【Fifth drop】Sorrowful Days:one「カイン・コンプレックス」


 時は若干遡り、アンゾルゲの親族と会うまでの間。セシリアは川縁でベレンセから貰った一通の手紙を読んでいた。それは、この先の身の振り方も書かれていたが「ベレンセがセシリアに教えておきたかった心理学」の話だった。


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旧約聖書の創世記。アダムとイブには二人の息子がいた。兄のカイン。そして弟のアベルである。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。

 ある時期になって、神様への捧げ物をする為に、アベルは羊の初めて生まれた子どもの中から、最も良い物を選び、カインは農作物を捧げた。

 神様はアベルの捧げ物を喜ばれた。カインはアベルに嫉妬し、二人で野に出てアベルを殺してしまった――。


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 ―兄弟の争いは絶えない。生まれながらにして、兄弟はライバルであり、親の愛情から、飴一個に至るまで争う物だ。最も近しい血族関係だからこそ、遠慮なしにぶつかるもの。僕が今回の一件を通し『マルティ国王が兄のリカルドに対してコンプレックスを持っている事』を聞いて、これを書き記そうと思った。―


 ―セシリーは、一人っ子だから分からないだろうけれど、僕の妹に対する劣等感も、そう。血縁関係を通して、誰かどっかで人と比べてしまう弱さがあり、そして親にも比較される。こんな状況を『カイン・コンプレックス』『同胞葛藤』と心理学では呼ぶんだ。真面目な親ほど子どもをひいきにしないで、平等に愛そうと務める。無論、それは悪いことでは無い。ただ、子どもは親の一番を欲しがる物で、「あなたのことが一番大好きよ」と言って欲しいんだよね。だから、下の子が生まれたばかりの上の子は、お母さんにべったりと甘えたり、赤ちゃん返りしてお母さんの愛情を求める訳だ。この対応を辛辣にしてしまうと、子どもは大きな心の傷を負って、健全に成長出来なくなる。―

 

「確かに、リカルドさんは、出来の良いお兄さんだったから、マルティさんは劣等感を持っていたんでしょうね。でも先輩や周囲の環境が認めてくれたら、そんな風なひねくれ方をしなかったはずじゃ無いかしら」

 

 ―セシリーの思う所はごもっともだ。問題はそれだけにとどまらないのが、このコンプレックスの根の深い所。「自分が我慢すれば、全て上手くいく」と思い込んだり、「私だけが愛されていない」と周囲の人間の目線を気にしてしまったり。そんな風に、ひねくれた生き方を持ってしまうんだよ。それぞれ、兄弟には違った良さがあり、比べる物では無い。リカルドさんは、天才肌だったけれど、決断の早い頑固者で、少し突っ走る所があったらしい。マルティさんはそれを抑え込んで、じっくりと考えるタイプだったようだ。だからこそ、即決即断の兄が良いように見られていたのかも知れないし、秀才の生き方に見られていたのかも知れないね。―

 

「でも見た感じ、マルティさんはお兄さんに対する嫉妬心や劣等感を持っている印象は無かったような気がしますけど」

 

 ―カイン・コンプレックスは環境の変化で出ることも多い。例えば、父母のどちらかが死に、財産分与を受けることになった息子達。その時、潜在的に持っていた意識の中で、兄に対する憎しみ、弟に対する劣等感。金銭援助という形で今まで受けてきた、両親からの愛情。それらの物を比べてしまって、口も利かぬほどの対立まで発展してしまうことも少なからずある。大切なのは「理解者」だ。お互いのことを尊重し、理解することで、僕らは仲良く生きていける。―


 そんな感じの事柄が、つらつらと書き連ねられており、セシリアがマルティ国王の前にリカルドを連れてくることの大切さを改めて噛み締めていた。綺麗に手紙を折りたたむと、シルヴィから貰った革の鞄に戻し、少し食事をしていた時。「ユーリ=アンゾルゲの血筋に当たる者」と出会ったのだ。


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 風にそよぐ麦の穂を背に、瓶底メガネをした金髪のブロンドの男性と話すセシリア。「Ⅱ(バンジ)の国」は農耕文化が主流の人間(トールマン)の国境。「Ⅰ(シャオ)の国」から東に向かって、「Ⅲ(ギーシャ)の国」まで、彼らの棲まう平和な地域だ。

 「ユーリ=アンゾルゲ」は「ⅩⅡ(ダース)の世界」で、心理学を通して戦争を食い止めようとした人物だったらしい。彼の心の内部から平和を作り出す試みは、戦渦によって焼かれてしまったようだが、その親族は未だ根強く、その知識を後世に残し続けてきたようだった――。

 

 「そっかぁ、君のお慕いしている方は、臨床心理学の学問を世に広めようとしているんだね。傍ら『エルダーニュ・オイル』を魔術精製して、クライアント(患者)の治療に当たっている訳だ」

 「そうなんです。なかなかこの世界の腐敗は見苦しい物で、誰かしら何かを心の中に取り込もうとしている。あなた達の用語で言えば『アディクション(嗜癖)』を持って心の渇きを満たそうと必死に生きている人が多いんです。私も、田舎暮らしで無知だったから、こんなに世界が荒れすさんでいると思わなくって」

 「心理治療の分野に『アロマテラピー』と言う分野があってね、植物から取れる精油を外傷の治療や、心身のリラクゼーションに用いる素晴らしい治療法なんだ。森林浴をした時に『フィトンチッド』と呼ばれる物質が、木々から分泌されて、副交感神経の緊張を緩和し、ストレスを軽減してくれる。植物には元々、癒やしの効果があるんだね。君の先生はとてもいい所に目を付けていたんだ」

 「私も思い返せば、小さな頃から泥だらけになりながら、ディオ渓流でユーカリの木に囲まれて遊んできた記憶があるんです。今の人の情緒は、そうやって思いっきり発散する場所が無いのも原因なのかも」

 「そうだね。もし良かったら、うちに来てお茶でもしないか?『心情心理・研究外典』は消失してしまったけれど、『曾祖父のユーリ=アンゾルゲの軌跡』なら見せることが出来るよ」

 「あっ、でも……行きたいんですけど、私、時間が無くって」

 「心に余裕を持つのも、戦略の一つと僕は思っているよ。なんだろう。ここでセシリアとお会い出来たのも、『創造主様の導き』だと思うんだ。うちに来れば『君が今、抱えていることに対するヒント』をあげられるかも知れない」

 

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 「Ⅱ(バンジ)の国」は、他の国とは違い、弱小種族の人間(トールマン)の棲まう国。魔術を詠唱出来ない人間(トールマン)は、エルフの次に長けた知恵を用いた。小高い丘の上にある風車つきの魔力タンク。中には熱を加えると、魔力が発生する竜鉄鉱石がたくさん入っている。これを「変換術式」を用い、氷や光に再変換して、生活に用いているのだ。パイプラインを伝って、人間(トールマン)の国の隅々まで、魔力エネルギーが供給される仕組みになっていた。

 アルネの家に行く途中に見上げた、「反魔力物質(ダークマター)製の黒いタンク」をセシリアは、興味深く見上げていた。

 

 丘の上から見える集落は、レンガ造りの家が多く、小麦の焼けるいい匂いが煙突から漂っていた。川縁の家には水車が付けられ、石臼で小麦を挽く匂いがした。

 貧しい家系のアルネの家族は、水車の無い小さな家に四人で暮らしており、アルネの三歳年上の妻「ヨゼフィーネ」、子どもは三歳の娘「リーゼ」、一歳の息子「ロイ」の四人家族である。碧眼(へきがん)とそこそこ高い身長。彫りの深い顔立ちとブロンドの髪をしていて、浅黒く肌は焼けていた。

 セシリアの物珍しい容姿と、連れのユニコーンを見た三人の家族は酷く驚いていた。無理も無い。彼女の左右の色の違う瞳と愛らしい丸い角と、そして尖った耳。さらさらとした銀髪。連れの一匹の毛艶(けづや)の良いユニコーン。田舎暮らしでまず見ない光景だろう。

 「アルネ、……お客様?」

 「ああ。はるばる『Ⅸ(ムーズ)の国』から来てくれたらしい。曾祖父のユーリ=アンゾルゲに興味があるそうだ」

 「まぁ!そうなの?びっくりしたわ。しかも、美人さんじゃない。私の作った料理が口に合うといいのだけれど」


 ヨゼフィーネは黒くこんがりと焼けたパンを持ってくると、サラダなど、調理をし始めた。セシリアが手伝おうとしたので、彼女は断った。その代わりアルネは、地下にある自分の書庫にセシリアを連れていくと、書物が持ち去られないように、石積みの地下シェルターにたくさんの蔵書が内蔵されていた。

 「君が求めていた、『ユーリ=アンゾルゲ』の情報はないんだよ。すまない」

 「凄い量の文献ですね!集めたんですか?」

 「ああ。僕の曾祖父は『月の涙(フル・ドローシャ)』の地脈が枯れてから、種族間の戦争が起き、そして『戦乙女カジワラの革命』が起こるまで。その間、平和的解決と無血停戦を夢見てずっと心理学を研究し続けたんだ。『人の争いはどうして起きるのか?』と言う疑問を持ち続けていた」

 「そうなんですね。その答えは出たんですか?」

 「……どう思う?未だに世界のどこかで争いが起こる以上、僕は何にも解決出来ていないと思う。曾祖父がどうしてここまでこだわり続けたのか。僕には分からないんだけれどね」

 「なんだか虚しいですね。でも全く無意味では無かったと思います。私の先生のベレンセさんもきちんと形にして患者さんと向き合っているから」

 アルネは曾祖父の話をされ、嬉しそうな表情になった。そして、一冊の文献を取り、セシリアに自分が学んだ心理学の話を話し始めた。

 

 「自分の自制心をコントロールする手法を『セルフコントロール』と言うのだけれど、誘惑や衝動に直面した時に、自分をしっかりと抑え込む『克己(こっき)』『自制』のことを言うんだ。アルコール依存症の患者さんが、飲酒をやめられなくなり、結果的にアルコールを健康を害するまで取り入れてしまう。このように、自制心のブレーキが利かなくなった状態を『脱抑制』と呼ぶんだよ」

 「つまり、争いがらみの問題の中に、脱抑制が絡んでいると言えるのですか?」

 「あくまでも可能性だよ。アルコールを摂取出来ないように身体を束縛する『物質的プロンプト』、『アルコール嗜癖に変わる、刺激を加える』、『アルコールに近しい物質を、定期的に摂取する』等だね。戦争好きなジャンキーの人達に、射撃などの娯楽を与えて、注意を逸らそうとする試みさ」

 「でも、それも直接的な解決にならないんじゃないでしょうか?」

 「そう。おわかりの通りだ。一時的には良かったんだけどね。クライアント(患者)の心の中には『自我枯渇』が生まれていて、自分の中で社会生活と言う強い抑制状態を強いていたことにより、自分を抑え付けられなくなってしまったんだろう。生活の中でリラクゼーションや休息を摂る機会も無く、抑圧された精神状態が、結果的にジャンキーな生活を営んでしまう。元々、そういう人達の傾向は両親や家庭環境が荒れていたりするんだけれどね」

 「確かに、日常的に刺激を求めてなかなか普段の生活に満足出来ない人達にとって、『戦争という環境』を自分のフラストレーションの解消の為に用いることも考えられますよね」

 「僕の曾祖父はこんな感じの勉強を独学で学び続けてきたんだ。学者という職業は、周囲に敬遠されがち。田舎だったから変人呼ばわりもあったし、生活も決して裕福では無かった。曾祖母が出来た人だったから良かったかも知れない。今ここにある文献は、宗教迫害によって大半が焼失してしまったけれど、命懸けで、僕の親族が守り続けてきた宝物なんだ」

 古くそして重々しい文献を見ると、泥と血液の滲(し)みが薄らと刻まれていた。セシリアはその文献を撫でると、時代的な痛みや傷を感じ取ることが出来、胸が締め付けられる想いだった。

 「どの種族も大変な時代を生きてきたんですね。……私の両親、『Ⅷ(セイシャ)の国』にある『ケハー・大図書館』の職員をやっているんですが、王族の革命や弱小種族の虐殺。そう言った文献を、権力者が消し去ろうとする恐ろしい時代があったと聞きます。なんだか、同じ志を持っている戦友に会えた気がして……嬉しい」

 「僕もだよ。もし良かったら、この中の文献を『ケハー・大図書館』に寄贈したい。人間(トールマン)とエルフの協定としてね」

 「いいんですか?!」

「僕の曾祖父もきっとそれを望んでいると思う。こんな土蔵に眠るよりも、世界中の人達に読まれた方が役に立つから。……写本(レプリカ)なんだけどね」

 セシリアはボロボロになった「ユーリ=アンゾルゲの著書」を受け取ると、大切に抱きしめた。少し暖かみがあったのは、親族の愛情を感じたからだろう。少し涙を滲(にじ)ませた。

 「もう少し……居たかったな」

 「急ぎの用事でもあるのかな?」

 「はい。私、実は『Ⅲ(ギーシャ)の国』にいるリカルドさんに会いに行かないとならないんです。だから……」

 「今日はもう遅いよ。この先にある『ガロの谷』も険しくて、山賊が出る。女性一人では危険だ。泊まっていくといい。娘達もセシリアさんのことが好きみたいだしね」

 「あ、でも……」

 「料理が出来たようだ。行こうか」

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