【Third drop】Shuddery Days:five「フィオナの声」
「婆さん、待ってくれ!!」
「あっちにおいき。私はどうせ死ぬんだ。死に場所くらいは自分で決めたいんだよ!!」
早足で歩き続けるボプツィーン。周囲の天候は一向に変わる気配を見せなかったのだが、しかし空の暗さと気持ちが悪いくらいの寂しさがあった。乾ききって風化した廃墟にとても寒さを感じた。
エルノは持っていた「青銅のランタン」を頼りに必死に歩き続けた。以前、燃え尽き症候群の症状に罹っていた「テオフィルの深層心理の世界」とは違い、喉の渇きを感じることは無かったが、しかし気持ちが滅入る程の重い空気だった。
ボプツィーンの足が止まった。エルノが遠目で見ていると、真紅の大蛇と睨み合って立つ姿があった。
「殺してやる。さっさと息子を吐き出すんだ!」
蛇はボプツィーンの言葉を聞き、ニヤリと笑って言った。
「キサマノココロハ、オレサマノモノ。シンダラキット、アスモデウスサマモ、ヨロコブ……」
大きな口を開け、ボプツィーンの頭に喰いかかる蛇。目を瞑(つむ)り、身を小さくしてボプツィーンは怯んだ。蛇の持つ鋭い牙が、毒液を滴らせながらボプツィーンに迫った。
エルノは無意識に踏み込んでいた。
――ランタンの外側が弾け飛んで、カラン!と地面に音を立てて跳ねた。そして熱いほどの青い炎が大蛇の牙を焼き切った。うめき声を上げながら、蛇は身を捩らせてのたうった。
濃く吹き上がる煙が晴れると、そこには容貌の変化したエルノが立っていた。彼の容貌は十六歳の青年に成長していたのだ。両足の爪は革靴を突き破って尖っていた。革靴から剥き出しになった皮膚は堅牢な岩肌と化し、太腿(ふともも)から足腰にかけては、獣の毛が生えて筋肉質になっていた。口に生える二本の竜の牙は更に鋭くなり、激しく呼吸を荒げていた。
「コゾウ、クイコロシテヤル……」
ボプツィーンは、急激に変化したエルノの姿に恐怖心を感じて、その場から逃げ出した。エルノは逃げ出す彼女に気付かずに、剣を構え直した。
「……掛かって来い、メタヘル。婆さんの心から出ていけ」
**
――それは激しい攻防戦だった。
エルノは鋭い爪で地面を踏み込み、瓦礫(れんが)を蹴りながら蛇に切り込んだ。蛇は身をうねらせると、太い尾でエルノを跳ね飛ばした。咄嗟(とっさ)に、両腕を構えたが、吹き飛ばされ、強かに煉瓦の壁に身を打ち付けた。怯んだ隙に蛇が口を開いた。口から猛毒のガスが噴き出て、エルノはガスを吸い込んで昏睡状態に陥り始める……。テラピノツルギの炎が、消え入りそうに小さくなり始めた。
遠のく意識の中でエルノは死を覚悟し、呟くように言った。
「……婆さんよりも……早くくたばっちまう」
エルノの全身の毛が白くなり始め、廃人化し始めていた。彼の心の中に優しく響く、甘く儚(はかな)い少女の声……。消え入りそうな意識の中で、エルノは声に神経を研ぎ澄ませていた。ゆっくりと大蛇の舌が迫る。
「……ノ、エルノ。早く……私に会いに来て。一人は寂しいの……」
「クタバレ、ソウゾウシュノコ……」
喰いかかった瞬間だった。エルノは両足に力を込めて、朦朧(もうろう)とする意識の中で、燃える剣を構え直した。エルノの燃える心が蛇を怯ませた。
「アツイ!!クソッ!!」
「あああっ!!死んでたまるかっ!!……誰か分からないけれど、俺を呼ぶ声がした。……会いたい。生きて、君に会いたい」
**
ニナはアダンを連れて、医療テントに戻ってくるとベレンセを睨み付けていた。
ベレンセはエルノの汗を拭いたり、容態の変化を見て、メタヘルに対する研究を並行して進めていた。ニナが反省の色が見えないベレンセの背中を蹴飛ばした。ベレンセは、羽根ペンを羊皮紙に突き刺して額を机に打ち付けた。
「ベレンセ!!あのさぁ、アンタは何にも分かってないのね。エルノの特異体質に味を占めたのか分からないけど、彼に対して無茶をさせすぎだわ。エルノが死んだら、……この世界は滅んでしまうのよ」
「ま、待ってくれ!!どういうこと?!」
「……アンタの故郷、エルダーニュの港に、悪魔(アスモデウス)が侵入したって知らないの?」
「……研究に必死で分からなかった。待ってくれ。頭が追い付かない」
「はぁ……夢中になると全く周りが見えないのね。私もこうしてエルノと同行しててやっと分かって来たのだけれど、『第二の悪魔』が使い魔を送って、この世界を滅ぼそうとしているの。セシリアから聞いたでしょうけれど、『戦乙女カジワラ』の時代に、裏で王政の覇権を握っていた悪魔『メフィストフェレス』は滅んだのよ。でもね、もう一人の悪魔が後任者として建てられて、精神面を裏側から破壊しようと目論んでいるのよ。……エルノは、まだ未熟だから無茶させたくなかったのよ」
アダンは病床で眠るボプツィーンの手を握っていた。
「ボス……死なないでくれ」
「ううぅ……」
ボプツィーンは額から酷い汗を流していた。うめき嘆くその声は、何かに襲われているようだった。隣で眠るアルバーンも痛みに呼吸を荒げて必死に悶えていた。治療薬も充分に無く、鎮痛剤も足りていない医療用テント。ベレンセが無力さに肩を落として溜め息を吐いていると、テントの入り口の幕を開けて叫ぶ声がした。
「父さん!!」
華奢だが、筋肉質な成人のリザードマン。腰には帯刀を帯びていた。外套を羽織り、羽ペンを胸に差していた。凛々しい目つきで一瞬ベレンセを睨み付けると、ベッドで眠るアルバーンの元へ、つかつかと踏み寄った。
「リカルドさんっ?!」
セシリアが驚いていた。次の瞬間、リザードマンの男性は激しくアルバーンの頬をビンタした。アルバーンの身体はのたうって、激しく咳き込んだ。
「ふっざけんな!!クソオヤジ!!」
「き、君は一体誰なんだ!!怪我人に手荒なことをしてはいけないよ!!それに彼は国王様なんだから……」
「離せ!!こうでもしないと、親父は死に急ぐんだよっ!!離せ!!」
「親父?!君は息子なのか?!」
「そうだ!!俺はアルバーン国王の長男だ」
彼は、アルバーン国王の長男「リカルド」だった。「Ⅲ(ギーシャ)の国」の革命後にヨハネス国王が死去したのち、カジワラの伝承を伝え、政治体制を整えるべく、人間(トールマン)と一緒に生活を営んでいたのだった。噂を聞き付けたのか分からないが、かなりの時間をかけて駆けつけてきた。彼は怒りに燃えて肩で息をしていた。
「クソオヤジ!!起きろ!!クソオヤジっ!!」
肩を揺するリカルド。激しく血を吐くアルバーン。ベレンセが焦り戸惑って、リカルドを止めようとした。
「い、いけないよ!怪我人に何をしてるんだ!!お父さんとは言え、手荒なことをしてはいけない」
「リカルドさん、いけません。今、一番安静にしないといけないんです」
「……はぁはぁ、何にも変わってないんだな。セシリー、何で止めなかった?一緒に居たんだろ?」
「ごめんなさい。私、この国のこと何にも知らなかったから……。少しお歳も召されたから、無茶しないと思ってたの。私が馬鹿でした」
「……ったく。取り敢えず、状況を聞かせてくれ。」
リカルドは、溜め息を吐きながら落ち着きを取り戻していた。
**
テントの中では「エルダーニュ・オイル」が濃く追い焚きされていた。興奮状態にあるリカルドを宥(なだ)める為に、ベレンセが急いでロウソクを用意したのだ。尖って高ぶった神経を和らげるような甘くしっとりとしたレモンに似た薫りだった。
「シャオグラス【レモングラス】の高価なロウソクに火を灯してしまったよ。これはなかなかいい値段するんだよね……」
ベレンセは少し複雑な表情をしながら、ため息交じりに言った。彼は問題がただでさえ山積みなのに、厄介な人物と関わり合いを持つことになることに対して、少々疲れ切っていたご様子だった。
「いい香りだな。おっさんがこのロウソクを作ったのか?」
「お、おっさんとは失礼な。君はアルバーン国王の長男、リカルドと言うのか。初めまして。僕はベレンセ=ハウジンハ。アメリアの兄だよ」
「おいおい、あの堅物なアメリアさんに兄がいるとは驚いたぜ」
「アメリアとは知り合いなのかい?」
「ああ。セシリーがまだ小さかった頃にみんなで旅したんだよ。はぁー、驚いたぜ。セシリーがこんなに美人さんになるとはなぁ」
リカルドは笑いながら頬を掻いていた。セシリアは少し恥じらいの表情で顔を覆った。
「色々積もる思い出話をしたいのだけれど、相変わらず、この周辺諸国の諍(いさか)いは、何年経っても絶えることがないね。『月の涙(フル・ドローシャ)の革命』が起こってから、もう三十年が経つというのに」
「ホントにな。カジメグがいなくなってから蓋(ふた)を開けてみたら、結局は、人間とリザードマンの抗争がある。本当に呆れちまうよ。それでも少しずつは前に進み始めてるんだけどな」
「つかぬことを聞くんだが、そこに伏している彼女、ボプツィーンは君のお父さんの敵だったみたいだけれど、何か知っていることはあるかい?孤児院を制圧してかなり大変だったらしいんだが」
「ああ。おそらく親父が昔、十字軍の百人隊長だった頃の話だろ。親父は世界中を駆け回って傭兵仕事してた時代があったんだよ。けれど何人かの配下が、親父に反発して方向性が違ってきてさ。隊が細分化してしまったんだよ。最初は割に合わない仕事をしてるとか。不平不満を言ってた奴がいたんだよ。その時、きっと彼女はごたごたの関係者だったんだろうと思うよ」
リカルドはセシリアに出されたお茶を飲みながら不機嫌そうに呟いていた。
「しかし、……アメリアさんの兄貴も変な奴だよな。ボプツィーンなんて犯罪者を助けようとするんだから。確かに俺らは平和の為に生きようって決めたけどさ、このばあさんがまた豹変して、牙を剥かないとは限らないよ?」
「そのやせっぽっちのアダンが彼女の手を握る姿を見ていると、僕は胸が痛むんだ。心底悪い奴はいない。時代が悪いんだ。必死に生きようとする人を僕は見捨てるわけにはいかないんだ」
「私もそう思います」
ベレンセは強い意志で語った。するとセシリアも頷いた。リカルドは十年来会っていない、成長したかつての少女を見て驚いていた。
「好きにするがいいさ。ただ、人を改心させるのは本当に時間が必要だと思うよ」
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