第12.5話 僕のヒーロー(後編)
二年生の秋から、僕の体調は不安定になった。
登下校中に発作が起きて動けなくなったり、突然高熱を出すことが増え、学校を長期で休むことにした。
直希は毎日見舞いに来てくれた。
自宅療養中は、一緒にカードゲームやテレビゲームで遊び、寝込んで会えない日が続けば、短い手紙と道端で摘んだ花を届けてくれた。
冬になって草花が見当たらなくなると、今度は折り紙で何かを作って、それを手紙に添えてくれた。
クラスメイトは、最初こそお見舞い代表の直希を通じて、僕に励ましの手紙を寄越してくれたが、その数はだんだん減っていき、ついには直希以外の手紙は無くなった。
三年生になると、学校で過ごせる時間が短くなった。
僕の体は、全日授業を受ける体力すら無くなり、午前中の授業を終えると、給食も食べずに帰るようになった。
登下校も、母親の車の送り迎えがないとできなくなっていた。
辛くても学校を休みたくなかった。
自分の居場所を、失くすのが怖かったから……。
学校に通ってさえいれば、みんなとの関係も繋がったままだと思っていたが、弱っていく僕を見るクラスメイトの視線は、日に日に変わっていった。
驚かせて死なせたらまずいとでも思ってるのか、僕に話しかけるクラスメイトの声はとても静かで、慎重だった。
以前と変わらずに接してくれるのは、やっぱり直希だけだった。
「爽太ー!おはよー!」
元気よく挨拶した直希は、僕に抱きついてほっぺをくっつける。
僕が半日授業で帰るようになってから、直希の挨拶はいつもこうだった。
直希と僕を見る周りの目は、「何かあったらどうするんだよ」と言いたげで冷たかったが、直希はそんな空気を気にしていないようだったし、僕も直希の頬の温かさに安心していた。
僕とクラスメイトの関係がぎこちなくなっても、直希だけは、僕と親友であり続けてくれた。
*
休み時間。
図書室から借りた本を持って帰る途中、直希は図書室の中で読み終えた、本の話をしていた。
「あのおばけの話怖かったな……俺、ちょっとだけ夜のトイレが怖くなったよ」
「おばけって、幽霊もおばけかな?」
「さぁ?あ、でも優しい幽霊の話はまた借りよう!ああいうおばけや幽霊なら、友達になりたいなぁ~!一緒に野球しても、空飛んで高い所に乗っちゃったボールとか、取ってきてもらえそうだし」
「幽霊と友達か……」
僕はふと、それまで考えないようにしていた、自分の死後のことを考えた。
「――ねぇ、もし僕が幽霊になったとしても、直希は僕と親友でいてくれる?」
深い意味は無いつもりだった。
ただ、「もしそうなったら、僕がボールを取ってきてあげるよ」と、軽い気持ちで聞いたのだが、その瞬間――直希の顔からは笑顔が一気に消え、こわばったかと思うと、今度は赤くなった。
「――そんなこと言うなよっ!」
直希がまさか怒るとは思わなかった僕は、驚いて立ち止まった。
「た、例えだよ?」
「例えでもだよっ……‼︎」
僕はその時初めて気付いた。
直希がいつも僕のそばに居てくれる理由を。
早退するようになってから、毎朝僕に抱きついてくる理由を。
他の友達以上に、直希が一番、僕がいなくなるのを恐れていたということを。
僕の前で泣いたことの無い直希が、初めて目を濡らした。
直希は涙を堪えながら「……当たり前だろ」と言った。
「一生……ずっと、俺らは大親友だからなっ……」
「……うん」
「おじいちゃんになっても、遊ぶんだからな……!」
「うん」
「大親友から、今度は超大親友になるんだからな。だから……幽霊になってもそれは変わらないけど……でもっ、もうそんなこと……絶対言うなよ……っ!」
「わかった。もう言わないよ……約束」
「約束な」
僕と直希は出会って二回目の指切りをした。
とても嬉しかった。
直希が僕のためにそこまで思っていてくれたこと。
おじいちゃんになっても、大親友でいてくれると言ってくれたこと。
そう思っていたのに、階段を一つ上がる度に、心臓が破裂してしまうのではと思うくらい、バクバクと大きく動き始めた。
違和感が気持ち悪くて、吐きそうになったと思ったら、階段を登りきったところで息苦しさと痛みの症状が強くなり、崩れるように座り込んだ。
そのまま床に倒れこむと、直希が今まで聞いたことのないような悲痛な声で、僕の名前を何度も呼んだ。
*
――気がついた時にはもう病院にいて、母親にしばらく家に帰れないと告げられた。
母は家と妹を、父と祖母に任せ、泊まり込みで僕に付き添って看病した。
直希は僕が入院してからも、毎日手紙をポストに入れてくれたらしく、着替えを取りに家に戻った母が、溜まった手紙を僕の病室に持ってきてくれた。
『びっくりしたけど、おばちゃんから元気になるってきいた。まってるからな』
『今日は給食にぶどうゼリーが出た!また爽太といっしょに食べたいな!』
『退院したら、読んでほしい本がある。おもしろいから、爽太もきっと気にいると思う』
直希は、僕がまた学校に来られると信じていた。
でも、僕は周りの大人の表情や反応を見て、自分がもうあまり生きられない気がしていた。
両親や主治医は、幼い僕が自分の病気について、詳しく知らないと思っていたようだが、僕は大人が思ってる以上に、自分のことをよく知っていた。
直希は、僕が幽霊になっても大親友でいてくれると言ったけど、それでもやっぱり、未知の世界に行くのは怖いし、直希とは人の姿でもっと一緒にいたかった。
両親にもまだまだ甘えたいし、小さな妹にも兄らしいことは何一つできていない。
何もできないまま死ぬのはかっこ悪すぎる――。
僕も、誰かのヒーローになりたいのに……。
死への恐怖と無力な自分への情けなさで、布団にくるまって、こっそり泣く日がしばらく続いた。
*
悔しい気持ちのまま過ごしていたある日、僕はもう一人のヒーローに出会った。
僕の根治手術を担当してくれた高城先生。
先生は、手術を受けるのが難しい状態の患者でも、一人一人の症状に合わせて、成功率を格段に上げることのできる、世界でも数少ない名医だった。
背が190センチ近くもある大きな先生は、まるで熊のようにふっくらして毛深くて、少しコワモテで声も低くてびっくりしたけど、話すと穏やかで優しかった。
先生は僕を勇気付け、必ず治すと約束してくれた。
東京の病院に転院後、手術前の体力作りの時も、術後のリハビリの時も、先生はまめに会いに来て、僕が前向きになれるように話をしてくれた。
先生と話すうちに、僕にはこれまでなかった夢ができた。
退院する二日前、僕は先生と記念撮影をした後、「僕が大人になって医者になったら、一緒に働いてくれますか?」と聞いてみた。
先生は、豪快に笑った後「もちろんさ!爽太くんがお医者さんになるのを楽しみにしてるよ!」と言ってくれた。
*
退院する日、直希からもらった手紙の量は、僕が手紙入れとして使っている箱一杯になっていた。
直希は転院してからもポストに手紙を入れてくれて、父親がそれを週末に持って来てくれていた。
入りきらない分は、看護師さんにもらったクッキーの缶箱に入れて家に帰宅した。
*
直希は僕が自宅に戻った話を聞くと、すぐに会いに来てくれた。
互いに抱擁して再会を喜びあっていると、直希があることに気付いた。
「あ、爽太の体あったかくなってる!」
血行が悪かった僕は、いつも体温が低くて手足が冷たかった。
僕が直希の体温を温かいと感じていたということは、直希からしたら、僕の体はいつも冷たかったんだろう。
「よかったなぁ爽太!またボール転がしやろうな!」
「今度はドッジボール教えてよ!僕、もう鬼ごっこもサッカーも野球もできるよ!」
「ホントか⁉︎」
「うん、直希野球好きだよね?ルールも教えて!」
「すげー!爽太、何でもできるようになったんだな!」
僕は、直希に入院中に起きた出来事を話した。
直希は「無敵ロボじゃん!」と言って感動してくれた。
「――だって、死んじゃいそうになって、おっきな手術して、前より強くなって帰って来たんだぞ?もしかしたら、爽太は無敵ロボじゃないのか?」
「ロボじゃないよ。人間だもん」
「じゃあ、無敵ヒーローだな!」
「ヒーロー……」
憧れの直希に『ヒーロー』と言ってもらえたことに、僕は嬉しくて一気に体が熱くなった。
「お?爽太顔真っ赤」
「僕、ヒーローみたい?」
「うん、ヒーローレッドになってるぞ」
「にひひっ」と、笑った直希は、僕にヒーローネームを考えては、次々にそれを述べていった。
*
僕は、これまで我慢していた分を発散するように、直希や他の友達と一緒に、たくさん遊んだ。
治っても体力が他の子供より少ないので、疲れが酷いと熱を出すこともあったが、それもどんどん少なくなり、五年生になった時には、他の子供とほぼ変わらないくらい体力もついた。
*
――しかし、五年生の十月。
直希の様子がいつもと違った。
普段通りを装ってるつもりみたいだが、声の張りがいつもより弱く、授業中も何か考えてるみたいだった。
僕が直希に理由を聞こうとする前に、直希から「話があるんだ」と切り出された。
通学路の途中にある川沿いのベンチに座りながら、直希はしばらく足をブラブラと揺らした後、「……俺、引っ越しするんだ」と言った。
「引っ越し?」
「うん、おうち買うんだってさ」
「どこに?」
「夏城町。電車で二つだから遠くはないけど、冬丘小から転校しなきゃいけないんだ……」
「…………」
僕が元気を無くすと、直希は「もう、爽太も元気になったし、俺がそばにいなくても大丈夫だよな」と言った。
「え……」
「モリも、つっちーも、爽太とちゃんと仲良くなったし、俺一人いなくても、みんな平気だろ……」
「そんなこと……」
俯いていた直希の顔を見ると、直希は寂しさを精一杯我慢しているようだった。
「爽太……俺さっ……爽太とお別れすんのが一番寂しいっ……。やっとたくさん遊べるって思ったばかりなのに……。大きい家も、一人部屋もいらないし、誕生日プレゼントだっていらないから、引っ越ししたくないって父ちゃんに言ったけど、ダメだった……っ」
――直希の先程の言葉は強がりだった。
ヒーローだった直希が、初めて僕に弱い部分を見せた。
「……会いに行くよ」
僕は、しゃくりを上げて泣く直希に言った。
「電車乗って、直希の新しいおうちに遊びに行く。電話もしよう!こっちの学校の話するから、直希の新しい学校の話も聞かせて!」
僕がそう言うと、直希は泣くのをやめて顔を上げた。
「電車……一人で乗ったことないけど、切符の買い方も教えてもらうし、直希もまたうちに遊びに来てよ……いつでも待ってるから」
「……なんか、爽太がかっこいい」
直希は鼻水を服の袖で拭いながら言った。
「いつもは可愛いのに」
「なんだよそれ……嬉しくない」
「女子が言ってるぞー。水瀬とか花岡が、爽太のこと可愛いとか、好きだとか」
「かっこいいじゃないの?」
僕が不満な顔をすると、直希は「ひひっ」と笑ったので、僕も釣られて笑い始めた。
「引っ越しは来月らしいけど、二学期は冬丘の学校にいるんだ!だから、それまでたくさん遊ぼうな!」
「うん!今日も遊ぼう!」
*
僕達は悔いの残らぬよう、直希が転校するまでめいっぱい遊ぶことにした。
直希は夏城町に引っ越した後も、二学期の間は新しい家から冬丘小まで、車でおばさんに送ってもらい、帰りは暗くなるまで、僕や友達と遊んでから迎えに来てもらっていた。
金曜日の夜は、僕の家で夕食を共にしてから帰ることもあり、そんな日のご飯は、とても賑やかで楽しかった。
*
――終業式の日。
直希はたくさんのクラスメイトに惜しまれながら、冬丘小最後の日を過ごした。
クラスが変わっても、直希を慕う友達は多かった。
直希が教室を出た途端、他のクラスの友達が彼の周りを一気に囲った。
直希と別れる直前、僕は彼に手紙を渡した。
「爽太からもらったの初めてだな!」
「家に帰ってから読んでね。恥ずかしいから……」
「冬休みだし、すぐに会いに行くよ」
「うん。僕も行くからね」
僕らは握手をしてお別れをした。
手紙には直希への感謝の気持ち、大親友になってくれたお礼、直希に憧れたことなどを綴った。
――手紙の最後には、こう書いた。
『ぼくたちは、ずっと超超大親友だからね!!』
*
直希が転校して三学期になると、僕は自分から立候補して学級委員長を務めた。
今までは、直希がそういった役割を率先して引き受けていたが、彼はもうこの学校にいないので、今度は僕が、彼がまとめていたクラスを引っ張りたいと思った。
一方、直希は新しい学校で早速友達ができたらしく、これまであまりいなかった女の子の友達も出来たと報告した。
「――んでさ〜、その子のこと好きになっちゃってさ〜!性格は男の子みたいなんだけど、髪の毛ツヤツヤで綺麗なんだ!」
直希はふわふわと浮ついた声で、好きな女の子の話をしていた。
「へぇ〜そうなんだ。頑張ってね」
「なんだよ、反応薄いなぁ……。爽太なんかモテるんだから、クラスメイトの中に、好きな子出来てもおかしくないのに」
「ん〜……僕はまだそういうのないな」
「逢沢とか、大人しくて可愛い子いるだろ?」
「この間告白されたけど、直希みたいにデレデレした気持ちにならなかったよ」
「なんだよ〜デレデレって!」
直希は笑い声交じりにそう言った後も、僕に新しい友達や、好きな女の子の話を続けた。
僕は、直希の新しい友達に少し嫉妬もしたが、それと同時に、直希と仲良くしてくれることに感謝した。
その人達にも会ってみたいと思っていると、それから半年後――今度は僕も、夏城町へ引っ越すことを、両親に告げられた。
*
中学校で直希に再会すると、数ヶ月前にはさほど変わらなかった身長が、いつの間にか僕の方が大きくなっていた。
直希の新しい友達は、僕の友達にもなった。
中学校で知り合った坂下風麻は、直希と少し似ていて、元気でやんちゃだがいいやつだ。
風麻の幼馴染の松山さん、松山さんの友達の空上さん、僕と同じく、中学からこの町にやってきたばかりの相楽奏音さん。
みんなとても面白くて優しい、良い人ばかりだった。
――そして僕は、一人の女の子と運命的な出会いをした。
「亜梨明、おはよう」
「あ、爽ちゃんおはよう〜」
奏音さんの双子の姉である相楽亜梨明は、昔の僕と同じ病気を患っていた。
とある出来事で、それを知ってしまった僕は、彼女が秘密にしたがっているとすぐに察し、彼女に自分の過去を明かした上で、友達になって手助けをさせて欲しいと名乗り出た。
「少し顔色青いけど平気?」
僕は、松山さんや他の友達に気付かれないように、小さな声で聞いた。
「うん、ちょっと寒いだけで元気だよ」
亜梨明は手をひらひらさせながら言った。
心配かけたくない気持ちも、具合が悪くても人に言い辛い気持ちも、僕は知ってる。
――だから、それを言える関係を、亜梨明と築きたい。
「亜梨明、約束してね。無理はしないこと、何かあったらすぐに僕を頼ること」
僕が指を差し出すと、亜梨明は一瞬戸惑ったが、ゆっくりと小指を僕の指に絡めた。
「うん、ありがとう。約束ね!」
僕が微笑むと、亜梨明も目を細めて微笑み返した。
あの日の直希がそうだったように、今度は僕が――彼女を助ける、ヒーローになりたい。
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