【Third drop】Shuddery Days:six「死して尚も、孤高に生きる」

 リカルドが来訪してから、緊張感のあった医療用テントの空気が変化した。エルノが深層世界に入って時間も相当な時間に経過していた。罪人のボプツィーンの処遇を決めることに際しても、まだまだ様々な問題が山積みだった。何事も当人が目を覚まさなければ、話し合いが出来ない。全てはエルノの闘いに懸かっていた。


 真紅の蛇と剣を持って向き合うエルノ。廃墟の月は雲で陰り始める。エルノは軽く呼吸を整えて燃える目で蛇を睨んだ。彼の変化した堅牢な足が砂の地面を踏み込んだ。

テラピノツルギが燃え揺らぎ、エルノは喉元に蹴り込んで切り掛かった。シャオグラス【レモングラス】の効能でエルノの肉体は再生をしながら、蛇の背を駆け上っていく――。

 「身体に力が漲(みなぎ)ってくる、レモンにも似た薫りが剣から薫ってくる」

 「ナンテニオイダ、……キュウカクガ、オカシクナリソウダ」

 蛇は身を翻し、尾で地面を打ち叩いた。地面に亀裂が生じ、エルノの周囲にある建物が音を立てて崩れていく。砂煙と落下する瓦礫を避ける為に身を屈めたエルノに、蛇は岩つぶてを投げつけてきた。

 「ぐあっ!!」

 背中に尖った瓦礫(がれき)が突き刺さり、思わず痛みに苦い表情を浮かべるエルノ。股にも血が流れていたが、彼の変化した堅牢な肉体は、致命傷を避けていた。それどころか、「テラピノツルギ」に脈々と流れる「シャオグラスの効能」が彼の肉体の治癒速度を速めていた。

 「コザカシイ……ヒトオモイニ、シメコロシテヤル!」

 蛇は突進し、エルノに毒ガスを吐き掛けた。しみる目を覆い、エルノが顔を覆った。次の瞬間に蛇はエルノに巻き付き、強い力で締め上げ始めた……。

 「し、死ぬ……」

 諦め掛けていた。しかし、エルノは渾身の力を振り絞って、右手に持っていた剣で蛇の右目を突き刺した。青白い光を放ちながら蛇の右目は潰れてしまった。

 「ガッ……」

 解(ほど)かれたエルノは、ふらふらとその場に立つと、全神経を手先に集中させた。

 「これ以上勝負が長引くと、俺の身体が持たないかも知れない……」

 

 蛇ががむしゃらに身を振り乱して、エルノに噛みついた。エルノは地面を蹴ると、蛇の鼻先を斬り、そのまま宙に跳ね上がって蛇の首にしがみついた。

 「グオオ……」

 低い唸り声を上げる蛇。皮膚から猛毒を染み出してエルノを引き剥がそうとした。エルノは、振り落とされ、地面に叩きつけられた。そして小さな蛇が群がって、纏わりついて来た。


 「……心を燃やすんだ。練度を上げろ」

 彼は、剣の扱いをもともと知っていたような気がした。大きく叫ぶと、彼の身体はオーラを纏ったように大きく燃え上がり、足元の蛇を焦がしつくした。

エルノが上を見ると、大蛇の尻尾か彼に迫った。エルノは身を屈め、跳ね上がって尻尾を斬り飛ばした。尻尾は黒く霧のように四散して空中に砕け散った。

尾を斬られた蛇は、身を引きずりながらエルノに向き直った。激しく威嚇(いかく)している。

 「お互いに、次で最後のようだな」

 エルノの視力は、猛毒で掠れて見えなくなり始めていた――。


 エルノにめがけて、蛇が突進し、牙を振り乱して激しく噛みついてきた。エルノは片目を瞑ると、蛇の口に突き入れるように剣を押し込んだ。右腕が口の中に入り込み、牙が突き刺さって、口が閉まった。しかし剣は蛇の後頭部まで貫通し、激しく燃え上がった。

 「間一髪ってとこだな……」

 エルノは、剣を抉り上げるように回転させ、そのまま上に振り上げ、蛇の頭を斬り上げた。蛇の頭は真っ二つに裂け、激しく煙を上げながら燃え上がった。

 蛇の身体は、小さくなって黒い塊が出てきた。

 「ソウゾウシュノコ……オボエテロヨ……」

 そして、黒い塊は忌み言葉を呟きながら消滅した。それと同時に、深層世界の上空を覆っていた黒い雲が晴れていった。


 「……終わった。手強い奴だった」

 エルノが疲れ切って、仰向けに地面に倒れ込んだ。両腕は瞬時に解毒と再生をして、焼けただれた皮膚は元の状態に回復した。

 

 しかし、安心しているのも束の間だった。エルノが立ち上がって肩で息をしていると、地面に亀裂が入り始め、大きな地震が起き始めた。地割れがいくつも発生し、エルノは立っていられなくなった。

 「んなっ、何事だ?!」

 ――そう、ボプツィーンの命が終わろうとしていたのだ。


 「ばあさん、ばあさんっ!!!!」

 エルノは、必死に周囲を見渡しながら駆ける。廃墟は地震の影響で建物が崩れていった。周囲の景色が殺伐としていたので、見つけるのが困難だった。エルノは必死だった。共倒れする訳にはいかない。


**

 「まずい……脈が弱くなってきた。エルノが死んでしまう」

 ボプツィーンの脈を診たベレンセは、深刻な表情で呟いた。セシリアは深層世界に入り、深い夢を見るエルノの手を握って祈るように言った。

 「エルノ、お願い……戻ってきて」

 「ボス、僕を残して逝くんですね……卑怯な真似をしないで下さい。あなたのことは嫌いだったけど、感謝することもあったんです」

 アダンは嫌味らしく言った。それを見たリカルドは吐き気を催したような顔をしながら言った。

 「お前さぁ、育ての親でもないのに、この婆さんに随分ご執心じゃないか。『Ⅲ(ギーシャ)の国』でも、かなりの大罪人だったって噂に聞いてたんだぞ?」

 「あなたみたいに、家族も兄弟にも恵まれた人には分からないでしょうね。しかも、お父様は国王様だし。雨風しのげる家に住み、三食きちんと食べられる生活があるなんてどんなに幸せなことか」

 「……言わせておけば!!」

 リカルドはアダンの胸ぐらを掴んだ。セシリアは慌ててリカルドを取り押さえた。

 「やめて、こんな大切なときに喧嘩をしないで」


 ベレンセは死にかけのボプツィーンを見ながら、懇願するようにアダンに言った。

 「アダン、お願いだ。ボプツィーンの手を握って話しかけ続けてくれ。彼女は天涯孤独だが、君だけが頼りなんだ。僕は少しこの場を離れてアルバーン国王の看病をしているから」

 そう言って部屋を外すとベレンセはアルバーンの額のタオルを変え始めた。時折、止血用の包帯を取り替えていた。リカルドはその様子を見ながら、父親が意識を取り戻すことを必死に願っていた。

 「ベレンセさん、手伝いますっ!」

 「助かるよ。セシリー。……僕は自分の故郷も、自分の目の前のことも何も出来ない。そして、エルノを危険な目に遭わせたことにも失望しきってるんだ。セシリー、情けない僕を叱って欲しい」

 「何を言ってるんですか。私たちをここまで引っ張ってきてくれたのは、間違いなくあなたでしょう。ニナはふて腐れて、マドレーヌのそばに行っているけれど、あなたには責任がないわ。今目の前のやれることをする。それが私達のすべきことじゃないの?」

 うめきながら滝のように汗を流すアルバーン。その額を拭きながら、ベレンセを窘めるセシリア。リカルドは久しぶりに再会し、荒波に揉まれて成長していく彼女の姿に驚いていた。

 

**

 「悪くない人生だったよ。最期に会ってくれてありがとう。アダン・・・・・・」

 変貌したエルノの姿に恐怖を感じ、真紅の大蛇に向き合えずに逃げてきたボプツィーン。「息子の敵を執る」と心に決めたものの、何も出来なかった自分がいたことを少し後悔していた。彼女の心は、恐怖心と失望感に疲れ果て、瓦礫(がれき)の山に寄りかかって死を意識しながら、最期の葉巻煙草を吸っていた。

 「おい、婆さん!!やっと見つけたよ!!俺の目を見ろ。逃げずに話してくれ。元の世界に帰るんだよ!!」

 月明かりに立ち上る煙を、エルノの発達した視力が捉えたようだった。そして、幾多の敵を破りながら、神獣へと姿を変えていくエルノがそこには居た。

 彼は叫ぶようにボプツィーンに語りかけた。しかし、彼女は虫の息だった。心身ともに衰弱していたのだ。

 「世話焼き坊主。さっさとお行き。そこの地割れに身を投げれば、お前だけでも助かるさ。私はね、恐らく目を覚ましたら私の老い先は長くない。『奴隷商人』、そして『孤児院のテロリスト』として投獄されるんだよ。息子も戦争で死んだ。それとも、この孤独なババアを看取る気かい?」

 「何言ってるんだよ!!お前には大事な人がいるじゃないか」

 叫ぶエルノ。上空から必死に彼女の名を叫ぶ青年の声がした。


 「ボス!!ボスッ!!目を覚ましてくれ!!」

  どことなく感じる、暖かく手を握られる感覚。彼女は安心感から、強い眠気を感じていた。今死ぬのも悪くない。そう彼女が感じ始めていた時だった。エルノは自分の手首を切って、彼女に血を飲ませた。

 「飲め。俺の血は幻獣の血が混じってるから、多分死にかけの婆さんには効くだろ……俺の前から逃げる気力もないくせに」

 「へんっ、生きながらえて、今更何をしようってんだい。罪滅ぼしか?死ぬほど人を殺したし、殺されることも見たさ。やっと心が晴れ晴れとしてるんだ。早く死なせてくれよ!」

 エルノは激高して、激しくボプツィーンの頬を打った。

 「拗ねるのも大概にしろ!!逃げ回って、生きようとしないなんてふざけるな。俺は、少なくとも婆さんが……今叫んでる奴の声が聞こえないのかよ!!」

 確かに聞こえてくる、力強い声。ボプツィーンは涙を流していた。恨まれることの少なくない彼女の生涯で、彼女を必要としてくれる人がまだ存在していたとは。それがうっすらと分かったようだった。

 「……分かったよ。後悔しても知らないからね」

 

**

 アダンはボプツィーンが目を覚ますと、抱きつくように抱擁した。セシリアはその様子を見て涙を拭っていた。護衛に当たっていた弓兵達は、その姿を見てやや困惑の表情を浮かべる。

 「歪すぎる愛だ。しかし、時代にはこう言うのも必要なのかも知れない」

 「ホントですよ。殺伐としている世界ですものね」

 「まぁ、僕のクライアントとしての仕事はこれからだ。彼女の内に住まう、『躁うつ病』を根気よく治療しなきゃならないからね」

 

 アルバーンが目を覚ましたのは、その二時間後だった。夜明けが来る頃に、持ち前の生命力でなんとか復帰した。全身に痛みを感じながら、苦悶の表情を浮かべていた。

 「クソ親父、やっと起きたか。心配してたんだぞ」

 「リカルドか。口が悪いな。誰から教わったんだ?」

 「ったく。ホントに心配させんな!!カジメグが居た時から、全然変わってねぇじゃねえか。国王として、もっと命を大事にしろよな」

 「すまないね。今度からは家族の気持ちもよく考えるようにするよ。お前にも子どもが出来て、孫の顔揉みたいからな。おい、私の外套を持ってきてくれ」

 「おい、親父、病み上がりだろ?無理すんなよ!!」

 アルバーンは何事もなかったかのように、近くの兵士に命じると薬湯と自分のハルバード、そして外套と鎧(よろい)を持って来させた。そしてそれらを身に纏い、テントからよろけながら出て行ってしまった。

 「こ、国王様!!お怪我されてるので無理なさらないで下さい!!」

 「罪人ボプツィーンの処遇は、明日決める……」


 この紛争での犠牲者は相当なものだった。メタヘルの存在はこの事件を折りに、国民達に明らかにされ、「精神鑑定」が取り入れられたのはこの事件を機にしてのことだった。そして、ボプツィーンの判決が、大衆の面前で告げられた――。

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