蒼白の月夜 Side -A-
雪原のキリン
【第一部】第一章「蒼白の月夜」
私が中学生のときの話。私の家族は少し貧しいが、それすら笑い飛ばしえてしまえる明るい家庭だった。私と五歳離れた妹。それから父と母の四人家族。世間では不景気と囁かれる中、父は賭博やタバコに一切手を出さずに働き、母も私たちを一生懸命に養ってくれた。
家庭熱心な父、良妻賢母な母。そして暖かい家庭。少し貧しかったとしてもやってけるし、不満も言いはしなかった。
父は家族の為に家を建てようと願った。そして、貯めていた五百万円を元手に大きな家を建てることを夢を見ていたようだ。
そして、「岩村」と名乗る男に不動産を紹介してもらうのだが、挙句借金を背負わされてしまう。
当時、母は顔を伏せていた。しかし私たちに悟らすまいと必死になっていた。父も懸命に働き、その借金を返していこうと努力していたようだった……。
**
父は私に、いつも夢を聞いてきた。
「……は将来何になりたいんだ?」
「私は看護婦さんになるよ!!いろんな人の怪我を治してあげるのっ!」
「そうかそうか。おまえは優しくていい子だなあ」
父は私の頭を撫でながら素直で優しくていい子だと言っていた。
「お父さんも怪我したら治してあげるよ」
「そうか。じゃあ、今すぐにでも治してもらいたいくらいだなぁ」
そんな他愛のない会話。そう言えば私は、そんな夢も持ってたっけ。
そして、私は高校に上がり、十六歳になる、ある秋の夜。月の綺麗な夜だった。その日は珍しく宿題も忘れてしまい、担任に居残りをさせられていた。たったひとり、残る教室から見える蒼い月が秋夜に映え、空腹とともに家に帰りたくなった。
「ただいまー!!遅くなってごめんね」
私は、玄関に無造作に靴を脱ぎ捨てると、階段を上がり真っ先に母のいる台所まで駆けていった。
「あっれー?お母さん帰ってないのかなあ?」
物静かな家に、私は少し寂しくなった。空腹に耐えかねなくなった私は、冷蔵庫を探って棒アイスを見つけると、それを咥え自室に戻った。
「まあ、お父さんも帰るの遅くなりそうだし、瑠璃(るり)と一緒にお留守番でもしてようかな」
そう思って自室のドアを開けると、小さな妹が立っていた。妹の表情は寂しそうで弱々しく、そして不思議そうな声でただ一言そっと言った。
「おとーさん、どうして動かないの?」
妹はその一言をぽつりと言って俯いた。私は不可解な妹の一言が理解できず、妹に膝をかがめて目線を合わせ、「どうしたの?」と聞いてみた。
妹は無言で指を指した。その先には私のベッドがあり、布団が人の大きさに、大きく膨らんでいた。私は恐る恐る近づくと、布団を一気に剥がし取ってみた。
「おとう……さん?」
父は目を瞑って息もせずに眠っていた。窓から差し込む月明かりが父の頬を青白く映し出す。あまりにも綺麗すぎる父の寝顔に、私は何故か分からないけれど、顔から血の気が引いていくのを感じていた。
「おとーさん、大きな目覚まし時計があれば目を覚ましてくれるかな?」
そんな妹の言葉を聞いて、私は妹を撫でたくなった。妹の髪をゆっくりとくしげるように撫でてやる。自分の心の中で起きている「何か」を理解させるために、ただゆっくりと髪を撫でていた。
そう言えば、小学生の頃に男子がカエルをいじめてるのを見て、一緒に見てたっけ。「死んだとか」そんなことを言いながら。
私はあのとき、理解できなかった。そして、男子になにも言うことが出来なかった。今になったら、父を襲った、その「何か」が分かるかも知れない。
「……そっか」
私は小さく呟いた。そして唇を血が滲むほど噛んだ。妹が私のことを心配していたのか上目遣いで見上げている。
「どうしたの?」
私は純粋な妹の顔を見たからなのか、何故か涙が流れた。そして笑いたくなった。私の中で渦巻く感情。悲しみと憎悪と吐き気が襲い、様々な感情に立っているのもやっとだった。
「瑠璃は何も知らなくていいんだよ。……何もね」
私は亡くなった父にそっと布団をかぶせると、部屋のドアノブに手を掛けた。妹がまだ父を見つつ不思議そうに立ち尽くしていたので、背中を叩いて急かすように部屋から連れ出すと、強引に部屋のドアを閉めた。とにかくこの空間にいたくはなかったから。
**
しばらく私と妹はリビングで母の帰りを待っていた。
「私、ちょっと上に行ってるね。少しリビングで待ってて」
「うん!分かった!」
そして、一時間ほどして母が帰ってきた。もう一度、私は部屋に行って父の顔を見に行っていた。そして……。
「ただいまー」
玄関から母の声がした。
「あっ、お母さん帰ってきた!!」
妹は立ち上がり、「待ってました」とばかりに母のもとへ駆け寄っていた。
「いやー、道路混んでてね、買い物行くにも大変だったよ。あれ、……は帰ってる?」
「うん。帰ってるよ。おねーちゃん!!」
妹は「私」を探しに二階に来た。しかし、私は既に「そこには」居なかった。
「部屋に戻ったのかなあ?」
「まだ帰ってないんじゃないの?」
「いや、帰ってたよ!!」
半ば泣きじゃくって母に訴え、そして妹は部屋中のドアを開けて回った。しかしどこにも私はいなかったようだ。秋風が、開いた窓から吹いていた。「私」のいない寂しさを風とカーテンが物語っていた。
「さて、今日はカレーにでもするか」
母は張り切ってエプロンをし、腕まくりをすると野菜を切って炒め始めた。
「玉ねぎは瑠璃が嫌いだから、今日は何としてでも食べてもらわなくちゃ」
「おかーさーん!!」
そこに血眼になって泣きじゃくった妹が母のエプロンにしがみついてきた。言葉は切れぎれで、涙でぐしゃぐしゃ濡れてしまったエプロン。その中でかすかに聞こえる声。
「おねーちゃんどこ行っちゃったの……?」
「え?それってどういうこと?」
私は家族の前から姿を消していた。真実を知った妹の姿。悲劇に泣く母の姿。優しかった父の死。その全てを受け入れたくなかったから。何より数日間。一人になりたかったんだ。
三日は過ごせるであろう衣類。取っておいたお菓子。大好きだったマンガやCD。そして家族の写真とわずかなお金。それらを無造作にリュックサックに詰めて。月明かりの中、闇夜に失踪した……。
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