【Third drop】Shuddery Days:four「暗闇の廃墟街」
「私の息子は大きな赤い蛇に丸呑みにされた。刺し違えてでも奴を引きずり出して、腹から引き裂いてやる!!」
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――ここはどこだろうか。周囲に見えるのは太陽の見えない空と荒廃した廃墟だった。廃墟。レンガで造られた建物は風化して、ボロボロに崩れていた。太陽は黒い輪を掛けて、雲に覆い隠されていた。廃墟に住み着いていた猛禽類や猛獣の鳴き声がやかましく響いている。ボプツィーンの喉は焼けつくように渇いていた。
唐突に意識を失った彼女は、この場所に倒れていた。執念に駆り立てられるように、真紅の大蛇を探し求めて彷徨っていた。
「ああ我が子をこの手で取り上げたあの日は、もう遠い過去の話だ。……歩き疲れた。私の愛する子に会いたい。真紅の蛇の胃袋に溶かされてしまったのだろうか」
ボプツィーンは鋭い視線を建物の陰から感じた。彼女は腰に帯びたナイフを震える手で握りしめた。突き出しながら周囲を確かめた。心の中には「アンガー」と言う名の、真紅の蛇が住み着いていた。そして、片方の視力と勇敢な心は、真紅の大蛇に奪われてしまったようだ。
「だ、誰だ?!どこにいる!!」
ひたりひたりと背中に滲む汗が衣類に染み込んだ。足元を見ると、精神を追い込む毒を持つ小さな赤い毒蛇が、群れを成してうごめいていた。早足で歩かないと死んでしまいそうだ。ボプツィーンは足早になり、毒蛇を踏みつけると小高いレンガ造りの塀に登って様子を伺った。
「この気持ちが悪いくらいの胸騒ぎ……押し潰されそうになる殺意と憎悪感。私は執念で立っているようなものだ。動きたくないのだが」
死に向かって行くような精神の弱りを身体で感じていたが、しかし自分の手の皺や髪の艶が見るからに若々しく、四肢の動きが驚くほどに軽かった。若返ったように身体が軽かったのだ。……私はどこに来てしまったのだ?ボプツィーンは思った。闇が覆い架かった空から二人の聞き慣れない声がした。一人は「私が憎らしくも、愛してやまない小僧」の声に聴こえた。
「ば、婆さん!!起きろ!!このままじゃ、死ぬぞ!!」
「ボス。目を覚ましてっ!!」
石畳の隙間から、濃い霧が吹き上がり、ツンとしたシャープな樟脳(しょうのう)の薫りが漂った。私はおかしくなったのだろうかとボプツィーンが思った。そして、霧の中から爪が鋭く、背中が竜鱗で覆われた十四歳くらいの少年が浮かび上がるように現れたのだ。手には青く光り輝く炎を帯びた「青白い炎が燃える青銅のランタン」を持っていた。雰囲気が独特で二度見してしまった。
「お前は誰だ……?!」
「婆さん……じゃない?!若いぞ?一体どういう事だ?」
「こっちが聞きたい。お前は誰だ?」
お互いに顔を見合わせて舐めるように視線を交わし、噛み合わない質問をお互いに投げ合っていた。
――実は、エルノはボプツィーンの深層心理に入り込んでいた。ボプツィーンの齢(よわい)は七十代を過ぎていたが、深層心理の世界では、子どもを生んだばかりの二十代の女性になっていた。エルノの奇妙な見た目に目を擦るボプツィーン。エルノは顎に手を当てて考えていた。
次の瞬間だ!背中で瓦礫が崩れ落ちる音がした。ボプツィーンが振り向くと真紅の大蛇が二人を睨みつけていた。
「走れ!!」
「おい、いきなり何なんだよっ!!」
エルノが戸惑っていると、大蛇が牙を剥き出しに喰いかかって来た。ボプツィーンはエルノの手を取って廃墟の陰に向かって走り出した。
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テントの簡易ベッドで眠りにつく、ボプツィーンとアルバーンの病状の変化を見ながら、ベレンセは考え込んでいた。アルバーンは悪い悪夢にうなされて酷い汗を掻いていた為、イシアルが汗を拭きとっていた。ベレンセはセシリアに「ボプツィーンが抱える病」の見解を話し始めた。
「彼女は恐らく、『躁(そう)うつ病』かも知れない。……これは厄介な病気でね、死にたくなるような重いうつ状態と、感情の昂ぶりが抑えられない躁状態が交互に繰り返される精神病なんだよ。別名『双極性障害』とも呼ばれる病気なんだ」
「それがベレンセさんが読み解いた見解なんですね。確かに、この女性は怒りと暴力に対するリミッターが外れていたかも……でも、どうして?」
「ああ。それは恐らく、彼女は子どもを失った強いショックと、抑えきれぬリザードマン達への憎しみ。そして戦争に対する恐怖心やストレスや貧しさ。様々なことが心にダメージを負わせたんだろう。僕の長年の研究で見出したんだけれど、メタヘルの中に『アンガー』って名前の奴がいるんだ。気分を昂らせて、人格を破壊する心の魔物。それが彼女を苦しめているんじゃないかって、僕は思うよ」
「エルノを送り込んで大丈夫だったんですか?……ニナに怒られちゃいましたけど」
「彼は強い。最初に、僕のクライアントのイシアルと出会った時からかなり成長したよ。物言いも筋が通るようになったしね。自我がハッキリしてきたと言うか。だから、ここで燻(くすぶ)らせておくのは勿体ないと思うんだよね」
ベレンセはそっと眠りにつくエルノの額に手を当てた。しかし、彼はまた苦い表情をしながら言った。
「問題は、アルバーン国王だ。……彼の病状が深刻だ。老齢の上に手負いの傷を負っている。生命力が勝負かも知れない……メタヘルに襲われないといいんだけれど」
「若い頃から無茶してきたって聞きました。私も心配です。カジメグお姉ちゃんがいた時からお世話になっていた、もう一人の父のような方でしたから」
「今は、とにかく二人の容体が心配だ。持ち前の生命力と精神力を信じよう。エルダーニュ・オイルを濃い目に焚こう!」
エルノが眠る枕元では、「ロブマリー【ローズマリー】のエルダーニュ・オイル」を練り込んだロウソクが煙を立てて焚き上がっていた。集中力を高め、精神面の気怠(けだる)さを和らげるシャープな薫り。ベレンセとセシリアは深層心理で闘っている、エルノのうめき嘆く様子を必死に見守っていた。
**
レンガの塀に隠れながら息を殺し、ボプツィーンは竜を睨んでいた。エルノはその様子を見ながら呟くように質問を投げかけた。
「なぁ、婆さん。あの赤い大きな蛇は何だ?」
「……私の強敵だよ。二十年以上に渡って私を苦しめてきた。死に至るような苦しい精神状態に追い詰めたり、怒りで精神を搔き乱したり、私の心を奴が支配して離さないんだ。この周囲に住み着いている小さな毒蛇は、奴が生み出したんだよ。噛まれると死にたくなる毒を持ってる」
「……追い出せないのか?」
「追い出そうとしたさ。……ただ、奴との付き合いも長くなってきて、ほとほと諦めてるんだよ。……それはそうと、お前はどうして『私の心の中』に入って来たんだ?」
「婆さん、ここがどこかを理解してるんだな。じゃあ、自分が死にそうな状態にあるのは分かってるのか?婆さん、良く聞いてくれ。婆さんの肉体は怪我と闘いながら必死に生きてる。心を強く持ってくれ」
「確かに少し……眠いな。お前みたいな生意気な小僧が唐突に現れて、私に説教垂れるってのが、正直癪(しゃく)だがな」
「いいか、婆さん。さっさと目を覚ましてベレンセから治療を受けるんだ。婆さんを慕ってた『アダン』ってリザードマンが婆さんのこと、心配してたぞ」
「アダン」の名前を出されたボプツィーンの表情が曇った。どことなく憎しみに満ちた表情をしながら、怒りを噛み殺すように呟いた。
「……チッ、これだから小僧は嫌いなんだ。知ったような口を訊きやがって。アンタなぁ、『アダン』だぁ?その名前を二度と出すんじゃない。私には息子なんていらないのさ。どっかに行っちまえ!!」
「おい、どこに行くんだよ!!待ってくれ!!」
エルノは冷たくあしらわれ、そのままボプツィーンは歩いて行ってしまった。その背中には「死の陰り」がうっすらと出ていた。手負いの傷を負って、心もボロボロになっていた彼女は死が間近まで近づき、死に場所を探していたのかも知れない。エルノは、複雑に搔き乱された感情を押し殺しながら、必死に考え込んでいた。
「おいおい、あの婆さんが息を吹き返さないと……俺も死んじまうのか?……勘弁してくれよ!」
エルノはボプツィーンの後を追って、廃墟を走り始めた。
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