【Third drop】Shuddery Days:three「それは『本物』と言えるのか」

 戦場が雨に流れたように静かになった。ボプツィーンは傷だらけの身体を横たえて、激しく息を吐いていた。冷え切った身体に、矢が掠めたのか、腕や足から血が流れていた。また長い闘いに身体が限界を来たし、立っているのもやっとだった。

 アルバーンはうつ伏せに倒れて動かなかった。木の根に倒れて動かない二人の老いた国王と戦犯者。ベレンセは周囲を見渡すと、衛生兵に命じ、二人を担架に乗せてテントまで運び込んだ。暴れないように荒縄で縛り上げ、麻酔を嗅がせて、深く眠らせた。


 ボプツィーンの傷口に薬効成分が含まれたエルダーニュオイルを塗り込みながら、セシリアは驚いていた。国を脅かしていた者は、力なき老婆だったのだから。彼女の四肢は思いの外、華奢で筋肉が無かったが、何かに支配されたように戦況を圧倒していたのだ。それは何かに乗っ取られたようだった。

 意識の無い彼女はうめき声を上げながら抵抗していた。


**

 アルバーンが目を覚ますと、全身の激痛に苦悶の表情を浮かべた。横を見ると……ボプツィーンがいるではないか。

 「ベレンセ、槍を持って来てくれ」

 「な、何をする気ですか?!」

 「彼女は罪を重ね過ぎた。安らかに死ぬべきだ。早く、早くしろ!!」

 激しい唸り声がテントに響く。麻布のテントが震えた。ベレンセは厳しい表情になり、アルバーンに言った。

 「……一度話し合うべきです。僕ら種族の間には、溝が大きすぎる。アルバーン国王の部下はかなりの数、命を落としたでしょう。しかし、私情に駆られてはいけないと思うのです。あなたは知的にふるまうべきではないでしょうか?」

 「し、しかし凶悪な犯罪者だぞ?」

 「生まれた時代が悪かったんです。何かあったら、僕が『エルダーニュオイル』を嗅がせて眠らせます。これは僕自身の心理学者としての矜持(きょうじ)なんです」

 

 ベレンセはきつい表情で、起き上がれないアルバーンと睨み合った。すると、縄で縛られたボプツィーンが顔を振り乱しておぼろげな意識でうめきだした。

 「あっ、アダン、アダン!!お前まで私の前から離れていくのか……?」

 ボプツィーンはうめきながら誰かの名前を叫び続ける。手を伸ばして何かを探し求めるかのように。見える側の眼に負担がかかっていたのか、疲労性の失明をして目が見えなくなっていた。悲し気なその動作にベレンセは涙を堪えて顔を覆った。長いことクライアントと向き合って来た彼だったが、子どもを失った母親のケースも良く見てきたのだから、薄々気が付いていたのかも知れない。

しかし、……人間(トールマン)である彼女が、どうしてリザードマンの青年の名前を呼ぶのか。少し疑問に感じていた。

 「……孤児院の子どもに情が移ったか」

 「アルバーン国王、どう言うことですか?『アダン』とは、あなたの国の男性名称でしょう。ご存じなのですか?」

 「……アダンは、あの孤児院でずっと子どもの面倒を見ている青年の名前だ」

 それを聞いたベレンセは深々とアルバーンに頭を下げた。

 「アルバーン国王、結果を急ぐのはおやめください。彼女は息子を失っていますね。そうでしょう?」

 「どうしてだ、どうして分かったんだ」

 「僕も長いこと、患者と関わってきました。戦争孤児も子どもを失った親も見てきました。彼女の心の中に……闇が住み着いたんです。とても根深い闇が」

 「か、肩を持つ気なのか?……正気なのか?」

 「あなたも良くお判りでしょう。彼女を処刑したところで何も生み出さないと言うことを。それに、私の見解では『メタヘル』が『彼女の良心を食い荒らしている』のだと思います」

 アルバーンはじわりと冷たい汗を背中に掻いた。「この責任は誰に問われるのか」とずっと頭を悩ませていた。ベレンセは、下げた頭を上げなかった。

 「歴史上でメタヘルの脅威はあまりに大きく、被害がかなりの物でした。あの鍛冶職人のテオフィルもやっとやりがいを見つけて前向きに生きようとしています。彼は医療器具を作ることで命を奪う道から生かす道へと歩みを変えました。国王……少し向き合ってみませんか?」

 「……心理学者よ。私一人では、この責任は負い切れぬ。リザードマンと人間(トールマン)の歴史の溝が大きすぎたのだよ」

 「……ですが!!目の前で苦しんでいる女性を、あなたは見捨てるのですか?今は悪人のなりですが、子どもを産み育てた母親なんですよ、道を踏み外したんです」

ベレンセは処刑を食い止めようと必死に説得していたが、ボプツィーンは良心と悪意の狭間で彷徨(さまよ)っていた。憤怒に満ちた赤いオーラが彼女の周りを取り巻いていたのだ。


 「あ、がががが……」

 震えるように言葉にならぬことを言い、そして彼女は夢遊病者のごとく縄を引きちぎると、飛び上がってアルバーンの上に馬乗りになった。

 「ぐあっ!!」

 アルバーンは口から激しく血を吐いた。その血がボプツィーンの顔に掛った。しかし、それを構うことなくボプツィーンはアルバーンの喉に手を掛けて絞め殺そうとしている。

 「きゃあああ!!誰か、お願い!!誰か来て!!」

 セシリアの声が響き、弓兵が駆け付けた。激しい矢の雨がボプツィーンの背中に刺さり、ボプツィーンは大量の失血と共にアルバーンの胸で意識を失った。


**

 マドレーヌの引く馬車の手綱をエルノが執り、「アダン」と名乗るリザードマンの青年と、ニナを荷台に乗せて医療テントまで急いでいた。アダンは少し不安げな顔をしながら荷台に揺られていた。孤児院の子ども達とボプツィーンが国王に挑んでいったのを酷く心配していたようだった。

 ニナが少し得意げにアダンに言った。

 「ベレンセが言ってたのだけれど、子どもの健全な成長に必要なことは、三歳までの愛情に基づいた親子間の絆(アタッチメント)が必要らしいわよ。これはどの種族にも関係なしに言えることなんだってね」

 「僕は……生みの親と育ての親が違うんだよね」

 アダンは俯きつつ、寂しそうに呟いた。ニナはそれに対して、容赦ない切り口で質問をした。エルノは、その会話を聞いていたのかいないのか。険しい表情になっていた。

 「あなたのそのボプツィーンに対する愛情……どこから湧き上がってくるの?彼女は何年も孤児院にいたわけでは無いでしょ!『馬を走らせろ』ってどういうことなのよ!」

 「……ボスは、死んだお母さんにそっくりなんだよ。僕のお母さんは、僕が五歳の時に『メタヘル』に精神を病まれて衰弱したんだ。それから親戚筋にたらいまわしにされたんだ。僕は、兵役に立てるほど身体が強くなかったから……行き巡って孤児院で育ったんだ」

 「……話をさせて悪かったわね」

 ニナは曇った表情をしているアダンに掛ける言葉が見つからずに、焦っていた。エルノは「メタヘルの悪意」がここまで及んでいることに、驚き、そして思いを巡らしていた。山間の木々のうっそうとした匂い。そして突き刺すような木漏れ日が眩しかった。


 アダンが疲れ切り、馬車の荷台で寝息を立てて眠っていた。その寝顔を見ながら、思い出したようにエルノは呟いた。

 「鳥類が孵化(ふか)した後に最初に見たものを親と思う現象。これを刷り込み(インプリンティング)って言って、生まれたばかりの動物には外部の刺激が大きく影響するんだって。だから親だと思ったり、敵だと思ったりするらしいよ」

 「……じゃあ、孤児院にいる子ども達はボプツィーンに対して、母親に代わる感情を抱いているのかしら。アダンも心配する姿が異常だったわ。彼女はもしかしたら口は悪いけど、愛情深いのかしらね」

 「……会ってみないと分からないよな。心が鬼でも、顔は優しい奴っていっぱいいるし」


 木々の間を抜け、足場の悪い木の根をマドレーヌが踏み締める。すると、度重なる闘いで煤けた麻布のテントが見え始めた。テントの入り口に「リザードマンの刻印が描かれた国旗」が突き刺さり、荒々しい風になびいていた。戦況の最中で降り始めた激しい雨は止むことが無く、抉れた地面には兵士達が投擲(とうてき)した投げ槍や手斧、矢などが突き刺さり、流血が至る所に飛び散って戦場の惨事を物語っていた。

濃く、そして血生臭い匂いが辺りに立ち込め、惨たらしい光景を見たマドレーヌは、顔をしかめて嘶(いなな)いた。

 「……はっ!?」

 「目が覚めた?着いたわよ」

 ニナがうなされていたアダンに言うと、アダンは荷台から飛び降りて、雨ざらしになりながら走って行った。

 「おいっ、刃物が落ちてるから怪我するぞ!!……聞いてねぇし」

 「よっぽど、ボプツィーンが心配なのね。それにしても酷い状態だわ……エルノが無事でよかった」

 ニナは濡れ鼠(ねずみ)のように艶のある毛を濡らしながら、エルノを見たのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る