大切な平凡
芦屋隆造へこちらの方針を伝え了承されたと玖音から聞く。
大陸から逃げたあやかし退治に向かう風香へ、自動拳銃(
もともとは殺生石を取りに行く際に栄達からの妨害に備えて、遠距離からの攻撃手段が必要で用意したもの。葉風や風香にとって相性の悪い陰陽師相手を想定して準備していたもの。今回の仕事では多分必要ない。
しかし、慎重な準備を怠るわけにはいかない。何かあってからでは困るから、念には念をというわけだ。
「何度か練習したが、使い方は忘れていないよな?」
「大丈夫。でも使う機会あるかな?」
「無ければ無いでいいじゃないか。荼枳尼も一緒だから心配はしていない。でも万が一ってのはあるかもしれないからな」
「そうね。ありがとう」
自動拳銃を受け取り、俺と葉風にニッコリと笑顔を見せ、荼枳尼の部屋へ向かった。
「ねぇ、ニセウのこと聞いた?」
風香を見送った葉風が、ソファに座ろうとしている俺に訊いた。
「芦屋隆造には稲荷から情報を渡すとしか伝えていないってことだね」
横に座った葉風へ答える。
「ええ、姉さんはニセウについては隠すつもりね」
「こちらの情報収拾手段を全て教えてやる必要はないからな」
ニセウは、日本全土に散らばる樹木の精霊に近隣の情報提供を、紫灯とともに依頼して回っている。
これにより、主にあやかしに関係する動きだが、他にいつもとは違う事態が生じた際も教えて貰えるようになる。
樹木の精霊は宿っている木の樹齢によって様々で、意識のはっきりしているものから、意識が
ニセウの地元の北海道から始めて、およそ
そんなことは無いと思うが、万が一、俺の力が必要な状況が生じたら玖音から声がかかることになっている。
呼ばれないことを祈りつつ通常の仕事をこなしているさ。
妹の和泉は気を感じる訓練を、俺に言われたとおり忠実に続けてそろそろ一年が近づく。
プールで訓練を続けている様子を、九兵衛達河童も美保達人魚も和泉を褒めている。兄としてはとても嬉しい。
しかし、気の流れを掴むと言葉では簡単だが、実際はとても難しい。血管内の血液の流れを感じるのだって相当難しい。心臓の鼓動を把握するのとはまったくレベルの違う集中力とどんな些細な変化も感じ取れる繊細な感性が必要になる。
尸解仙となった俺も、峰霊師父の指導の下で最初はずっと気を感じる訓練を続けた。
だから、いくら集中しても何も感じられない状態が続いている時の虚しさや無力感はよく判る。こんなことをしていて、いつか感じられるようになるのかと猜疑心が自分の弱さとして頻繁に現れるんだ。
俺の場合は、仙人として上を目指す義務があった。神仙へ至るための義務だった。
だが、和泉にはそんな義務はない。気を利用したトレーナーではなく普通に身体の状態を察したトレーナーを目指す道もある。その方が楽だ。
だが、言われたとおり続けているのだから、和泉は俺より強いと誇らしくなる。
まぁ、気の流れを感じる訓練を続けていれば、身体の状態を把握することにも役立つ。だから、このままずっと気を感じられなくても和泉の目指す仕事に役立つから、無駄なことをさせているとは思わない。それでも、目標を達せられるか判らないまま、無心で継続できる気持ちの強さを褒めてやりたい。
体調を感じられるようにと、比較的簡単に見極められそうな患者さんの治療を手伝わせようと考えている。その際には、ここまで続けてきた訓練は無駄ではないときっと感じてくれるだろう。
そうしたちょっとした成果でもあれば、今後も続けていけるのではないか。和泉の目標が叶えらえそうな手応えを感じてくれるのではないか。俺はそう期待している。
今日の患者さんは五十肩で回復期にはいっている。だから俺のような気功を使うトレーナーでなくても構わない。一般の整形外科へ通院すれば治る患者さんだ。
五十肩は肩関節周囲炎のこと。痛みが強い時期は薬物の力を借りたほうが良い。そして回復期に入ったら運動療法を行う。運動療法も自宅で可能なもので良いから、ここに来る必要はない。だから症状によっては通院の必要はないと断ることもある。俺の治療費は高めだから無駄金使わせるのも嫌だし、けっこう忙しいからな。
しかし、温熱・冷熱療法なども並行させ血行を良くするのも効果がある。気功を使っての治療で、血行を良くすることも、患部周囲の筋肉を活性化させることも可能。
要は、多少なりとも早く治癒させられる。
筋肉の炎症では、血管の拡張などの症状が見られる。だから和泉に触れさせると訓練にもなる。もちろん和泉に触れさせて症状を確認する際には、患者さんから了承をとっている。
「どうだ?」
患者さんの肩周辺に手をあて、集中して状態を確認している和泉に訊く。
「はい。炎症は前回より治まっていると思います。巽先生、確認をお願いします」
和泉と交替して患者さんの肩に手を触れる。
和泉の判断が正しいことを確認して頷き、運動療法へと移す。
患者さんに付き添い、動きや表情を確認している様子を見守り、彼女の成長に納得した。
患者さんが帰った後、患部をどのように判断したかなどを訊き、足りない点について指摘した。
「気を感じ取るにはまだ至っていないけれど、患部の状況を察するようになっている。今後もトレーニングを怠らないようにな」
多少なりとも成長したと自分でも実感したのか、嬉しそうに頷いている。実際、気を感じられるようになるにはまだまだ時間がかかる。先は長いから焦らず、ある意味のんびりと構えて訓練を続けて欲しいものだ。
次の患者さんに備えて施術室を片付けながら、和泉と葉風が雑談を交わしている。
平日通っている学校で学んだこと。
プールでトレーニングしている間に起きたささやかな出来事。
友人と見つけた美味しいスイーツのこと。
そんなことを話し合っている様子は、俺には姉妹のように感じてなんか嬉しかった。
荼枳尼等のあやかし退治はこれから始まる。
芦屋隆造等がどう動くのかも判らない。
平穏無事に過ぎていくと楽観はしていないけれど、できることなら、今見ているような柔らかい空気のある生活が続いてくれるといい。平凡な日々が続けばいい。そう感じていた。
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