販売機の「ホットレモネードのボタン」を押した。心では 「大砲発射!!」とか思っていたのかも知れない。


 ガタンと無機質な音を立て、ホットレモネードが撃墜。その生温かい缶を夏稀はボクに捧げてくれた。


 「あ、ありがとう。嬉しいよ」


 ボクは缶を頬に付け、伝わる熱を味わいながら微笑んだ。


 「幸せそうな奴だ」


 夏稀は血の涙を流しながら、ボクの笑顔を見つめていた。




**


 学校に着くと夏稀とボクは花瓶を換え、黒板にチョークをセットして、日直である責務を果たした。そして友人たちがぞろぞろと学校に来た。


 「おはよ、瑠璃」


やや元気がなさそうに来たのは、ゆるふわロングの長身女子すみれ。いつも登校一時間前に頑張って髪の毛やお化粧をしているオシャレさんで、美意識に余念がない。


 「おはよーっ!」


ボクは先ほどのレモネードですっかり元気になって、すみれに元気に挨拶をした。


 「おーっす、すみれじゃないかぁ!」


 ボクの後ろからぬっと現れるように夏稀も顔を出して挨拶した。


 「今日は……二人とも日直?」


すみれは小首をかしげながら聞く。可愛いと思ってやっているのだろうか。ボクは答えた。


 「そだよー」


 「あー、もうやってらんないわ。朝からいろいろやんなきゃならないし」


 夏稀はさっそく、だるさを剥き出しにして、大きな欠伸をした。そして、ニヤニヤしながらボクの方を見た。


 「でもっ!るりたんがいれば大丈夫かなー」


 「げっ」


 ボクは寒気がして、夏稀から離れた。夏稀は残念そうにうなだれて舌打ちをした。


 「ちっ、朝経験済みだから反応が早いわね。せっかくもちゃもちゃしてあげようと思ったのに」


 「だーかーらー!それがダメなんだって。あー、今日はなんで夏稀と日直なんだろう!!」


ボクは夏稀をめんどくさいと思って、ついつい余計なことを言ってしまった。


 「ひどい!そんな言い方するのっ!!」


 夏稀は目に手を当てると、声をひくつかせて泣きだした。ボクはしまったと思って夏稀に近寄り、背中を擦りながら宥めた。なかなか夏稀は泣き止まない。


 「あー、ウソだって。ウソウソ。ボクは夏稀と日直やって良かったと思ってるよ。ボクは夏稀とやれて幸せだよ。あー、幸せだなぁ」


 ボクは恥ずかしかったのでぶっきら棒になり、少し投げやりな言い方をした。しかし、夏稀は泣きやまない。


 「もっかい」


 「あー、もう夏稀、元気出してよ」


 ボクは戸惑いつつ、夏稀になんて言ったらいいかわからなくてジタバタしていた。


 「えぐっ、さっきなんて言ったのっ。ひくっ、聞こえなかったんだけど」


 「だからさ、夏稀のことないがしろにして悪かったって。ボクは夏稀のこと、大好きだからね」


 ボクは流石に恥ずかしくなってそっぽを向いた。顔が熱い。あー、顔が熱い。


 「く、くくく、ぷぷぷ……」


すると、夏稀がなぜか笑い出した。ボクは気になって夏稀に質問をした。


 「ん?どしたの?なんか悪いこと言った?」


 「あー、もうダメだ。るりたんにこんなこと言われたら、わたし一生お嫁に行けないわぁー、あはははは!」


 夏稀は腹を抱えて大笑い。泣いていたのは嘘だったみたい。めっちゃ悔しくなった。


 「キサマ、図ったなぁ!」


 更に、夏稀はニヤニヤしながらすみれに言った。


 「すみれ、ちゃんと録れてる?」


 「うん。バッチリ」


 すみれの手には音を集音して再生する機械。サラリーマンが会議でよく使うアレだ。いわゆるボイスレコーダーという物があった。ボクはなんか悪い予感がした。


 「やめろー、ボクを辱める気かっ!」


 ボクはあわあわとしながら、すみれの周りをうろうろ。ボイスレコーダーを奪おうと必死になった。しかし、小柄なボクが、長身のすみれからこれを奪うのは至難の業。必死にジャンプをしてみるも、なかなか届かない。


 「すみれ、パス」


 すみれは夏稀にボイスレコーダーを投げ渡す。


 「さて、うまく録れてるかなー」


 夏稀は右サイドについているボイスレコーダーの再生ボタンを押した。ノイズが入っているが、かすかに聞こえる。


 「ザーザー……ボクは、な、のこと大好きだからね」


 「んー、少し音が悪いなー」


 夏稀は音質が悪いと文句を言いながらもう一度。ボクはいち早くこのデータを抹消してほしいと必死になった。


 「くっ……返せっ!!」


 夏稀は迫り来るボクの猛攻を交わしながら、再びボイスレコーダーの再生ボタンを押した。


 「サー……ボ、は夏稀のこと、……好きだからね」


 絶え間なく流れる「ボクのセリフ」。夏稀は世間で言う「悪女」かも知れない。ボクはとてもとても恥ずかしくなった。


 「やー、これは永久保存しとくしかないわ。うちの家宝にするしかないにゃー」


 「だから返せって」


 ボイスレコーダーを持った夏稀を追いかけるボク。その姿を見て、すみれは今日も平穏な一日になると思ったそうな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます