【First drop】Funny Days:three「一人目のクライアント(診療患者)」



 ベレンセの研究所は、綺麗に片付いていた。綺麗好きのニナの掃除の成果が現れている。ニナは台所の一角をすっかり自分専用のスペースにして、嬉しそうにティーポットにお湯を入れながら鼻歌を歌っていた。


 「ふふふ。エルダーニュに来てから、ホントに素敵な物を手に入れたわ。エルダーニュ・オイルは苦手だけど、紅茶は大好きなのよねー」


 小躍りしながら、黄色いノスタルジックな缶に入った紅茶を運ぶニナ。中にはコロコロと丸まった茶葉がたっぷりと入っていた。小さな両手でスプーンに取り、茶こしに入れながら紅茶をティーポットに落とす。


 「Ⅻ(ザイシェ)の国の『猫の妖精(ケットシー)』は、タルトタタンと、紅茶が大好き。覚えておくときっと役に立つわよ。……って言っても、ケットシーを家に呼ぶご家庭なんて無いでしょうけどね」


 鼻歌を歌っていると、石窯のオーブンから甘い匂いがした。くし型に切られたリンゴが生地の上でとろりと溶けて、キャラメリーゼの甘い香りと混じっていい香りになっていた。


 「ふふふ。良く焼けてるわぁ。ベレンセもおバカさんよね。こんなにいいキッチンを使わないなんて、ホントにもったいないわよ」


 


 時刻は三時を過ぎていた。セシリアは落ち着かない様子できょろきょろとしていた。


 「……なんか、ニナがいないと緊張しちゃうなぁ」


 カーテン越しに診療室があるのだろうか?「リザードマンの女性の声」が聴こえてくる。しばらくすると、頭の上にリンゴのタルトタタン、右手にミルク、左手にティーポットを持ったニナが歩いてきた。


 「あちち。セシリー、早く早く取って!!」


 「あ、はいはい!!」




 ニナが嬉しそうにタルトタタンを切り分けていると、セシリアは驚いた表情で見ていた。


 「これ、全部ニナがやったの?」


 「ええ。淑女の嗜(たしな)みです」


 「ホントに?!わ、私も見習わなきゃ!!なにか教えて!!お願い」


 必死に頼み込むセシリアを見てくすくす笑うニナ。セシリアが首を傾げると、ニナは答えた。


 「うそうそ。私、料理が好きなの。こんなケットシー、珍しいでしょ?」


 「ええ。とっても……そう言えば、エルノは?」


 「まだ市場にいるのかしら?言われてみると、ちょっと心配だわ」




**


 カーテンの向こうの診療室では、ベレンセが「クライアント(診療患者)」と話をしていた。


クライアント(診療患者)はリザードマンの女性で、ベレンセの顔を見ながら思い詰めた表情をしていた。容姿はとても美しく、艶のある竜鱗で全身が赤かった。血統なのか、所々に緑の竜鱗が混じっていた。瞳は蒼(あお)かった。そして、リザードマンの高貴な女性が身に付ける白い装束を羽織っていた。


 


 「もう、私……疲れちゃったの。リザードマンの社会って競争社会でしょ?逃げて逃げて、エルダーニュの港に来たのだけれど、何にも解決にならなかったのよ」


 「そう言うのは誰でもあるさ。またいつでも話を聞くから、好きな時に来てくれ」


 「ベレンセだけよ。そう言ってくれるのは。でもまた帰ったら元の生活に戻るのかしら……なんだか気が重いわ」


 肩を落としながら診療室出ていくリザードマンの女性。お茶をしているセシリアとニナの横を通り過ぎていったが、甘い甘いタルトタタンの薫りも彼女は全く気に留めず、そのまま出て行ってしまった。


 そして、ベレンセがカーテンを開けてリビングルームに来た。


 「ニナ、グッドタイミング!!タルトタタンじゃないか!!貰っていいかい?」


 手を伸ばしてタルトタタンをひと切れ摘まもうとしたベレンセ。手の甲に爪のひっかき傷が一閃。ニナがプンプン怒っていた。


 「ベレンセ!お行儀悪いわよ!!手を洗った?」


 「いたたた。ごめんごめん」


 手の甲を擦りながら、ベレンセが苦笑いをしていた。セシリアは、お茶で喉を潤した後、去って行った「リザードマンの女性」について尋ねた。


 「……今の方は?」


 「『イシアル=サラサーテ』。僕の所をひいきにしてくれているクライアント(診療患者)だよ。彼女は、野心家だし、頭も切れて、リザードマンの間でも比較的容姿も良かったんだ。しかし、『誇大(こだい)に形成された自己イメージ』が、ある日、音を立てて崩れてしまったんだ。『共感性に欠け、他人を自分の為に利用する自分自身』が嫌になり、競争社会に挫折して、迷って迷って僕の所に行きついたんだ」




 「気楽に生きられない。立派で誇らしく生きたい。周りから憧れの存在でいたい」そんな、彼女の完璧主義な自己イメージが、自分自身を苦しめた。そして、疲れ果てて人目を避けるように、静かなエルダーニュの田舎町に来たそうだ。セシリアは、そんな彼女を「自分自身の小さい頃」と重ね合わせながら呟いた。


 「なんとなく分かる気がします。私も小さい頃、混血の『優勢遺伝子の部分』が濃く出たのか、物覚えが人よりも良すぎて『神童』って、持てはやされてた時期があったんです。周囲の友人は私のことを、嫌な目で見ていましたが」


 「その時、どうやって克服していったんだい?」


 「……やっぱり、『カジメグのお姉ちゃん』との出会いでしょうか。天狗になってた自分の鼻を、ぽっきりへし折られたんです。あんなに非力な女性が、圧倒的に大きな力に立ち向かっていく姿を見ていると、今でも自分がくすんで見えるんです。今でもこの瞳に鮮明に焼き付いてます」


 胸に手を当てて感傷に浸るセシリア。すると、扉が開いてエルノが入って来た。


 「……俺は、ベレンセの所で生活してて、そんなに経っていないのけれど、かなり重い病を抱えた人が来るよ。見ていてこっちも辛くなるんだよね」




**


 そして、ニナは紅茶を淹れ直し、タルトタタンを温め直した。ベレンセは自分に向いて座っているセシリアと小銭を数えているエルノに向かって「心理学の話」を語り始めた。


 「君らは『ラベリング』って言葉を知っているかな?世間の言葉では、『レッテル』とも言うのだけれど、第一印象が、人の印象の殆どを決定してしまうことを言うんだ。例えば、エルノが良く『お金、お金』って言うでしょ?それによって、セシリーはどう思った?」


 不満な表情を浮かべるエルノを見ながら、セシリアは言葉を選びつつ、慎重に答えた。


 「この子、計算高い子なんだなぁって……」


 「そう。言葉にせよ、態度にせよ、無意識にその人を心の中で印象付けてしまうこと。それを『ラベリング』と言い、最初に会った時の第一印象が、その人の全体イメージを形成してしまう。それを『初頭効果』と呼ぶんだ。そして『ラベリング』された人が、そのレッテルに対して、行動を沿わせてしまうことを『ラベリング理論』と呼ぶんだね」


 「ほぅ、じゃあ、ベレンセの部屋が汚いのは『ベレンセがだらしない』って、いろんな人に言われて育ってきたから、そう言うことになるのか」


 エルノは腕を組みながら言った。ベレンセは頭を掻きむしりながら、悔しそうに言った。


 「く、悔しいけれど、そう言うことだ。認めたくないけどね。そして、この『ラベリング理論』がクライアント(診療患者)の行動を決定づけたんだろうね。先ほどすれ違った『イシアル』は、周囲から『蝶よ花よ』と持てはやされ、すっかり有頂天になっていたのかも知れないし、それに沿わせようと、自分を生かしてきたのかも知れないね」


 「悔しいけれど、ベレンセは頭がいいのよねぇ……」


 ニナがお盆を頭に載せてリビングに入って来た。ベレンセは鼻を鳴らしながら言った。




 「……それで、仮に『イシアルの生き方』を正すには、『ハロー効果』と言う方法を使うのがベストなんだ」


 「ハロー効果?」


 「そう。『イシアルの現状』は『有頂天で野心家の女性リザードマン』と言うレッテルが貼られている。しかし、彼女が慈善事業に携わり、表彰を受けたとしたら、周囲の見方がどう変わるだろうか?」


 「優しい女性って印象に代わりますね!」


 セシリアが答えた。ベレンセは「その通り」と言って頷いた。


 「肩書きなどの情報がその人に加わることで、認識が塗り替えられてしまうこと。これを『ハロー効果』と呼ぶんだ。心理学って面白いだろ?」


 「ええ!!本当に」


 しかしベレンセは、思い詰めた表情になり、重い口調で言った。


 「けれどね、どんなに学を積もうとも、結局のところ、クライアント(診療患者)の気持ちに寄り添うことが出来ないんだ。僕に欠けているのは、共感性なんだ。結局の所『他人を見下してきた、今のイシアル』と、何にも変わっていない。……出来のいい妹を持つ兄は、結局のところ、誰かを助けるスキルなんて持っていないんだよ」




 少し暗い空気になる。驚くことに一番思い詰めていたのはエルノだった。


 「ベレンセ、分かるよ。俺も劣等感で悩んだんだ。でもさ、お前の心理学も捨てたもんじゃないよ。それでも、何人も救って来たんだろ?たまには自分を慰めてやれよな」


 「ありがとう、エルノ。まさか君に慰められるとは……」


 「エルノはね、本当は優しい子なのよ。共感性が高くって傷つきやすいの。口調が荒っぽいのは警戒心が強い証拠なのよ。人に感情移入しすぎてしまうのが怖いの。ここに来るクライアントを見ながら悩んでいたのを、ベレンセ、あなたは知らなかったの?」


 ニナの言葉に驚きを隠せない。ベレンセは何となくエルノの表情を見ながら察したようだった。


 「そうか、十二歳と言えば、第二反抗期の時期だからな。でも……まさか。でも、なんだろう、人間(トールマン)でも、エルフでもノームでも無い、エルノから感じるこの不思議な雰囲気は……」


 ベレンセがずっと心の中で抱いていた、エルノから感じる違和感に思い巡らしていると、エルノは階段を上がって屋根裏にある部屋に行ってしまった。


 「はっ、恥ずかしいから行くよっ!!ふんっ!」


 「えっ、エルノ!」


 セシリアが立ち上がってエルノを追い駆けようとしたが、ニナに止められてしまった。


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