【Fourth drop】Lost Days:four「性的アイデンティティー」

 ベレンセはお茶を一口飲むと長話になりそうだからと、ニナ、エルノとフィオナを撤退させて、二人の鍛冶職人夫婦とセシリアの前で話を始めた。と言うのも、シルヴィがジェンダーについて多分に興味を示していたからだ。

 セシリアは、羽織っている外套のポケットからインクと羽根ペン、羊皮紙を出すと、ベレンセの言葉に耳を傾けた。


 「僕ら種族には、多分生態的な差異はあると思う。ただ、文化的な違いをざっくりと捕らえた上で話をしようか。フェオドール、君は『男らしさ』『女らしさ』って何だと思う?」

 フェオドールは少し腕を組んで考えた。

 「大胆で、行動力があり、リーダーシップが取れる所だな。筋肉がある」

 「それってあなたの考えでしょ!」

 「シルヴィ、怒らない。じゃあ『女らしさ』って何だと思う?」

 「しとやかで、家庭的で、しなやかで、華奢(きゃしゃ)な感じだな」

 「ふむ。そうなんだよね。シルヴィ、君が思っている以上に、一般的な男性は。いや女性に関して言っても、先入的なイメージを異性に抱いている。こう言った『性役割』を持った能力差を『ジェンダー』と心理学では言うんだ」

 シルヴィは苦い表情になって言った。

 「確かに、私の慕ってたカジー(戦乙女カジワラ)も、ドワーフのこの国に来てリーダーシップを執る時に凄く苦労してた。『女性がてら』にそういう気持ちが、少なからずともドワーフにはあるのかな」

 「仕方ないと言えば仕方ない。ただ、大切なのは『役割を担う』と言うことなんだ」

 「どういうことですか?」

 セシリアが質問をした。


 「僕らの種族じゃなくって、一般的な『人間(トールマン)』を代表に説明をしよう。昔、彼らは男性が農耕や牧畜に出て、女性は家で食事作りをし、家事をして支えていたらしい。家で守られてきた女性と、家を支えてきた男性。この古くからの文化は、今も変わらずにあって、君ら夫婦に踏み込んで言うつもりはないんだけれど、フェオドールが鍛冶職人として家庭を支え、シルヴィがお茶を給仕してお客様をもてなす。気遣いの細やかさは、男性にはなく、女性には豪胆さがない。それを補い合っているのが、男女の役割なんだ」

 「なんだか素敵ですね……夫婦って」

 ベレンセは目を輝かせるセシリアを見て咳払いをすると、続けて言った。

 「けどね、思い違いをしてはいけないのが『男性はこうあるべきだ』『女性はこうあるべきだ』と言う価値観を押しつけること。この言葉を『ジェンダー・ステレオタイプ』って呼んでいて、夫婦が陥りやすい危険なところなんだ。相手にあれこれ要求してはいけない」

 「あの、お伺いしますけど、ベレンセさんはご結婚なされてるんですか?」

 恐る恐るシルヴィが尋ねた。

 「い、いや、僕は未婚だよ」

 「ええっ、嘘でしょ!こんな理解のある男性は他に居ないわよ」

 「ひょろすけだけどな。頭はいいみたいだが」

 「それを言わないでくれ……僕だって苦労してるんだから。クライアント(診療患者)の話を聞いていれば、大体の問題が、どこから来ているのか、よく分かるんだよ」

 押し黙るベレンセ。セシリアは両親のことを少し考えていた。

 「……お父さん達、元気かなぁ、私も結婚の催促されてるのに……」

 「セシリー?続けていい?」

 「あっ、ごめんなさい!!」

 

**

 ベレンセが話し出すと、必ずと言っていいほど饒舌(じょうぜつ)になる。ドワーフ夫婦の話を聞いていてもつまらないだろうと言う、ベレンセの気遣いもあったが、成長途上にある「フィオナ」にとって悪影響を及ぼしかねないという配慮もあった。


 エルノは深層世界の闘いで、「フィロリア」「REM(レム)」「アンガー」の三種のメタヘルと立ち会った。そのうちフィロリアは討ち逃したが、二匹のメタヘルは、彼の持つ剣によって焼き滅んだ。そして彼の姿は十六歳の青年の容姿になっていた。見た目はいろいろな聖獣を織り交ぜたような姿をしていたが。

 

 しかし、討ち漏らした「淫欲のフィロリア」は比較的やっかいなメタヘルだった。旅程で序盤に交友のあった「イシアル=サラサーテ」が父子依存に陥ると言う、情欲を刺激する悪魔の使い魔だったのだ。

 その魔の手が、再びこの王都グノーに及ぼうとしていたことを、彼らは知るはずもない。

 

**

 「ったく、ベレンセはなに考えてるのかしら。物好きにも程があるわ。セシリーも勉強熱心だし、少しは脳みそを分けて欲しいくらい。私は本を読んだだけで頭が痛くなっちゃうし、ホントに、エルフと言う種族は理解に苦しむ部分があるわ」

 「ぶるる」

 マドレーヌの手綱を引くニナ。目立たぬよう、慎重に動いているが毛艶(けづや)の良いユニコーンを引く、フードを被ったケットシー(猫の妖精)など、誰が見ても目を引くだろう。フィオナは目を輝かせながら、周囲の景色を眺めていた。本当に「ⅩⅡ(ザイシェ)の国」から出たばかりのようだった。

 「なぁ、ニナ。どこに向かってるんだ?」

 「あ、ええ。この近くに薬屋があったから、香草とかマドレーヌの餌になるマンドレイク(恋なすび)を買いに行こうと思ってね。フィオナは行きたい場所ある?」

 「ええっ、いいの?!わたし、わたし……」

 もじもじとするフィオナ。何から何まで興味があるらしく、両指を折っても足りなかった。

 少し歩くと、奇妙なものを見てしまった。それは、女装をした男性が酒場でお酒を飲んでいたのだ。周囲の男性が、からかって彼のお尻を触ると、反応があたかも女性のように、嫌悪感むき出しに飛び跳ねた。

 その様子を窓から見ていたエルノは、少し胸元にこみ上げる吐き気を覚えた。


 「ニナ、男色って言うのかな?男の人と男の人がいろいろやってる」

 「……見ない方がいいわ」

 「そうかなぁ。ベレンセも言ってたけど、本来『男性と女性が愛し合う関係』にあるのに、女性の格好をした男性が、男性とお付き合いするって、なんか見慣れない光景で、少し気分が悪い」

 フィオナは身長が低かったので、窓に向かって飛び跳ねて覗き込もうとしていた。エルノはとっさに目を覆って、ニナと共に酒場の前から立ち去った。


 街の雰囲気は少し変わった感じがした。それは露出の多い服装を着た娼婦(しょうふ)が溢れかえっていたことだ。エルノが目を背けたくなる程に、街は色香に酔いそうだった。原因はどこから来ているのだろうか。

 「アンタねぇ、売春なんて恥ずかしくないの?」

 「ばっかじゃない?このご時世、貞操を守るなんて馬鹿げたこと、誰もしないわよ」

 ニナが街行く娼婦に尋ねると、肩に付いた毛虫を払うような辛辣な態度であしらわれた。この街は何かがおかしい。それを、誰もが思っていたのだった。

  

**

 ベレンセは、お茶を口に含むと「心理学の教典」をめくった。

 「少しばかり、話が逸れるかも知れないけれど、フェオドールに特に聞いて欲しい話がある」

 「ふむ、お前の話は面白いから、心して聞こうじゃないか」

 フェオドールのベレンセに対する嫌悪感は、少しずつ消え始めていた。彼があまりに熱心で親身に語ってくれたからこその賜物だろう。

 「君が『男なのに女っぽい』とか、『女なのに男っぽい』とか言っただろ?確かにこれに関して性格上の問題もあるから、何にも言えないけれど、強いて言うなら、ジェンダーを精神疾患や社会性の変化で見失って取り違えてしまっている人がいる『トランスジェンダー』の人達がいるんだ。これは、先天性の『性同一障害』から来ていることもあって、なかなか厄介なんだけれど、理解してあげることが大事な道かも知れない」

 「つまり、ベレンセさんが言いたいのは『男はかくあるべき』『女はかくあるべき』と言う考え方を押しつけてはいけないってことね」

 「そう。本人が一番苦しんでいるのだからね」

 シルヴィがそう投げかけると、ベレンセは答え、フェオドールは押し黙った。痛い所を突かれる感覚があったらしい。そして少し考えてから深刻な顔つきでフェオドールは言った。


 「……ベレンセ、お前は娼婦って知ってるか?」

 「えっ、いきなり何を言い出すのさ?!そんなの知る訳がないだろ!!」

 顔を赤らめて恥じらうベレンセ。シルヴィはフェオドールを怒鳴り付けた。

 「あなた、まさか……破廉恥(はれんち)なことしてるんじゃないでしょうねぇ!!」

 「痛い痛い!!俺じゃないって。仲間内でそんな話が出てたんだよ!!」

 「ベレンセさん、娼婦って何ですか?」

 汚れを知らぬ、セシリアが曇りもない目でベレンセに問いかけた。ベレンセは咳払いをして、セシリアに答えた。

 「こ、コホン。娼婦ってのはね、『破廉恥なこと』をしてお金を稼いでいる女性のことだよ。最近では趣向が変わったのか、男性娼婦ってのも居るらしいね。僕はよく分からないんだけれど、嫌な文化だよ。自分の身体を粗末に扱っているんだから」

 「そうなんですか……それで、フェオドールさんはどうしてその話を出したんですか?」

 セシリアが質問を投げかけると、シルヴィがフェオドールをフライパンで叩く手を止めた。

 「いてぇな……ったく。最近、この街で娼婦が増えたんだよ。ドワーフの若い女もそうだが、エルフとかリザードマンとかな。ベレンセが言うように、金儲けしたい奴もいるだろうが、目的は違うようでさ。欲情してるんじゃないかって疑っちまうくらいに、街中が破廉恥で目のやり場に困るんだよ……勘弁してくれ。俺も嫁さんがいるんだから……」


**

 「最近『水浴の間』が出来てから、男どもが生き生きしてるよな」

 「仕事終わりの楽しみだからな」

 街行く人々の表情が、少し生気を失ったようなやつれた顔をしていた。特に男性の財布の紐は緩く、口からよだれを垂らして物思いに耽(ふけ)っていた。エルノは、その表情を怪訝(けげん)な顔をしながら見ていた。

 「なぁ、ニナ。聞きたいんだが、この国の国王様って誰なんだ?」

 「んとね、アルバーン国王の息子『マルティ』が執権を握ってるわよ。昔に、ドワーフとエルフやノームが平和協定を結んで、その仲介人としてリザードマンが立ったの。ドワーフの国王、ザヴィエが悪魔に唆(そそのか)されて、調停を破棄してしまったからね。身の毛のよだつ話でしょ」

 「ああ。ただ、それにしても治安が悪いな」

 フィオナは「腐敗した街」を下を俯きながら歩いていた。自分自身の身を守るには、視界に刺激の強いものを入れたくなかったからだろう。この街は何かがおかしい。危機感を持たずに街の人々は彷徨(さまよ)っていた。

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