【Fifth drop】Sorrowful Days:two「悪女の発狂」
セシリアが不在となり、三日経った頃のことである。「水浴の間」の指名度が一番高く権力者を持っていた女性が、マルティに苛立ちながら話をしていた。
「国王様、なんて人を連れてきたんですか!!あのセシリアって娘が捨てた『悪臭のする液体』のせいで、客足がすっかり途絶えてしまったんですよ!!」
「仲間の心理学者を『気絶する』まで、拷問に掛けてみたものの、口を開かないしなぁ。困った」
マルティの背後にあった影が揺らめいた。そして。マルティにしか聞こえない声がした。
――くふふっ、詰めが甘いな。これだからマルティ、お前は兄に負けるんだよ――。
マルティが幻聴を感じて振り向くも、誰も居なかった。じっとりとした汗を掻きながらマルティは言った。
「アタリー、お前、何か言ったか?」
「いえ、私は何も。それよりも、マルティさん。今度言うことを聞いてくれたら、もっと奮発してもいいわ。そうねぇ……」
女性は艶のある唇を指さして、マルティを誘惑した。マルティはたまらずに興奮して、アタリーに飛びかかろうとしたが、アタリーはマルティを手で制すると、彼の唇に指を当てて、駄目出しをした。
「のんのん。駄目よ。気が早いわ。セシリアをおびき出すまでは、この身体に触れることは赦さないんだから」
「ちっ、分かったよ……」
「確か『彼女のお仲間さん』が牢屋にいるってさっき言ってたわよね」
「私的に、処刑執行するのは気が進まないが、しかし『国の存続が懸かってる』と、かこつけて彼を処刑することも出来るぞ」
「いい案じゃないの!どうして早くやらなかったの?」
「分かった。彼を見せしめに処刑しよう。そうだなぁ……火あぶりなんてどうだろうか?」
「悪くないわね。冴えてるじゃない!」
大声で喜ぶ女性。マルティは情欲と凶悪さが増し、手が付けられない状態になっていた。
「ははっ、僕も落ちぶれたものだ。昔は『戦乙女カジワラ』と旅をしていたのだけれど、平和なんて生温いことを言わなければ良かったんだよ。博愛?平和?弱い奴が死ぬだけだ」
――そうだ。マルティ。それでいい。――
**
その処刑の内容は、セシリアが旅に出て数日のことだった。王の独裁について、いくつかの懸念される声が上がったが、「Ⅷ(セイシャ)の国の大図書館」では、王政の資料を管理しているだけあって、情報の伝達が早かった。
ベレンセは十人の罪人と共に木に吊されて、激しく燃えさかる炎で足下から焼かれるらしい。そんな話がまことしやかに囁(ささや)かれ、広まっていった。
地方紙までに掲載されることとなった、「荒れ狂う王」の独裁政治。最も妹のアメリアが心配していたことは言うまでもない。
そして、そんなことも露知らず「Ⅲ(ギーシャ)の国」を目指してセシリアは「ガロの谷」を渡ろうとしていた。
大地の中央を引き裂くように開いた大きな谷。かなり深く底は見えず、風に揺れる吊り橋が一本渡っているだけであった。石の碑石が側に置いてあり「戦乙女カジワラ」の伝承が刻まれていた。
「英雄が二度渡った吊り橋。別名『忘れ時の谷』、戦乙女カジワラの勇気を称え、この場所に石碑を刻む。……そっか、カジメグお姉ちゃんはこの場所を二度渡ったんだ。怖かっただろうなぁ」
吊り橋に足を踏み入れると、ぞっとするくらいの高さだった。幸い、強度はしっかりしており、馬一頭渡れるくらいの幅はあった為に、マドレーヌを引くことは出来た。しかし、強風と締め付けられるような孤独感に駆られ、セシリアは、今はもう居ない『カジワラメグミ』のことを強く思い出した。
無理もない。彼女は出会った当時、成人していなかったのだから――。
「カジメグお姉ちゃん、会いたいよ。……泣き虫な私がこんなに成長したんだよ?たくさん勉強して、たくさんの人を助けたんだよ?お願い……もう一度会いに来てよ。お願いだから」
長い長い橋。見知らぬ世界に足を踏み入れたたった一人の女子高生が二度渡った橋。背後には殺気に満ちた山賊。そして、死ぬことを厭(いと)わずに渡りきった。その勇気はしっかりと、セシリアにも伝わっていた。
彼女が泣いたのは長旅の心労と、孤独感によるものだった。橋の真ん中でワンワンと泣き崩れるその姿は、何かの憑きものを洗い落としているようにも見えた。
マドレーヌは泥まみれのセシリアの頬を舐めて慰めていた。
**
長い時間を要したものの、日が暮れる頃には、セシリアは「Ⅲ(ギーシャ)の国」に着いていた。既に、半月の徒歩と騎乗馬での旅路。
石畳を敷き詰めた街路。周囲の白い壁とレンガ造りの家々。行き交う人間(トールマン)の顔立ち。ほっと胸をなで下ろしたが、「弟のマルティの改心の為に、兄のリカルドに会わなければ」と気持ちが競っていた。
目立ちそうだったので、厚手の布でマドレーヌとセシリアは身を隠し、比較的郊外にある安価な宿屋で、暖を取ることにした。
**
翌朝。朝刊でセシリアは驚くべき記事を目にした。
――十人の罪人が処刑執行される。「Ⅴ(トリ)の国」の財政を悪化させ、国民に混乱をもたらした為である。彼らは宗教改革を宣言し、信仰の自由を著しく損害した。よって、後の反抗勢力が起きないように、見せしめの処刑をここに宣告する。執行日は……で、執行法は火あぶりの刑である――。
顔を黒く塗られた罪人の写真。その中にまごうことなき、ベレンセの顔があったので、セシリアは、酷く胸を痛めた。名前は大まかに伏せてあったが、聡明な彼女ははっきりと彼の特徴を掴んでいたのだ。
人々は、その新聞を「あたかも日常の風景」のように、丸めてゴミ箱に投げ入れていた。罪人の存在など、そんなものだろう。しかし、セシリアだけは彼に「冤罪の汚名」が掛けられていることを知っていた。最も厄介なのは、「罪人の名前と顔が伏せられて、身内が特定出来ない」と言うことだったが。
セシリアは急いで身支度を済ませると、王都レンダにある「白壁の小高い牙城」に足を踏み入れた。「種族も違う、身内もいない私を、人間(トールマン)は快く受け入れてくれるのだろうか」という不安がよぎる。
**
城の中には、すんなりと入ることが出来たのだが、セシリアは刺すような視線を感じた。無理もない。最も五種族の中で、人間(トールマン)は力も知恵も弱かったのだから。
セシリアは被っているフードを外すと、さらりとした銀髪と漆黒の角が周囲の視線を釘付けにした。持ち前の高めの身長も相俟って、かなりの美貌だったのか、男性の騎士達は一瞬たじろいだ。
「あの……、リカルドさん、いらっしゃいますか?」
鼻息交じりに男性陣は、押しのけ合うと、セシリアを連れて「執筆専用の書斎」に案内してくれた。
書斎は独特の空間だった。油絵の具に似たインクの匂い。獣と植物の油を混ぜたような匂いと、古紙の独特の匂い。埃の匂い。周囲に雑多に広がる筆記具の数々が目に映った。その中でひたすらに羽根ペンを握るリカルドの姿があった。とても異質だった。
彼は痩せ身の筋肉質だったが、鱗から血管が浮き出るほどに力を込めて、目を血走らせて書物を書き続けていた。かつての戦友とまた再会出来るとは。セシリアも夢に思わなかった。
以前、医療用テントでゆっくりと話が出来なかったのもあったが、孤独感からやっと解放された気がしたのだ。
「リカルドさぁあああん!!」
「ぬあっ?!」
妹が大好きな兄に会うような心境で、セシリアはリカルドに飛びついた。リカルドは非常に驚いていた。
「やめろ、服が汚れる!!セシリー、どうしてここにいるんだよっ!!」
「リカルドさん!!会いたかった!!」
「だーかーらー。離せ!!」
「いいじゃないですかぁ。この前会ってゆっくりとお話し出来なかったんですよぉ。カジメグお姉ちゃんの話、いっぱいしましょうよ!!寂しかったんだからぁ」
セシリアの無邪気な姿を見て、城の騎士達は何となく和んでいた。そして、彼らが席を外した後、セシリアはゆっくりとリカルドに思い出話や、今まであったことを掻い摘まんで話し始めるのだった――。
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