【The last one drop】Rousing Days:three「悪魔の笑み」
――鏡の部屋。それはとても不気味な空間だった。言うなれば、ここは「レオ=ランチーノ」の深層心理だろうか。エルノは鏡に映る自分の姿を見ながらぼそっと呟いた。
「随分醜(みにく)くなったものだ……」
「それはどうかな?お前がそうみればそうなのだろう、その醜さは自信の無さと誇りの無さから生じているのでは無いか?……俺に問うよ。どうして醜い?」
背中越しに映る『自分』がそう呟いた。
「誰も守ることの出来ない、傷つけることしか出来ない言葉。とけとげしい態度。普通の人間(トールマン)として、……普通に暮らしたかった。こんな『運命』なんか手放して」
天井に映る『自分』が呟いた。
「でも、鳴かず飛ばずの人生は嫌だと俺は思う。そうだろ、俺」
「そう思う。金も好きだったしな。……なぁ、俺。今の俺は幸せか?」
右にいる『自分』が呟いた。
「俺次第じゃね?逆に俺に問う。この部屋を出て……悪魔を倒したいか?」
「その顔」は歪んで微笑んだ。
「倒したい!お前は誰だ!」
エルノは「右の鏡の自分」にテラピノツルギを突き刺したが、軟体動物のようににぬるりと切っ先を滑り抜けて戻ってしまった。
**
「自問自答すること」にエルノは疲れ切って、天井を見上げた。今度は天井の鏡が歪み、愛すべき人物達を次々に写しだした。
「エルノ、私よ。セシリア。セシリア=ケーテル。王宮で追いかけっこした時のこと覚えてるかしら」
「恥ずかしい話をするな。過去の話だろ」
「あれから、数ヶ月。あなたはすっかり私の身長を追い抜いてしまった。置いてけぼりね。可愛い弟だと思っていたのに……」
「エルノ、僕だ。ベレンセ。ベレンセ=ハウジンハ。君のことを僕の一番弟子だと思っているし、勝手に誇りに思わせて貰っているよ」
「……そりゃどうも」
「こんな空間にいないで一緒に語り合おう。若い君の力を借りて研究を続けたいんだ……」
「エルノ、ニナよ。おバカさんね。早く一緒に『ⅩⅡ(ザイシェ)の国』に戻りましょ。タルトタタンを一緒に作って、フィオナとお茶をするの」
「……エルノ、寂しいよ。早く一緒にお祈りしよ。フィオナはずっと待ってる」
エルノが見とれていると、両側の壁や床、天井がじわりじわりと押し迫って、既に身体が突っかえはじめていた。
「まずい、このままでは死んでしまう……」
エルノが死を覚悟した時、テラピノツルギから懐かしい薫りが漂ってきた。バニラに似た暖かみのある薫り。甘く安らぎのある柔らかい薫り。それは「ジルゾイン【ベンゾイン・安息香】」の「エルダーニュ・オイル」だった。ベレンセが機転を利かせたのか、強く外壁から焚き上げたらしく、その薫りがエルノのいる場所にまで伝わってきた。
エルノは静かに目を瞑った。
――苦しい、これ以上、この手で誰かを傷つけたくない。お前は誰だ。俺の心を支配して何をするつもりなんだ――
鏡と鏡の継ぎ目から声が聞こえた。それは「レオ=ランチーノ」の叫びだったのかも知れない。アスモデウスに身体を支配され、誘惑と葛藤の狭間で辛うじて自我を保っていた。その小さな叫びをエルノは聞き逃さなかった。
息を吸い込んで「鏡の継ぎ目」にテラピノツルギを突き入れると、多面鏡の立方体は内側から砕け散って無くなってしまった。
**
「ぷはっ!」
エルノは再び王座の間に叩き出された。「レオ=ランチーノ」の肉体は頭を抱えて苦しんでいた。「アスモデウス」と「レオ=ランチーノの自我」が同じ肉体の中でぶつかって争っていたのだ。エルノはテラピノツルギでその肉体を叩き斬った。
「エルノっ!」
出てきて早々ドワーフの男性に剣を振りかざしたエルノに、セシリアは酷く驚いた。無理も無い。エルノが人殺しをしようとしているように見えたのだから。しかし、霊体のような物体が男性の身体から弾き出されて「レオ=ランチーノ」はその場に倒れた。
ベレンセが駆け寄って瞳孔を開いた、彼は死んでいなかった。
「ぐっ……甘かったわ……創造主の子……ソウゾウシュノコォ!」
エルノに襲いかかってきたと見せかけ、霊体となったアスモデウスはエルノの背後にあった「錆びた鎧」に取り憑いた。
エルノはテラピノツルギを構えた。
アスモデウスは肉体を宿したようにエルノに斬りかかると、激しい鍔(つば)迫り合いを始めた。鎧の重量に任せた体当たりを喰らわせ、それを喰らったエルノは吹き飛んだ。鉄の塊が身体にぶち当たるその痛みは計り知れない。片膝を突いて息を吐くエルノの顎(あご)をつま先で蹴り飛ばし、脳が揺れているところにすかさず斬りかかった。エルノは必死に剣を構えて攻撃をいなしたが、視点が定まらない。
フィオナは叫んだ。
「エルノ!使って!!」
「テラピノタテ」と言うべきだろうか。エルダーニュ・オイルを増幅する「風の盾」を滑らせるように、エルノに渡すフィオナ。
ベレンセはポケットに入っていた「エンガルオレンジ【スイートオレンジ】」のエルダーニュ・オイルを部屋一面に振りまいた。
「カジワラの好きだったオレンジだったな」アメリアはその香りを嗅いで思った。
オイルの効果で視力が回復したエルノは、呼吸を整えた。
「創造主の子、何故……俺の邪魔をする」
「分からねぇ。だが、お前の感情には憎しみしかないのは確かだ。愛が感じられない」
「愛など要らぬ」
「けっ、言ってろ」
激しい蹴りがアスモデウスから繰り出された。エルノはテラピノタテで攻撃を受け止めると、そのまま押しつけて強気に攻め込んだ。大振りに剣を振り上げたが、鎧の皮一枚を裂いただけだった。しかし、エルノははっきりと鎧の体内にアスモデウスの霊体を捉えた。
アスモデウスは古びた剣に邪念を込めて、エルノに斬りかかった。とっさに躱(かわ)したエルノの足下には、ぞっとするような黒い爪痕が残っていた。
「まずい。……奴は本気だ」
まだ連撃は続く。エルノは壁の隅まで追い詰められた。耳元でアスモデウスは「呪いの言葉」を呟いた。身体中が怖気立ち、エルノは立っていられなくなった。
笑いながらエルノに詰め寄るアスモデウス。エルノの首筋を睨んで剣を振り下ろした――。
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