準備(その二)

 俺達が入ると玖音と荼枳尼が和室の窓際に座っていた。


「朝凪がニセウを呼びに行っています」

「判りました。では揃ったら話を始めます」


 玖音は窓の外へ顔を向け、俺達はその場に座り待つ。

 十分ほど過ぎたあたりで朝凪がニセウを抱いてやってきた。

 「揃いましたね」と玖音は山水画の掛け軸がある床の間前に荼枳尼と一緒に移動した。


「芦屋隆造からの依頼を受けます。稲荷達には日本全国で情報を集めて貰い、西日本だけを提供します。東日本は私達が対応するつもりです」


 兵庫県に拠点がある芦屋等に西日本側を受け持って貰い、東日本は俺達が対処する。まぁ、無難な地域分けだな。


「荼枳尼様がこの件を受け持って下さることになりました。風香、あなたは荼枳尼様のお手伝いを」

「え? 俺と葉風は?」


 どういう風の吹き回しで荼枳尼が担当してくれることになったのか判らない。だが、祓いが得意な荼枳尼が動いてくれるのなら、あやかし退治は楽になる。

 風香に関しても、気分転換の意味もあるだろうし、気持ちを整理するためにビルの外で仕事させようというのも判る。

 だが風香よりも、霊気功を操る俺の方があやかしに対しては優位にいる。仙狐の風香でも危険は少ないのは判るが、俺ならばリスクゼロと言ってもいいくらいだ。葉風と一緒なら、芦屋が裏切って何か仕掛けてきたとしても対処可能なんだ。ずっと修行してきた成果に俺は自信がある。


「総司と葉風、そして風凪は通常通りの仕事を。但し、荼枳尼様から連絡があればお手伝いして貰います」


 俺は納得いかない。多分、表情にも気持ちが出ているだろう。


「総司。風香の修行なのです」

「ですが!」

「それに、あの芦屋隆造という男は油断がなりません。大陸からのあやかしに関しては荼枳尼様と風香が居れば大丈夫。私、そして総司と葉風は、あの男の動きにおかしなところがあったらすぐ動けるようにしておきたいのです。風凪は、私が留守にするような事態には、このビルを守って貰います」


 抵抗する俺に玖音はその腹づもりを淡々と説明した。


「ニセウ。あなたにも手伝って貰います。日本中の木の精霊とコンタクトをとり、情報を近場の稲荷へ伝えるように動いて下さい」


 朝凪に抱かれているニセウに命じる。『判りました』というニセウの返事が俺達にも伝わった。


「さて総司。納得していないようですが、あなたは芦屋隆造をどう見ましたか?」

「腹の底を見せない油断できない男です」

「造反者には容赦ない姿勢を見せる冷酷な面もありました」


 確かにそうだ。本家の方針に反したとは言え、式神同然の状態に落とすなどかなり酷い。禁呪での契約を終えたあと、元の人間に戻るのか疑わしい。

 俺の想像では、隆造が使った禁呪は尸解と同じ系統の術だ。意思を縛るだけでなく肉体を根本的に変える術だろう。今の時点では、栄達の肉体はまだ霊体化されていない。しかし、時間の経過とともに変化していくように感じた。

 霊気の流れは、人間とあやかしでは異なる。いくら長年修行してきたとしても、人間は霊気を血液のように体内を巡らせることはできない。その必要もないのだが……。

 しかしあやかしにとっての霊気は、人間の肉体を構成する全てと一緒だ。筋肉や臓器、血液に等しい全ての組織は、霊核を中心に霊気で作られている。


 まだ人間の身体のままとは言え、芦屋猛と栄の霊気は体中を巡っていた。まるであやかしと同じように巡っていた。あやかし化が進んでいる過程だと感じた。


 陰陽術師はあやかしに対して優位にある。猛と栄は立場としてしもべの状態にされただけでなく、存在として下位に落とされたのだ。


 今、改めて考えると、芦屋隆造が行ったことの怖さが判る。

 冷静になり視線を向けると、玖音は堅い表情のまま頷く。


「あの男には我らあやかしと対等に付き合うつもりなどありません。我らに頼ってきたことにも何か意図があるかもしれません」


 こちらの戦力を調べるため?

 いや、玖音や俺のことも荼枳尼のことも知っている。あいつがいかに優れた術者だろうと、俺達に勝てるとは考えないだろう。

 だとしたら、どんな意図が?


「荼枳尼様と相談して行き着いた答えは、大陸への進出です」

「……大陸から逃げて来たあやかしを退治し、大陸側へ自らの力を示す? ですが、大陸にも道教の術者は居ます」

「ええ、ですが道教の術者は崑崙と手を組んでいます。大陸の権力者の思い通りには動かない」

「つまり……まさか?」


 栄達は、裏から権力を握るために手駒となるあやかしを育てていた。それを日本で使おうとして俺達と衝突した。しかし大陸で使うなら、少なくとも俺達とぶつかることはない。

 だが、大陸には大陸の術者が居る。崑崙と距離を置く術者集団も居る。だが、彼らは崑崙の目から隠れて動くため、使い勝手が悪い面もあるだろう。

 そこへ付けこもうというのか……。


「ええ、大陸側の権力層から仕事を請け負うためのデモンストレーションではないかと」

「崑崙は他国の人間に手を出さないから? ……そういうことでしょうか?」

「そして高天原も日本国外の事柄には手を出しません」

「……双方の神々から目をつけられようと、実力介入されない」


 俺の想像を裏付けるように、冷たい光を放つ瞳で玖音は予想される状況を説明する。


「そうです。そしていつでも仕事を請け負えるように力を温存しておきたい。だから我らに依頼してきたのではないかと」

「分家を贄に差し出してでも……」


 んー、だとすると、俺達は芦屋隆造の企みを手助けすることになるんじゃないだろうか。


「大陸では、日本よりもドラスティックに……激しく権力闘争を行います。汚い争いも多いでしょう。建て前としては民主制の日本よりも仕事はあるでしょうね」

「ですが、それでは栄達が行おうとしていたことを大陸で行うことになる」

「芦屋家の方針は日本国内では守る。しかし大陸では関係ない。詭弁の類いですが、その程度の言い訳は用意しているでしょうね。……芦屋隆造の考えが、私達が想像したものと同じかは判りません。しかし用心しておく必要はあります」


 確かに、今のところ仮定の話だ。

 大陸から逃亡したあやかしが日本で悪さするのは防ぎたい。どこの出身であれ人間には関心ないだろう。だから、あやかしの悪事はあやかしと人間の共存を願う玖音の邪魔だろう。万が一、日本で悪事を働いたのがあやかしだと公に知られるようなことにでもなれば、このビルのあやかし達だって生活しづらくなるかもしれないし、危険が迫るかもしれない。


「下手すると、芦屋隆造の企みの手助けをする形になるんですね?」

「そういうこと。だから日本の神の一人、荼枳尼様に関わって貰うことにした」

「あ! ああ、なるほど……日本では動きづらい崑崙に貸しを作る……もしもの場合には大陸でも動けるよう準備しておく……そういうことか……」


 神々にはテリトリーがある。自身のテリトリーの外では派手な動きを慎む。どうしてもテリトリー外での活動が必要ならば、それ相応の筋を通さねばならない。

 大陸から逃げ出したあやかしを退治し、崑崙の手間を省く。やっかいごとの処理を行い貸しを作る。それによって、こちらが大陸で活動する際に話を通しやすくなる。


 まぁ、泰山娘娘に話を通すだけならなど作らずともいいはずだ。だが、崑崙には他にも神が居る。泰山娘娘にだけ話を通しただけでは、崑崙のテリトリーで日本の神やあやかしが動くのを嫌う神も居るかもしれない。

 玖音等、九尾の狐姉妹はもともと大陸で生まれ、泰山娘娘の命令で日本で活動している。だから彼女達だけならば、大陸での活動も楽なはずだ。俺も崑崙で修行していたのだから、大陸で活動しても大きな問題にはならないだろう。


 しかし、芦屋家の動きを止める、もしくは邪魔をするとなると、それは大陸での事件と言っても日本側の事情でもある。そう考えると高天原や日本側の目的で動く側面もある。

 仮に、全て日本側の事情で動くことになっても崑崙と軋轢が生じないようにしておきたい。

 

 玖音が、荼枳尼と協力して動く理由はそこにあると判った。

 神々の関係まで気にしなくてはならないなんて俺には無理だ。玖音の指示から外れないよう気をつけよう。


「……芦屋隆造が霊力を分散させている理由は、自身の力を隠すだけでないように思うのです」

「他に何が考えられますか?」


 霊力を実際より小さく見せていることですら想像の上をいっていた。他に理由があるとしてもその理由など見当もつかない。

 穏やかだが、やや鋭い金色の視線を向ける玖音の返事を待つ。


「芦屋本家にも、霊力の強い術師が少ないのではないか。だからそれなりの霊力を持つ猛や栄を式神化し、手駒にしたのではないか」

「え? でも俺とケリをつけさせようと……」


 俺達と正面から戦ったら、式神となり人の弱点……脆弱な肉体を捨てた猛や栄でも勝ち目はない。その程度のことは隆造には判っているはずだ。陰陽術はあやかしには有効だが、霊気功を身につけた俺にはいくらでも防ぐ手段がある。


 猛や栄より葉風達の方が、俺への対抗策を持っている。もちろんあやかしの弱点を知り尽くしているから、玖音ほどの力を持たない限り負けはしない。だが、霊格が高いあやかしのほうが陰陽師相手より苦労するだろう。

 仙人の俺に対抗するなら、霊気を操る霊気功に対抗できるだけの強い霊力を持っている必要がある。そうでなければ陰陽師だろうとあやかしだろうと敵ではない。


 まぁ、殺生石の悪意にトラウマを抱えている俺が偉そうなことを言っても説得力はないだろう。

 しかし、陰陽師やあやかしに対して優位にあるのは事実だ。そのことを理解しているから、栄は藍睨果をぶつけようとしたのだからな。


「あなたを十分調べたのでしょう。小細工抜きで正面から戦った相手をあなたは殺しはしないだろうと」

「しかし、俺はあいつらの弟を……」

「それは相手が戦いを止めなかったからでしょう? 式神化しておけば、隆造の命令に服従します」

「つまり、俺がそこそこ痛めつけたら止めに入ると?」

「ええ、こちらにも死者は出ていませんから、戦う意思を見せないならそこで終えるでしょう?」

「それはそうですが……」

「ただ、あのようなことをして大丈夫なのかとは思います」

「と言いますと?」


 玖音の隣で妖しげな笑みを浮かべつつ、俺とのやり取りを聞いていた荼枳尼が口を開いた。


「一時的になら良いでしょうが、栄達が隆造の力を見誤っていたということは、常時霊力を分散しているということね。これまでは隆造を超える力を持つ者と出会わなかった。しかし……ね?」

「なるほどっす! さすがは荼枳尼さまっすね」


 朝凪が嬉しそうな声を背後からあげた。振り返って表情を確認しなくても、キラキラした瞳で荼枳尼を見つめているのが判る。玖音が居なければ力一杯の拍手を送っていることだろう。

 ……太鼓持ちスキルが発動しまくってるだろうな。


 理屈では荼枳尼の言うとおり。霊力を分けたら不利な事態が生じやすい。

 しかし分けていても栄と同程度の霊力を持っていた。何人に分けているのか判らないけれど、同伴していた警備二人分だけでもまとめたら相当な力の持ち主となる。

 栄程度の霊力でも、陰陽師の間ではかなり高い術師だろう。

 仙狐の風香や風凪なら、陰陽師とは相性が悪いから勝てないかもしれないけれど、それでも討伐されるようなことはないだろう。天狐の葉風なら苦労はするだろうが勝てるんじゃないだろうか。


「もう一度みんなの役割を伝えます。あやかし退治は荼枳尼様と風香が、総司と葉風は通常通りに仕事してください。和泉さんのこともあるでしょう? 総司、きちんと育ててあげなければなりませんよ? 風凪は、いざという時に備えてビル内の動きにも注意していてください。ニセウは残って下さい。稲荷と連絡をとる手順を相談しましょう。以上です」


 背筋をピンと伸ばし、俺達は礼をしてから立ち上がる。

 荼枳尼に近寄っていく、ニセウを抱きかかえた朝凪を置いて、俺達は玖音の部屋を出た。

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