【Second drop】Corny Days:three「紅蓮の荒野」



 ――Ⅷ(セイシャ)の国、王都ケハー・大図書館。


 電話口で紺色の外套を着た、凛々しい女性エルフが、兄のベレンセと話をしていた。胸に付けられた金バッジは、図書館で最高権威を示す「ペルソナの仮面と氷の結晶」が彫り込まれていた。それは亡くなったアウフスタ女王の象徴だった。


 「兄か。何の用だ?……エルダーニュが大変なことになってるだと?調査して欲しい?どういう事だ!!小声で聞こえないんだが!!」


 「アメリアさん、声が大きいです。隣の部屋まで聞こえてきましたよ」


 「……ハビエルか。エルダーニュの港町が、どうやら薬物汚染されているらしくてな。私の兄が追われる身になっているらしい」


 「でも、どうして笑っているんですか?」


 彼女の弟子として鍛えられていた丸眼鏡を掛けたリザードマン。「ハビエル=ボレル」がどうしました?と質問した。すると彼女はニヤリと笑い、手袋を嵌めながら言った。


 「久々に血が騒ぐのだよ。不謹慎だと思うが、私はこの国を守れることを誇りに思っている。正義感を振りかざして闘えるのが嬉しいのだよ。ははっ」


 「程々にして下さいね」


 「分かっているさ。だが、私の愛する国を汚す奴は何人たりとも容赦はしない。駄目な兄と私が兄妹として血を分けているのか、たまに不思議に思うがな」


 「本当です。……優しくしてくださいよ」


 「駄目だ。おい、ぼさっとしている場合か!!早く人員を集めろ!!」


 「はっ、今すぐに指令を出します!」




**


 フードを深く被った三人は、マドレーヌの引く馬車に乗り、ディオ渓流の山道を走っていた。


 「あの、この近辺で怪しい者を見ませんでしたか?十二歳前後の少年と、心理学者を名乗る男、混血の美少女、そして黒いケットシーを探しているんですが」


 「……ああ、彼らなら『Ⅰ(シャオ)の国』に逃げていったわ」


 「ありがとうございます!お気を付けて」


 セシリアは聞き込みの男性が走って行くのを見送ると、荷台に乗り込んでいた二人、イシアルとベレンセに合図をした。


 「行ったみたいだわ」


 「はー、怖かった」


 イシアルは思いの外、臆病者のようだった。セシリアは色々と考えを巡らしながらベレンセに尋ねた。


 「なんか……『Ⅷ(セイシャ)の国』、殺気立ってなかった?……お父さんとお母さんに会えるかなぁ」


 「妹に連絡して調査して貰ってる所だ。僕達も重要参考人として捜索されている。アジテーター(扇動者)が見つからなければ、冤罪も免れない。早く手を打たないとなぁ」


 そう言ってベレンセは溜め息を吐いた。


 「……子どもの頃に遊んだこの一帯。懐かしいのに、どうしてこんなことになったんでしょうか。胸騒ぎが治まらないの。早く肩の荷を下ろしたいわ」


 「僕達は逃亡者だ。けれど、もう一つの目的がある。それは紛争地に行って、怪我人の処置をすることだ。その為に出来る限りのことをしていかないと。いずれはエルダーニュも治療をしたいんだよ」




 ゆっくりと馬を進めていると、ディオ・ユーカリの林から爽やかな薫りが漂って来た。季節柄、周囲は少し日差しが暑かったが、それでも吹き抜ける風が気持ち良かった。


 「いい風ですね。気持ちいい……」


 「エルダーニュの丘を出て、三日経ったけれど……眠れているかい?」


 「身体中が汗でべっとり。贅沢言っている場合じゃないけれど、お風呂に浸かりたいわ。……イシアル?」


 「私、お父様からこんなに離れていたの、初めてなの。勢いでついて来てしまったけれど、不安でしょうがないわ」


 震えるイシアルに対し、セシリアは慰めるように言った。


 「大丈夫。あなたはひとりじゃない。早く楽になれる日が来るといいんだけれど」


 「さ、早くエルノを探しに行こう。心理学についてまたゆっくり勉強したいけれど……今は目的地に急ごうか」




**


 ――灼熱の砂漠、砂に埋まった青い炎のランタンを拾い上げたエルノは、酷く喉が渇いていた。滴り落ちる汗。ここは「深層心理の世界」。ドワーフの鍛冶職人の深層心理は酷く渇ききっていた。


 「はぁ、はぁ。砂に足を取られる……」


 強い日差し。エルノは手で顔を遮りながら目的地も無く、ただ勘に従って歩いていた。


 「喉が渇く……」


 目まいがした。ふらっと前のめりに倒れそうになった時、足元の影が砂を巻き上げて、エルノの身体を地面に引きずり込んでいった。


 「おいおいおい!!冗談じゃないよ!!」


 必死にもがいて砂を掻きながら立ち上がろうとするが、抵抗も虚しく、足首が引きずり込まれ、膝元まで埋まり始めた。その時、エルノはとっさの判断でランタンの炎を掴んで、「テラピノツルギ」を自分の足に突き刺した。ビターな薫りの柑橘系の残り香がした。


すると影が飛散して、渦巻くように砂に吸収されていった。そして影は元に戻り、エルノの形になった。


 「……早く出ないと大変なことになりそうだな」




 足首に剣が掠ったらしく、エルノはズキズキ痛む足を引きずりながらしばらく歩いた。すると、幻聴のような声が聴こえてきた。それはあの「甘い創造主の声」ではなく、自分の胸を引き裂くような、誘惑に満ちた幻聴だった。


 「木陰で眠りたいだろう?いいんだぜ?何もしたくないんだから」


 「もう何も出来ないよなぁ……お前は出来損ないだから」


 「……うるさい!!俺に話しかけるな!!」


 エルノは、耳を塞いでその場にうずくまった。




**


 ディオ渓流を抜け、「Ⅺ(ロファ)の国」に差し掛かった辺り。少しずつ熱帯気候に変わり始めた。ベレンセが馬車の中で本を読みながら、手綱を取るセシリアに話しかけた。


 「セシリーは『バーンアウト・シンドローム』って知ってるかい?」


 「聞いたことないですね。どんな症状なんですか?バーンアウトって言うくらいですし、燃え尽きてしまうんですか?」


 「そう。その通り。通称『燃え尽き症候群』と言う症状でね、情緒的消耗感、脱人格化、達成感の低下などの三つの症状があると定義されているんだ。無感情になったり、脱力感に襲われ、そして達成感に喜びを感じなくなってしまう。厄介な精神病で、うつ病の一種でもあるんだ。一生懸命に目標に打ち込んだりする人がなりやすい病気だよ。突然人格が変わったように脱力感に襲われ、何もしたくなる症状が出るんだ」


 「わ、私も気を付けなきゃ……なんだか、怖いです。今勉強中なんで、特に注意しないと」


 「実はね、僕も一時期罹(かか)ったことがあるんだ。ニ、三年前だろうか……心理学者としても成功したいと言う思いと『エルダーニュ・オイル』を世間で認めて貰おうと必死だった時期があった。しかし、度重なる心労、そして妹の出世と、『世間では求められていない』という現実。そして期待を裏切られた喪失感で、何もしたくなくなってしまった時期があったんだよ」


 ベレンセは懐かしむように溜め息を吐いた。セシリアが驚いていると、イシアルが呟いた。


 「でも、良く離職しなかったじゃない。心理学が嫌になった時期もあったんでしょ?」


 「そりゃね。机に向かうと吐き気がした。ペンを執ると眠くなったんだよ」


 「どうやって立ち直ったんですか?」


 「ペースを落として、雑に生きることにした。僕はダメダメだけど、研究に関しては手が抜けない性格だったから、『思い切って勉強しないこと』にしたんだ。スパッと一年くらいね。そしたら、また気力が回復してきて、クライアントの治療にも専念できるようになった。メタヘルもまだ滅びていないってことを知った時、自分のすべきことに光が差したんだ。思い出すなぁ。研究に追われていたあの日々は『終わりのない砂漠のよう』だったね……」




**


 エルノがしばらく歩くとオアシスが見えてきた。落ちていた枝を杖にしてフラフラと歩き、生唾を飲み込みながらオアシスを目指して歩いた。オアシスの木陰に人影がゆらゆらと見える。エルノは目を擦って目を凝らした。人影は大きなリュックとじゅうたんを背負った行商人の姿だった。彼はこちらに手招きしているようにも見えた。


 「み、水……あともう少し……水が飲みたい……」


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